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                     *



 気がつけば、顔に冷たいものがぽつん、ぽつんとかかるのを感じた。


 重いまぶたを、徐々に開ける。


 雨が、降っていた。


 周りを見る。


「メッシアさま。お気づきになられたかい……」


 シュレナの、温かい声が聞こえてきた。


 ぼくは、巫女達に肩を担がれて、路地裏を歩いていた。


 どうやら、巫女達に助けてくれたらしい。


 情けない。なんて情けないメッシアなんだ。


 このろくでもない世界、ろくでもない救世主メッシア


 はは、お似合いだ。


 ぼくはそうつぶやくと、くつくつと、笑いがこみ上げてきた。


 そしてしばらく、そのまま声を上げて笑う。


 しかしすぐに、その笑う気力も尽きる。


 しばらくぼくは、雨に濡れるがまま、巫女達と路地裏で潜んでいた。


 帰りたかった。ケイトのもとに。


 でも、帰れなかった。このままでは。


 敵だけにではない。


 ディレン達にも、暗殺失敗が既に漏れているかもしれない。


 今はもう、ディレンでさえ、信用できなかった。


 もう神殿には帰れないかもしれない。


 でも、ぼくはケイトを求めていた。


 だから。


「帰ろう。神殿に……。ケイトに、会いたい」


 ぼくはその欲求に従うがまま、巫女達と共に、力ない足取りで神殿へと向かった。


 街はあいからわず雨が、降り続けていた。


 雨脚は、徐々に強くなり始め、市民の姿もまばらで、機械兵の姿は全くなかった。


 ただ、雨音だけが、街で静かに音楽を奏でていた。


 そして、どれくらい経ったことだろう。街をさまよい、ようやくのことで。


 ぼくは、空から降る天罰に身を濡らしながら、静かな遊郭の入り口にたどり着いた。


 神殿街は、門番があちらこちらに立っているだけで、静かな雨の午後の街並みだった。


 ディレンの部下達の気配はどこにもなかった。全員、塔の方に向かっている様子だった。


 ぼく達は警戒しつつも、オアーンの神殿の入り口をくぐり、中に入る。


 神殿の掃除をしていた神官、巫女達が、ぼく達を見るなり、びっくりした顔で出迎える。


「何があったのです? ジャーヴィス様」


 クロエ大神官の問いに、ぼくはただ一言答える。


「ケイトに……。会わせてください」


 それだけ言うとぼくは、静かに巫女達から離れ、神官長の元を去った。


 一人で、巫女達の部屋へと続く階段へと向かう。


 そしてぼくは、ケイトの部屋の前に、帰ってきた。


 取っ手に手をかけて一瞬ためらう。


 しかし、ケイトに会いたいという気持ちが勝り、ぼくは扉を開ける。


 部屋に入ると、ケイトは既に戻っていて、調度品の椅子に座り、ぼくを待っていた。


 ケイトは、ぼくの顔を見るなり、すぐに駆け寄ってきた。


 彼女が見たぼくの姿は、どんなに情けないことだろう。


 ケイトはぼくを抱きしめ、頭を、黙って撫でた。


 しばらく、ぼくは撫でられるがままだった。


 その指は優しかった。温かかった。ずっとそうされたかった。


 でもぼくは、それ以上に進みたかった。


その時だった。ケイトが撫で回す指を、そっと止めた。


 そして、こう告げた。母親のように。懐かしい母親のように。


「何があったの? 話してご覧なさい?」


 しばらくぼくは黙っていた。


 情けない顔のままで。


 けれども、ケイトの顔は言葉を求めていた。


 なにか言うのを、待っていた。


 ぼくは、ケイトに求められるがまま、ケイト達と別れた後のことを話した。


 時折、泣きながら。


 涙を流しながら。


 ケイトは、黙ってぼくの話を聞いていた。


 が、ぼくが長い話を語り終えると、ケイトはいきなり、ぼくの頬を一つ叩いた。


 快音が一つ響き、頬に痛みがにじむ。


 ケイトは、ぼくの手を取り、強引に立ち上がらせる。


「こんな時は、お風呂に入って、何もかも綺麗さっぱり洗い流すのが一番だわ。さあ、入りましょ。あたしと一緒に」


 ぼくは、その言葉に、え、と言う声を上げるしかなかった。



                     *



 ケイトの部屋に備え付けられた風呂は広く、二人が入っても余裕がある広さだった。


 もちろん、浴槽も同様で、流石は遊郭と思える造りだ。


 ぼくらは裸になり、体を洗うと湯で一杯になった浴槽の中へと入った。


 髪留めで髪を留めたケイトの顔は大人びて見え、どこか寂しげでもあった。


「ねえ。あなたはやっぱりクロビスでもあったのね」


 ケイトはそう微笑むと、湯の中から手を出し、ぼくの頬を触った。


 そしてもう片方の手で水中のぼくの手を掴む。


「あたしはあなたがジャービスじゃなくクロビスだと思ってた。だって、あたしの本を好きだったのはクロビスだったし」


 嬉しそうに笑いながら、ケイトは自分が掴んだぼくの手を自分の胸へと運び、離す。


 自然とぼくの手がケイトの胸に触れる。


「さあ、いいわよ。私の胸を弄んで」


「いいの、かい……」


「いいわよ。あたし、こういうお勤めしてるんだから」


 そう言ってケイトは笑ったけど、顔の奥底では、それだけじゃない、わ。と言っていた。


 言われるがまま、胸を掴み、回し、肌とは違う色の頂点を弄くる。


 ケイトの顔に、薄くピンク色が乗る。あっ、あっ、と吐息が漏れる。


「あたしもお返ししないとね」


 言いながらケイトは、離した手を湯の中へと沈ませる。


 少しの間の後、股間の逸物を手が優しく包み込み、しごき出した。


 ああ、気分がいい。


 しかし自分が人間でないという思いが、その気持ちよさを打ち消そうとする。


 その気持を察したのか、


「ほら、もう。もっと快楽に委ねてもいいのよ? それに」


 と、ケイトは頬に触れていた手で、ぼくの残りの手を掴むとその手を湯の中へと潜らせた。


 そして、自分の方へと引き寄せる。


 ぼくの手が、ケイトの柔らかい下半身に触れた。


「あたしも、あなたともっと気持ち良くなりたいし……」


 ケイトはそう言って、ぼくに微笑みかけた。


「ぼく、と……」


「ええ、あなたとよ。……お願い」


 そう言って彼女は微笑んだ。寂しさを含んだ笑顔で。


 ぼくは思った。


 ケイトの寂しさを打ち消せるのは、ぼくしかいないのだろうと。


 だから。


 ぼくは、ケイトに優しく口吻をした。


 ケイトが、んっ、と艶っぽく鳴くと、その声が風呂中に響き渡った。



                     *



 風呂場は湯気で満たされていた。温度も上がり、蒸し暑いを通り越した熱さだった。


 そしてもちろん、ぼくらの体温も何度か上がっていた。


 汗と涙、そしてそれ以外の液体が全身から流れ、それらが湯の上に浮かんでいた。


 ぼくらは、愛情と術力をたっぷり交換した。


「上がりましょうか」


 そう言うと、ケイトは風呂場から上がった。


 モワッとした湯気が、ケイトとともに風呂場から流れていく。


 脱衣所においていた自分のタオルをつかむ。


 ぼくも、釣られるように上がる。


 ケイトは、ぼくに背中を向け、自分の体を拭きながら言った。


「さっきはあなたの過去を話してくれましたわね。なら、わたくしのことを語るのが、公平でしょうね……」


 そう言いながら彼女は、物語を語るように語り始めた。


 自分の、過去を。




「国王陛下──父上が、後継者にしようと思っていたのは、わたくしだったの。皇太子であるはずの、ザウエナードじゃなかったんです」


 ケイトは軽く汗を拭いた後で、それでもなお垂れる汗のようにぽつりぽつりと語り始めた。


 タイクニア史上でも珍しい、女王として。


 ルイム十五世はケイトを、いや、ケイティニア王女に多大な期待を寄せていたようだった。


 そのために家庭教師を幾人も付けた。


 彼女に剣術も術法も知識も礼儀作法も、人並み以上のものを求め、教えた。


 けれども──。


「わたくしにはそれが重荷になってました。他家に嫁ぐより他にない、王族や貴族の女が眩しく見えるほどの、国家の象徴、主としての父上の期待と、自分の能力との現実。それらにわたくしは押しつぶされそうになっていたんです」


 ひとりごとを語るような背中は、姫君というより、十字架を背負う罪人のようにも思えた。


 そこにケイトが出会ったのが、いや、持っていたというべきだったのが、小説だった。


 彼女は趣味で、いや、本を読むことの延長で、小説を書きためていた。


 その原稿を、リュビ・ポミエという変名で出版社に送った。


 その原稿の出来が良かったため、出版社の編集がポミエに接触してきた。


 ポミエは、自分の原稿が採用されたことに。


 出版社の編集は、ポミエがケイティニア王女だということに、驚いたようだった。


 が、双方はケイティニア王女が本を書いている、ということを秘密にして、彼女の本は出版されることになった。


「わたくしはほんとうに嬉しかった。自分のいる場所ができたようで」


 リュビ・ポミエの本は、かなりの人気を博した。


 その人気は国を超え海を超え、ぼくの国、ブリティアでも多くの人に読まれるほどだった。


 しかし、そんなある日。


 父王のルイム十五世に、本を出していたのが、知られてしまった。


「それは怒り心頭でした。いつもはあの温厚なお父様が、剣を振り回そうとする程度には」


 ルイム十五世が温厚な王であることは、ブリティア含め、周辺各国にはよく知られていた。


 ぼくも会ったことがあるから、そのことはよくわかってる。


 そのルイム十五世が、激怒するほど、だ。


 そして二人は激しい口論となった。


 盗賊騎士の汚い罵り合いを超えるほどの様子で。


「お前に三文作家をやらせるために、書を与えたわけではないのだぞ! お前を輝かしいタイクニアの女王に据えるために、書を与えたのだ! ケイティニア、お前は私を利用したのか!」


 そう糾弾する十五世に、ケイティニアはこう叫んだという。


「その前に、父上がわたくしを利用したくせに! 自分の見栄のためだけに、わたくしを女王に仕立てあげようとして! 何もかも押し付けて! ……もう、ここにはいたくない!」


 その時。父王は黙って、ケイティニアの頬を一発叩いた。


 頬を抑え、十五世を睨みつけたケイティニアの目に飛び込んできたのは。


 どこか寂しそうな、ルイム十五世の顔と涙だったという。


 


 ケイティニアは、夜明け前に宮殿を飛び出した。身の回りの物や本を持ちだして。


 あの父王の涙に、心の何処かが、後ろ髪を引かれた思いで。


 その持ちだした身の回りのものに、見たことのないペンダントが紛れ込んでいたという。


 ケイティニアは不思議に思ったが、中央にはめ込まれたペンダントの輝きに惹かれ、身につけておこう、と思ったという。


 それからケイティニアは気がつけば、王室とも関わりの深く、彼女も親しみ慣れた神殿街へと、辿り着いていたという。

 そしてオアーン神殿で住み込みで働き、執筆を続けた。体を売りながら。



 ルイム十六世が、ルイム十五世の王位を簒奪したのは、それから間もなくの事だった。



                     *



 それが、ケイトの身の上話だった。


 ぼくらは、そのまましばらく無言のまま、お互いを見つめていた。


 ああ、そういうことだったのか。


 ケイトが神殿にいた理由は。


 そして、もう一つ。


 ケイトの父親であるルイム十五世の真意のことも。


 それは本来ならば王室の、国家の道具となり、どこかの別の王室か貴族などへ、正室か妾妃として嫁いでいくしかない、娘であるケイトを女王にして、自由にすることだった。


 ルイム十五世は、心からケイトを大切に思っていたのだ。


 王の真意からすると、ケイトは親の心子知らずだった。


 それでも。それでもなお。


 ぼくはケイトに同情していた。


 ケイトはそれ以上の自由を求めていたからだ。


 ケイトは王族であるよりも、一人の人間で、女でありたかったのだ。


 もしルイム十五世がここに居たなら、ぼくはそう弁護していただろう。


 黙ったままのケイトの顔が、目の前でわずかに揺れる。


「ケイト」そう言ってぼくは、ケイトの方へと歩み寄った。「だから君は巫女遊女として体を売っていたんだ」


「ええ……。だからわたくしは姫君なのに、遊女だった。男と遊んでいた。父上に対する復讐、あてつけのために」


「ぼくもそうだったんだね。単なる、客の……」


「いいえ」


 ぼくの言葉を突然遮ったケイトに、ぼくはどきりとした。


 え、とぼくが言おうとした時、ケイトはさらに先を言った。


 彼女の頬が、林檎のようになった。


「ジャーヴィス殿下、いえ、クロヴィス殿下。あなたには、本気になってしまいました……」


「え……」


 ぼくは突然の告白に、はじめ呆然とした。


 でも、ストンと腑に落ちるものも、心の何処かにあった。


 やっぱり。あのザウエナード達と一緒に追われた時の告白、本気だったのか。


 ぼくは困惑しつつも、どこか胸をなでおろしたような気分になった。


 ケイトは、次第に眼の角度を緩めはじめた。


 彼女の眼には、水の宝石が詰まり、あふれ始めていた。


「父上に反発して復讐のために体を売ったのに、その客の王子様に惚れてその主姫巫女になっちゃうなんて、なんていう因果でしょうね……」


「ケイト……」


 そう言うなり、彼女は顔を伏せた。


 ケイトの顔から、小さな宝石がいくつも零れ落ちる。


 ケイトは、遊女としてではなく、王女としてでもなく、女としてぼくを求めている。


 ならば、ぼくもそれに応えるべきだ。なぜなら、ぼくも……。


 そう思うと、ぼくは自然とケイトに寄り添っていた。それから、涙を指で拭く。


「なら」


 ぼくはその手で、ケイトの手を握りながら言った。


「ぼくは、君の復讐に手をしてあげよう」


 そしてぼくは、ケイトを見つめた。彼女は目を丸くしてぼくを見つめ返す。


 時間が永遠に長くなる術法に、囚われたような気がした。


「ブリティアの王子が、自分の可愛い王女を寝取ったら、ルイム十五世はどう思うだろうね」


「ええ」


 ぼくらはそう言って笑いあい、相手の唇に自分の唇を重ねた。


 お互いに手を相手の体に回し、しばらく唇を重ね続けてた。


 自分の舌を相手の口の中に入れて、相手の舌と絡め合わせる。そんなことさえしていた。


 ざわざわした感覚は、暴発しそうになるほど高まっていた。


 欲しい。ケイトが欲しい。欲しくてたまらない。


 ぼくは、顔を離すと、最大限の笑みでケイトに言った。


「行こうか。ケイト」


「……はい、ジャービス様」


 そう言葉を交わし合うと、ぼくらは腕を組み、肩を寄せ合い、脱衣所を後にした。



                     *



 どこまでも続く草原に、彼女と僕はいた。


 ──ここは……。


「ここは天国だよ。ぼくが夢見ていた」


 ──いつも、ここの夢を見ていたの?


「うん。ぼくは、いつもこの世界を夢見ていた」


 ──なら、わたくしもいたい。この世界に。


「……ぼくも、君と一緒にいたい」


 心地よい風の中、ぼくと彼女は手をつなぎ、草原へと倒れこんだ──。



 その衝撃で、ぼくは眼を覚ました。


 見慣れた天井が見えた。ふと横を見る。ケイトの顔が、傍にあった。


心の鎧を脱いだ、全てを晒したケイトもまた、眼を覚ましていた。


 ぼくらは裸で、白い敷き布をかけ、寝台で抱き合ったまま横になっていた。


 ケイトと、何番もスマウを取ったような、力が抜けた後の心地よい気分を感じていた。


 ぼくとケイトは体を重ね、風呂の時よりも、より多くの愛情と術力を交わした。


「……夢を、見ていた」ぼくは、何を考えるまでもなく言った。「天国の夢を」


「わたくしも、夢を見ていました」ケイトも笑顔で言った。「あなたと同じ場所にいる夢。天国の、夢を」


 その言葉に、ぼくはどきりとした。そうなのか。


「君もまた、同じ夢を見ていたのか」


「多分。そうだわ」


 言いながらケイトは、ぼくから離れて体を起こした。


 ぼくも相方にならい、体を起こす。


 術法士の夢使いと呼ばれる人は、皆に同じ夢を見させることができたりするけれども。


 愛しあう二人が同じ夢を見るというのは、ある意味奇蹟のようであり、必然なのかもしれない。


「同じ夢を見るなんて、ぼくらは本当に愛し合っているんだね」


「ええ」


「わたしも、そこへ行ってみたい。その天国という場所へ」


 そう、もらした。そして、ぼくの肩に頭を寄せた。


 彼女のつぶやきに、ぼくは、


「いつか、一緒に行こう。約束の場所へ」


 と、そっと彼女の頭を撫でた。


 それは喜ばしいことかも知れなかった。しかし、ぼくにはまだ不安が残っていた。


 自分が何者か、ということについてだ。


「けれど。ぼくは人間じゃない。ブリティアに、アラン・スミシーによって創られた、術導人間フォージドだよ。そんなぼくでいいのかい?」


 少し俯いたぼくを、ケイトは背中から手を回してそっと抱きしめた。


「あなたは人間よ。わたくしにとっては、そうなの。誰がどんなことを言おうと。あなたは機械じゃないわ。人間よ」


「ケイト」


「だって、あなたはあたたかいもの……。わたくしと同じにおいがするもの……」


 その言葉に、ぼくは感動で胸が一杯になった。


 そうだよ。


 ぼくが何者であろうと、愛する人が、ケイトが人間というならぼくは人間なんだ。


 いつの間にか、ぼくの頬に、温かい液体が伝っていた。


「あなたがジャービスであろうと、クロビスであろうと、あなたが好き。あなたがいい。だから……」


 そう言ってケイトは、いやケイティニア王女はぼくから優しく離れ、寝台の上で正座した。


 そして、体を丁寧に折り曲げ、言った。


「お願いいたします。簒奪王から、ジョン・ドゥから、タイクニアを取り戻してください。クロビス王子」


「ケイト。それは……」


 ケイトは、自分の悩みを、迷いを振り切るために。


 遊女としてではなく、タイクニア王国第一王女として、ぼくに依頼したのだ。


 簒奪王の、ジョン・ドゥの暗殺を。


 彼女の言葉を聞き、ぼくは決めた。


 誰かからの、ブリティアからの命令としてはなく、自らの意志で決めた。


 ルイム十六世を、ジョン・ドゥを暗殺することを、一人の人間として決めた。


「わかった。その依頼を、ぼくは受けよう。ブリティアのためではなく、アラン・スミシーのためでもなく、ましてやタイクニアのためでもない。一人の人間として。君の、ために。けれども」


「けれども?」


 ぼくの言葉の最後で、ケイトは顔を上げた。


「一体、なんでしょう?」


「依頼料代わりに、一つ聞きたいんだ。君はいつ、ぼくのことを好きになったの?」


「それは……」


 ケイトはぼくの問いに、はにかんで言う。


「あなたが、あたしが王女だとわかっても、巫女の名で呼んでくれた時から。一人の人間として認めてくれた時からよ」


 その言葉に、ぼくは納得した。やっぱり、そうだったんですね。


「ああ。ぼくと君は、同じだったんだな」


「そうね」


 ぼくらは、笑いあった。しかしすぐに、ぼくは真面目な顔と声で言った。


「すぐにここを出よう。今頃ディレン達が、術法制御塔の機能を停止させているかもしれない。そうなれば運動家や革命家達は一気に動き出すだろう。パリスの街が大混乱になる前に、一刻も早く宮殿に乗り込むんだ」


 言いながら寝台から降り、衣服を着こむ。


 背負い袋から、軍用の装備を取り出し、装着する。


「ええ。でも、どうやって」


「出たとこ任せで、いく。どうせ、なにもかもめちゃくちゃになる。その隙を狙う」


「手伝えることならなんでもするわ。わたくし、剣術とか術法とか結構習っておりますの」


「分かった。君に任せよう」


「任せておいて」


 言いながら彼女も寝台を降り、着替え始める。


 その素晴らしい体つきが、ぼくには、とても頼りになると感じられた。



                     *



 しかし、既に遅かった。


 オアーン神殿のクロエ神官長に別れを告げ、神殿の外に出た時には、既に術法制御塔は停止していた。


 街のあちこちから赤い炎と黒い煙が夜空を焦がし、その臭いが神殿街まで漂ってきていた。


 遠くで鬨の声が上がり、杖銃や術導銃の銃撃音、剣同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。


 パリスの光景は、いつか見た地獄だった。


 術導銃や杖銃を手に外に出たぼくらは、顔をしかめた。


「もう既に始まっていたか。どうする……」


「いい考えがあるわ。地下道を使うのよ。そこを通って、宮殿の近くまで行けるわ」


「なるほどね」


 ケイトの提案になるほどと頷きつつ、彼女に一番近い地下道の入口を案内してもらおうかと思った時だった。


「おっと、行ってしまっては困りますぜ、ジャーヴィス殿下。いや、クロヴィス殿下」


 背中から声が聞こえたので、振り向くと。


 そこには全身黒ずくめの戦闘装備に、手には術導銃や杖銃を手にした、十数名の男達がいた。


 そしてその中央にいる、肌の黒い男が不気味に笑う。


 ディレン、だった。




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