第十一話 生け贄
区長の長谷川とも、以前のように話せる程度には関係が戻っていた。
表面上だけなら、何事もなかったように。
ある朝、畑仕事の途中で長谷川に声をかけられた。
「ちょっと頼みがあるんですが」
その言い方で、何となく察した。
「また移住者が来るんです。港まで迎えに行くので、手伝ってもらえませんか」
――移住者。
胸の内で、別の言葉に置き換わる。
――生け贄。
自分たちが排除されないために、新しい外部の人間を迎え入れる。
監視し、値踏みし、馴染まなければ異常者に仕立てる。
そうやって共同体は内側の結束を保つ。
頭では、はっきり理解していた。
それでも口から出たのは別の言葉だった。
「わかりました。手伝います」
笑顔まで作っている自分が、ひどく情けなかった。
港へ向かう車中、長谷川が説明する。
「今回の方は一人です」
「一人?」
「ええ。女性の方で……三十歳前後だったかな」
思わず黙り込んだ。
若い女性が、この島へ一人で来る。
以前の若い夫婦のことが頭をよぎる。
夫婦でさえ耐えられなかった場所だ。
まして一人では――。
「大丈夫なんですか」
思わず漏れた言葉に、長谷川はハンドルを握ったまま苦く笑った。
「大丈夫かどうかは、来てみないと分かりません」
答えになっていなかった。
やがて定期船が港へ滑り込む。
エンジン音とともに乗客が降りてくる。
観光客らしい家族連れ、荷物を抱えた老人、業者風の男。
その中に、一人の女性がいた。
三十歳くらいだろうか。
黒く長い髪を後ろで束ね、白い肌に細い体。
その華奢な身体には不釣り合いなほど大きなスーツケースを引いている。
足取りは慎重で、どこか疲れて見えた。
長谷川が前へ出る。
「こんにちは。お待ちしていました」
女性は一礼し、こちらへ向き直った。
「お世話になります……」
か細い声だった。
その声だけで、この島の風にまだ馴染んでいないと分かる。
私はスーツケースを受け取った。
予想以上に重い。
「かなり荷物ありますね」
そう言うと、女性は少し困ったように笑った。
「……たぶん、戻らないつもりで来たので」
その言葉に、胸の奥が冷えた。
長谷川も一瞬だけ表情を止めたが、すぐに笑顔へ戻した。
「それは頼もしいですね」
女性は車の後部座席へ乗り込む。
島へ渡る風が髪を揺らした。
車を発進させる直前、ふと港の売店前を見ると、数人の老人たちがこちらを見ていた。
何を話すでもなく、ただ黙って。
品定めするような目だった。
ルームミラー越しに後部座席を見る。
女性は窓の外の海を見つめている。
まだ何も知らない顔だった。
私はハンドルを握る手に力が入るのを感じた。
この島へようこそ、とはどうしても言えなかった。




