適切な距離感
モヤモヤとしたまま彼等を見つめていると曲が終わった。
夢見心地の表情のまま礼を取ったソフィアがよろよろとリアムの肩に倒れ込むように額を乗せる。
先程までのダンスで自分と距離を置いてカチカチになっていたのと同じ人物と思えない。
支えが欲しかったのだろう。それは親友相手に他意のない仕草で、リアムも特に意識することなく彼女を支えることができた。
「大丈夫?!」
「メスじゃなくて、プリンセス……世の中の人間全てお姫様にされてしまいますわ……。とんでもないです……。どこにあんな運動神経と優美さをしまってらっしゃったのかしら……。剣術はへっぽこなのに」
「おい! 小僧! 娘に近づくな! 叩き斬るぞ!」
自分から近づいたわけではないのに不条理だ。泡を食うリアムから身体を離したソフィアは舌を打った。
「リアムとは親友だと言ったでしょう!」
「親友でもさっきの距離は近かったのかも。お父上が心配するのも無理はないよ。僕もアレック……伯父上もテオドールの親戚なわけだし」
「小僧、分かっているではないか! 支えがいるなら父様のところに来ればいいんだ!」
ばっと両手を広げる父親をソフィアはひらりと手を振ってあしらった。
「よろめいてすっ転んでパンツを見せたとしてもお断りです」
「「ソフィア!」」
ソフィアの両親の口から図らずも同時にソフィアの名前が呼ばわれた。
片方は悲嘆、片方は叱責だ。
「リアムも肩を借りたぐらいでオタつくなんておかしいわ。騎士団で知っています。親友同士は支え合う物でしょう。殿下と踊ってみればいいんですわ。腰なんか砕けてしまいますから!」
「さっきまで君だってガチガチだったよね?」
「ダンスという特別感でバグってただけですわ。よくよく考えたら意識する方が間違ってました」
「ほら! グレイス! やっぱりメスにされちゃったじゃないか!」
「貴方がそういう言い方するから、ソフィアが影響を受けるんです!」
「メスとか言わないでください! プリンセスよ! お父様も踊ってみればいいんです!」
混乱、混沌、何と称していいのだろうか……。家族で言い争いを始めたベルグラード一家を見つめてため息を吐くと、アレックスと目が合った。
その瞬間にアレックスの綺麗な眦が笑みの形に三日月を描いて、リアムは嫌な予感に打ち震えた。
あれは意地悪や悪ふざけの時に人が浮かべる表情だ。他ならぬテオドールがそういう意味でその表情をよくしてたからリアムは詳しいのだ。
「よし踊ろう。ずいぶん背が伸びたからリードはしにくいが距離感を測るのにその方がいいだろう。女性パートは踊れるかい?」
「え?! 一応習いはしてますけど、踊るのはちょっと」
「基本のステップがわかれば充分リードしてあげられるよ。音楽を始めから」
アレックスの言葉に宮廷楽士が演奏を始める。
するりと手を取られて腰を取られてリアムは身をもって先程のソフィアの言を思い知った。
距離が近い。自分とソフィアの距離感よりも一歩近い。体温を感じるぐらいの近さなのにごく少しだけ間が開いていて不快感がない。
女性のステップは怪しいのに、アレックスのリードで自然に体が動いていって、自分がまるでダンスの名手になったかのような錯覚を覚える。
羽が生えたかのようにターンをすると、アレックスが先程よりも一歩リアムの側に踏み込んで、耳元で吐息混じりに囁いた。
「それでこれが人を誘惑するための距離感だ。覚えておくといい」
先程までの距離で美貌の主に微笑まれながらのダンスだけでも夢見心地になるだろうに、さらに近づかれて密着され、耳触りのいい蕩けた声が鼓膜を侵蝕する。さらに普段はあまり意識しない彼の素晴らしく優しい甘い香りに包まれれば、自分と彼だけが花園の中で踊っている心地になる。
「こ、こんなの、貴方しか使えない裏技じゃないですか……」
「そんなことはない。この距離感までつめて許されるなら誰でも使える。そうしたら真摯に愛を囁くんだ。それで私は、自分達は単なる幼馴染の友人と強弁して頑なだった妻を口説き落とした。おそらく君の想い人にも効果覿面だよ」
思いもよらぬ実母の話を聞き、視線を降ろしてアレックスと合わせるとほんの少し切なげな顔で彼は小さく肩をすくめた。
「ああ、そろそろ終わりだ。次はベルニカ令嬢と踊ってみせて。距離感は掴めただろう?」
「はい」
リアムは小さく頷いた。口説き落とす、なんてとても無理だし、使う機会は永遠に来ないかもしれないけれど、この特別な距離感は覚えておこうと思った。
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