3
セドリック殿下は、私のベッドサイドにある椅子を勧めもせずに引き寄せ、乱暴に腰を下ろした。王族としての洗練された所作はどこへやら、その瞳には焦燥と、それ以上の「期待」が混じり合っている。
「君という人は、本当に……。兄上を社会的に抹殺するだけでは飽き足らず、王家の首根っこまで締め上げるとはな」
「あら、心外ですわセドリック殿下。私はただ、自分の正当な権利を行使しているだけ。婚約という契約が一方的に破棄されたのですから、付随する投資契約も白紙に戻るのは、経済の基本でしょう?」
私は優雅に紅茶を啜り、セドリック殿下を正面から見据えた。
エドワード殿下とは違い、この第二王子は頭が切れる。冷遇されていた彼にとって、今回の騒動は「棚から落ちてきた王冠」に等しい。だが、その王冠が「借金まみれ」であることを彼は理解しているはずだ。
「……で、交渉に来られたのでしょう? 兄上の尻拭いではなく、ご自分の『未来』のために」
セドリック殿下が口角を僅かに上げた。この男、やはり話が早い。
「ああ、そうだ。現在の王宮は地獄だよ。兄上はリリアを抱えて愛を誓い合っているが、その横で侍従たちは差し押さえの対応に追われ、騎士団は給与の遅延を恐れて反乱の兆しを見せている。……君が融資を完全に引き揚げれば、この国は一週間以内にデフォルト(債務不履行)に陥る」
「まあ。それは一大事ですわね」
私は他人事のように扇で口元を隠した。
一大事。ええ、本当に。私がそう仕向けたのだから。
「アイリス。君が望むなら、私は兄上を廃嫡に追い込み、リリアを修道院へ送る準備がある。……その代わり、アステリア家の支援を私に回してほしい。君を『次期王妃』としてではなく、『共同統治者』に近い権限で迎えよう」
セドリック殿下の提案は、極めて合理的だ。だが、私はくすりと笑った。
「殿下、勘違いしないでくださいませ。私はもう、誰かの妃という『お飾り』の椅子に座るつもりはありません。……私の人生は、私だけのもの。今のところ、誰かと分かち合う予定はないのです」
セドリック殿下の表情が固まる。私は立ち上がり、窓の外を指し示した。
「私が欲しいのは、王冠ではなく、この国そのものの『経営権』です。あなたが王になりたいのであれば、私をパートナーではなく、最大の『債権者』として認めなさい。……逆らえば、明日にはあなたの王座も差し押さえますわよ?」
沈黙が流れる。
第二王子の背中に冷や汗が流れるのが見えた。彼はようやく理解したのだ。私が、ただの「振られた令嬢」ではなく、この国の運命を握る「支配者」へと変貌したことを。
────
その頃、王宮の「聖者の間」では、悲鳴にも似た怒号が響き渡っていた。
「……どういうことだ! なぜ私の宝物庫が開かない!」
エドワード殿下が、震える手で扉を叩いている。
彼の背後には、顔を真っ青にしたリリア嬢が立ち尽くしていた。彼女の首元には、昨日まで光り輝いていたはずのダイヤモンドのネックレスがない。アステリア商会の債権回収チームが「盗品、あるいは不当な譲渡品」として、早朝に没収していったからだ。
「殿下……大変申し上げにくいのですが。アステリア家が担保として王宮の動産すべてを差し押さえました。……この部屋の調度品も、殿下が召されているその上着のボタン一つまで、現在は『アステリア公爵家の所有物』となっております」
侍従の言葉に、エドワードは膝から崩れ落ちた。
「ば、馬鹿な……。私は王太子だぞ! アイリスごときが、私を……この私を拒絶するなど……!」
「エドワード様……わ、私たち、どうなるの? 素敵な別荘に連れて行ってくれるって言ったじゃない!」
リリアがすがりつくが、今のエドワードにはそれを振り払う余裕すらなかった。
そこへ、追い打ちをかけるように軍務大臣が踏み込んでくる。
「殿下! アイリス嬢への暗殺者差し向け、および公金流用の容疑で、監査委員会が設置されました。……陛下もお怒りです。即刻、謹慎を命じます!」
「暗殺者!? あれはリリアが、アイリスがやったと言ったから……!」
エドワードがリリアを振り返る。
リリアは、これまでに見たこともないような「無機質な表情」で一歩後ずさった。
「……え? 私、そんなこと言いましたっけ? 殿下が勝手に、『アイリス様を排除して僕たちの愛を完璧にしよう』っておっしゃったんじゃありませんか?」
「リ、リリア……? お前、何を……」
愛の言葉は、金という燃料を失った瞬間に、氷のような毒へと変わった。
計算高いリリアにとって、金も権力もないエドワードは、もはや「粗大ゴミ」以下の存在に過ぎない。
────
アステリア邸の自室。
私はアンが持ってきた最新の報告書に目を通し、満足げに頷いた。
「エドワード殿下とリリア嬢の仲違い、想定より早かったわね。……ふふ、あんなに愛を語り合っていたのに、現金なものだわ」
「お嬢様、性格が悪くていらっしゃいますね。最高です」
アンが皮肉を込めて微笑む。
私は窓辺に立ち、夜風を浴びた。
明日には、国王陛下が直接、私に頭を下げに来るだろう。
かつての私は、彼らの顔色を伺い、完璧な淑女として振る舞うことに必死だった。
けれど、もうそんな必要はない。
皆が楽だと甘んじて放置していたツケを払うことになる。この世にただの物などない。安全も、生活も、誰かが影で代償を払っているに過ぎない。
私は私のために笑い、私のために怒り、私のためにこの国を造り変える。
「さあ、お父様。明日の謁見の準備をしましょう。……私を『人形』として扱った代償は、王家の血ですら払い切れないほど高いことを、教えて差し上げなくては」




