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第215章

 狭いドアが開いて、ミナが顔を見せた。

「ヨーイチさん、出発します。ちょっと揺れますから、何かにつかまってください」

 洋一が返事する前に、ミナは引っ込んだ。

 次の瞬間、爆音と振動が急に高まったかと思うと、洋一は船尾方向に引っ張られた。

 とっさに手足を突っ張って身体を支える。続いて上下動が襲ってきた。

 ものすごい体験だった。小さな箱に閉じこめられた状態で遊園地の絶叫マシンに乗っているようなものである。ただただ手足を突っ張らせて耐えるしかない。

 しかも、パットとシャナが両側から抱きついている。時折小さく悲鳴などあげているが、楽しんでいるのは明白だった。

 必死で視線を戻す。そこには、豪奢な金髪の美女のからみついてくるような視線があった。

 メリッサも手足を突っ張らせて身体を支えていた。そのせいで身体がやや前のめりになり、結果として上半身が洋一の方に接近した状態になっているのだ。

 誰が仕組んだのか知らないが、嫌がらせとしてはこれ以上効果的なものはない。

 しかし、洋一はその嫌がらせに反応する余裕を失っていた。モーターボートはスピードに乗り、本格的に揺れ始めていたのだ。強引に波に乗り上げ、滑り落ちながら突進して行く。それはつまり、船体が激しく上下左右に揺れ続けるばかりか、時には落ちるような浮遊感や突き上げる衝撃が連続して襲ってくることを意味する。

 拷問だった。

 島育ちのメリッサやサラでも辛い経験らしいのは、顔を見れば判る。パットやシャナも、最初こそキャアキャア言っていたもののそのうちに黙ってしまった。

 酔わないのが不思議なくらいだった。あまりにも激しい動きのため、酔う余裕もないらしい。バスに酔うことはあっても、ジェットコースターで乗り物酔いすることはあまりないのと同じである。

 しかし、人間の適応力はすごいものである。

 初めこそ振り回されないようにするのが精一杯だったのだが、しばらくすると身体が覚えたのか、それほど苦労しなくても身体を安定させることができるようになってきた。

 船が外洋に出たせいもあるだろう。波が一定してきたのか、揺れが規則正しくなっている。

 余裕が出てくると、回りの状況が判ってくる。

 もの凄い爆音が後部から絶え間なく響いている。エンジンを全開にして飛ばしているのだろう。外がほとんど見えないので正確にはわからないが、かなりの速度を出しているようだ。

 明かり取りの小窓から見える空は、あいも変わらず晴天である。こんな日は、一日あの海岸で寝ていたいものだが、現実はこんなものだ。

 しかも、今向かっている先で何が起こるのか、自分が何をすればいいのか五里霧中なのだ。考えるとやりきれなくなってくる。

 だから洋一は今後のことを考えるのをやめて、今の自分の回りにだけ注意を向けることにした。

 パットとシャナは、静かにはなったもののあいかわらず洋一にしがみついている。2人に両側から抱きつかれているため、洋一の身体は安定が増しているようで、楽だ。

 だが、ぴったりくっついている部分が暑い。早くも汗が流れ始めているのが感じられる。だからといって、この可愛い2人を追い払うわけにもいかないのがつらいところだ。

 恐る恐る視線を向けてみると、正面のメリッサは目を伏せていた。ややうつむきかげんに身体を傾けて、モーターボートの揺れに楽々と合わせている。

 目の前で妹が洋一にしがみついているのを見たくないのかもしれない。

 サラは、洋一が目を向けると物憂げに微笑した。こちらも身体を浮かせて、振動や上下動をやり過ごしている。どちらにせよ洋一などより遙かにうまくやっているようだ。

 狭い船室には奇妙な調和が保たれていた。

 こういう時は、無理に何かしようとしない方がいい。洋一も目を閉じて、身体をボートの動きに任せた。

 しかしこれは失敗だった。視覚情報が失われると、とたんに他の感覚が鋭敏になる。

 たちまち洋一の両側から抱きついている2人の少女を意識してしまった。

 ほんの子供だ。だが、暑い身体がぴったり張り付いてくると、妙な気持ちになってくる。

 もちろん恋愛感情ではない。父性愛とも違う。保護欲というには対象が元気すぎてそぐわない。単なる生理的な反応である。

 ロリコン男が見たら羨ましさに激怒しそうな状況なのだ。

 洋一にはロリコンの趣味はないはずだ。だが、シャナは別にしてパットが時折見せる大人っぽい雰囲気を思い出してしまうと、まったく意識しないというわけにもいかなくなる。まして、洋一もパットたちも薄いシャツ1枚で、相手の身体の暑さがダイレクトに伝わってきている。これは何の罰なのだ。

 洋一はあわてて目を開いた。何とか気を逸らそうとして忙しく視線を飛ばす。

 と、いきなりメリッサと目があってしまった。メリッサは、神秘的な紫色の瞳でまっすぐに洋一の顔を見つめていた。

 魔性の瞳だった。たちまち視線を固定され、動かすことができなくなる。まったく、この美女は本当に人間なのだろうか。

 洋一は、無意識のうちにだろうが、唯一正しいと思われることをした。

 ゆっくりと微笑んだのである。

 メリッサの瞳がわずかに見開かれ、そしてその口唇がほころんだ。

 同時に恐るべき凝視が解き放たれ、洋一の視線を解放する。女神の力は跡形もなく失せ、メリッサはかすかに頬を染めてうつむいた。

 ふと見ると、案の定シャナが興味津々洋一を見ていた。この少女の興味からは何者も逃れられない。

 パットの方は、今の寸劇をまったく気づいていないようで、金髪を洋一の胸に押しつけている。よく見ると、目を閉じていて、どうも眠っているらしい。こんな騒動の中でよく寝られるものだと感心してしまう。

 洋一は、ずり落ちそうになっているパットの身体を、足を動かして支えた。こういう風に大人しくしているパットは可愛い子供そのもので、間違っても恋愛対象には見えないのだが。

 シャナはまだ眠らないらしい。同じように洋一に抱きついてはいるものの、大きな瞳でじっと洋一を注視している。こっちもパットとは別の理由で恋愛対象にはなりにくいので、洋一は内心ほっとため息をついた。

 こともあろうにメリッサの目の前で2人の女の子と抱き合っているのだ。どんな誤解もしてほしくない以上、あらゆる手段を用いて身の潔白を証明し続けなければならない。まあ、この状態では困難というよりは不可能に近いのだが。

 幸いメリッサは落ち着いていた。洋一が妹たちに抱きつかれている事も、やむを得ない事情があるということで許してくれているようだ。

 洋一には、メリッサの心情が読めない。常識的に考えると、メリッサほどの美女が洋一に好意を持ってくれるなどということはあり得ないはずだ。メリッサならどんな男でも選べるだろうし、何もしなくてもすべて自分の思う通りに動いてゆくのが当たり前と思い込む状況で育ってきたはずだ。

 そもそも、メリッサがみんなの食事を率先して作ってくれるという事自体、不思議である。

 料理は趣味の場合があるから、メリッサが料理好きでもおかしくはないが、あのカハ祭り船団で食事係を引き受けて大車輪で働き続けたり、料理だけでなく食材の調達までやっているというのは、趣味としてはどうみても行き過ぎだ。

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