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エドワード殿下の廃嫡と北方幽閉、そしてリリア嬢の鉱山送りから、一ヶ月が過ぎた。
王宮の「聖者の間」は今、静寂に包まれている。玉座は空席のままだ。国王アルフォンス二世は隠居中。
国政の実務は第二王子セドリック殿下が「摂政補佐」として執り行っている。
……表向きは。
「お嬢様、本日の財務省からの報告書です。王宮費の節減計画、騎士団の給与改定案、それから……。セドリック殿下からの、個人的なメッセージも」
アンが、山のような羊皮紙を私のデスクに置いた。
ここはアステリア公爵邸の最上階にある、かつては書庫だった場所。今は、私の「司令部」だ。壁一面にはグランヴェール王国の詳細な地図と、主要な街道、港、そしてアステリア商会の支店の位置が記されている。
「セドリック殿下から? ……また、融資の条件緩和についてかしら?」
「いいえ。……『今夜、庭園の離れで、非公式にお茶を如何か』と。……以前よりも、お誘いの頻度が増えている気がいたしますが」
「あら。忙しい摂政補佐殿ね。……まあ、彼の『お願い』を聞いてあげるのも、債権者としての務めかしら」
私はペンを置き、背伸びをした。
ドレスは以前のような重苦しい夜会用ではない。上質な絹で仕立てられた、動きやすいパンツスタイルのライディングドレスだ。王妃教育で叩き込まれた「淑女の嗜み」は、今はビジネスの場での「武器」として、あるいは馬を駆って領地を視察するための「実用品」として機能している。
私の人生は、私だけのもの。
その言葉通り、私は今、誰の指示も受けることなく、自分の意志で、この国の運命を動かしている。
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その夜。
公爵邸の広大な庭園の奥にある離れ。そこは、かつて私が王妃教育の合間に、誰にも邪魔されずに本を読むために作らせた、私だけの秘密の場所だった。
今では、セドリック殿下との「極秘会談」の場となっている。
「待たせたね、アイリス。……いや、今は『アイリス代表』と呼ぶべきかな?」
セドリック殿下は、以前よりも少し痩せ、しかし瞳には鋭い光を宿していた。
彼は私を見ると、王族としての礼ではなく、一人のパートナーとしての軽い会釈をした。
「どちらでも構いませんわ、セドリック殿下。……それで、わざわざこのような場所でお会いしたいということは、財務卿には聞かせられないお話ですか?」
「ああ。……兄上の、エドワードの件だ」
セドリックの声が低くなる。
私は眉をひそめた。あの愚かな男の名前を聞くだけで、紅茶が少し苦くなる。
「彼が何か? 幽閉先の塔で、またリリア嬢の名を叫んでいるのですか?」
「いいえ。……実は、彼の支持者の一部が、隣国……オーウェン公国と接触している形跡がある。……彼らはエドワードを『悲劇の王子』として祭り上げ、アステリア家の支配から王国を取り戻そうと画策しているようだ」
「オーウェン公国……」
私は地図を思い浮かべた。
王国の東に位置し、肥沃な土地と強力な騎兵団を持つ、野心的な国だ。これまでグランヴェール王国とは、表面上は友好を保っていたが、内心では我が国の弱体化を狙っていた。
「……なるほど。私に『復讐』された元・王太子を利用して、この国を内側から切り崩そうというわけね。……面白いわ。私が手に入れた『私の庭』を、踏み荒らそうとするなんて」
私の心の中に、怒りではなく、冷徹な「闘志」が湧き上がった。
エドワードなど、もうどうでもいい。
だが、オーウェン公国が私の国の経済、そしてアステリア商会の利益を脅かすのであれば、それは私の「人生」への侵害。
「セドリック殿下。……あなたは、どうしたいのですか? 兄上を救い出し、王座を譲りますか? それとも――」
「馬鹿を言わないでくれ。私は君の債権を背負って、この国を再建する道を選んだ。……オーウェン公国の野心は、私が、そして王国の騎士団が食い止める。……だが、そのためには、君の協力が必要だ」
セドリックは、私の手を握り、真っ直ぐに見つめた。
「君の、経済的な『力』が。……オーウェン公国は、軍事力は高いが、食糧自給率は低い。……アステリア商会が、隣国との穀物取引を規制すれば、彼らは戦う前に飢える」
「……あら。軍事侵攻ではなく、兵糧攻めを提案するのですね。……セドリック殿下、あなたは思ったより、私の『色』に染まってきているわ」
私は彼の手をそっと振り解き、扇を広げた。
「いいでしょう。私の利益を守るため、そしてこの国の安定のために、協力して差し上げます。……ただし、条件があります」
「条件……?」
「オーウェン公国との紛争が解決した後、我が国の港湾の使用権、および新しく開拓される東部領土の鉱山開発権を、アステリア商会に一任すること。……それから」
私はセドリックの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「……私の人生を邪魔する者は、たとえ隣国の者であっても、地獄の果てまで追い詰めて、『復讐』して差し上げる。……その私の『やり方』に、決して口を出さないこと」
セドリック殿下は、一瞬、恐怖に目を見開いた。だが、すぐに彼は、覚悟を決めたように微笑んだ。
「……承知した。……君の、その『毒』も含めて、私は君という『所有者』に従おう」
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アステリア邸に戻った私は、すぐにアンを呼び、オーウェン公国周辺の商流調査を命じた。
「お嬢様。……また、忙しくなりそうですね」
「ええ。……でも、今回はただの『婚約破棄』ではないわ。……国と国との、黄金を賭けた戦い。……私が創る、新しい玉座の、最初石を積む作業よ」
私は窓の外に広がる、月明かりに照らされた王都を眺めた。
かつての私は、この街の片隅で、完璧な人形として生きることを強いられていた。
けれど今、私はこの街の、この国の、そしてこの大陸の、真の主になろうとしている。
私の人生は、私だけのもの。
その自由を守るためなら、私は黄金の雨を降らせ、あるいは鉄の雨を降らせて、敵をすべて薙ぎ払う。
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睡眠前のひと時。
政務から離れ、他愛のない手紙を読むのが、私のいつもの日課だった。
どれも退屈な手紙ばかり……あら? これは?
それは異国の手紙。しかも、滅多に見ない代物だった。
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グランヴェール王国の「真の支配者」アイリス・アステリア様へ。
初めまして。……いえ、この手紙が届く頃には、あなたは「どこの馬の骨とも知れぬ国の王女」からの不躾な便りに眉をひそめているかしら。
風の噂というものは、海を越え、国境を越え、私の治める国の窓辺にまで、実に甘美な物語を運んで来ています。
あなたが、愚かな王太子の婚約破棄を逆手に取り、国家の財政を丸ごと買い取ったというお話。あまりの痛快さに、お気に入りのフォンダンショコラを危うく喉に詰まらせるところでした。
普通、振られた令嬢というものは涙で枕を濡らすか、せいぜい修道院へ逃げ込むもの。けれど、あなたは「愛」の代わりに「帳簿」を武器に取った。素晴らしいですね。
そして王の謝罪を鼻で笑い、王宮のシャンデリアからボタン一つまでを差し押さえの対象にするその冷徹さ。
あなたのその「数字で世界を屈服させる」感性、私の好みだと言わざるを得ません。
愛なんていう不確かなもので国は動きませんが、黄金と負債、そして「実績」という名の暴力は、どんな王冠よりも重く人を縛り上げる。
あなたがこれから、パペット(代理人)として据えた第二王子をどう操り、その国を自分の望む色に、どう染め変えていくのか……。遠いこの空の下から、私は地獄の力でテイスティングされたワインを傾けながら、あなたの次の「収穫」を楽しみに待っています。
もし、あまりに退屈で、誰か「話の通じる相手」が欲しくなったら、この私の国へ、是非お便りを下さいね。
ここには私の愛する美味しいお菓子と、珍しいグルメが、世の中の不条理を笑い飛ばせるほどあり、そして最高の娯楽もあります。話のタネには尽きないでしょう。
あなたのこれからの「経営」に、幸多からんことを。
遠い異国の地で、貴女の手腕に少し惚れ込んだ、セレスティーヌより。
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……困ったわね。この世界に、私と同じくらい『性格の悪い』お友達がいたなんて。
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セレスティーヌ様へ。
遥か遠方の地から届いたあなたの賛辞、確かに受け取りました。
驚きました。私の「経営方針」をこれほど正確に、かつ「美味しそうに」読み解いてくださる方がいるなんて。
あなたが仰る通り、王宮のシャンデリアは今、私の私物として市場で値を付けているところです。エドワード様は北方の寒さに震えているそうだけれど、私の計算では、彼にはまだ「自らの愚かさを後悔する」という立派な仕事が残っています。
お菓子が好きだというあなたに、私のお抱えシェフ自慢のスコーンを是非、召し上がってもらいたい。
もしそれがあなたのフォンダンショコラに勝てそうなら、いつか「共同経営」の話でもしましょうか。
あなたとの「交流」が、いつか私との「経営」と交わる日を楽しみにしています。
グランヴェール王国 筆頭債権者。
アイリス・アステリア。
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