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ニライカナイの花嫁 〜引きこもり少女、竜の島で三食ヤギ付き花嫁生活始めます!〜  作者: 望月冴子
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20/20

竜人の本性

 やがて、ゼータはゆっくりと口を開いた。


「……卵は順調だと思いますよ」

「ほんとぉ⁉︎」

「比較対象があまり無いですが、問題は見当たりません」

 

 ツムギはほっと息を吐いた。

 急に気が楽になってハーブティーに口をつけ、鼻歌まじりになる。


「ねぇ、ゼータは卵の中にいる時、何考えてた?」

「は? 何ですか、突然」

「ギルターはね、『早くお母さんに会いたい』って思ってたんだって」


 ゼータの動きがぴたりと止まる。

 少しして、静かな声が返ってきた。


「……私も同じですよ」

「えっ。意外!」


 思わず声を上げると、ゼータは淡々と続けた。


「たいていの竜人はそうでしょう」

「そうなんだぁ!」

「……竜人が生涯で愛する女は二人だけ。はじめに母親、次が花嫁。──そういう言い伝えです」

「ロマンティックだねぇ……」


 胸の奥が、きゅんと温かくなる。

 ギルターもゼータも、母親のことが大好きだったのだ。

 そして、いま卵の中にいる子どもたちも母親のことが──ツムギのことが、大好き。

 そう考えると顔がにやけてくる。

 けれどふと疑問が胸に浮かび、独り言のようにつぶやいた。


「赤ちゃんも会いたがってくれてるのに、どうして見に行っちゃいけないのかなぁ……」

「……悪い影響があるからですよ」

「え⁉︎」


 ツムギは驚いてゼータを見る。


「ここ最近……と言っても百年単位の話ですが。孵化できずに、命を落とす竜が多くなったんです」

「えぇっ」

「ある時、その原因が母親の精神状態にあることが分かりました。それで、母親を遠ざける掟ができた」


 銀髪の竜人はツムギの胸元を指差す。


「祝珠を身に付けていると、海中で竜人と通じ合えるのは知っていますよね。“始まりの海”はその全体が海のようなものです。祝珠を通して子どもに感情が伝わる──だから、母親が不安や恐れを抱いていれば、ストレスで子どもが弱るんですよ」


 ゼータは目を伏せる。


「もっとも、母親を遠ざけるようになっても、竜人の減少を完全に止めることはできませんでした。かつては百近くいた竜も、今は私たち二人だけです」

「……そっかぁ」


 うつむくツムギにゼータが問いかける。


「兄は伝えなかったんですか?」

「うん。理由は教わらなかった」

「……これを聞くことで逆にお前が不安にならないように、などと考えたんでしょうね」

「……だろうねぇ」


 苦笑いしてため息をついた。

 心臓が今度は嫌な感じにきゅっとしていた。

 胸元の祝珠を握る。


「これを外すのはダメなんだよね?」

「ダメです」


 即座に言われて頷く。


 「子どもが生まれるまではなるべく付けておくように」とギルターから聞いていた。

 だからツムギは、お風呂に入る時もきちんと身に付けている。


「じゃあ、あたしが“始まりの海”にさえ行かなければ大丈夫なの?」

「影響が完全にゼロとは言いませんが、問題は無いでしょう。──よほどの大きなストレスでなければ」

「……大きなストレスかぁ」

「──このくらいでいいですか?」


 ゼータの問いに、ツムギは慌てて首を縦に振る。


「ごめんねぇ、忙しいのに」

「前にも言いましたが、必要なことには時間は取ります」

「──お、ここにいたのか、プリンセス」


 歌うような声に振り返ると、ギルターがやってきていた。

 ツムギを見てニコニコと尋ねる。


「何を話してたんだ?」

「んっと……レアチーズケーキのこととか!」


 嘘ではない。

 ……けれど、隠し事をしてしまった。

 ちょっと罪悪感を感じていると、ギルターは、「ふぅん?」とつぶやきながら、後ろからのしかかってくる。


「な、風呂まだだろ?……一緒に入ろうぜ」

「んもぅ……」


 耳元で甘く囁かれて、ツムギは頬を染める。


「……いいよぉ」

「よっしゃ!」

「そういうことは、よそでやってもらえますか?」


 ゼータの容赦ない声が割り入る。

 今度は恥ずかしさに頬を染めながら、ツムギはぼんやりと先ほどの話を思い返していた。


(大丈夫……赤ちゃんは大丈夫)


 ──ツムギが、大きなストレスを抱かなければ。


   ✳︎✳︎✳︎


 それから数日が経った。

 おやつをもらいに行こうとしたツムギは、食堂の前でヤギを止めた。

 中から兄弟の声が聞こえてくる。

 それだけなら珍しくもない。

 けれど──今日はいつもと少し違った。

 二人の声がどこか尖っている。

 首をひねりこちらを窺うヤギにそっと唇に指を当てみせて、耳を澄ませる。


「──大丈夫だ。ツムギなら大丈夫だよ」

「何を根拠に言っているんですか」

「ツムギは俺が選んだ花嫁だからだ!」

「それは根拠とは言いません。兄上は昔からそうやって適当なことを──」


 どくん、と心臓が跳ねる。

 脳裏に、言い争う両親の声が鮮明によみがえった。

 

(……だめ。ストレスを感じては、だめ……)


 扉を開けて、いつもみたいに笑って、「何のお話してるの?」と聞けばいい。

 頭ではちゃんと分かっている。

 それなのに体が言うことを聞かなかった。


「……取り込み中みたいだから、また後でにしよう」


 小声でヤギに告げて食堂から離れた。

 部屋へ戻る途中も、言い合う声が追いかけてくる気がする。

 ベッドに潜り込み、毛布を頭までかぶった。


 夕食の時間には、二人ともいつも通りだった。

 けれど──

 このところ、ゼータの視線がやたらと自分に向いている気がする。

 気のせいだと思っていた。

 そう思おうとしていた。

 でも、違ったのかもしれない。

 二人の言い争いもツムギが原因のようだった。

 

(ゼータはあたしがここに残ることを、よく思っていないのかも……)


 ツムギは寝室のベッドの上でうずくまる。

 心がずしりと重くて、どうしようもない喉の渇きを覚えた。


「……お水、もらいに行こうかぁ」

「くぅん」


 ため息を吐いて、心配そうな顔のヤギに乗る。


     ✳︎✳︎✳︎


(……あれ?)


 食堂に入った瞬間、ツムギは目を丸くする。

 珍しい。

 ゼータが椅子に腰かけて、テーブルに伏せている。


(寝てる……? 竜人はあまり眠らないってギルターが言ってたけど……)


 疲れているのかもしれない。

 ツムギは隣の椅子に腰かけて、そっとその美しい顔を覗き込む。

 腕の隙間から見える伏せられたまぶたに、涙がにじんでいる。


「もう…………ない」


 ゼータが何ごとか呻いた。

 悪い夢でも見ているのだろうか。


「……ゼータ?」


 そっと手を伸ばして肩に触れる。

 ぶわり、と何かが巻き起こった。


「……え?」


 次の瞬間──

 天井が、すぐ目の前にあった。


「……え?」


 ツムギは口をぽかんと開ける。

 体が宙を舞っていた。

 一拍置いて、真っ逆さまに落下していく。

 

(た、叩きつけられる……!)


 ぎゅっと目をつぶったが、予想に反してボフッと柔らかなものに体が沈んだ。

 一瞬息が詰まるが──大丈夫だ、怪我はない。


「くぅん……!」


 ふわふわヤギがその体で受け止めてくれたのだ。


「……あ、ありがとう! ミルゥは大丈夫⁉︎」


 慌ててヤギから降りてその体をさする。

 ヤギは「プスー」と元気よく息を吐いた。

 ツムギはほっとして、息を整えながら恐る恐るゼータを見る。

 銀髪の竜人は立ち上がり、床の上のツムギを愕然と見ていた。

 おそらく、寝ぼけて神気か何かが発動してしまったのだろう。

 ツムギは急いで口を開く。


「……だ、大丈夫だよ! ごめんねぇ、急に触られてびっくりしたよね。うなされてるのかと思って……!」


 正直自分もかなり驚いたが、ゼータはもっと……怯えていると言っていいほど驚愕しているようだった。

 ゼータが気に病まないように、ツムギは一生懸命まくし立てる。

 彼はしばらく何も言わず、肩で息をしながらこちらを見下ろしていた。

 

「……もう帰ったらどうですか」

「……えっ?」


 やがて降って来た唐突な言葉に、ツムギは目を瞬く。


「お前がここでできることはもう何もありません。卵のことがそんなに不安なら、いっそ帰ったほうがいいでしょう」


 ツムギは固まった。

 急に何を言い出すのだろうか。


「お前は邪魔なんですよ」

「……」


 思わず何か言い返そうとして、できなかった。

 その通りだったからだ。

 ツムギは卵の面倒も見られないし、家事もできない。

 自分を世話をする立場のゼータにそう言われてしまえば、返す言葉はなかった。


「帰りなさい。それとも──」


 ゼータはまるで、今夜の献立の話でもするような口調で続けた。


「──前の花嫁のように、私に殺されたいんですか?」

「……え?」


 ツムギの思考が止まる。


(……殺されたい?)


 前の花嫁……、それは。


「ゼータのお母さん……?」

「そうですよ」

「殺され、って……?」


 ツムギに寄り添っていたヤギがどこかに駆け出していったが、構っていられない。

 動揺するツムギを見て、ゼータは小さく笑った。


「彼女は私たちの本当の姿を見たとき、泣き叫んであまりにうるさかったので静かにさせました。黙っていれば美しかったのに……」

「本当の姿……?」


 銀髪の竜人がうっすらと微笑み、その周囲で冷たい空気がざわりと渦を巻いた。


「『竜人は人間とほとんど同じ』などという兄の戯言を、本気で信じているんですか?」

「……違うの?」


 ツムギは震える声で問い返す。

 卵で生まれること、男しかいないこと。

 夜に眠らず、使命をこなすこと。

 あとは……神気。

 竜人の、人間との違いはその程度ではなかったのか。

 ゼータは嘲るように口角を上げた。


「その様子では、どうせ兄は見せていないんでしょう。私たちの本当の姿──竜としての姿を」

「……竜としての?」

「いままさにその体で味わったでしょう。恐ろしく凶暴な竜──それが私たちの本性です。今は人間のような姿をしていますが、変化を解けば、お前程度簡単に丸呑みできますよ」


 ツムギは絶句した。

 ゼータは歌うように続ける。


「当然、いま卵の中で育っている三つの命も、その竜の姿です」

「……え」

「人間のような愛らしい赤ん坊を想像していましたか?」


 ツムギは呆然と頷く。

 勝手にそうだと思っていた。

 自分が産んだのだから、人間の赤ちゃんと同じだと。

 卵の中に、人間の胎内のように三人の赤ん坊が丸まって入っているのだと。


(竜……)


 自分が産んだのは、竜なのか。

 愕然としながらも口を開く。


「あの、竜ってどんな……? 見てみたい……!」

「いま見せてやってもいいですが、お前が錯乱したら困ります。──卵に悪影響が出ますから」


 ツムギは言葉を失った。

 確かに、きっと普通ではいられない。

 それは自分が一番よく知っている。

 ゼータがゆっくりとこちらに歩いてくる。


「兄に良い思い出を与えてくれたことには、感謝しています。あんなに幸せそうな兄は初めて見ました。ここまでぞっこんになるとは予想外でしたが……」


 長い指がツムギの顎をとらえ、顔を上げさせる。

 ……こんなときなのに、「綺麗な指だなぁ」と思ってしまった。

 いつもツムギたちのために料理を作ってくれる、器用で優しい手。


「だからこれは、お前のためを思って言っているんですよ」

「あたしの、ため……」


 ツムギは眉を寄せる。


「その愛らしい顔が恐怖で歪むのは、見ていられませんから」


 ゼータの声はどこまでも穏やかだった。


「それとも、いっそ何も感じる間もなく一瞬で──」


 濡れたような青い瞳が近づいてくる。

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