27th
ヴェルナーは、酷く疲労した気持ちを何とか見せないようにしながら、城にある自室へと足早に向かっていた。心の中は、形容できないほどにぐちゃぐちゃだ。
イルミナへ伝えた想い、そしてティアナから伝えられた想い。
全てがヴェルナーをぐちゃぐちゃにしていた。
「くそっ・・・」
そして、ティアナが護衛の兵士たちに人気があるというのも、ヴェルナーの心をかき乱した。酒が入っているのもあるのだろう。いつになく乱れた思考に、ヴェルナーは小さく口汚く罵った。
ようやくついた自室のソファーに、どかりと身を投げ出すように座り込む。
「・・・」
どうして、こんなにもかき乱されているのだろうか。そして乱しているのは、女王なのか。それとも、ティアナなのか。それすら、今のヴェルナーには判断がつかなかった。
イルミナに想いを告げたことを、後悔はしていない。欠片も。
ずっと心の奥底にあった何かが、少しだけ軽くなった気持ちは、少なからずある。伝えずにいようとした想い。それは、少しだけ重荷になっていたのだろう。
「・・・陛、下」
もう二度と、その人の名を口にすることはない。少しだけそれを寂しくも思うが、今までもそうだったし、これからも呼ぶつもりはない。彼女は、このヴェルムンドの女王陛下なのだから。
「・・・ティアナ、嬢」
彼女のことを思い起こせば、胸が酷く痛むような気がする。
彼女を、傷つけた。酷い言い方で。
確かに、踏み入られたくない部分に踏み込まれた。だからと言って、あの言い方はないだろうと自分でも思う。宰相としても、男としても。
ティアナは、とてもいい令嬢だ。
仕事はしっかりとし、自分に対しても誰に対しても色目を使わない。最初はレネット男爵の子供自慢が切欠になったにすぎないが、それ以上に初めて会った彼女に対して好印象を持ったのは確かだった。
レネット男爵に無理言って手伝ってもらった彼女を守るのは、当然のことだとも思った。城に悪い奴がいないとは、言い切れない。だからこそ、彼女を引き入れた自分が守るのが当然だと感じていた。
「―――レネット、嬢」
もう、今までのように名で呼ぶことは、出来ないのかもしれない。あのように傷つけられれば、いくら彼女でも愛想を尽かしてもおかしくない。
だが、ヴェルナーの胸は何故か痛みを訴えた。
「・・・くそっ」
どうして、痛みを感じるのだろうか。
どうして、彼女の名を呼び続けたいと思うのだろうか。
・・・どうして、彼女が兵士たちに人気があると聞いて、酷く苛立ちを覚えたのだろうか。
―――この場にアーサーベルト、あるいはイルミナがいればこう返しただろう。
”それは、恋をしているからではないのか”と。
しかしヴェルナーは、宰相候補時代から今に至るまで、ろくに女性と付き合っていなかった。
「なんなんだっ・・・!!」
ヴェルナーは自身の腕で目元を覆う。
何故か、泣きたくなる。
イルミナの隣に、グラン・ロンチェスターが立ったとき。胸は確かに痛んだ。そしてそれと同時に、彼女が安心して背を預けられる人物が出来たことに喜びも、覚えた。それほどまでに、彼女は家族というものを、愛情というものを欲していたことを知っていたから。
では、ティアナは?
「っ・・・!!」
正直に、今彼女に一番近い人物は自分だと思っている。彼女が自分に想いを寄せてくれているということもそうだし、仕事の面でもそうだ。
だが、もし彼女が自分に愛想を尽かして、他の男と深い仲になればそうでなくなる。
自分以外の男が、彼女の全てを知る。
彼女の涙を拭うことも、彼女がてらいのない愛情を向けるのも、自分ではなくなる。そう考えて、ヴェルナーは自分のあまりの自分勝手さに吐き気を覚えた。あのように言っておきながら、他の男を見ることをしてほしくないと思っていることに。
そしてようやく。
「なんて、ことだ・・・」
ヴェルナーは、言葉を失った。
ここまで来て。
こうまでして。
そうしなければ、ヴェルナーは自分の想いに気づかなかったことに。
イルミナへの想いは、嘘ではない。
それだけは絶対に言い切れる。
だが、今もそうかと問われれば、わからない。
彼女は既に愛しい人を得、そして可愛い子供たちを生んでいる。そしてその子供たちに、憎しみを抱いたことなど一度もなかった。むしろ、イルミナがそういった存在を得られたことに、喜びすら感じた。
だが、ティアナだった場合は、どう感じるのだろうか。
きっと、自分は相手の男に対して、悋気を覚えるだろう。
酷く身勝手な感情に、ヴェルナーはこんな気持ちが自分にもあったのかと寒気すら覚えた。そして、この感情を一人では抱えきれないと感じ、なんの理性もないまま部屋を出た。
なんのあてもなく歩いていると、思い入れ深い四阿についていた。彼女と、アーサーベルトと長い時間を過ごしたその場所に。
ぐるぐるとする思考のまま進むと、先客がいることに気づいた。
「・・・ロンチェスター、様・・・?」
「ん・・・? ヴェルナーか。どうしたんだ?」
そこには、自分の愛した人の心を奪った男がいた。
*******
ヴェルムンド女王の夫であるグラン・ロンチェスターは、ヴェルナー・クライスの表情を見て少しだけ驚いた。早いうちから才能を見せ、そして宰相として辣腕を振るう男。元・騎士団団長であるアーサーベルトと肩を並べる双璧の一人。
「どうしたんだ・・・? 何かあったのか?」
そして、自分の愛する妻に想いを今なお寄せるその男は、酷くみっともない顔をして立ち尽くしていた。
「あの・・・何故、ここに・・・」
「あぁ、子供たちを寝かしつけていたら目が冴えてしまってね。少し散歩をしてから休もうとしていたんだ。クライスこそ、どうしたんだ?」
「・・・」
グランはいつになく頼りなげに揺れる瞳をしたヴェルナーに、椅子を勧めた。いくらかつての恋敵だろうと、今の状態のクライスを放っておくことがグランにはできなかった。
いつものクライスであれば、座ることなくごゆっくりと言ってくるのだが、彼はいつになく消沈した面持ちでのろのろとグランに勧められた椅子に深く腰掛けた。
「・・・ロンチェスター様」
「どうした? 悩み事か?」
「・・・その」
もだもだと口を中々開こうとしないクライスに、いよいよ何かがおかしいとグランは思った。
ヴェルナー・クライスという人間は、仕事において基本的に言葉を詰まらせることがない。そしてヴェルナーが若き頃のことからグランに対して苦手意識を持っていることも知っている。
その彼が。
「クライス・・・私が言うのもなんだが、君よりは私は年を取っていて経験もある。私に話せることであればなんでも聞いてほしい」
グランがそう言うと、ヴェルナーは切羽詰まった表情をして面を上げた。まるで戦地に行く戦士のようだ。
「その・・・好意を、寄せているかもしれない人に、酷いことを、言ってしまった場合・・・」
「!? イルミナに何かを言ったのか?」
「!! き、気づいて・・・!? い、いえ、違います!」
グランはヴェルナーの言葉に度肝を抜かれたような気持ちになった。そしてよくよく思い出すと、好意を寄せているかもしれない人、とヴェルナーが言ったことに気づく。
「・・・レネット嬢、か?」
「!」
息を呑んだヴェルナーに、グランは驚きを今度こそ隠せなかった。イルミナへの想いの長さを、グランは知っている。だが、報われない想いを抱えて生きていくことは、さぞ生きにくかろうと勝手に思っていたのだ。
「・・・ロンチェスター様、貴方にだから、全てをお話します」
「あぁ・・・聞こう」
「・・・私は、陛下に好意を寄せておりました・・・。既に気づかれていたようですが」
「ん・・・まぁ、そうだな」
「そして先ほど、陛下には想いを伝えさせて、頂きました」
「そうか・・・」
「ですが、分かり切っていたことですので、あまり、心は痛みませんでした」
ヴェルナーは罪を告白する罪人のように、沈痛な面持ちでぼそぼそとそれを告げた。それ自体に、グランは大して驚きを感じなかった。いつか、そうなるだろうと思っていたのだ。
「ですが、ティ・・・レネット嬢にそのことを指摘されて・・・酷い言葉を言ってしまったんです。私は、今、そのことを酷く後悔しています。どうして、あのように言ってしまったのだろうか、と。そして、彼女が傷つき、私と距離をとるようになってしまったら、と・・・」
低い声で口早に言うヴェルナーに、酷く拗らせた男だとグランは再認識した。
「クライス、お前は、彼女のことをどう思っているんだ? どうして欲しいんだ? どうなりたいんだ?」
「わ、たしは・・・」
グランを見るヴェルナーの表情は、迷子になった子供のようなそれで。
「一つだけだ」
「?」
「私に出来る助言。私は、イルミナの隣にいたいと、思った。彼女の私的な部分を、独占したいと思った。誰よりも、彼女の傍で、彼女と共に在りたいと思ったんだ」
「とも、に・・・」
揺れるヴェルナーの瞳に、グランは頷き返した。
「クライス、お前は、どう思う? どう感じる?」
「私は・・・」
グランはここまでだと思い、椅子を立つ。
「ロンチェスター様・・・?」
「クライス、私に言えるのはここまでだ。あとは自分の心の声をよく聞くんだ」
「自分の、心の声・・・」
グランはそれだけ言うと、その場を後にした。
明日も仕事はあるのだ。それにヴェルナーもいい大人の男だ。自分で答えを出さなければならないだろう。
「グラン? どこに行っていたの?」
「あぁ、イルミナ、まだ起きていたのか」
「えぇ。ついさっきまでアーサーと話をしていたの」
「・・・クライスに告白されたみたいだな?」
グランのじっとりとした声音に、イルミナは目を少しだけ大きく見開いてくすくすと笑った。
「告白、なのかしらね・・・? きっと、ヴェルナーが自分で区切りをつけたかったのかもしれないわ」
「まぁ、そうだろうな」
「あら、ヴェルナーと会っていたの?」
「少し、な」
グランは息を吐くとイルミナを軽く抱き寄せた。
「ふふ、甘えたさんなの?」
「いつも言っているだろう。君はとても魅力的なのだと。いくら心配していないとは言え、嫉妬くらいはする」
「あら、昔の私みたいね」
くすくすと楽しそうに笑うイルミナの頬に、グランは口づけを落とした。




