02 平穏
「お帰りなさい。お疲れ様」
クレシュが屋敷に帰ると、ヴェルディーンが柔らかな笑顔で出迎えた。
同じ性別の双子の時は外見が瓜二つの場合があるが、異なる性別の双子は普通の兄弟程度にしか似ないものだ。
ヴェルディーンとその双子の妹もそっくりという訳ではない。しかし、繊細な作りの整った顔立ちであることと、癖のない艶やかな黒髪や深い藍色の目は似通っていた。幼少の頃はもっと似ていたのかもしれない。
美姫として有名な妹と同様、相当な美男子である。身長は低い訳ではないが、男性平均身長を優に超え女性としてはかなり長身であるクレシュと並ぶとあまり変わらない。そしてすらりとした体格をしている。
クレシュの髪は短く、彼の髪は胸ほどの長さであることも相まって、二人並んでいるところを遠目に見たら、ヴェルディーンの方が女性、クレシュが男性に見えるかもしれない、とクレシュは淡々と思う。
もとより、クレシュは体格の良さを生かして用心棒を始め、更には騎士団へ入団したのだ。
女では男に敵わない、というのは迷信だ。
鍛えてない女と鍛えてない男で取っ組み合えば、男が勝つことが多いだろう。
しかし鍛えた女とそれ以上には鍛えてない男では、女が勝てるのだ。身に付いた筋肉や技術力の問題だからだ。
クレシュは体格に恵まれただけでなく、剣術や鍛練も怠らぬ真面目な性格も相まって強くなった。男性団員で構成される赤、青の騎士団でもクレシュより強い者は限られる。
ちなみにこのため、女性としては広い肩幅と固く引き締まった胸元を持つこととなった。これも男に見える要因である。
「クレシュ、傷が痛むのかい?」
夕食がデザートに差し掛かった頃、ヴェルディーンが気遣わしげに言った。
彼は感受性が高く、人の様子に聡い。僅かな顔の動きの違いに気付いたのだろう。
痛みを顔に出さない、どころか表情もあまり変わらないクレシュの顔をどう読み取るのか。
「……然程でもない」
痛くないと嘘もつけず、曖昧に答える。
「食後にちょっと付き合ってくれるかな? 痛みが和らぐかもしれない方法を医師に教えて貰ったんだ」
夕食を終え、リビングのソファに仰向けに寝転ぶよう言われ、クレシュは困惑しながらもそれに従う。
大柄なクレシュの足がソファからはみ出すが、騎士団制服のトラウザーズを履いたままなので、行儀は悪いが支障はない。まぁ、クレシュは部屋着もトラウザーズの形で、ドレスは着ないが。
ヴェルディーンは彼女の頭の隣に寄せたスツールに座り、使用人に持ってこさせた湯に布を浸して絞ると、クレシュの顔の左半分にそっと載せた。
左顔面の血行がよくなり、傷の疼きが一度強くなったが、すぐに引いて心地よくなってきた。
湯には薬効あるハーブが入っているのか、すっとする香りがする。
「熱すぎない? 大丈夫?」
「あぁ。良さそうだ」
布の下の左目だけ閉じているのも疲れるし、右目のすぐ近くにある元王族の顔を凝視するのも失礼な気がして、クレシュは目を閉じる。
顔を覗き込まれている気配が落ち着かない。クレシュは用心棒時代からの経験で視線や気配に敏感だ。
顔に置かれた布の温度と香りだけを意識するようにしているうち、少しずつリラックスしてきた。布が冷えてくると、ヴェルディーンが湯で濯ぎ温め直し、また傷の上に載せてくれる。
戦闘でも訓練でも生傷は絶えないので、クレシュは顔を含め全身にいくつも傷がある。
しかし一番目立つのは左眉上から頬にかけての長い傷だ。半年前、魔物との戦闘の時爪で引き裂かれたものだ。
魔物が高速で繰り出した爪は目を狙ったものだった。避けきれぬとの一瞬の判断と反射で、顎を引き目の上の骨で爪を受け眼球を死守した。
眉上を抉った爪は眼球までは掘り込まなかったものの、そのまま頬まで引き裂いた。
左目の視界は鮮血に染まったが、それと引き替えに魔物の懐に入る程に肉薄し、急所を斬ることができた。正に、肉を切らせて骨を断ったのだ。
僅か数戟で魔物を倒した、と英雄譚のように語られることがある。
実際数戟で決着を着けたのは確かだが、その内実は、濃い瘴気に倒れる前に短期決戦するしかなかったのだ。余裕があれば傷を受けないように避けながら戦う戦法がとれた。
この傷なしには魔物を倒すことはできなかったろう。この傷を受けたことは全く後悔していないし、むしろ誇らしく思っている。
しかし気温や湿度の関係なのか、今でも時々傷が疼く。
以前傷が疼いた時にもヴェルディーンに気付かれ、その旨を説明した。彼はそれを覚えていて医師に相談したらしい。
クレシュは傷や挫いた足を十分手当てできないまま何日も行軍したこともある位で、傷も塞がり活動に支障がないこの程度の痛みに手当てをするという発想がない。
なのでこの状況は大変違和感があった。もし同僚から同じ処置を受けたら、他に優先すべきことを挙げてさっさときりあげてしまいそうだ。
しかし、王宮で大事に育てられたヴェルディーンの価値観ではそうではないのだろう。
どちらが正解という訳でもなく、今は敵襲もなく時間はある。ここは彼の価値観に合わせてもいいだろう。何より、彼はクレシュのためにと思ってくれているのだから。
クレシュは目を瞑ったまま声をかける。
「心地よい。ありがとう」
「どういたしまして」
柔らかな空気の振動から、彼が微笑んでいることが伝わる。
クレシュは武骨だが、自分と異なる者への想像力と思いやりも持ち合わせていた。根が真面目なのだ。
団長なら「気を遣いすぎても胃に穴が開くぞ!」と笑い飛ばして自分のペースで行動しそうだ。それでも憎めない人柄であるバランス感覚は、彼女が長年かけて培ったものだろう。見習いたい。
「クレシュの髪は綺麗だね」
ソファに横たわるクレシュの頭の近くで、最近聞き慣れてきた柔らかな声がする。
綺麗…?と内心頭を捻る。
「いや、手入れもしていないし日に焼けてパサパサだ。ヴェルディーンの髪の方がずっと綺麗だろう」
何を言っているのか、と思いながら目を瞑ったまま返すと、少し驚いたような気配と間があった。
「……ありがとう」
はにかんだような声音がした。何故だ。ヴェルディーンならこれ以上の賛辞を沢山受けて生きてきたろうに。
なんだか座りが悪い気持ちになる。
「この長さなのはクレシュの好み?騎士団の決まり事なのかな?」
この国では、女性は髪を伸ばす。女性自身が好みで選択しているという以前に、社会の同調圧力がそうなっている。
けれどクレシュの髪は肩程の長さだ。
「……伸ばすべき、か?」
上流階級の社会にいたヴェルディーンの価値観としては許せないのだろうか。
クレシュは平民育ちで戦闘職の強面女性で、と王族の伴侶としては眉をひそめられること満載だ。
爵位を頂いてから、マナーやら何やら付け焼き刃をしてはいるが、彼から見て色々許せないことは多かろう。
しかしヴェルディーンは首を振った。クレシュは目を瞑ったままなので空気の動きで察しただけだが。
「いや。単純に、疑問だっただけ。クレシュのことが知りたいなって」
何だか妙にむず痒い。
「……別に、何てことない理由なんだが」
大変散文的な理由しかない。
「戦闘や訓練の時、髪が長いと邪魔なんだ。視界を遮ると命取りの時もある。それに野営では、限られた量の水で洗わねばならないし乾かすのにも時間がかかるし、色々不便だ」
「あぁ、それは切実だね」
「でも短髪をそこそこ見られる髪型で維持するのは意外と面倒なんだ。戦場に散髪屋がいる訳でなし」
「あぁ、分かる。貴族の男性だと月一度は理髪師を呼んでいる。短髪も結構手がかかるよね」
「で、一番手がかからないのがこの髪型だ。伸びてきたなと思ったらこう、項の後ろで片手で束ねて、片手にナイフを持ってざっくり」
仰向けのまま、左手を項近くに持っていき、右手はナイフを持つ形にして髪を切る仕種をする。
「え?! 自分で切ってるの?!」
「戦場では互いに散髪しあっている同僚もいる。だが私は不器用だから、相手の髪型が酷いことになってしまいそうで頼むのは怖くてな。自分の髪なら自己責任だから気楽なんだ」
それに、クレシュの髪は緩く波打つ銀髪だ。多少不揃いでもうねりに紛れるし、濃い髪色程目立たない。少なくともクレシュはそう思っている。
「拘り所が色々想像を超えていく…」
「いっそ丸刈りにしたら楽じゃないかとも検討したんだが」
「したの?! 丸刈り?!」
「いや。あれは鍛練で地面に転がった程度で頭に傷を作ってしまって良くないと聞いて止めた。髪は動物の毛皮や服と同じである程度防具になるから、頭全体を覆う程度には伸ばした方がいいらしい」
「凄い。何というか色々価値観が一貫してる……」
空気の振動が来るので顔の布を取り半身を起こすと、ヴェルディーンが深く俯いて震えていた。片手を口に当て声を押さえているが、思い切り笑っている。
馬鹿にして笑われたら不快になるところだが、ヴェルディーンは素直に心から楽しそうに笑っているようなので、まぁいいか、と困ったように目尻を下げたまま思う。
自分は気の利いたことも言えないつまらない人間なので、何がそんなに可笑しいかよく分からない。そう言ったら、ヴェルディーンは更に笑った。
「つまらなくなんてないよ。とてもユニークで魅力的な人だと思う」
そう言って目を細めた。
「クレシュという人を少し知ることができたようで嬉しい」
微笑みながらも少し真面目な顔になって言った。
「私達は互いを殆ど知らないまま結婚しただろう? 共に生きていくのだから、貴女のことが知りたかったんだ。そしてできれば、私のことも知ってほしい」
ヴェルディーンはクレシュに歩み寄ろうと真摯に努力してくれている。
いや、上流階級出身である以上、腹を見せず外面を取り繕うのが上手いだけなのかもしれないが、少なくともクレシュから見て彼の振る舞いは一貫して誠実だ。
--何故、次期国王候補の座を下りて平民年上強面の女に婿入りして、こんな風でいられるのだろう。
--形だけの妻相手に。