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第211章

 シャナは真面目くさった顔つきだったが、口元がひくひくしている。この天才少女はすべて判った上で高みの見物を決め込んでいたのだ。

 腹をたてる間もなく、後ろで激しい水しぶきが上がって、聞き慣れた声が響いた。

「ヨーイチ!」

 続いて小さなイルカのような跳ねる身体が洋一の背中に体当たりしてきた。

 洋一は、ひとたまりもなく海に沈んだ。不意をつかれて思い切り塩水を飲んでしまう。必死で浮き上がり、盛大に口から塩水を吐き出す。むせかえる洋一に、歓声を上げながら可愛い小悪魔が飛びついてくる。

 まったく罪悪感のない笑顔を見ただけで、洋一の怒りは消えた。この美少女に腹を立てることなど出来るわけがなかった。

 パットは洋一の腹に背中を預けて、島の上の美しい姉を見上げた。得意そうな表情は見なくても判る。

 メリッサは立ち上がっていた。逆光のため、まるで光輪を背負っているかのような姿だった。完璧な身体の線と、乾きかけて頭の回りに広がる金色の髪。何かの神話の1シーンもかくやという姿だった。

 表情は影になって見えない。しかし、かなり激しく怒っているらしいことは握りしめられた拳などを見れば判る。ただの人間の身としては、女神の怒りが降ってこないうちに退散したいところである。

 洋一は、弱々しくメリッサに手を振ってから、パットの肩をつかんで振り向かせた。

「パット、そろそろ帰ろう」

「オゥケィ!」

 口調で判ったらしい。パットは元気良く返事すると、もう一度姉の方に得意そうな一瞥をくれてからするりと水に潜った。

 洋一の横を、シャナが泳ぎすぎていった。堅実に平泳ぎである。通り過ぎざま、洋一にちらっと笑みを投げてくれた。パットの方はもう見えない。どうも、少女たちに遊ばれている気がする。

 ふと気づくと、女神が隣にいた。

 洋一が何も言えないでいるうちに、メリッサが早口で言った。

「あの、すみません。いつもは違うんです。パティったら、ヨーイチさんのことになるとムキになってしまうみたいで……すみません!」

 それだけを言い切ると、メリッサはいきなりダッシュした。あっけにとられたままの洋一を置き去りにして、みるみるうちに遠ざかって行く。綺麗なクロールだった。

 何ともあっけない、幕切れである。

 すぐに後を追うのもなんなので、洋一は島に上って寝転がった。太陽は容赦ないが、心の動揺ほどではない。焼ける心配はあったが、どうにでもなれという気持ちだった。

 それでも、ほんの10分ほどで耐えきれなくなる。やはり、この直射日光はきつい。

 海に飛び込んで頭まで潜る。浮上したとき、妙な違和感があった。

 島が低くなっている。

 潮が満ちてきたのだ。そう思ってみると、みるみるうちに潮位が上がってくるようだ。

 洋一は、しばらく沖の方を見てから海岸を目指した。そろそろ腹が減ってきていたし、急に鮫の事を思い出してしまった。メリッサはああ言ったが、鮫が何を考えているかなどと判るはずもないし、今日は気が変わっているかもしれない。

 海岸は遠かった。

 あのホテルが点にしか見えないのだ。よくここまで泳いでこれたものだ。疲れ切ってしまったのも無理はなかい。

 しかも、すぐに往路の疲労がぶり返してきたようだ。少女たちには見捨てられてしまったらしいし、心細くなってきた。

 あいかわらず太陽が照りつけてきている。後頭部が暑い。海底はもうよく見えないくらい深くなってきているし、海岸はちっとも近づいて来ない。

「ヨーイチさん!」

「わっ!」

 いきなりだった。

 声と同時に、後ろから影がさした。あわてた洋一は溺れかけて、やっとのことで立ち泳ぎしながら振り返る。

 目の前にボートがあった。いつの間に忍び寄ってきたのか、全然気づかなかった。

 ボートの上からひょいと顔を出したのは、アンだった。

「アン……ちゃん」

「ヨーイチさん、乗りますか?」

 アンは、いつものつんとした言い方をしているが、口調には暖かさがある。少なくともいやいやというわけではなさそうだ。

「ありがとう。乗せてくれ」

「どうぞ」

 洋一はボートによじ登った。アンは反対側に身を乗り出してボートのバランスを保っている。この少女も海に慣れている。というより、考えてみればミナの配下なのだから、そっち方面のエキスパートと言ってもいい。

 ボートは小さなモーター付きだった。ただし、今は動いていない。アンがオールで漕いできたらしい。だから洋一が気づかなかったのだろう。音無の必殺である。

 アンはオールをしまって、後部に移動した。エンジンを起動する。

 洋一は邪魔にならないようにボートの中央に座り込んだ。

 ボートは快調に海岸に向かう。潮風に吹かれて、洋一は安堵感に包まれていた。見捨てられたかと思ったのだが、そうではなかったのだ。

「アン……ちゃん、ありがとう。来てくれて」

「アンでいいです。来たのは、ミナ様に言われたからです」

 アンが言った。あいかわらず平板な言い方だが、少し感情が見え隠れしている。この少女も何度か話すうちに、洋一にうち解けてきているのだろうか。

 まあ焦ることもない。洋一は黙り込んだ。アンの方も話したい気分ではないらしく、何も言わない。

 あんなに遠く見えた海岸までは数分程度しかかからなかった。

 アンは桟橋には向かわず、パラソルの真ん前に船をつけた。船底がかする程度の所で向きを変え、行き足を殺す。

「このまま降りて下さい」

 洋一は手を振って飛び降りた。アンはそのまま離れて行く。ボートの係留場所に向かうのだろう。ということはボートを特別に出してきたのだから、アンは洋一の捜索隊だったのだ。おそらくはミナかサラが手を打ったに違いない。

 やはり洋一は誰かの手の平の上で踊らずにはいられない男だった。

 洋一は、未だにふらつく足を踏みしめてキャンプの方に向かった。

 キャンプにはアンを除く全員がすでに揃っていた。テーブルが準備されている。そしてその上には、コックの心づくしの料理が大量に並べられている。

 洋一は、歓声を上げて飛びついてきたパットに引っ張られて席につかされた。そこは当然と言うべきか、テーブルの中央である。

 すぐに洋一の前にトロピカルドリンクが置かれ、ナプキンが手渡された。どうやら洋一に働かせるつもりはないらしい。

 パットは当たり前のように洋一の隣に座り込む。しかし、その他の少女たちは忙しく動いていた。

 美少女ぞろいのウェイトレスたちは、水着の上に簡易エプロンをつけている。はっきり言って水着だけより刺激が強い。ビキニ姿にエプロンだと、いわゆる「裸エプロン」を連想してしまうのだ。おかげで洋一はじっと手元を見つめるか、空の彼方を見ている他はなかった。

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