表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
優しいしるし  作者: 佐久間みほ
本編
5/15

04

ある程度人が帰宅したフロアは閑散としていて、あと数分でビル全体の空調も切れる時間になっていた。

あとは日報を送れば終わりというとき、社内チャットツールが新着を教える。


ーー行けそう?

ーーあと日報送るだけ

ーーおっけ。じゃ先下にいるね

ーーわかった。あ、トイレよってから行くからナマケモノのスピードで移動して!

ーーナマケモノって!りょうかーい


視界の片隅に、彼が残っている同僚たちに挨拶をしつつ出口に向かっていくのが見えた。

ある程度書ききっていた日報に目を通し、2件ほど書き足して送信する。

打刻をしてパソコンをシャットダウンし、パタンと閉じる。

充電器に挿しっぱなしになっていたタブレットと携帯をカバンに放り込み、席を立った。


トイレで簡単に化粧直しをする。

鏡に映る自分の目の下にはうっすら影が見えた。

頬の毛穴とか目尻のシワとか気になりだしたら止まらない。

すべてを見なかったことにしたいと、ファンデーションで上書きする。

薄っすらと色づくようにチークをのせ、口紅を引く。

個室に移動し、カバンからアトマイザーを取り出し、肩と足首に香りを落とした。

なんてことないいつもの儀式。

数ヶ月前の自分だったら、手元にあるメイク道具でどんな工夫をしただろうか。

香りもきっとフラワー系のものを選んでいたと思う。

ウッドベースの柑橘系の香りにはしなかっただろう。

そう気づいて、また一つため息を落とした。


ビルの1階はすでに照明が落ちており、待合ソファでは、携帯のランプで顔がぼんやりと浮かんだ彼がいた。


「ごめん、おまたせ」

「平気。こう見えてナマケモノだから」

「もうー」


軽い会話も、違和感なく出来てると思う。

少し上にある目線も、和やかな笑みを浮かべてる。

ダイジョウブ。


「この前みんなでいったカフェ?」

「あーそこもいいね。適度に放置してくれるし」

「そう、放置してくれるの大事よね」

「ご飯も美味しかったしね?」

「他のみんなは?先に行ってる?」

「ん?他?居ないけど」

「へ?そうなの?」


てっきりいつものメンバーで行くものだと思っていた。

陽子、かなえ、タツキにカズ。

それに私と彼を足した6人がだいたい集まって飲む仲間。

本当は後2人ほどいたけど、他社へ転職してしまってからは合う回数も激減した。

連絡は変わらずに取り合ってるけど。


いつものメンバーが居ない、2人だけでご飯に行くのは2回め。

付き合いが長いわりに、今まで1回しかなかったということに気づくと、何やってんだかなぁという気持ちになる。

それも、今日みたいに行こうか、って誘われるわけでもなく、流れでお店でご飯たべるという感じだった。


「なんだ、みんな誘えばよかったね」

「んーでも忙しそうだったから」

「そっか。まいっか。さ、お腹空いた!ガパオライスたべる!えびせんも!」

「さーちゃんは相変わらず食べるの好きだねぇ」

「人間、食べないと動けないからね!」


ちょうど前の道を通るタクシーを捕まえて、乗り込んだ。


****


お店は相変わらずやる気があるかないかわからないくらいの緩さで対応してくれた。

何度か利用しているからか、顔も覚えてもらったみたいで、好きなところに座ってーと初っ端から放置される。


あっという間にガパオライスをぺろりと平らげ、フルーツティで腹ごなしをすると、目の前でカレーを食べきった彼がおしぼりで汗を拭く。

雑にまくりあげられたシャツから覗く、腕の筋肉の筋がちらりと見えてドキッとした。

どんだけ筋肉好きなの私。


「あー辛い!辛いー!」

「なんで辛いのダメなのにそれ選んだの」

「いやだって、この前カズときたときに一口もらって美味しかったから?」

「全部行けるんじゃないかって?」

「そういうこと。頑張った、俺頑張った」

「そうだねー頑張ったねー。すいませーんお水いただけますか?」


なんでもないこの時間やこのやり取りが、じんわりと優しい。

忙しいと数ヶ月は顔を見なかったなと思い出す。

またその生活に戻るんだなとも。


「さーちゃんさ、ほんとに戻るの?」

「ん?プロジェクト?」


もらった水をその場でがぶ飲みし、ビールを追加注文した彼は、ようやく辛さから脱却できたようだった。


「そう。だって過酷じゃんあそこ」

「ブラックの中のブラックって言われてるもんねぇ。この前初めて聞いてすごい納得した」

「ああ、確かにそうかも」


成長を続けているIT企業は中を開くとだいたいがブラックで、でもキラキラして見えるのは、働いている社員が楽しんで仕事をしているからだと、私は思っている。

会社への愛があるかどうかは別として、自分のキャリアを重ねていく作業は以外に環境が影響するなと思う。

信頼する上司がいて、のびのびと仕事をさせてくれる同僚がいて、ついてきてくれる後輩がいる。

やりたいことが常にできることではないし、やりたくないこともやらざるを得ない。

でもそれが会社に属していることの意味だし、管理されるのもそれにつくものだと思う。


「ブラックの中のブラックなのはさ、あそこのトップがあの人だからだとおもうよー」

「剛健さん?」

「そう。剛健さんはさー、スピード命なの。それについていけないとあそこから脱落する。無理難題とか無茶振りとかほんとすごいけど、いかにそれを正確に汲み取れて剛健さんが求めたクオリティであげられるか。それが勝負。」

「あー剛健さん、そういう仕事の仕方なのか」

「あれ?一緒に仕事したことなかったっけ?」

「うん、ないねー。俺なら速攻外される」

「そう?でもね、剛健さんのすごいところって、見えないところでも見えてるところでも、ちゃんとフォローしてくれるんだよね。あと無理難題や無茶振りも、振り返ればちゃんと私の糧になってるんだわ。」

「へー・・・」

「だから、訳解んない状態でも、必死にしがみついてた。振り落とされないようにね。コイツがもう無理だーって言ってるのを、まあ待てもうちょっと待てって言い聞かせながら」


ネイルも何もしていない爪を自分の胸に向ける。


「そっか。気持ちはかたいんだ」

「うん、心配してくれてありがとう。身勝手でごめんなさい。」


ペコリと頭を下げると、大きな手が頭を2回ポンポンと叩いた。

溢れそうになる気持ちと涙をぐっとこらえていると、更に声がかかってくる。


「さーちゃんはさ、いつも一生懸命でバサバサ仕事をこなしてく印象あるけど、実はすごい繊細で、相手のことを気にしすぎる。優しいっていう言葉の違う側面を見せてくれる。気づかないところでちゃんとフォローしてくれたり。その場でありがとうって言わせてくれないんだよなぁ」


思わず顔を上げると、彼は困った顔で頬杖しながら、それでも笑顔を浮かべていた。


「思う存分、頑張ってきな?」

「うん、やってくる!」


さっき指さした場所が、その奥が、柔らかい雨に包まれた。



さてさて・・・

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ