06
「喜沢、ちょっといいか」
「剛健さん!」
朝会後、1本ミーティングが終わったその帰りに、以前の上司に声をかけられた。
一緒に移動していた同僚に、ちょっと言ってくると伝えてその場を離れた。
「ご無沙汰してます。あのときはご迷惑をーーー」
「もういいから。俺も反省してるし。お前が目の前で生きてるってことでチャラだ」
渋い声でウィンクを飛ばしてくれる眼の前の人は山中剛健さん。
ルールは無視するものだろう?が合言葉になりつつある、やり手のマネージャーだ。
「はい。ありがとうございます。」
「それで、聞いたか?」
「はい、昨日」
「で、どうだ?」
「今日、主治医に一筆書かせてきます」
「あはははは、さすがだな、喜沢!変わってなくて安心した」
「いえ、流石にあの頃と同じ動きができるか不安なんですが・・・」
あの頃の私には、とにかく目の前の事案を一つ一つクリアしていくなんてことは許されなかった。
同時並行で何個もの案件を同時に処理することを求められていたからだ。
あの動きは、正直もうできないと思う。
あのときのあのリズムが体に残っていない。
「いや、そこは安心しろ。その立ち位置は別にいる」
「え?」
「ああ、言葉が悪かったな。お前にはその上についてほしいんだ」
「上?」
「判断処理、できるな?」
「書類周りってことでしょうか?」
「それもあるけど、調整役に近いかなー」
「・・・剛健さん」
「なんだー」
「それもっと激務じゃ」
「かもなー」
「うへぇ・・・医者に言えない・・・」
「だーいじょうぶだ、ルールなんてものは」
「無視できませんよ!もうこれ以上は!私も人間なんで死にます!でも!早めにアラートあげます!」
やけくそで、でもやりたい仕事でもあるし、今まで経験したこともない立場だ。
このチャンスは絶対に逃したくない。
挑む目になってしまったけど、気持ちはそのまま伝えた。
にやっと笑った剛健さんは、「待ってる。早く来いよ」といって去っていった。
プンスカ怒りながらも、気持ちを再度確認させてくれた剛健さんに感謝しながら自席にもどると、同僚が「剛健さんなんだって?」とそこそこのボリュームで聞いてくれた。
「んー?生きてたかって」
「剛健さん、さすがだわ」
「愛があるよねー」
「ちょっと、めっちゃ棒読みじゃん」
「いや、目の前で生きてるってことでチャラだって言われたらそりゃ愛を感じるでしょ」
「ブラックの中のブラックではそれが通常運転なの?」
「ん?ブラックジョーク?」
「誰がうまいこと言えと!」
気づいたらチーム内で爆笑してるくらいの話になっていたけど、事実あの部署は毒舌が多い。
毒舌で皮肉屋さんが多いが、その分いやそれ以上に心が広い上に頭の回転が早い人達だらけだ。
普通だったらパワハラだとか言われる内容を普通に返しているし、それを褒め言葉だと変換してたりする。
周りの部署の人たちにはきっと理解できないし、入りたいとは思わないだろう。
私もあそこで鍛えられたから、ある程度のことを言われてもうまく切り返せたり、にっこり笑って過ごすことができている。
なんだか懐かしい風の匂いを嗅いだような気持ちになって、昨日からざわついていた気持ちが一瞬でも凪ぎいた気がした。
何本かミーティングをこなし、雑務を終えたらあっという間に定時だった。
そろそろ来るな、と思って携帯をみると、着信あり。
お財布を持ち、廊下にでて折返しをする。
「もしもし、もうついた?」
『いや、時間確認したかっただけ。もう終わった?』
「いやまだあと数分だけど定時まえですから」
『そりゃそうだ。で、19時半でいいか?』
「うん、その時間で上がれる」
『了解、じゃ車回しておく』
「ありがと」
電話を切ってから気づく。
どこに車を回すのか確認するのを忘れていたことを。
やっちゃったなーとドアを開けてフロアに戻ると、みんな帰り支度をしていた。
「あれ?喜沢さんまだ残ります?」
「ん?あとちょっと残ってるの片付けてから帰るよ?どした?」
「いや、マネージャーが戻り19時半になるって」
「あー日帰りだったっけ」
「はい、電車遅れてるらしくて」
「そうなんだ。待ってたほうが良さげ?」
「いえ、もう全員帰れーってお達しでした」
「なるほどね。わかった、マネージャーが帰ってくる前には出るわ」
「おねがいしますー!」
お達しを受けた新人君は心底申し訳なさそうに敬礼して、さっさと帰っていった。
他の部署では珍しく、この部署は定時退社が多い。
それはマネージャーである彼が「仕事は時間内にこなしてこそプロ」というのを掲げているから。
それは私も同感だ。
緊急事態がない限りはみな定時に帰っていく。
「戻り時間がなんともまぁ・・・」
私以外の全員がこれ幸いと帰っていくのを見送り、ひとまず後少しだけ仕事を片付けることにした。
****
フロアを降りて、目を前に向けると、ガラス越しに車が止まっているのが見て取れた。
そしてその前に自動ドアを通り過ぎたのは彼だった。
「あれ、さーちゃん今帰り?」
「おつかれさま。そう、電車止まったんだって?」
「うん、流石に参った。1時間以上閉じ込められてたよ」
「あらーそれはホントおつかれ。早く帰んなよー」
「ん、お疲れ様」
「お先ー」
そう言って別れて、ビルを出た。
目の前の車からは先生が出てくる。
ちょっと小走りで近づくと、わざわざ助手席側の扉を開いてくれた。
「おつかれ」
「ありがとー。さすが紳士ですねー扉まで開けてくれるなんて初めてな気がするんですが!」
「それは紗絢が疲れてる顔してるからだろう?いいから乗れって」
「当直明けの外科医に言われるとは・・・。はいはい」
助手席に乗って、シートベルトをつけると、車の前を回って運転席のドアを開けた先生と目があった。
「飯は?」
「ハラヘッタ」
「何食べたい」
「今なら何でも行けると思う」
「俺、料理もうまいんだけど」
「え、何作ってくれんの?」
「実は準備まで出来てるんだなー」
「ええええええヤダどうしたの。明日雨降るの?雷?雪?やだ出勤大変!」
「お前なぁ・・・」
素直にありがとうくらいいえ、と苦笑いされ、エンジンが回された。
「やっぱ外車はうるさいな」
「でしょ?だから行ったじゃん国産もいいクルマあるよ!って」
「でもやっぱ外科医は外車だって?」
「・・・なんかさ最近思うんだけど、盗聴器仕掛けられてる?私」
「いや、盗聴器なんて必要ないだろう?」
「どういうこと?」
「大体わかるってこと」
さ、行くぞーとアクセルが踏まれ車は出発した。
その一部始終を彼が見ていたことは私はしらない。
彼が見ていたことを先生が知っていたことも、私はしらない。
私の一番上の上司が剛健さんみたいな感じの人で、当たり前のように「俺のために働け」っていう気持ちの良い方なんですよ(ちゃんと優良企業なのでご安心を)
さて、男同士の視線・・・