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第208章

 パットはしばらくメリッサを睨んでいたが、そのうちにフンと鼻をならすとカップを取り上げて飲み始めた。ミルクには罪はないということだろうか。

 その間中、パットは洋一の膝の上に座ったままである。絶妙のバランス感覚で、洋一を座布団にしてあぐらを組んでしまった。

 洋一は手のやり場に困った。

 パットはいつもの通り、ランニングシャツにショートパンツである。足は素足だ。洋一がどこに手を置いても、パットの肌に触れてしまう。

 そうでなくても、パットの尻が洋一の足の上に乗っているし、背中は洋一の胸に押しつけられたままなのだ。

 困っていると、ふとメリッサと目が合った。メリッサの瞳は暗く燃えていた。やや下目使いで、じっとこっちを見ている。この件に関しては、メリッサの自制が外れるらしい。パットと同レベルで争うというのは女神のイメージをぶちこわすが、妹とはそれだけ本音で接している証拠とも言える。

 だからこそ、怖い。

 洋一はパットの肩をつかんで持ち上げ、隣の椅子に降ろした。

 パットが何か言ったが、そんなに怒っているわけでもなさそうだった。興味が逸れたらしい。

 洋一は恐る恐るメリッサを見てみた。全体としての姿勢は変わらないが、あの暗い炎は消えたようだった。

 嫉妬してくれているのだろうか。そうなら嬉しいが、期待しすぎるのはよそう。

 その後は比較的なごやかに時が過ぎた。パットはメリッサが出してきたサラダやパンを平らげた後、洋一の事は忘れたようにどこかに行ってしまったし、メリッサも厨房に引っ込んでみんなの朝食を本格的に作り始めたらしい。

 洋一はしばらくぼんやりとソファーに座っていたが、ふと思いついてホテルを出た。

 ガーデンの横の小道を下って行くと、すぐに海岸に出る。思ったより近かった。

 まだ朝は早い。だからというわけでもないだろうが、浜には誰もいなかった。

 天然のままの海水浴場が広がっている。隣には波止場があるというのに、水はまったく汚れていない。それでも、地元の人にとっては泳ぐ気にならないのか、あるいは泳ぐのに飽き飽きしているのか、これだけの海岸がほっとかれているらしい。

 洋一たちがいるホテルからなら歩いて数分の絶好のリゾートなのだが。

 海岸沿いにある村なら、どこでもこれくらいの環境は整っているだろうから、もったいないなどと思うのは紛れ込んできた日本人くらいなものなのだろう。

 洋一にしても、朝から泳ぎたいとは思っていなかった。こんな海岸近くでは鮫も出ないだろうが、水着もないし、大体のんびり海水浴しているような状態ではない。

 いや実を言えば、ノーラか誰かが命令してくるまでは洋一たちのチームはここに待機ということになっているから、今は暇で、それこそ海水浴でもしているしかないのだが。

 リゾート気分で、ここで泳いでみるか?もちろん、少女たちもいっしょに。

 それはものすごくそそられる案だった。考えてみたら、洋一はこの南の島で少女たちの水着姿を一度も見ていない。パットといっしょに泳いだことはあったが、あの時のパットは水着をつけていなかったし……いや、あの時の記憶は封印しなければ。

 洋一は海岸をウロウロ歩きながら自分に言い訳していた。

 とにかく、みんなで泳ごう、いや鋭気を養おうという提案は、しごくもっともなはずだ。みんなハードスケジュールで動き回り続けていて疲れているはずだし、精神的な緊張感も並ではなかった。ノーラからの呼び出しが来るまでということで、ここでのんびりするのは理にかなっている。

 かなってはいるが、それを洋一が提案すると、どうしても別の目的があるように思われるだろう。それは避けたい。

 とすると、誰か別の人に言ってもらえばいいわけだが、誰に持ちかければいいのか?年長組の3人は無理だ。というより、もろに誤解をしむけているようなもので意味がない。かといってアンやシャナに持ちかけても、あの賢い少女たちなら同じ結果になるだろう。パットとは言葉が通じない。いや、それ以前にパットだと水着をつけずに泳ぎかねない。

 どうも、うまい方法はありそうにもない。

 ふと気づくと、ずいぶん歩いていた。もうあのホテルがほとんど見えない。浜に一直線に洋一の足跡だけが続いていた。

 洋一はため息をついて、引き返した。諦めるしかないのかもしれない。

 だが、ホテルの近くまで戻ってくると、洋一の悩みは解消していた。

 砂浜に小さなテントが張られているらしい。その前には簡易テーブルと数脚の椅子、そしてクーラーボックスが積んであるのが見える。

 少女たちが、それぞれ荷物を抱えてホテルと海岸を往復しているようだった。今も、パットやシャナが両手いっぱいにマットレスらしいものを抱えてこちらに向かっているのが見えた。

 洋一の姿を認めたのか、パットが片手を上げて振るのが見えたかと思うと、抱えたものを回りに落としてあわてて拾い集めている。その後ろで、シャナが小さく手を振った。こちらはさすがに荷物を落とさない。

 洋一は息せきって駆けつけた。

 波打ち際から数メートル離れた所にキャンプが出来ていた。

 小振りのテントは、おそらく脱衣場なのだろう。大型のパラソルが2つほど畳んだ状態で置いてある。かなり重そうだが、ココ島の少女たちは力持ちなのだ。

 その他にテーブルと椅子が数脚。これだけの荷物を運ぶのに、少女たちは何往復したのだろうか。洋一がのんびり散歩している間に。

 テントが開いて、サラが顔を出した。

「あらヨーイチ。まだ散歩していてもいいのに」

「とんでもない。手伝わせてくれよ」

 サラは顔をしかめて見せた。

「みんなでヨーイチを驚かすつもりだったんだけどな……まあ、仕方がないでしょう。パラソル立ててくれない?」

「判った」

 洋一はカッターシャツを脱ぎ捨ててTシャツ姿になった。本当はジーパンも脱ぎたいところだが、そうもいかない。もうすでに海岸は暑くなっていた。砂浜の白さが太陽を反射して眩しい。

 パラソルを開くのは簡単だった。だが、開いたまま固定するのが難しい。それに、砂地にどうやって立てたらいいのか判らない。

 洋一がうろうろしていると、不意にミナが両手にクーラーを下げて現れた。

「ヨーイチさん! もう気づいちゃったんですか」

「うん。これを立てようとしているんだけど、うまくいかないんだ」

「ああ、土台が地面に埋め込んであるはずです。探しますね」

 何のことはない。やはり、ここはあのホテル所有の海水浴場だったらしい。それにしては着替え用の小屋とトイレくらい作ればいいようなものだが、それを作って採算があうほどの利用はないと見ているのかもしれない。ここで海水浴をしようなどと考えるのは、多分外国人だけなのだろう。

 ミナはすぐに土台を見つけた。重そうな石のブロックが積んである。その中央に穴が開いていて、ここにパラソルの柄を突き刺すらしい。

 洋一はパラソルを持ち上げて柄を穴に差し込んだ。馬鹿でも出来る単純作業である。

 その間にも、少女たちが次々に色々なものを持って到着しつつあった。

 みんな重そうな荷物を抱えている。一番華奢なシャナすら、一抱えもありそうな箱を運んできていた。

「ヨーイチさんは、ここで待っていて下さい。今のうちに水着に着替えたらいかがでしょうか」

 シャナが汗を拭いながら言った。文脈がちぐはぐな気がしたが、意味はよく判る。これだけの会話能力をカセットテープだけで身につけるとは、やはりこの少女は天才だ。

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