第201章
「あーあ、ヨーイチ、あまり女を泣かせないでよ。お姫様を見つめるなとは言わないけど、こっそりやるくらいの心遣いを見せてくれてもいいんじゃない」
「こっそりって……」
言いかけて洋一は絶句した。すぐそばにパットの顔があって、ものすごい顔つきで洋一を見ている。それだけではない。みんなの話し声がやんでいる。そして、少女たち全員が洋一の方を見つめていた。気づいてなかったのは、洋一とメリッサくらいなものだ。
洋一は、あわてて目を伏せて食事をかき込み始めた。一瞬おいて、少女たちの会話が再会される。何ごともなかったように。
だが、やはり不自然だった。会話はわざとらしいし、目を伏せていてもあちこちからの視線を感じる。つまりは、全員がさりげなく洋一に注目しているのだ。
これでは針の筵だ。
洋一は決心して顔を上げた。
「判った。みんながそういうつもりなら、もう一度風呂に入ってくる」
立ち上がり、そのままさっきの風呂場へ向かう。背後で話し声が途切れるのが判ったが、もう後には引けない。
誰も追いかけては来なかった。
階段を降りながら、洋一はズキズキする心を押さえつけた。せっかく食事を作ってくれたメリッサや、用意してくれた少女たちにすまないと思う。しかしどうにもならない。
このままみんなとなし崩し的になあなあで過ごしていれば、いずれは破局が来るのは目に見えている。かといって、心のままに動けば、やはりこのチームは崩壊してしまうだろう。だから今は卑怯と言われようが逃げるしかない。
階段を下って脱衣場に入る。籠を蹴ってひっくり返し、乱暴に服を脱ぎ捨ててドアを開ける。
そこは暗かった。
いつの間にか日が暮れていたのだ。海は真っ暗で、星明かりがわずかに差し込んでいる他は、常夜灯のぼんやりした光が見えるだけだった。
そろそろ動いて、露天風呂に浸かる。アドレナリンで火照った身体にぬるま湯が気持ちよかった。
夜の露天風呂も風情があっていいものである。心の中は後悔と自己正当化の嵐で荒れ狂っていたが、身体の方はくつろいでいる。ここにこうしていると、さっきよりももっとしがらみみたいなものが消えて行くような気がしていた。
どれくらいたっただろうか。
ドアがそろそろと開いて、遠慮がちな声がした。
「ヨーイチさん、いますか?」
洋一は口元まで風呂に沈み込んだ。誰にも顔をあわせたくはない。しかし返事をしないわけにもいかない。
「……ああ」
くぐもった声になったが、ほっとしたようなため息が伝わってきた。
「あの……食事、途中だったでしょう。おつまみを持ってきたんですが、そちらに行っていいですか?」
メリッサの声だ。
洋一はあわててお湯の中で向きを変えた。脱衣場のドアの明かりをバックに人影がある。幸い浴衣を着ているらしい。
「いい……けど」
洋一が答えている最中に、ドアが開いて人影が踏み込んできた。
この暗い中を確かな足取りで歩いて、洋一の目の前に跪く。
「メリッサ?」
「はい。ここに置きます。お酒もありますから、倒したりしないように気を付けてくださいね」
メリッサはやや早口で言うと、そそくさと引き返していった。洋一が何を言う暇もない。
洋一はため息をついて腰を浮かせた。
ボードの上に、冷えたビールとサンドイッチの皿が載っている。もうひとつの皿にはベーコンと山盛りサラダだ。メリッサは明らかに「おつまみ」の意味を間違えているらしい。
それにしても、こういうものは宴会料理にはなかったような気がする。メリッサがわざわざ洋一のために作ったのだろうか。
腹が減っているのは確かだ。洋一は露天風呂の浅いところであぐらをかいてボードを引き寄せた。
ビールはよく冷えていた。このへんにも心遣いが感じられる。サンドイッチもベーコンもうまい。サラダは絶品だ。メリッサはあれほどの美貌でなかった方が、ひょっとしたら人生が開けていたかもしれない。もちろん、洋一より若いのだから、人生なんかこれからいくらでも開けるはずだが。
しかし残念なことに、今の状態ではメリッサがいくらうまい料理を作ったところで、ラライスリの衣装を纏って黙って立っている時ほどの注目は集められまい。あんなに家庭的な性格なのだから、ラライスリなんか演じるよりは料理していた方が楽しいに違いないのに。
いや、と洋一は思い直す。メリッサの場合は、ラライスリを「演じる」のではないだろう。ラライスリに「なる」のだ。
あの状態になったときは、おそらくメリッサ自身の意識はないも同然だろうが、それでも何かすればそれはメリッサがやったことになってしまう。それだけの強烈な印象が普段のメリッサにもある。
そうでなくても、本人の意識や性格とは別の面でメリッサには何かひどく禍々しいカリスマみたいなものが感じられるのだ。どっちにしても、メリッサを見た人は十中八九彼女が並の人間だとは思わないだろう。
洋一は、メリッサが言うところのつまみを全部食べ尽くした。ちょっと冷えてきたので、ビールのカンをつかんで風呂に肩まで沈む。
生ぬるい湯だったが、風呂の中で飲むビールは格別だった。こういう時は熱燗が合うのだが、さすがにそこまでは手配できなかったのだろう。どっちにしても洋一は熱燗よりは冷えたビールの方が好きだった。
今、上ではどうなっているのだろう?
女の子だけで楽しくやっていてほしい。今のところ洋一の存在はあの少女たちを反目させる役にしかたっていない。少女たちの意志には関係なく、男が一人だけいるという状態ではどうしても感情的な不均衡が生まれてしまうのだ。別に洋一がもてまくっているわけではないのが悲しいが。
過ぎたるは及ばざるがごとし、というのはこういう状態を示すのかもしれない。いや、少し違うな、と洋一は思った。
魅力的な女性が1人だけだったら洋一は幸せだったろうが、その女性は洋一なんかにはハナもひっかけなかっただろう。2人でも、メリッサとパットの姉妹の例を持ち出すまでもなく駄目だ。洋一そっちのけで喧嘩が始まるだけだ。3人だと喧嘩にはならないかもしれないが、牽制し合ってぎちこない雰囲気で動きがとれなくなる。ましてや6人もいた日には、どうにもならない。
つまり、どっちにしても洋一には幸せはこないのだ。
ビールの缶を握りつぶして、洋一はそれでも残骸をボードの上に置いた。誰が掃除するのか判らないが、少しでも負担を減らしたい。というよりは、軽蔑されたくない、というのが本音だ。魅力的な女性がいれば、男は無意識のうちに気に入られたいと思ってしまう。それは実際に気に入られるかどうかとは関係がない、本能的な行動である。