当て馬夫人は動きだす
スカーレットは早速行動に出た。
茶会やパーティに今まで以上に顔を出しては新しい人と知り合っていき、時には知り合った人からまた誰かを紹介してもらうを繰り返す。
もちろん異性相手には適度な距離感を保っている。そこはエリックと一緒にされては困る。
この国は独身女性には案外優しいが、楽観出来るほどは甘くない。経済的に苦しい家の女性は働かないと生きていけないのだ。
スカーレットの場合は両親との仲は良いし、泣きつけば何とかしてくれる確信はある。むしろ何も言わなくとも、あの両親であれば離婚直後から家に連れ戻して上げ膳据え膳の生活をさせそうだ。
でもスカーレットは親の愛に甘んじて脛を齧りたくはなかった。
それに大体自分がずっと家にいると、いつか嫁いで来るお嫁さんが気を遣うじゃないか。小姑が同居している家に嫁ぐなんて自分は嫌だ。
また自分がコネを作れば家族の力にもなるかもしれない。貴族にしろ平民にしろ、何をするにもコネがあるかどうかでスタートラインは大きく変わってくるのだ。
なにはともあれ離婚までの行動が今後の自分の人生を大きく左右する。コネを築いて結婚に頼らずとも家に貢献する良い娘だと評価されるか。あるいは再婚出来なかった憐れな娘だと同情と嘲笑の的となるか。全ては今にかかっている。
エリックに期待していた頃は彼の為に頑張ってきた。でもこれからは自分の為に頑張るのだ。
意外にもセリシアの言う通りに自分に同情してくれている人は随分と多く、大変助かっていた。
将来1人になる事をほのめかせれば、誰もが同情的な顔になって自分の出来る事なら協力すると言ってくれるのだ。
中には良い人を探すと言う人もいたけど、厚意を無下にする訳にもいかずに愛想笑いで返すに留める。
彼には期待しないとはいったけれど、恋心を忘れるのは無理な話で。まだ気持ちに整理がつかない今の時点では再婚にも前向きになれなかった。
その日も人脈作りにパーティに顔を出していると、スカーレットに聞こえるくらいの声量で誰かの会話が耳に入った。
「ほら、また来たわよ。当て馬夫人が」
「お可哀想に、今日も1人でいらっしゃるのね。私ならあんなに堂々と出来ないわ」
横目で聞こえて来た方を見れば、案の定いつもの夫人達が耳打ちを装って嫌味をぶつけていた。
わざとこちらに気取られるように視線を向けるのは、相手に隠す気も無い証拠である。
(まったく飽きないわね)
「当て馬夫人」とはスカーレットの不名誉な仇名である。エリックとフローラが堂々と結ばれるための踏み台であり、いずれは離縁される運命にある夫人だから「当て馬夫人」。
大半の人間は夫に冷遇されているスカーレットに対して同情的だが、一部の人間はこうして彼女に悪意を向ける事がある。
特に現在進行形で本人に聞こえるように悪口を言っているトリュー夫人とレック夫人は、隙あらば嫌味を投げるのに余念がない。完全にスカーレットへの攻撃を娯楽にしているのだ。
最初に聞いてしまった時は涙が出るほど悔しくて悲しかったし、聞くたびに心が削られた。気にしないように言い聞かせても、どうしても無視できずに言われた言葉が頭をグルグルと巡っていた。
だが期待しなくなった今となっては「上手い事を思いついたものだな」と、感心出来る余裕さえ生まれていた。
(冷静に聞いているとやっぱり語彙力に乏しいのね。何で私ったらこんな人達の言葉にいちいち傷付いていたんだろう?)
余裕が生まれてくれば、客観的に相手の悪口も脳内で分析出来るようになってくる。
彼女達の悪口は大抵「当て馬」「旦那に冷遇されて可哀想」「どうせ離婚されるのに無様に縋っている」の3種類に分類されている。
要は彼女達にとってそれ以外に貶しようがないのだ。
容姿は2人には確実に負けていないし、領地経営の手腕だってスカーレットの方が評判が高い。実家の家柄もほぼ同等。あの2人にとって付け入る隙は夫からの待遇しかないのだ。
それに気付いてさえしまえば、もうあの2人の事は脅威でも何でもなかった。以前はあんなに彼女達と顔合わせるのが怖かったのに、今ではただの小心な人間がコソコソと度胸のない振る舞いをしているだけだ。
「少しはしおらしくしていれば良いのに、面の皮が厚いわねぇ」
「本当にねぇ」
単に相手にしていないだけだが、以前のようにショックを受けていると思い込んでいるのか、更に嫌味の声が大きくなる。
しかしスカーレットを貶すのに夢中だった2人は、背後から近付く気配に気付かなかった。
「あら、随分と面白そうな話をしてるじゃない?」
唐突にすぐ後ろから聞こえてきた威圧感のある声に彼女達はギョッと肩を震わせる。反射的に振り返れば、スカーレットと面差しが似ている夫人が満面の笑みを浮かべていた。
「でもよく聞こえなかったから、もう一度話してくださる?私も会話に加わりたいわぁ」
夫人はニコニコと笑みを絶やさない。だがその意味は決して親愛などではなく、威嚇だと先程まで好き勝手に嫌味を言っていた2人は、表情の意味を正しく読み取った。
「い、いえ!お耳に入れるような内容ではありませんので!」
「私達これで失礼いたします!」
そそくさと立ち去る彼女達を見送りながら、夫人は「ふん」と口を引き結ぶ。
「誰かに聞かれるのが怖いのなら最初から言わなければいいのよ。これだから小者は」
「お母様」
苦々しい顔をしていた夫人はスカーレットから話しかけられた途端、その表情を一変させて温かな微笑みを向ける。
「久しぶりね、スカーレット。今日はお母様がいるからには、あんなのは近づけさせないわ」
母親はそう言いながらスカーレットを優しく包み込むように抱きしめる。今日のパーティーは偶然にも、母親のローズも参加しているようだった。
「元気かしら?以前よりは良い顔するようになったけれど、何か変化でもあったの?」
娘の顔を覗き込むローズは目敏く娘の変化をつぶさに感じ取る。前までは無理して元気に見せかけているような痛々しさがあったが、今は良い意味で肩の力が抜けたというか、そんな雰囲気なのだ。
尋ねられたスカーレットは一瞬キョトンとし、敵わないなと苦笑する。
「やっぱりお母様には何でもお見通しなのね」
スカーレットは心情が変わったきっかけを正直に母親に話した。エリックに期待しなくなった事。そうしたら楽になった事。現在は離婚後の身の振り方の為に人脈作りに勤しんでいる事。
「あら?なら直ぐに離婚しちゃいなさい。みんな貴女が帰って来てくれるのなら大歓迎よ」
それを聞いた途端に母親は娘を頷かせようとする。なんなら今すぐ家に連れ帰るような勢いだ。
元々エリックとの縁談はスカーレット以外の誰もが反対していた。嫁ぎ先であるキーン家と繋がるメリットはあるが期間限定、しかも相手には既に心に決めた人がいる。
白い結婚を承知の上で娘を嫁がせるなんて、夫妻には到底出来ない事だった。
本当は断るつもりだったのだが、スカーレットが頑として聞き入れようとしなかった。
期間限定でも良いから彼の妻になりたいという強い希望に、結局押し切られる形で嫁がせてしまったのだが、こうなるくらいならあの時に例え「大嫌い」だと泣かれても断るべきだったのだ。
離婚について俄然やる気満々だったローズだが、またしても他ならぬ本人に首を横に振られてしまった。
「どうせなら3年目を待ってからにしたいの。白い結婚による離婚なら、男女共に次の縁談に不利な影響はないでしょ?」
この時ばかりはぐうの音も出なかった。辛い思いをさせてばかりいる嫁ぎ先から直ぐに家に連れ戻してやりたい。でも次の縁談に変な影響が起きるのは避けたい。
感情と理論を天秤にかけて悩んだが、結局母親は娘の将来を優先した。娘はまだ若い。経歴に傷が付かないよう配慮してやれば、今後キーン家に負けず劣らずの良い縁談が舞い込む筈だ。
それでもローズは母親として、これだけは覚えていてほしいと言葉をかける。
「直ぐに離婚したくなったら、いつでも私達を頼って良いのよ?」
「大丈夫よ。夫以外の人は本当に良くしてくれるもの。どうって事ないわ」
スカーレットは笑うが、それでも今後何が起きるかは分からない。まさかの事態もあると危惧しての言葉だったのだが、本人に届いた様子はなさそうだった。




