仕上げ
樹のマンションのチャイムが鳴ったのは、まだ外が薄暗い早朝だった。
「……なんやねん。」
布団から出るのを躊躇するような冷えきった部屋に明かりを点け、樹はモニターを見た。そこには顔面蒼白の二人の男女。莉緒と直が寒さに震えるようにして立っていた。樹は寝起きのぼんやりとした目を擦り、もう一度確認。やはり間違いない。オートロックを解除して、中に入るよう促した。
ヒーターをつけ部屋を暖める。そしてそれと同時に炬燵もオンにした。さらには二人の体の芯を暖めるためにお湯を沸かし、コーヒーの準備を始めた。
「こんな朝早ようから、なんやねん一体?」
樹は、少しご機嫌斜めである。確かにそれはそうだろう。だが樹が暖かい布団にくるまってスヤスヤと眠っていたと思うと、莉緒と直の方こそ不機嫌になる、というものだ。
二人は暖かいコーヒーを飲み、一息ついてから樹に、これまでの経緯を説明した。話していく内に火がつき、二人は交互に息もつかせぬほどに喋りたおした。
「――そうか。お疲れやったな。」
樹の労いの言葉に莉緒は、「それだけ!?」と、憤慨していた。
「いやいや。よう、やってくれた。というよりやり過ぎやで。そこまで危険を犯してやってくれたんやからな。そして、最後は俺がビシッ!と決めたるからな――。」
やっと寝起きから頭が冴えてきた樹で、あったが莉緒と直は疲労と安堵からか二人とも既に眠っていた。
樹は二人に毛布を、そっと掛けてあげた。
「さて。いよいよクライマックス、やな。」
卒業式も過ぎ去り、三学期の終業式を向かえた。
この日は学年集会もあり、そこには理事長も参席していた。スピーチする彼の姿を莉緒、樹、直は凝視していた。
その日の帰り道。いつもの土手沿いを三人で並び歩いていた。季節は春らしく空は晴れ渡り、程よく伸びた草花を爽やかな風が気持ち良さそうに揺らしている。
「記事っていつ載るんだろうね?」
「さあ。まだ先の話しなんじゃないかな。樹が写真を渡した時に、石坂さんから何か聞いてないの?」
樹は首を横に振った。
「ねえ樹君。これで終わりなの?もし、あの記者の人が記事を書くことを諦めたら、私たちも諦めなきゃいけないの?あんなに頑張ったのに。」
樹は立ち止まり、振り返って二人と対面した。
「心配せんでもええ。必ず聖域は潰れる。二人の努力が実るはずや。だから春休みを楽しんでや。」
樹は少しの間をとってから再び口を開いた。
「それと、俺の我が儘きいてくれて本当にありがとう。この学校に来て二人と知り合えて、ほんまに良かったわ。めっちゃ楽しかった。」
樹の口ぶりは、まるで別れの挨拶のような、そんな感じがした。
その後、直と別れ莉緒は樹と二人で家路についた。そっと樹の手を握り身体を寄せるようにして、莉緒は歩いた。
「来年は三年生だね。樹君はもちろん進学だよね?……私もだけど。実は秘密にしてたことがあって。」
「どうしたん急に?あっ、秘密ってもしかして莉緒ちゃんが実はエイリアンってことか!?それなら心配せんでええ、知っとったから。」
樹の冗談に莉緒は愛想笑いを浮かべて、
「私……アメリカの大学に留学しようと思って……っていうか親からの指示なんだけどね。もし、そうなったら樹君とは何年も会えなくなっちゃう。」と、涙を浮かべた。
「そうなんか。ってか莉緒ちゃん英語めっちゃ苦手やんか!生きていけんのか!?」
別れ、という言葉が頭に浮かんだ。
「俺、前に言ったよな。親がアメリカにいるって。それは本当や。だから……莉緒ちゃんがアメリカの何処に行くかは分からへんけど……待ってるで。」
「――えっ?」
その瞬間、樹は莉緒の手を離し一人歩き出した。
「ち、ちょっと、今何て?」
莉緒の問いかけに樹は答えずに歩いていく。そして一旦止まり振り返った。
「莉緒ちゃん。ほな、また。」
この夜は妙に肌寒かった。昼間とはうって変わって風に湿り気を含んでいた。どこからか雷音が聞こえてきていた。まだ遠いようだ。
彼は仕事を終えて帰るところだった。他の職員は、もう誰もいない。いつもは学校には顔を出さないんだから、こんな日くらい遅くまで仕事をしても仕方がないと、男は考えた。
そして、部屋を出ようかとした、その時だった。さっきまで遠い所で鳴り響いていた雷がすぐ側で、まるで爆発したような轟音を轟かせたのだ。その瞬間、部屋の照明は落ち、暗闇と化した。
「こりゃ落ちたな。」
男は机の引き出しから懐中電灯を取り出した。ふと、部屋の入口に気配を感じて、照らす。
「うわっ!な、なんだね君は!?……生徒か?」
彼は入口に立っていた男の服装を見て、そう言った。それは確かにわが校の制服である。
「いやあ、遅くまで御苦労様です――理事長はん。」
「君は、こんな時間に何をしているんだ?」
その生徒は理事長の間近までスーっと近寄って来て、耳元で囁いた。
「――会です。」
一瞬、耳を疑った。だが……。
「何を馬鹿な――。」
「冗談じゃないですよ。もうじき、この学校の聖域は世間に曝される。そうなれば貴方の居場所もないやろな。あっ!どうにかなると思ったら大間違いやで。もうあんたの、お友達たちも認めているんやからね。」
「戯れ言だ。だいたい君みたいな子供が――。」
「子供?それは私が制服を着ているからですか?制服を着てここに居れば生徒だと?貴方は何も分かっていない。先入観の塊です。まあ、もう終わりですから、これ以上は止めておきましょう。」
頃合いを見計らったように電気が戻った。部屋は明るくなり、その生徒は言った。
「ほな、理事長さん。また。」
どこからかサイレンの音が鳴り響いていた。
三年生の始業式。
莉緒は、ぼんやりと教室から空を眺めていた。終業式の日、学校でボヤ騒ぎがあった。火元と見られたのは地下。聖域であった。
それから春休みの間に東京ファイブの石坂さんから連絡がきた。記事の準備は整って、今週中にも記事の載った雑誌が発売されるだろう、ということだった。
この全ての一連の流れは、樹が仕組んだものだろう。莉緒と直が学校に忍び込み証拠となる写真を記者に渡すのも、最初から彼には分かっていたのだと、今になって思う。勘だが。
莉緒は思う、樹と過ごした短い間で自分は、まるで百八十度変わった人間になったみたいだ、と。変に行動力がついて、変に勘が鋭くなった。そして自分のことが大好きになった。樹のことが大好きだった。
彼は学校には来ていない。きっともう海の向こう……いや、空の上かもしれない。
「やっぱ、樹君って宇宙人だったんだ。」
莉緒は、クスッと笑った。




