潜入
闇に蠢く二つの影があった。一人は男性、一人は女性だ。
敷地内に忍び込んだ彼らは、どうやらこの学校の生徒のようだ。
なぜなら制服を着ているからだ。顔には黒い目出し帽を被っている。静寂が二つの鼓動を早めていた。
「直――直!」
「静かに。莉緒ちゃん。あと、名前で呼ばないでよ。」
「自分だって呼んでるじゃん。それより、何このマスク?もう取っていい?」
莉緒は直の許しが出る前にマスクを脱いだ。
「ああ!駄目だよ、素性がばれちゃうだろ。」
「だったら何で制服で来たのよ。ここの生徒ってバレバレじゃん。」
直は何も言い返せない。静かにマスクを脱いだ。
二人が学校へ忍び込む計画を練ったのは、およそ数時間前。記者の石坂と別れてからである。
最初は到底無理だと直は考えていた。しかし、よくよく莉緒の話を聞いているうちに、いけるかもしれないという気持ちが芽生えた。
このミッションの難題は三つ。
まずどうやって聖域への扉の鍵を手に入れるかである。本来なら厳重に保管しているはずである。しかし、莉緒は知っていた。鍵は職員室の生徒指導の黒木先生の机の中だと。
直は半信半疑だった。そんな所にしまうだろうか?と。しかし聖域は長い間、安泰であった。人間の慣れ、みたいなものから油断が生じるものである。直はその可能性にかけてみることにした。
二つ目の問題は体育館から聖域のある地下へ行く際にある暗証番号を打ち込む電子ロックである。これは正解なパスワードを入れないと警報装置が発動する可能性がある。
しかしこれも、莉緒は難なく大丈夫、と言い切った。
以前に何度か黒木先生が解除するのを見ていた莉緒は、あることに気づいていた。
それは黒木先生がパスワードを押す際に、その番号を呟く癖があるということに。本人に自覚はないのだろう。莉緒もその時は気にかけなかったが、何故かその数字が頭に残っていたということだった。
何度か黒木先生がパスワードを入力するのを、間近で聞いていたが全て同じ数字であることも確認住みである。
最後の難題は、聖域に防犯カメラ等が設置しているのか、という問題だ。しかし、これは直が事前にチェックしていた。
ある月の聖域の際に、直は珍しく中へ入ったことがあった。その時に辺りを見て回ったがカメラらしき物の存在はなかった。後で先生(どの先生かは忘れた)に防犯カメラはついていないという事実を聞いていたのだ。その時、直は「カメラくらい付けた方がいいですよ」と、現状から考えると余計な一言を発していた。
だから、ついていないとは言い切れない。しかし、よく考えると聖域を別の場所で見られるシステムを取り入れることは、学校側からするとリスクでしかないのではないか、という結論に辿り着いた。
もしも第三者が警備室などに忍びこみ、その映像を持ち出されでもしたらと考えると、防犯カメラは、無いだろうということで二人の意見は揃った。
「じゃあ行くよ、直。」
「ラジャー。」
二人はまず職員室へ向かった。あっさりと侵入に成功。目的の黒木先生の机へ。莉緒が引き出しを開き、直が小型のLEDの懐中電灯で照らした。
「あった!」
じゃらじゃらと幾つもの鍵が一つのリングに束ねてある。
「じゃあ、次は体育館だ。」
体育館へも無事に入り込んだ莉緒と直は、壇上に上がり教壇を動かした。もちろん、そこには聖域へと通じる鉄の扉と暗証番号を入力するための機械があった。
直が、まず鍵を差し込み回すと暗証番号を入力する機械が作動した。すかさず莉緒が四桁の番号を入力する。
5586――ガシャ!とロックが解除された音が体育館に鳴り響き、二人はドキッとした。
だが、問題はない。
躊躇うことなく聖域へと降りていく。階段を降りて行くときに、何処からかガチャンという音がしたが二人は気にしない。
ここまでは驚くほど順調だ。
しかし、ここにきて問題が発生した。
休憩所と聖域の電気が煌々と灯っていたのだ。莉緒たちは一旦身を潜め、息を殺した。
聖域の方からブーンという音が鳴っている。どうやら掃除機の音のようだった。
「誰かいる。ねえ、直。誰かいるよ。」
「大丈夫。掃除しているみたいだから、暫く待てば帰るはずだよ。」
しかし掃除人は、なかなか帰らない。それどころか姿すら見えない。もしかしたら誰もいないのではないか。直は、そんな思考に支配され動き始めた。
「ち、ちょっと直。」
「大丈夫だよ。今の内に撮れるものは撮っておこうと思って。」
直はデジカメを持ち、まず動画を録画し始めた。少しずつ聖域の方へと直は進んでいく。そんな姿を見ていた莉緒の鼓動は倍くらい速くなった。
その時だった。直は録画に気をとられテーブルに気づかずに体をぶつけてしまった。
ガタン!
物音がした瞬間、掃除機の音が止んだ。
「やっぱり誰かいる!」
莉緒は祈るような気持ちを直に飛ばした。
「誰かいるのか!?」
聖域の方から野太い声がした。どうやら男性だ。しかし一人かどうかは分からない。
聖域の自動ドアが静かに開く。見たことのない二十代くらいの男がこちらへ向かってきた。男は辺りを警戒するように慎重に見回す。
直は寸前のところで上手く本棚の陰に隠れていた。
男はギロッとした目付きで隅々まで調べていく。このままでは見つかってしまう。
バタン!
男は驚く。音のした方は聖域の中だ。警戒心を強めながら聖域へのドアを再び抜けていった。その隙に直は莉緒の元へと忍び足で戻ってきた。
「さっきの音、なに?」
「たぶん掃除機のホースを何処かに立て掛けていたんだろう。それが倒れたんじゃないかな。」
掃除をしていた男は何か気味悪く感じたのか、早々に片付け始め、そして電気を消した。どこからか、ガチャンという扉の閉まる音が最後にした。
聖域や休憩所にはオレンジの間接照明だけが灯っていた。
二人は約一時間ほど、隠れたままであった。
「さっきの人って、もう帰ったの?」
「うーん……分からない。」
二人が今もこうしている訳は一つ。掃除をしていた男が莉緒たちの隠れている側を通っていないということである。
二人が隠れている横を通らない限り、体育館への道はない。しかし男は、そこを通っていない。しかし電気は消され人の気配も消えた。一体どうなっているのか全く分からなかった。
しばらくして直は莉緒にデジカメを手渡し、立ち上がった。
「莉緒ちゃんは隠れてて。」
そしておもむろに歩き出し、
「すみません!」と大声を出した。
莉緒はデジカメを強く握りしめて目を瞑った。しかし反応はない。
直はスタスタと聖域への自動ドアの前に立った――開かない。
それを今度は手で開き中へ入った。
その間、ほんの一分足らずだったが、莉緒にとってはとてつもなく長く感じた。
その直後、突然聖域と休憩所の電気が明るく点いた。そして、今度は自動ドアが自動で開き、中から直が平然と出てきた。
「莉緒ちゃん。もう大丈夫だよ。出てきなよ。」
直の言葉を疑うわけではなかったが、莉緒はしばらく動けなかった。すると直が近寄って手を差し伸べた。その手を握り立ち上がった莉緒は直に説明するよう求めた。
「この聖域には生徒が知らない、別の入口があるはずだよ。さっきの音は完全に鉄の扉が閉まる音だった。それに賭けてみたんだ。だってここは聖域でしょ。賭ける場所じゃん。」
直は賭けに勝ったのだ。
二人は撮れるだけの動画と写真を撮った。二人ともスマホの電源はオフにしてある。一つのデジカメで交互に撮り続けた。
「そろそろ出ようか。もう随時遅くなったから。」
ひたすら夢中で写真を撮っていた莉緒は、直の言葉で我に返った。時間の進み具合など気にもとめていたかった様子だ。そして、終わった瞬間に体にドッと疲れが襲いかかってきた。しかし、まだ終わってはいない。ここから脱出するまでが勝負だ。ふと、家に帰るまでが遠足だ、という名言を思い出し莉緒の体は少し軽くなった。
二人が来た道を引き返し、体育館の扉を押し上げるように開こうとした――開かない。もう一度やってみたが結果は同じ。
どうやら時間式のロックがかかったようだ。この扉は内側に鍵はない。ということは、莉緒たちは外から鍵を開けないと出られないということだ。
「どうしよう……そうだ樹君に電話して外から開けてもらうっていうのはどう?」
幸いにもスマホはある。外部と連絡を取ることができる。
「それは無理だよ。だって鍵はここにあるんだから。」
確かにそうだ。ちょっと考えれば分かることだ。今の莉緒は疲労と緊張から冷静さを欠いているみたいだった。
「仕方ない。もう一つの扉を探そう。」
莉緒は相当に疲れているようだ。ついさっき話したもう一つの扉の存在も忘れていたのだから。
もう一度下に降りて、聖域の中へ。おそらくは聖域の奥の方辺りに目的の扉はあるはずだと、直は考えていた。
掃除をしていた男は休憩所の方から消えたのではなく聖域の中から外に出たはずだ。
しかし、それらしい扉はない。
「おかしいな?絶対にあるはずなのに。」
直も度重なるハプニングに疲れきっていた。肉体と精神の疲れから壁にもたれかかった。
「いてっ!」
直の腰に痛みが走った。何かにぶつかったようだ。
「ちょっと大丈夫!?」
「うん。何かに腰をぶつけて――。」
その何かを見て、直は歓喜の声を上げる。
「見つけた!」
赤と金の幾何学模様の入った壁紙にヒョコっと付いているのは、ドアノブだった。
これまで全く気づかなかった。壁の模様が、それを発見するのを困難にしていた、だけだった。
直はドアノブを回した。鍵はかかっていない。扉を開き進んでいく。細い廊下のようである。やがて突き当たる。そこには鉄の扉。鍵はかかっていたが、内側の鍵を開けてやると、すんなり扉はギィーッと音を立てて開いた。
――外だ。
真っ暗な闇夜だったが、何故かほんのり明るく見えた。
二人は鍵を職員室に返し、ようやく家路についた。
莉緒はスマホの電源を入れている。
「あっ!莉緒ちゃんさ。家の方大丈夫なの?もう朝方だけど。」
莉緒はスマホを見て青ざめていた。
それは母親からの異常なほどの着信履歴だった。
「……やばい。」




