情報の早さと行動の速さ
机ほどの大きさの石台に描かれた魔力を籠めた図画、つまりは魔方陣に仄かに光が集まる。一人の男が事務的に駆け寄ると、魔術の発動を待った。
ここは帝都中央部、城壁内北東部にある軍の情報管理課である。帝都全土に張り巡らされた軍の情報集積所であり、通常の書簡の運搬から魔術による転送通信のやりとりが二十四時間体制で管理されていた。
光が瞬くと、ゆっくりと一本の巻物が石台に降りてきた。通信兵の男は光が完全に消えるのを待ってから慎重に巻物を手に取った。転送の送受信中に魔方陣に手を入れると極稀ではあるが酷い目に合うことがあるからだ。
だが男は急いでいた。なぜならこの高価な魔術通信は基本的に緊急性の高い、もしくは秘匿性の高い連絡の時のみに使われるからだ。
「どこからだ?」
男の近くにいた上司らしき男が近づく。
「陸戦部。……?!」
手に取った巻物の色から陸戦部の通信物だと判断する。そしてその巻物の封口を見た瞬間に男の表情が変わる。
「二曹殿。これは重要親書です。送信元はミナレバ駐屯地。」
「なんだ?ガヴィーター側に動きでもあったか?」
彼らは軍属ではありながらも、単なる一介の事務員でしかない。帝国内部の詳しい作戦状況など知るよしもなく、もちろんタタカナル村のドラゴン討伐の計画など知らされていなかった。だが少なくとも隣国ガヴィーターと対立している事は常識であり、その最前線の城西都市から重要親書が来て楽観的でいられるはずもない。
内容が気になると言えば嘘になるが、情報管理課でそんな事を一々気にしていたら仕事にならない。上司は静かにいつも通りの処理を行う。
「陸戦部第三方面管轄だから……ピグセン大尉か。すぐに届けろよ。」
親書である以上、情報管理課で開封することは出来ない。少なくとも担当部署の少尉以上の、しかも重要親書であれば担当の大尉以上の階級の将校に直接手渡しを行わなければならない。しかもそれを受信した担当兵が直接渡さなければならない。中継ぎを減らすことによって、事故や情報漏洩を防ぐためだ。
手にした担当兵は多少厄介そうな表情をしつつも、周りで勤務している他の兵士に軽く頭を下げつつ部屋を出た。確かに厄介な仕事ではあるのだが、実は勤務時間中に堂々と外出が出来るという事もあって、一種の役得的な側面もある。もっとも城の中心部にある情報管理課が、これまた重要人物に親書を届けるのに繁華街に行くわけにもいかないが、それでも気分転換には良いものだ。だが満面の笑みで外出するのも反感を買うので、親書輸送の仕事は申し訳なさそうな表情で行うのが因習になっていた。帝国全土に十数万人いる軍人の統率ともなると、やはり色々と煩わしい規則や習慣があるのは、どこの組織でも変わらないのかもしれない。
男は通信伝達棟を出ると晴れた太陽を浴びて大きく背伸びをする。秘匿性の高い仕事のため、部屋には窓が無く廊下に数ヵ所ある程度。そんな中に長時間勤務していれば、この光は恩恵である。特に彼は今朝は早い時間からの交代だったために、ろくに朝日も見ずに部屋に入った。快晴の夏の日差しは目に痛かったが、それは心地よい痛みであった。
背中から全身の筋肉を少しずつ弛緩させて大きく息を吐くと、彼はゆっくりと歩み始めた。行き先はもちろん陸戦部中央本部棟である。
真面目に歩けば十分もかからない距離にあるそこに、どれだけ時間をかけて行くかが彼らの手腕ども言える。もちろん誉められた行為ではないが。
不必要に右に曲がって男は建物に沿ってぶらぶらと歩いていると、建物の門が開いて一人の女が出てきた。
「おっぱいでけえ……。」
第一印象がそれである。彼女を目の間にすれば、たとえ同性だったとしても一番最初に目がいくのはそこである。
女は肩を下げ項垂れながらトボトボと階段を降りる。一段降りる度に彼女の胸が大きく弾んで揺れるのを彼は見逃しはしない。当然諜報課棟の玄関にいた番兵も見逃しはしない。
(諜報課か……。)
彼は彼女を知っていた。と言うよりも、正確には存在は知っていた。陸戦部諜報課にすさまじい巨乳の女が入隊した、という噂は彼女が入隊したときに近隣の施設の男達に一瞬で広まったからだ。だが、配属してすぐに地方配属になったために、実際にその乳を拝めた兵士はそんなに多くない。彼もまた噂だけを耳にしていた。
(バラージ家とかいう処の御令嬢さん。名前は……イルシュだったかな?こいつの事か。)
バラージ家は決して名家とは言えないが、それでも軍人貴族家系の中では多少は知られている家系であり、その関係もあって彼女もそれなりの処遇を受けていた。彼女の祖父が少将の階級まで上がり、現役の父親も陸戦部の中央で働いている大佐らしいという噂は聞いている。もちろん直接的に関与があるわけではないから、無関係と言えば無関係だが、広いようで狭い帝国軍部。どこでどう人間関係が繋がるか予測不可能なので基本的には失礼のないように接するものだ。
(それにしても地方配属だって聞いたのに、なんで本部にいるんだ?)
無論、兵士達も職業軍人である以上、休暇もあれば里帰りも旅行も可能である。彼女が何らかの事情で実家に顔を出しただけという可能性だって十分に高い。それ以上の詮索は止めた方が良いのかもしれない、と男は思った。
そして情報管理課と諜報課は比較的に連携を採る場合も多い割りに、若干仲の悪い部署でもある。あまり性的な興味本位だけで近づくと面倒かもしれないとも彼は思った。
諜報課の任務は当然だが情報収集である。そして情報は集積して分析されなければ意味がない。その為に諜報課は情報管理課の通信網をよく使う。そして親書率が非常に高いためにこのように直送仕事が多い原因にもなっている。この男のように息抜きに使えるために助かる反面、繁忙期でも容赦なく送られてくるために面倒とも思われる原因にもなっていた。
彼女、イルシュ・バラージがタタカナル村に滞在していた時の報告書も、多くは魔術通信によってここへ送られていた。もちろんこれといって進展の無い時期の日報は商人の連絡網を使って送られたものもある。
彼自身も何度か彼女の署名入りの重要親書を運んだ経験があるために名前は知っていた。だが、噂の爆乳軍曹本人を見るのは初めてであった。
(確かに噂通りの乳だけど……他は微妙じゃね?)
今の彼女は正式な軍服を着ておらず、略式の軽装であった。それを見るだけでも彼女が休暇中に軍部に顔を出すためだけに来たであろう事が予想できた。
そんな微妙に力の入っていない服装に合わせて、猫背に暗い顔でフラフラと歩いているのである。彼女の従来の魅力が半減して見えてしまっても致し方無い。
「お疲れさまです!イルシュ・バラージ軍曹殿でしょうか!」
その男は近寄ると正式な敬礼をして彼女に話しかけた。先程面倒だと思っていたのにも関わらず。理由はと言えば、乳に惹かれたとしか言いようがない。
声をかけられたイルシュは慌てて視線をあげると彼の肩の階級章を見た。
(なんだ……情報管理課の上等兵か……。)
そう思いつつも一応は背筋を伸ばして敬礼を返す。これは軍規で平時には敬礼をされたら敬礼を返さねばならないと決まっていたからである。だがイルシュは彼よりも二階級上の立場であったために、こんなおざなりな敬礼でも許されるのだ。
背筋を張ったために大きくせり出した乳房に男の目が吸い込まれるのは、もはや日常茶飯事であり彼女はもう気にも止めない。男とはそういう習性がある生物なのだと思っている。
「何?私、今日は非番なんだけど……。」
腕の力を抜いてだらりと敬礼の腕を下げて、そのまままた猫背になるイルシュ。その言い方は心底相手に興味がなさそうであった。
「お休み中に失礼いたしました。ただ、以前から何度か親書配達の任務でお名前は存じておりましたので、ご挨拶だけでもと思いまして。」
「あー、そっか。いつもありがとね。」
気持ちの籠っていない挨拶で返すイルシュ。
男の魂胆は見え透いていた。そもそも情報管理課は軍全体の情報の集積地なので一々送信元の人に挨拶などしない。こんなのは体の良いナンパの口実なのは分かっていたからだ。
もっとも彼女からすれば、ナンパの方がまだマシである。彼女をどうこうしようという意思があるからだ。この邪魔臭い脂肪の固まりのせいで、それを見たいだけだの触りたいだけだのという有象無象は掃いて捨てるほど見てきた。
「じゃ、私帰るから。」
そう言って男に二言を告げさせず、さっさと会話を切り上げて男に背を向けると、城門に向かってトボトボと歩き出す。
「てか、親書の配達中だろ。仕事サボってないでとっとと行けよ。」
そう小声で愚痴を漏らす。男の肩から下げられていたものが、書類配達時の官製鞄だったのを見ていたからだ。
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