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03

 一歩足を踏み入れると、人が集まる場所特有の熱気を体一面に浴びた。


 酒場というより、巨大なサルレー《ホール》の高さと広さだ。


 神々や英雄などの絵画や彫刻があるところが、宗教施設としての面影を残している。


 酒場の照明は、白く光度の強い術法照明で、意外にも明るい感じだ。


 ああ、リュビ・ポミエの「神殿巫女物語」で書いてあったとおりだ。


 一人肯首して、ケイト達と共に歩く。


 酒場の中央には、一つの大きな四角い土製のドヒョウが鎮座していた。


 その上で、美しい二人の女性が組み合い、一人の神官装束の女性がそれを見守ってる。


 ドヒョウ《土俵》下には、四方に女性神官がいて、同じように勝負の行方を見ている。


 お、巫女スマウをやってる……。


 スマウとは、オアーズ大陸の旧宗教に伝わる格闘技の一つだ。


 ドヒョウ《土俵》の中で二人が組み合い、相手の足の裏以外を地面につけるか、相手をリングの外に出せば勝敗が決する。基本的にはそういう競技だ。


 リュビ・ポミエも、美少女巫女達が主役の、巫女スマウ小説をいくつか書いていたっけ。


 彼女の本で、巫女スマウが好きになったんだ。


 その巫女スマウの取り組みを、周りの客と巫女達が見守り、声援を飛ばしてる。


 円卓周りの椅子に座ってる人の多さから見ると、なるほど、繁盛してる。


 円卓の間を歩くと、遊姫の体臭と香水のツンとした匂いや、円卓に置かれた食事や酒の芳しい香りがぼくの鼻を刺激する。


「さあ。こちらへどうぞ」


 ケイトが手を離し、空いている一つの席へと、ぼくを案内する。


 手が放された。ようやく落ち着ける……。


 荷物を椅子の隣に置き、座った。


 他の巫女達もそれに習い、周りの席に座る。


 すぐにぼくらの円卓に、前掛け装束姿の巫女がやってきた。


 笑顔で、いらっしゃいませ、お水をどうぞ、と笑顔でグラッス《コップ》に入った水とお品書きを置いた後で、


「ケイト。相方の感触はどう?」


 と意地の悪そうな声色に変えて尋ねてきた。


 見れば、先ほどのアレサという少女だった。


 そばかすを化粧で隠した顔は、まだあどけなさを残している。


「アレサ……。客を取れなかったからってまた給仕のお務めって。あなたも巫女なんだし、営業して客を取ってきなさいよ……」


「あんたが困る顔を見たかっただけよっ。じゃ、ごゆっくり~」


 そう言い残し、アレサはお辞儀して去っていった。


 周りの巫女達から笑い声があがる。


 アレサの背中を見て、ケイトははぁ、まったくあの娘ってば、と溜息をついてから、営業的な笑顔に切り替えて、


「こちら、当酒場のお品書きでございます。ゆっくりご覧になってくださいませ」


 お品書きを見せる。ぼくは、お品書きをめくり目を通す。


 あ、これあるのか……。


「ピズザ、あるのか。国外伝来という」


「ええ、ありますわ。うちの神殿のピズザ、とっても旨いんですの」


「じゃあ、注文するか」


「上に載せるものは何にいたしますか? 飲み物や副食、おつまみは?」


「えーと……」


 具を色々と載せることを決め、飲み物や副食などを多めに注文した。


 巫女達のリクエストも含めてだ。


 なぜなら、飯も食わずに空から落とされたし。


 ケイトも自分の分を注文した。


「あと……、これとこれとこれで」


「承知いたしました」


 ケイトは、ぼくが注文したピズザや、その他の注文を、そばで控えていた巫女の一人に注文した。


 その巫女はでは行ってきます、とお辞儀すると、席を立って、厨房の方へと向かった。


 注文し終えると、ケイトはこの夜一番の笑みを浮かべた。


「さて、あなたがなんで空から落ちてきたのか、詳しく話を聞かせてもらえませんこと?」


「ああ……。さっき言ったとおりですよ」


「でもはっきりと言ってくれないし。誰かを殺すというのが本当だとしても、簡単にそれを信じるわけにも……」


「ぼくがわけありじゃないと言っても信じないだろう? ぼくが君に、どうしてここにいるのかと尋ねるのと同じだよ」


「それは。まあ、ねえ……」


「ぼくはすねに傷持つ身だ。君も同じく、すねに傷持つ身なのかもしれない。なら、それでいいじゃないか」


「うん、そうね……」


 そう言うなり、ケイトは黙った。


 ちょっと。冗談のつもりで言ったら、なんか本当のことみたいじゃないか。


 なんか空気が悪くなったぞ。どうしよう。


 とは言うものの、ケイトがなぜこの場にいるのかは、相変わらず気になる。ぼくは彼女の肩越しに、リング上の光景を見た。


 様々な衣裳を着て、太い腰布を巻いた、スタイルの良い美人の巫女二人が、その名を呼ばれドヒョウへと上がる。


 美巫女達は組み、押し、出し、投げ、倒し、勝ち名乗りを受ける。


 その後でまた別の美少女巫女一組が呼び出され、ドヒョウへと上がる。


時折客が裸になり、帯を締めてドヒョウに上がり、相方になった美巫女などと取り組むこともあって、それはそれで盛り上がる。


 が、盛り上がるのはたいてい可憐な巫女が勝つ方だ。


 その時はドヒョウ上に金貨や銀貨、流通されて間もないばかりの紙幣などが投げ込まれ、その御捻りは巫女のものになる。


 美しい女性達がぶつかる汗と体臭と吐息と術力、組み合ってしなる肢体と肢体。


 なんて艶やかなんだろう。


 ああ。先程の冷えた空気を暖めるためにも、話題をつくることにしよう。


「ねえ、ケイトさん。巫女達は、なぜこんなことをしているんだろう……」


「え、ああ」


 気分が沈んでいたケイトにとって、これは得意な話題だったらしく、明るい顔を作って食いついた。


「オアーンの子孫の軍神たちが、国の所有権を巡って争うときに、スマウやリュウット《レスリング》などで決着をつけたという神話がありまして」


「へぇ……」


「で、その神話の後日談として、神々の集会の時に、オアーン様と他の女神が、男神の真似をしてスマウなどをとってみた、というのが、巫女がスマウを取ることの始まりというわけです」


「男の真似をしてスマウをとったら、それが当たり前になったっていうことだね」


「物事には歴史があるということです。そしてその歴史は、言葉によって記録されたというわけですわ」


「時折客と対戦するのは……」


「そういう嗜好を持ったお客さんが居るのと、対戦するときに、客が巫女に悩み事を打ち明けて取り組むことで、客の悩みを雲散霧消させる、という習わしがあるんです」


「なるほどね」


 しかし、どこかぼくにはその話に疑念があった。少し首を傾げる。


 その「スマウ」とやらは、一体どこから来たのだろうか。


 疑問をケイトに訊ねようとした時、


「ご注文の品でございますー」


 注文した料理が給仕の巫女達の手によって、木の円卓に並べられた。


 メインディッシュの、ピズザのクラストやチェルズが焦げた匂いと具野菜の芳醇な香りが、ぼくの鼻を満たす。


 ぼくらは、円卓に向き直った。


「さあ、どうぞ、召し上がってくださいませ」


「それじゃ、いただきます」


「いただきまーす」


「では、ピズザを切ってあげますわ」


 ケイトは、円形の刃物でピズザを切り分け、そのかけらを手にする。


 かけらの端のチェルズが、とろけながら延びてゆく。


 チェルズは伸びに耐え切れず、細いところから切れてゆく。


 その切れて垂れ下がったチェルズをそのままに、ケイトは美味しそうにかけらを口に入れた。


 口でゆっくり咀嚼し、そして味わい深げに飲み込む。


「うーん、美味しい! やっぱりこの神殿の料理は最高ですわね」


 満足気な笑顔だ。ぼくもピズザを食べるとするか。


 固く焼きあがり、焦げ茶色の焦げ目がついた生地。


 とろりと伸びた黄色いチェルズ。


 カリカリと焦げ目のついた色とりどりの上乗せ具。


 そんなピズザを、ぼくは口にする。


 カリカリとした生地の食感と、チェルズの伸びる柔らかい触感、上乗せ具の様々な食感と味わいが交じり合い、ピズザを食べている、という気分になる。


 かけらを噛み砕いて味わった後、ぼくはケイトに言った。


「……うん、これは美味しいピズザだ。程よく焼けて上乗せ具も新鮮だ。何個でもいけるな」


「良かったですわ! じゃ、どんどん食べてくださいませ」


 彼女がほっとした顔で、他のピズザや副食やおつまみも勧める。


 他の巫女達もその輪に加わり、卓は賑やかだ。


 そのピズザや副食を食べる間に、ケイトが硝子の杯に注いでくれた赤紫色の飲み物も飲む。


 熟した果実の香りと、深みのある、心地よい味わいだ。


 これを飲むと心が気持ちよくなる。気持ちが上向きになって、そばにいるケイトを抱きしめたくなる。


 結論から言えば、神殿のピズザや副食やおつまみ、そして飲み物は美味かった。


 ここの食べ物や飲み物が、旨いというのも事実だけど。


 それよりも、自分の意志で注文するか、あるいは自分の手で作り、自分の意志で食べる食事、というのは本当に旨いものだ。


 しかし。一つ疑問があった。ぼくはそれを口にする。


「こんなご時世なのに、よくたくさん食べ物があるね」


「ええ。この神殿街のいくつかの神殿は、地下に小さな異世界を持っていたり、大きな公園の中に神殿があったりするんです。そこで自前の食料などを作っているので、神殿街ぐらいだったらなんとかなるんです」


「ふうん……」


「後は時々街にある難民キャンプに、食べ物を届けたりしてはいますけど……」


「ぼくらはこうして安心して食べられることを、贅沢に思わなきゃね」


「……そうね。ね、そんなことよりスマウ見ましょ。皆頑張ってるし」


 彼女は笑顔でドヒョウの方へと、体の向きを変えた。


 湿っぽい話は彼女も苦手か。


 ぼくは時折巫女達の肩越しに、巫女スマウを観戦しながら、しばらく飲み食いしていた。


 美少女巫女力士の、ドヒョウ際での勢い良い豪快な投げや、逆転劇などが決まると、観戦している客や巫女から大きな歓声が湧き上がる。


 ぼくらも歓声を上げ、拍手する。


 巫女達と一緒に巫女スマウを見ながら、ぼくは時折ドヒョウの周りを見る。


 ドヒョウの少し回りにある円卓の椅子では、巫女と参拝客が座り、ぼくらと同じように飲み食いしながら、美巫女達が取り組むスマウを見ている。


 その半数ほどは、大玄関の通路の格子内にいた、白いヴェールに姫装束の巫女──高級遊女達だった。


 何らかの職能や宗教などを示す、固有の色を持ったヴェールと装束を着た巫女や、前掛け装束姿の店員巫女が、参拝客と一緒にいるのは意外にも少ない。


 それをぼくが指摘すると、ケイトはよくわかったわね、という顔をして言う。


「神殿に入った、成人年齢である十八歳未満の巫女見習いは、神殿街にある学院で、様々な教育を受けるのよ。教育というよりは、その巫女の能力を引き出す、見つけ出すという感じの教育ね。早いうちに適正を決めて、専門教育の修行を受けさせるのよ」


「ふむ」


「そして成人になるまでは、教育させつつ、見習いとして様々な下積みを積ませたり、別の芸で客を楽しませたりする。巫女スマウも、その一つというわけね」


 つまりは、その学院とやらで、職能クラス能力フィート技能スキルを見定め、それぞれの専門教育を受けさせるということだった。


 その段階で巫女が宗教や組合、部屋などの間を移籍するということもよくあるらしい。


 宗教によっては仲が悪い宗教というのもあるが、それでも移籍はスムーズに行われるらしい。


 今ではパンテオン内の関係は、そういう比較的穏やかな関係になっているとの事だった。


「で、成人の時に、正式に巫女遊女として働くようになるんですけれども。あの姫装束の巫女──高級遊女というのは実は、ほとんど能力を持っていない一般人コモナのほうが、多いのですわ」


「コモナーか」


 一般人、と言っても、一般人用の共通術法は誰でも使えるし、ある特定の技能や術法だけを使えるコモナーも多い。


 その特定技能や術法が、専門職並みの人間も、そう珍しくはないのだ。


「ええ。その代わり、あの方々は歌や踊りや話芸、閨房術などの修行はしっかりと叩きこまれて、立派な遊女、という能力や技能を得るのです。術法などによる教育によって、専門的な技能や知識を誰でも、得ることができますからね」


「あの娘達も、そう言った教育を受けているというわけか。素晴らしいね。で、君は……」


「あたしは、単なるまとめ役。依頼を聞いて、ここの神殿や神殿街の皆にあれこれ指示したりするの。まあ、まだお手伝い程度だけど。勿論、奉仕もするけど」


 そう言いながらケイトは少し困った顔で笑ってみせた。


「素晴らしいじゃないですか」


「まあ、あたしはあまりやりたくなかったけどね……」


「こんなに多くの、個性を持った人を導いていくのは、なかなかできるものじゃないですよ」


「そう、ですか?」


「もっと、自信を持つと、いいですよ」


「そっ、そんな……」


 そう言って顔を赤らめるケイトは、可愛かった。そんな彼女の話芸の、知識の豊富さに感嘆していた。知性が感じられる。まさに、彼女が高級遊女の見本のような。


 いや、本物のお姫様のようだ。


 それからいろいろな話をしつつ、ピズザや果樹酒などを飲み食いしていると。


 円卓のすぐ近くに、薄い布を幾重に身にまとった色っぽい巫女達が通りかかって、


「ケイト、みんな、元気ぃ?」


「あら、さっきとは違う、上玉のお客さん取ったじゃない? 羨ましいわぁ~」


 と、挨拶したり、からかったりしてくる。


 ケイトは、そんな巫女達に笑顔で挨拶を返したり、舌を出したりする。


 通りがかった巫女達はまだ若く、ケイトと同じぐらいか少し年上に見えた。


 初々しさが、まだ抜け切らない感じの少女達だ。


 ああ。君とこの娘達は、本当に仲が良いんだ。


 そんなことを言うと、ケイトは、


「でもあの娘達の中には、孤児や母子家庭の娘、戦乱で故郷を焼け出されて、ここに流れ着いた娘も多いの。だからせめて、あの娘達には優しくしておきたいのよ」


 と言いながら、おつまみを摘んで口に入れた。


「あの娘達も、オアース大陸中で起きている戦乱の犠牲者なのか」


「ええ」


 お互い言葉をそう交わして、食を進めた。


 それからぼく達が食事をしていると、通り過ぎる巫女達に、しばしば話しかけられたり見つめられたりした。


 それがあまりにも多いので、ケイトは冗談めいて、


「……ねえ、ジャービスさん、あなた、本物の救世主に思われているんじゃない?」


 と笑いかけ、これも国外伝来という長細い麺、パーテ《パスタ》を口にする。


 けれども。巫女達の視線は、羨望と色気に満ちていて、冗談には思えない。


 しばらく食べた後。ぼくはケイトをちらりと見た。


 ……その食べっぷりがどうにも可愛いな。


「ねえ、ケイトさん」



「なんですの?」


「きみの食べっぷり、可愛いね」


 そう言われた次の瞬間、彼女は一瞬喉にパーテを詰まらせ、それから、


「ななななんでこんな時にそそそんなこと言うのよ! のの喉に詰まったじゃない!」


 と言って、ぼくの旨をどんと一突きする。


 痛かったけど、さわやかな痛みだった。


 なあんだ。この娘、そういう言葉に弱いんだ。心が温かくなった。


 そんな時だった。



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