その名はアレクサンダー①
「あぁ……。何度見ても溜息を吐くほど綺麗だわ……」
スカーレットは額縁に入れられた絵を眺めながらウットリと熱っぽい吐息を零す。メイド達もある者はキラキラと目を輝かせながら、またある者は頬に両手を添えながら同意する。
「本当ですね。お顔がとっても凛々しくて気品に溢れていて……」
「でもお目は優しい印象ですね。奥様が一目惚れしてしまうのも分かります」
「絵でこれだけ綺麗なら、実際に見たらきっととても綺麗なんでしょうねぇ」
メイド達は以前まであまり元気の無かった女主人が、明るい笑顔を見せてくれるようになったから嬉しいのだろう。積極的に同意して会話を盛り上げている。
だが彼女達は無理にスカーレットに合わせているのではなく、その言葉に一切嘘はなかった。本当に絵の中のモデルは顔立ちも佇まいも、毛並みも美しいのだ。
「あの時に競馬場に行って良かった……」
頬を染めるスカーレットの手には1頭の美しい馬の絵があった。
話は2日前に遡る。最近出来た友人の1人から競馬観戦に誘われ、これも交流だと了承したのが全ての始まりだった。
これまで仕事一辺倒だった彼女には競馬の楽しみ方は分からないが、友人が丁寧に教えてくれたので、新鮮な気持ちで観戦出来た。
レースでの過ごし方は基本的に開始するまでに各々知り合いと交流を深めたり、ピクニックやランチを楽しんだりする。
その間は様々な雑談が交わされるが、熱狂的な競馬ファンはそこでも複数回あるレースの間でも、出場馬の情報が書かれた冊子とにらめっこしつつ、どの馬に賭けるか仲間と激しい議論を交わすのだそうだ。
スカーレットも友人の知り合いのランチにお邪魔させてもらったが、彼等は馬同士の関係性に詳しいらしく、色々と話をしてくれた。
どこそこの馬同士は仲が良いとか、とあるモテモテの牝馬はある馬に恋をしていてレース後はいつも追いかけているとか、ある馬同士は大変仲が悪くて運営側はゲートの並びを隣り合わないようにしているとか。
これが人間関係なら生々しいが、馬だというだけで途端に面白いと思えてくるから不思議だ。素人でも楽しめる話のおかげで肩の力が抜けた彼女は、友人から助言を受けつつ、レースを観戦した。
そんな中で迎えた最終レース。彼女は雷に打たれたかのような出会いを果たした。
パドックと呼ばれる、レースを走る前の馬が観客の前で周回する場所がある。そこで観客は馬のコンディションをチェックするのだが、スカーレットは数いる馬の中から1頭に目を奪われた。
歩みに合わせて揺れる漆黒の毛並み、美しい体形、圧倒的なオーラ。冊子を捲る手も止まり、暫しの間友人の声も耳に入らなかった。
「……あの馬ってどんな子なの?」
スカーレットが指差す先を見た友人はニッコリと「彼に注目するとは、お目が高い!」と破顔した。
友人曰く、彼の名前はアレクサンダー。3歳の若い馬で、デビューを果たして以来メキメキと上位のクラスに駆け上がったホープだそうだ。
(どうりで他の馬と雰囲気が違うと思った……)
説明を聞いたスカーレットは直ぐに納得した。素人から見ても存在感が段違いなのだ。周りの会話に注意を向ければ、アレクサンダーのファンらしき人の声がチラホラと聞こえる。
競馬はギャンブルだが、勝ちを狙う他にも好きな馬に賭けて応援する楽しみ方もある。そう教わった彼女は迷わず彼に賭けた。
勝敗は蓋を開けてみれば彼の圧勝だった。艶のある黒い毛並みは馬群の中でもよく目立つ。序盤から中盤は群れの中央にいたから、大丈夫なのかとハラハラしてしまったが、そんな心配はまったくの杞憂だった。
「ほら、ここから目を離しちゃダメよ」
友人に促されて瞬きしないように見詰める。アレクサンダーは最終コーナーを曲がるところから徐々にペースを上げていき、ゴール前の直線でなみいる馬を蹴散らして一気に先頭へと躍り出た。
そのまま2位以下の馬を引き離し、圧倒的な着差でゴール。圧巻の走りだった。
勝敗が決まり沸き立つ中、スカーレットはこれが競馬なのだと興奮が冷めやらぬ頭で考える。なんという熱気なんだろう、手に汗握る展開なんだろう。
スカーレットはアレクサンダーの外見だけでなく、その強さにすっかり心を奪われてしまった。別の言い方をすれば脳を焼かれたとも言う。
また今回のレースには出ていないが、彼にはライバルが複数いて、ライバル達との激闘はそれはそれはドラマチックなのだそうだ。そんなの絶対見てみたいに決まっている。
優勝馬への表彰式の最中は、抽選で選ばれた人間はなんと馬を間近で見れるそうだ。残念ながら2人とも外れてしまったので、彼女等は観客席から様子を見るだけだった。それでも席が近いお陰でアレクサンダーの姿を堪能出来る。
凛々しくて気品のある顔立ちに知的な瞳。自分が馬だったら間違いなく恋に落ちていただろう。周囲を沢山の人間で囲まれているのに堂々としていて、そこも素敵なポイントだった。
人気の馬なので払い戻しの金額こそ少ないが、それでも大満足だった。なんせ惚れた馬が圧倒的な勝利を収めたんだから。
あとはお金を受け取って家に帰るだけだ。しかし何か企んでいそうな顔をした友人に肩をポンと叩かれた。
「お楽しみはまだこれからよ?」
プロローグが投稿できていなかったので追加しました。
まだ読んでいない方は、そちらを読むと話の流れが分かります。




