向こう岸の灯
「こんなに小さかったでしょうか」
薬草車は、五つ目の橋を越えた先の門へ消えていった。雨に削られた小舟と麦穂の印だけは、テオヴァルドの記憶と同じ場所にあった。
「君が大きくなったんじゃない?」
テオヴァルドは門柱をもう一度見上げ、少しだけ笑った。紙包みを抱え直すと、今度は誰にも背を押されずに門をくぐった。
風をはらんだ白い布が、いきなりフードの前へ膨らんだ。洗濯籠を抱えた子どもが、慌てて裾を引く。その向こうでは、薬草の束が次々と車から下ろされていた。壁際では、年長の子どもたちが木の小舟へ灯の芯を立てていた。煮出した葉の苦い匂いに、焼いたパンの香りが混じっていた。
薬草の束を抱えて現れた老司祭を見て、テオヴァルドの足が止まった。
「神父様」
老人の手も止まった。抱えていた薬草を脇の籠へ置き、一歩近づく。テオヴァルドが顔を上げると、西日がフードの奥まで差し込んだ。
頬は以前より痩せていた。けれど、長い睫毛の下の目には、昔の面影が残っていた。老司祭の目から、迷いがゆっくり消えていった。
「テオヴァルド……?」
「はい。お久しぶりです」
「背が伸びましたね。けれど、目元は変わっていない」
老司祭は笑い、確かめるように何度もうなずいた。
「ここでは落ち着きませんね。中へどうぞ。返したいものもあります」
二人は礼拝堂脇の小部屋へ通された。扉が閉まると、テオヴァルドはフードを下ろし、老司祭は奥の戸棚へ向かった。
老司祭が持って戻ったのは、青い布張りの薄い本だった。角は丸く擦れ、本を綴じる糸もところどころ緩んでいる。テオヴァルドが表紙を開くと、最初のページに、色の薄くなったインクで長い名前が書かれていた。
「父の字です」
「軍の迎えは翌朝と聞いていました。ところが、まだ日のあるうちに突然来たんです。この本は、一番後ろの長椅子に残っていました。孤児院へ届けましたが、私物は預かれないと返されましてね」
テオヴァルドは両手で本を支え、親指で父の書いた名をゆっくりなぞった。
「僕は、置いてきたことも覚えていませんでした」
「忘れたのではありませんよ。あの日は、持ち物を確かめる時間もなかった」
礼拝堂の鐘が一度鳴った。老司祭は音に顔を上げ、二人へ向き直った。
「もうすぐ夕べのミサです。お急ぎでなければ、二人とも後ろの席へどうぞ」
テオヴァルドがオーレリアンを見た。本を胸へ抱いたまま、答えを急かさずに待っている。オーレリアンがうなずくと、その口元がほっと緩んだ。
礼拝堂には、慈善院で働く者と子どもたちが集まっていた。石壁には夕日が細く差し、祭壇の前には、作りかけの木の小舟がいくつも並んでいる。テオヴァルドはもう一度フードを上げ、返された本を膝に置いた。老司祭が祭服を整え、静かな声でミサを始めた。
祈りの声は高かったり低かったりした。誰かが一節早く唱え、隣の子が笑いをこらえる。座った途端、旅と商談の疲れが押し寄せてきた。礼拝堂の空気は、オーレリアンが思っていたよりずっと温かかった。
目を閉じたのは、祈りの一節だけのつもりだった。
次に聞こえたのは、ろうそくを消す小さな金属音だった。礼拝堂から人影は消え、隣の席も空いている。
(人の故郷までついてきて、本人を見失うほど熟睡。付き添いとしては、かなりひどい)
オーレリアンが立ち上がると、祭壇の脇でろうそく立てを片づけていた老司祭が、川の方を指した。
「テオヴァルドなら、古い荷揚げ場へ行きました。よく眠っているから、起こさないでほしいと言っていましたよ」
短く礼を言って礼拝堂を出た。鐘楼の下を右へ曲がり、川へ下りる石段を見つけるたびに覗き込む。三つ目の古い荷揚げ場で、ようやく無地のフードが見えた。テオヴァルドは水から離れた段へ座り、返された本と、ハンナにもらった紙包みを膝に並べていた。
「起こしてよ。探したよ」
「とてもよく眠っていたので」
テオヴァルドは肩を縮め、端へ寄った。オーレリアンも同じ段へ座り、まだ少し速い息を整えた。
対岸では、低い倉庫の先に、細い二階建ての家が並んでいた。川沿いの狭い道を、戻りの荷車がゆっくり通り過ぎていく。
「あれです。右から三軒目の、二階の窓が一つだけ小さい家」
灰色の壁に黒い梁。屋根の半分は新しい瓦に替わり、窓台には赤い花の鉢が二つ置かれていた。壁には、昔はなかった雨樋もついている。
「母がずっと欲しがっていました。雨の日は、二階の窓の下に桶を置いていたので」
「ずいぶん遅れて届いたね」
母なら「今さら」と怒るだろうと、テオヴァルドは笑った。オーレリアンが紙包みを開き、冷めた薄焼きパンを二つに割った。
対岸で、誰かの腕が窓から伸び、干していた赤い布を取り込んだ。窓が閉まる直前、小さな影が窓に両手をついた。
膝の本へ、テオヴァルドの目が落ちた。
「この本を返してもらったら、あの家にも帰りたくなると思っていました」
「ならなかった?」
「はい。あれはもう、知らない人の家です。でも、誰もいないより、ずっといい。空っぽだったら、家まで父と母と一緒に死んだみたいですから」
樽を積んだ平底船が二人の前を横切った。家は帆柱と荷の向こうへ隠れ、船が立てた波だけが先に石段へ届いた。
「それなら、あの雨樋も、遅すぎたわけじゃないね」
船尾が過ぎた時、二階の小さな窓に灯が入った。知らない子どもの影が、淡い橙色の前を行き来している。
本を閉じ、外套の内側へ大切にしまった。
「これは、アシェンマークへ持って帰ります」
「うん。私もそこへ帰りたい」
立ち上がったオーレリアンが、手を差し出した。それを借りてゆっくり立つと、テオヴァルドは向こう岸をもう一度だけ振り返る。灯の前を、小さな影がまた横切った。フードを戻し、今度は自分から歩き出した。
向こう岸の灯は、二人が橋のたもとを曲がるまで、川面の上で揺れていた。




