Side:第一王子様(加害者視点1)
主よ、この哀れな子羊たちを赦し賜え
「今からお前との婚約を破棄してやる!!」
その一言で、夜会の淑やかで絢爛な全ての音が止む。
第一王子である俺の言葉なのだから、言うまでもなかろう。
「……ッ!」
ドレスの裾をつかみ、真っ青な顔になっているのは
先ほどまで婚約者だったアリアンロッド=フォン・ネルトリンガー嬢。
宰相にして救国の英雄ネルトリンガーの子女にして
セラス公国の周辺国に睨みを利かせるために誂えられた、哀れな生贄。
今までご苦労様でした。
「お前が犯した数々の悪行、俺が知らぬとでも思っていたか?」
その一言を合図に、彼女をこの舞台に上げる。
下手からおずおずと現れたのは、シャイム=ハ・シディム。
没落し、セラス公国に亡命し、逆境ながらも忠義を尽くした新興の男爵の令嬢。
つまり、平民同然の女である。
「お待ちくださいアルベール第一王子、まさかと思いますが……」
「みなまで言うな見苦しい
俺は今よりシディム男爵令嬢との婚約を宣言する!」
今度こそ、参加しただけの雑多な貴族たちが騒ぎ始める。
何しろネルトリンガー令嬢との政略結婚は国益に関わる重大事項である。
無論、それを覆すほどの不祥事を俺は知っている。
……が、それを口にしてはならない。
「見るがいい、この哀れな姿を!
すべて、お前が鞭で躾けた跡だろう、違いないか?」
「……ッ! そんなことは!」
「そうだろう、信じられないだろう?
しかし苦労したよ、お前が何重にも掛けた姑息な魔法を解くのにな」
ああ、白状してやろう。
非常に見苦しい、苦し紛れなのは、間違いなく俺の方だ。
未だにこの国は国境の軋轢から抜け切れず
こぼしてやったこの白ワインにも、手足を腐らせて殺す毒が入っている。
ゆえにセラス公国の身分は、他と比べて強固にできている。
これぐらい傷、貴族の躾としては常識の範疇である。
だが、ネルトリンガー家としてはそうはいくまい。
「真に賢き者なら、力を使わずとも徳で下々を教化する
……と、俺にさんざん言っておいて、自分はこれとはな!」
「英雄ネルトリンガーの薫陶とやらはどこへやら?」
わざとらしく周囲を見回してやる。
少しずつ俺の愚行への嘲笑から、ネルトリンガー令嬢への失望に変わっていく。
その雰囲気を察してか、シディム令嬢が俺に縋ってきた。
まあ、いじらしいのだから抱き留めてはやろう。
(本当に抜け目がないのな)
知っている。
シディム令嬢がズタボロなのは単なる自業自得。
わざと礼節を軽んじ続け、寛大たろうとするネルトリンガー令嬢の志を圧し折った。
すべてはこの日のために。
俺がシディム令嬢を選び、ネルトリンガー令嬢を捨てるための。
「お言葉ですが
この件、陛下が黙っているとでも?」
「今はそんな話をしていないよ、鳶から生まれた豚のお嬢さん」
「な……!」
ネルトリンガー令嬢はその蒼黒の瞳から涙をこぼし始める。
ああ、なんとその姿は美しいのだろうか。
俺には一欠片も見せてくれなかったのだから、余計にそう見える。
何しろ彼女の心は全く折れていない。
「分かりました。 婚約破棄、承認いたします」
「最初からそう言いたまえよ、余計な恥をかく前にさ」
「……どうなっても知りませんわよ」
捨て台詞としては三流以下である。
俺の知っているネルトリンガー令嬢のそれとは到底思えないが
まあ、これを機に心機一転したのだろう。
所作は最後まで綺麗に纏まったもので
とてもじゃないが、これっぽっちも屈辱を感じているようには思えない。
「……」
ああ、見えているぞ。
このパーティーにわざと招かなかった、ドブネズミが一匹いなくなったのを。
ああ、知っているぞ。
そいつは、ネルトリンガー令嬢の初恋の相手。
第一王子すら当て馬に貶めた
トシュカトルの、蛮族が。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「クソクソクソ! クソがぁ!!!!」
俺の、微風でしかない怒りが部屋中を吹き荒れる。
倒されるのは物言わぬ調度品、砕けるは姿なき硝子の窓。
俺の日々の疲れを癒す寝台も、中身のワタが散らばって死にかけている。
この夜会の服『しか』残っていないのも惨めさに拍車をかけた。
やがて疲れに巻かれ、ベッドに頭から倒れこむ。
底面の木の板に激突し、額から血が流れていく。
「は、はは。 ほらやっぱりな!」
すべて知っていた。
ことの発端は去年の誕生日。
すでに冷め切ったネルトリンガー令嬢とのお茶会を切り上げ
今みたいに眠りにつこうとして『それ』を見た。
「何が愛だよ、何が誠実な殿方だよ
最初に裏切ったのはアリア、お前じゃねぇか!!!!」
その幻視はネルトリンガー令嬢の視点で終始していた。
余りにも色褪せて、でも他に大切そうな『空想』を抱え持つアリアの内心。
媚びを売ろうとする俺も、勿論。
(乞食みたい)
「お前がトシュカトルのことばかり話すから
恥を忍んで、色んな奴から聞いて回ったのに」
話題に合わせるように、苦手な令嬢たちとも話した。
終始、ネルトリンガー令嬢と同じく蔑む声が聞こえ続けた。
その結果がこれである。
7年前の、彼女が10歳の時の暮れなずみ。
花海の如き幻想的な夜の中、トシュカトルと二人で帽子で顔を隠し。
その時と同じく、学院の陰で手をつなぐ二人が見えて。
「……」
言葉が消えた。
みじめだった、消えてなくなりたい程に忌々しい。
そうして自棄になり、砕けた硝子に向かって拳を叩きつけようとして。
「おやめください!アルベール様!」
異変に気付いたのかシディム令嬢が入ってきて
第一王子の癇癪を止めようとする。
勢いでシディム令嬢を突き飛ばしたが
代わりに自分の拳は無事なまま。
余りの不甲斐なさに心底から笑いが込み上げてくる。
「シャイム見たかよ、あの顔
婚約破棄されたってのに随分と晴れやかでさ」
「心底反吐が出るよ!
あのドブネズミとお幸せにな、クソ女!」
感情が川にもみ消される木の葉の如く不安定で
それほどまでに、ネルトリンガー令嬢との思い出が断ち難い。
幼き日に交わした約束も
あの女にとっては、忘れても良いぐらいに瑣末な1シーン。
この時点で価値観が合うはずもない。
「……幸せになんかなるかよ」
「シャイム?」
「あーあ、あの女
外面は着飾る癖に、欲望は出しっぱ」
「ゲンコーフイッチってそういう事なんだね」
これは未だに驚きを隠せないシディム令嬢の一面。
曰く、生まれの両親を殺されスラムを彷徨い歩き
曰く、拾ってくれたシディム男爵も、緩い男らしい。
シディム令嬢は俺にだけ
この暗くて、余りにも冷たい一面を見せてくれる。
「シャイム、何もそこまで」
「アルベール様が頑張ってるのはあーし知ってんの
やり方は下の下だけど、別に悪い事じゃないのにさ
アルベール様の揚げ足を取って下品にクスクスクスクス」
シディム令嬢が壊れたベッドに腰を下ろす。
狼藉も極まれりだが、不思議と安心する。
「あんな女と別れて正解だよ
アレ、あーしのスラムで見た売女と大差無い」
「いずれ、あのトシュカトルとやらと破滅するよ、絶対」
絶対という言葉が耳に残る。
それは俺たちに取っては致命的な意味を含んでいるからだ。
「それは、『狂人の書』がそう言ってるの?」
「ん? 違う違う、これはあーしの勘
馬鹿にすんなよ、似たような女2、3人ぐらい知ってるし」
「そうか」
少しだけ安堵する。
シディム令嬢の『狂人の書』は未来予測そのものだからだ。
『狂人の書』とは数年前からセラス公国に蔓延する狂気。
罹患すると他人の思考や、ほんの少しの未来も言い当てる。
曰く、頭の中に本が開かれる。
文字で知るので人によっては実際に確かめにいく。
そうして俺も、ネルトリンガー令嬢の秘密を暴いた。
しかし『狂人の書』の罹患者は何一つの例外も無く処刑される。
平民だろうと、貴族だろうと、俺の弟だろうと、友誼国の使者だろうと
王国の秘匿事項に触れれば粛清対象となる。
「お前は、嘘を吐かないんだな」
「ん、まぁ、嘘つく理由なんかねーし
大体、あーしのあんな話真に受けてくれた人だし」
その言葉で失った全てが取り戻された気がした。
熱い気持ちを抑えきれずにシディム令嬢に抱きつこうとする。
しかし、両手で制止された。
「待って待って、嬉しいけどさ
まずはアルベール様の手当だよ、ほらこんなに怪我して」
「終わったら、ね」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「嘘を吐かないって言ってたじゃないか」
シディム令嬢に馬乗りになって
彼女の罪を糾弾する。
だが、セラス公国はそれどころじゃなかった。
空には30以上の赤い星。
その後ろに一際大きい赤い星。
これらが降り注ぎ、王都は未曾有の大災害に晒されている。
この王城も、数発喰らって出入り口が全て瓦礫で埋まった。
今も火と悲鳴が鳴り止まない。
だが、それ以上に彼女は許し難い罪を犯した。
「……」
「そんな顔をしても無駄だぞ
知ってるぞシャイム、この大災害も『狂人の書』で」
「起きるの分かってたって言ったら?」
激昂してガラスの破片を掴む。
掌から夥しく血が流れ、新雪のような彼女のドレスを汚していく。
「でもさ、楽しかったじゃん」
「何を」
「1年間、あの女の事全部忘れて
あーしと一緒に楽しいことしてたじゃん」
「1年しかないなら、そうするしかないじゃん」
泣き笑いのような彼女の表情。
王子から見て、彼女は少なくとも事情あり。と思えた。
ニタリと笑った。
それまでの表情から急変し
刺し貫くような視線を第一王子は感じ取ってしまった。
心はもう決まっていた。
あとは心臓目掛けて振り下ろすだけ。
半狂乱になりながら
自分のものとは思えない声で泣き叫ぶ。
「……ざまあみ」
王子は逃げ出した。
もう冷たくなった女を見捨てて
血塗れになりながら、走ることすら破綻しながら。
「はぁ……はぁ……何なんだよあの女!」
最後の言葉もそう。
嫌な予想が当たる前に、言い切る前に殺してやった。
しかし勢い余って喉の方へと。
より、恐ろしい表情に射抜かれる羽目となった。
だが、それを述懐する暇はない。
「ひぃぃ」
すぐ近くで破砕音が響き、女がいた場所が
灰一色で塗りつぶされてしまった。
飛び散った破片が側頭部を直撃し、よろける。
「だ、誰かたすけて」
王子が必死になって生きる道を探す。
しかそれはもう叶わない。
これで11人目の遺体を踏みつける。
逃げ道には疎に死体が散らばっている。
目の前の瓦礫を
まるで無いものかのように正面衝突した。
「光、光さえあれ」
足を滑らせた。
気持ち悪い浮遊感はわずか3秒。
「ぎゃあ」
頭を打ちつける。
それでも勢いは止まらず、続いて肩に衝撃。
右脇から先が激痛しかなくなる。
「あああああああ」
左足、脇腹、右足首の先、もう一度頭。
口の中が血で満たされて溺れそうである。
「あ、あ」
致命傷を外し続けた幸運も終わり。
食べ残しの骨を捨てるように
地面に頭から衝突し、全てが無に還った。
Side:第一王子様(加害者視点1) おわり




