竜人の本性
やがて、ゼータはゆっくりと口を開いた。
「……卵は順調だと思いますよ」
「ほんとぉ⁉︎」
「比較対象があまり無いですが、問題は見当たりません」
ツムギはほっと息を吐いた。
急に気が楽になってハーブティーに口をつけ、鼻歌まじりになる。
「ねぇ、ゼータは卵の中にいる時、何考えてた?」
「は? 何ですか、突然」
「ギルターはね、『早くお母さんに会いたい』って思ってたんだって」
ゼータの動きがぴたりと止まる。
少しして、静かな声が返ってきた。
「……私も同じですよ」
「えっ。意外!」
思わず声を上げると、ゼータは淡々と続けた。
「たいていの竜人はそうでしょう」
「そうなんだぁ!」
「……竜人が生涯で愛する女は二人だけ。はじめに母親、次が花嫁。──そういう言い伝えです」
「ロマンティックだねぇ……」
胸の奥が、きゅんと温かくなる。
ギルターもゼータも、母親のことが大好きだったのだ。
そして、いま卵の中にいる子どもたちも母親のことが──ツムギのことが、大好き。
そう考えると顔がにやけてくる。
けれどふと疑問が胸に浮かび、独り言のようにつぶやいた。
「赤ちゃんも会いたがってくれてるのに、どうして見に行っちゃいけないのかなぁ……」
「……悪い影響があるからですよ」
「え⁉︎」
ツムギは驚いてゼータを見る。
「ここ最近……と言っても百年単位の話ですが。孵化できずに、命を落とす竜が多くなったんです」
「えぇっ」
「ある時、その原因が母親の精神状態にあることが分かりました。それで、母親を遠ざける掟ができた」
銀髪の竜人はツムギの胸元を指差す。
「祝珠を身に付けていると、海中で竜人と通じ合えるのは知っていますよね。“始まりの海”はその全体が海のようなものです。祝珠を通して子どもに感情が伝わる──だから、母親が不安や恐れを抱いていれば、ストレスで子どもが弱るんですよ」
ゼータは目を伏せる。
「もっとも、母親を遠ざけるようになっても、竜人の減少を完全に止めることはできませんでした。かつては百近くいた竜も、今は私たち二人だけです」
「……そっかぁ」
うつむくツムギにゼータが問いかける。
「兄は伝えなかったんですか?」
「うん。理由は教わらなかった」
「……これを聞くことで逆にお前が不安にならないように、などと考えたんでしょうね」
「……だろうねぇ」
苦笑いしてため息をついた。
心臓が今度は嫌な感じにきゅっとしていた。
胸元の祝珠を握る。
「これを外すのはダメなんだよね?」
「ダメです」
即座に言われて頷く。
「子どもが生まれるまではなるべく付けておくように」とギルターから聞いていた。
だからツムギは、お風呂に入る時もきちんと身に付けている。
「じゃあ、あたしが“始まりの海”にさえ行かなければ大丈夫なの?」
「影響が完全にゼロとは言いませんが、問題は無いでしょう。──よほどの大きなストレスでなければ」
「……大きなストレスかぁ」
「──このくらいでいいですか?」
ゼータの問いに、ツムギは慌てて首を縦に振る。
「ごめんねぇ、忙しいのに」
「前にも言いましたが、必要なことには時間は取ります」
「──お、ここにいたのか、プリンセス」
歌うような声に振り返ると、ギルターがやってきていた。
ツムギを見てニコニコと尋ねる。
「何を話してたんだ?」
「んっと……レアチーズケーキのこととか!」
嘘ではない。
……けれど、隠し事をしてしまった。
ちょっと罪悪感を感じていると、ギルターは、「ふぅん?」とつぶやきながら、後ろからのしかかってくる。
「な、風呂まだだろ?……一緒に入ろうぜ」
「んもぅ……」
耳元で甘く囁かれて、ツムギは頬を染める。
「……いいよぉ」
「よっしゃ!」
「そういうことは、よそでやってもらえますか?」
ゼータの容赦ない声が割り入る。
今度は恥ずかしさに頬を染めながら、ツムギはぼんやりと先ほどの話を思い返していた。
(大丈夫……赤ちゃんは大丈夫)
──ツムギが、大きなストレスを抱かなければ。
✳︎✳︎✳︎
それから数日が経った。
おやつをもらいに行こうとしたツムギは、食堂の前でヤギを止めた。
中から兄弟の声が聞こえてくる。
それだけなら珍しくもない。
けれど──今日はいつもと少し違った。
二人の声がどこか尖っている。
首をひねりこちらを窺うヤギにそっと唇に指を当てみせて、耳を澄ませる。
「──大丈夫だ。ツムギなら大丈夫だよ」
「何を根拠に言っているんですか」
「ツムギは俺が選んだ花嫁だからだ!」
「それは根拠とは言いません。兄上は昔からそうやって適当なことを──」
どくん、と心臓が跳ねる。
脳裏に、言い争う両親の声が鮮明によみがえった。
(……だめ。ストレスを感じては、だめ……)
扉を開けて、いつもみたいに笑って、「何のお話してるの?」と聞けばいい。
頭ではちゃんと分かっている。
それなのに体が言うことを聞かなかった。
「……取り込み中みたいだから、また後でにしよう」
小声でヤギに告げて食堂から離れた。
部屋へ戻る途中も、言い合う声が追いかけてくる気がする。
ベッドに潜り込み、毛布を頭までかぶった。
夕食の時間には、二人ともいつも通りだった。
けれど──
このところ、ゼータの視線がやたらと自分に向いている気がする。
気のせいだと思っていた。
そう思おうとしていた。
でも、違ったのかもしれない。
二人の言い争いもツムギが原因のようだった。
(ゼータはあたしがここに残ることを、よく思っていないのかも……)
ツムギは寝室のベッドの上でうずくまる。
心がずしりと重くて、どうしようもない喉の渇きを覚えた。
「……お水、もらいに行こうかぁ」
「くぅん」
ため息を吐いて、心配そうな顔のヤギに乗る。
✳︎✳︎✳︎
(……あれ?)
食堂に入った瞬間、ツムギは目を丸くする。
珍しい。
ゼータが椅子に腰かけて、テーブルに伏せている。
(寝てる……? 竜人はあまり眠らないってギルターが言ってたけど……)
疲れているのかもしれない。
ツムギは隣の椅子に腰かけて、そっとその美しい顔を覗き込む。
腕の隙間から見える伏せられたまぶたに、涙がにじんでいる。
「もう…………ない」
ゼータが何ごとか呻いた。
悪い夢でも見ているのだろうか。
「……ゼータ?」
そっと手を伸ばして肩に触れる。
ぶわり、と何かが巻き起こった。
「……え?」
次の瞬間──
天井が、すぐ目の前にあった。
「……え?」
ツムギは口をぽかんと開ける。
体が宙を舞っていた。
一拍置いて、真っ逆さまに落下していく。
(た、叩きつけられる……!)
ぎゅっと目をつぶったが、予想に反してボフッと柔らかなものに体が沈んだ。
一瞬息が詰まるが──大丈夫だ、怪我はない。
「くぅん……!」
ふわふわヤギがその体で受け止めてくれたのだ。
「……あ、ありがとう! ミルゥは大丈夫⁉︎」
慌ててヤギから降りてその体をさする。
ヤギは「プスー」と元気よく息を吐いた。
ツムギはほっとして、息を整えながら恐る恐るゼータを見る。
銀髪の竜人は立ち上がり、床の上のツムギを愕然と見ていた。
おそらく、寝ぼけて神気か何かが発動してしまったのだろう。
ツムギは急いで口を開く。
「……だ、大丈夫だよ! ごめんねぇ、急に触られてびっくりしたよね。うなされてるのかと思って……!」
正直自分もかなり驚いたが、ゼータはもっと……怯えていると言っていいほど驚愕しているようだった。
ゼータが気に病まないように、ツムギは一生懸命まくし立てる。
彼はしばらく何も言わず、肩で息をしながらこちらを見下ろしていた。
「……もう帰ったらどうですか」
「……えっ?」
やがて降って来た唐突な言葉に、ツムギは目を瞬く。
「お前がここでできることはもう何もありません。卵のことがそんなに不安なら、いっそ帰ったほうがいいでしょう」
ツムギは固まった。
急に何を言い出すのだろうか。
「お前は邪魔なんですよ」
「……」
思わず何か言い返そうとして、できなかった。
その通りだったからだ。
ツムギは卵の面倒も見られないし、家事もできない。
自分を世話をする立場のゼータにそう言われてしまえば、返す言葉はなかった。
「帰りなさい。それとも──」
ゼータはまるで、今夜の献立の話でもするような口調で続けた。
「──前の花嫁のように、私に殺されたいんですか?」
「……え?」
ツムギの思考が止まる。
(……殺されたい?)
前の花嫁……、それは。
「ゼータのお母さん……?」
「そうですよ」
「殺され、って……?」
ツムギに寄り添っていたヤギがどこかに駆け出していったが、構っていられない。
動揺するツムギを見て、ゼータは小さく笑った。
「彼女は私たちの本当の姿を見たとき、泣き叫んであまりにうるさかったので静かにさせました。黙っていれば美しかったのに……」
「本当の姿……?」
銀髪の竜人がうっすらと微笑み、その周囲で冷たい空気がざわりと渦を巻いた。
「『竜人は人間とほとんど同じ』などという兄の戯言を、本気で信じているんですか?」
「……違うの?」
ツムギは震える声で問い返す。
卵で生まれること、男しかいないこと。
夜に眠らず、使命をこなすこと。
あとは……神気。
竜人の、人間との違いはその程度ではなかったのか。
ゼータは嘲るように口角を上げた。
「その様子では、どうせ兄は見せていないんでしょう。私たちの本当の姿──竜としての姿を」
「……竜としての?」
「いままさにその体で味わったでしょう。恐ろしく凶暴な竜──それが私たちの本性です。今は人間のような姿をしていますが、変化を解けば、お前程度簡単に丸呑みできますよ」
ツムギは絶句した。
ゼータは歌うように続ける。
「当然、いま卵の中で育っている三つの命も、その竜の姿です」
「……え」
「人間のような愛らしい赤ん坊を想像していましたか?」
ツムギは呆然と頷く。
勝手にそうだと思っていた。
自分が産んだのだから、人間の赤ちゃんと同じだと。
卵の中に、人間の胎内のように三人の赤ん坊が丸まって入っているのだと。
(竜……)
自分が産んだのは、竜なのか。
愕然としながらも口を開く。
「あの、竜ってどんな……? 見てみたい……!」
「いま見せてやってもいいですが、お前が錯乱したら困ります。──卵に悪影響が出ますから」
ツムギは言葉を失った。
確かに、きっと普通ではいられない。
それは自分が一番よく知っている。
ゼータがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「兄に良い思い出を与えてくれたことには、感謝しています。あんなに幸せそうな兄は初めて見ました。ここまでぞっこんになるとは予想外でしたが……」
長い指がツムギの顎をとらえ、顔を上げさせる。
……こんなときなのに、「綺麗な指だなぁ」と思ってしまった。
いつもツムギたちのために料理を作ってくれる、器用で優しい手。
「だからこれは、お前のためを思って言っているんですよ」
「あたしの、ため……」
ツムギは眉を寄せる。
「その愛らしい顔が恐怖で歪むのは、見ていられませんから」
ゼータの声はどこまでも穏やかだった。
「それとも、いっそ何も感じる間もなく一瞬で──」
濡れたような青い瞳が近づいてくる。




