03 婿取り
結婚前の話です。
--魔物討伐は任務により騎士の本分を果たしただけである。
論功行賞は騎士団という組織の健全運営に必要なものであるから、適正評価の報奨金や昇進等は慎んでお受けする。しかし王族を伴侶に賜ることはそれを超えており、また大変恐れ多いことであるから辞退させて頂きたい--
半年前、己の婚姻決定を一方的に通告されたクレシュが何度も申し立てた内容は、決しておかしなものではなかったと思う。
叙爵も面倒だからない方がよかったが、爵位はあればあったで権力からの不当な圧力の盾に使えるので、まぁ呑み込める範囲だ。8:2位の気分でない方がよかったが、そこは要求の優先順位を下げて、とにかく婚姻の辞退だけは押し通そうとした。
しかし却下された。あっさり。
既に国の方針は決定事項であり、国王と国家権力の面子のため、布告は遂行された。
--与えられる美姫は美王子になったが。
後日王宮でクレシュと面会したヴェルディーンは「ごめん」と言った。
布告を出した父と重臣のせいなんだけど、自分も「国」の側の一人だから、だからごめん、と。
婚姻の意思がないことは彼本人にも伝えたが、彼も国王の決定の被害者であることは重々承知していたので、再三の申し立ては彼宛でなく然るべき部署に行った。
彼自身望まぬ縁談なのに、相手からこの婿いらんと言われるのは苦いことだろうと配慮したのだが、やはり彼にも知られぬ訳にはいかなかったらしい。
「申し訳ありません殿下。決して殿下に不満があってのことではございません」
「うん、分かってる。あの布告自体が、人を蔑ろにする酷いものだったせいだ。だから、君や僕のような立場になる者がこの国で二度と出ないように約束させた。でも最後の茶番に、私だけでなく貴女も巻き込むことになってしまった。だからごめん」
先般国が公表した「今後、婚姻等の形式を問わず人を報奨に与える扱いを禁じる」という方針は、ヴェルディーンの尽力で認めさせたものらしい。
「それとも、クレシュは付き合っている人や心に思う相手がいるのかな?」
いる、と言えば彼は破談のために動いてくれそうな気がしたが、嘘は躊躇われた。道徳的な意味で嘘は良くないというだけでなく、危険な気がする。
「調査では、いないと報告を受けているけど」
調べられていたか。やはり下手な嘘をつかなくてよかった。
「いえ。騎士の本分に人生を捧げるつもりですから」
クレシュはこの先も独り身のつもりだった。それがクレシュに合っていたからだ。
しかしそれは理解して貰えないことが多いので、一応定型文で答えておく。
実際はクレシュは国に忠誠心篤い方でもない。騎士団に入ったのは生計のためだ。普通、特に平民はそうだろう。
でも職業意識はあるし真面目なので、仕事への責任感はある。魔物の巣穴に飛び込む程に。
「……つまり、ずっと独身でいるつもりだったと?」
「はい」
「なら、実質独身でいてもらえば、貴女の苦痛を減らせるかな」
「は?」
結婚は回避できそうにない。だが形だけとして寝室も別で子を持つ必要もない。
勿論クレシュは今まで通り騎士を全うする人生設計を崩さなくていい。
ヴェルディーンはそう言った。
男性にとって結婚は「無料専属性処理用品の所有」の意味が大きい。長年男社会で聞きたくもない裏の声を大量に聞いてきたクレシュはそれをよく知っている。あとは、家政婦兼保育士兼介護士とか。
それを放棄すると男性側から申し出るとは奇特な、とクレシュは驚く。
クレシュとしては万々歳だ。意に染まぬ相手と閨を共にするのは女性にとって拷問にすぎないし、妊娠は騎士業に差し支える。
勿論、ヴェルディーンに女性として見られてないと気に病むことも全くなかった。男社会の中で、とにかく穴があればいいという目で女性を見る男達に心底うんざりしていたので、むしろそうした目で見られない方が快適だ。
「王子としての職は辞して無職になるから、家政は勿論僕がやるよ。伯爵当主は貴女だ」
「いえ、殿下にそんなことをさせる訳には」
一般に臣籍降下する男子には別途爵位が与えられるものだが、彼は断固叙爵を拒んだため無爵である。
女子であるネルフィア殿下が勇者に嫁ぎ臣籍降下した場合は本人に爵位が与えられなかったであろうことから、男子だからと優遇を受ける訳にはいかない、と筋を通した。
そして、貴族の家政は一般に、当主の妻など女主人が行う。屋敷内を整えること全般、使用人の人事、貴族同士の社交などだ。組織の総務の仕事に近いだろうか。
嫁入り修行した貴族女性ならある程度学んでいても、王子である彼や平民のクレシュは専門外だ。これから一から学ばねばならず、それは年単位かかる程度に専門性があり大変なことだ。
補佐をする優秀な使用人がいても、当面は親戚の女主人等に教えを乞わなければならないだろう。それを彼は引き受けると言う。
あまりにクレシュに都合が良すぎないか。クレシュも多少の変化はあれど大筋で大きなものを失わず、ヴェルディーンはこれまでの人生で築いてきた大半を捨てて今後クレシュを支えることに自分の多くを割くことになる。
自分が殿下を搾取しているようになってしまう、と懸念を伝えた。クレシュは自分に得だからと黙っていることはできなかった。
ヴェルディーンは組んだ足の上に手を載せて満足げに笑みを浮かべた。
勿論、彼はそれを了解した上で申し出たのだ。
「もし、妹が臣籍降下していたら妹が引き受けていたことを、私に置き換えただけだ。私は男だからと甘えて女性に皺寄せを押し付けて逃げ出す程卑怯じゃないよ。
逆に言えば、世の中の男が女性を搾取していることに無自覚すぎる、ということが浮き彫りになるね。
私の提示した条件は、問題を可視化して世の中に示すモデルケースでもある。
これはこの国がずっと抱えていた根深い問題で、私が王子でいる間には前進させられなかった。でもこうした形で世の中に一石を投じることができれば、王族に生まれた者として国にできる最後の貢献になるんだ。
実は、私がこの結婚を受け入れた大きな理由の一つはそこにある」
次期王候補として生きてきた者らしい、毅然とした眼差しで言った。
そして目に哀しげな色を浮かべ微笑んだ。
「搾取になってしまう、と私を心配してくれてありがとう。世の男達が皆貴女のようであったらいいのに」
きっとそんな世の中であったら--あのような情けない布告も生まれず、妹殿下や女性達は人生を搾取されず、彼も王族としての人生を捨てることにならなかったのだろう。
◇◆◇◆◇◆
布告の遂行という国の面子のための結婚は、クレシュが死の床から甦って僅か数ヵ月後に迅速に行われた。
婚姻は教会の手続きと王の承認で内々に済むからだ。一国の王子様の結婚を祝う式典は膨大な準備が必要なので、これは一年以上先に別に行う。
クレシュは爵位を授かり、騎士団寮を出て屋敷に住むことになった。
騎士団勤めでは領地運営と両立はできないと領地受領は固辞して王都暮らしなので、伯爵の住まいとしてはこぢんまりしたものだ。それでもクレシュにとっては広大だったが。
屋敷も管理のための使用人も予め用意されていた。王都内であまり使われていない屋敷を持つ貴族に声をかけ、買い取られたものだった。
貴族屋敷は、得体の知れない相手に売るより信頼できる伝で譲渡する方が喜ばれるものらしい。使用人も半分は元々この屋敷で働いていた者だという。
使用人達は平民出身の自分に仕えることが苦痛でないかと懸念したが、執事は「救国の勇者」の屋敷で働けるということで好意的で、同様の者を集めたのでお心煩わせることはありませんと胸を張った。
クレシュは昇進したので給金が上がり、騎士としての収入で屋敷の運営と暮らしは何とかやりくりできる。元王子を迎えるので厳しい警護が必要だが、それは王家で予算と人員が組まれている。
二人とも堅実な性格だったので、クレシュの報償金とヴェルディーンの持参金は温存する。どちらも結構な額なので、いずれは投資などもしていく予定だ。
結婚の手続きを終え、屋敷のリビングのソファにクレシュがぐったり沈み込んでいると、ワイングラスが差し出された。
疲れた彼女を気遣ってか、夕食前に軽く寛ぐのによさそうな若い爽やかな白ワインだ。
見上げるとその手の主はヴェルディーンで、もう一つワイングラスを持っている。
「クレシュ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「これからは敬語を止めてくれないか。呼び方も敬称なしのヴェルディーンか愛称のヴェルで」
クレシュは目を剥く。
「……殿下に対して恐れ多うございます」
「結婚で臣籍降下して王族でなくなったよ。今回の叙爵で貴女は伯爵になったけれど、私は『伯爵の伴侶』で無爵だ。更に貴女の方が3つ年上。貴女の方が色々な意味で目上だ。--私の方こそ失礼な物言いでしたね、平にご容赦くださいクレシュ様」
急に声音を変えて芝居がかった最後の一文に、クレシュはヒィッと声を上げそうになった。つまり、クレシュが敬語で話せばそれより『立場が下』の話し方をする、という脅しだった。
穏やかで上品な人かと思えば、意外とやってくれる。いや、結婚の経緯などで一筋縄でいかない人だとは思ったが。
クレシュは強面を更に厳めしく固まらせながら答えた。
「…善処しま…する」
乾杯、と掲げられたグラスの中で、澄んだ液体が揺れて光を含み、春の陽のように柔らかく煌めいた。
そんな風に、二人の結婚生活は始まった。




