第87話 サマー・バケーション(前編)
八月となり、ホワイトホルンはもっとも過ごしやすい季節となった。
というわけで私は今日から三日間お店をお休みし、アネットと郊外にあるニール兄さんの別荘にやってきた。
別荘といってもお金持ちの人が郊外に持っているような家ではない。
ニール兄さんの家は農家で、郊外に大きな畑を持っている。そのため農繁期は泊まり込みで農作業をする必要があるため、畑の近くに別荘をもっているというわけだ。
今はちょうど農作業も一段落し、青々と茂ったライ麦畑が私たちを迎えてくれている。
あとひと月ほどで収穫期を迎えるここのライ麦たちは、きっとそのうちハワーズ・ダイナーで黒パンとなって私たちのお腹を満たしてくれるに違いない。
「おーい! ホリー! アネット!」
ライ麦畑の向こうの林に建てられた小さな小屋の前でニール兄さんが手を振っている。
「ニール兄さーん!」
私たちが少し早足でニール兄さんの許へと向かった。
「よく来たな。さあ、入ってくれ」
「うん。よろしくね」
私たちはニール兄さんに連れられて毎年遊びに来ている別荘の中に入ると、いつもの屋根裏部屋に上がった。
ここはもともと農繁期に泊まり込みで仕事をするための小屋なので、一階にダイニングキッチンと寝室があるだけだ。そのため、屋根裏部屋がゲストルーム代わりとして使われている。
そんな屋根裏部屋にはダブルベッドが一台とドレッサーが置かれている。私が十歳になったときにニール兄さんの両親が特別に髪の長い私のために置いてくれたものだ。
そんな部屋に荷物を置き、軽く掃除をしてから私たちは一階へ戻った。するとニール兄さんがワクワクした様子で聞いてくる。
「何からやる?」
「うーん、釣りかな? まずは晩御飯を捕まえないと」
「それもそうか」
この近くには湖があり、そこではクロマスという表面が黒いマスがたくさん釣れるのだ。柔らかくて淡白なそのマスを塩焼きにして食べるのがここでの定番の夕食だ。
ちなみに他にも山菜やベリー採取、湖で水遊びが楽しめる。小さいころは木登りもしていたけれど、今はもうしていない。
「よし。じゃあ、釣りに行くか」
「うん」
私たちは釣竿と餌を持ち、湖へと向かうのだった。
◆◇◆
手漕ぎボートに乗り、私たちは陸から百メートルほどの場所にやってきている。そして餌をつけた長い長い釣り糸を垂らし、あとは待つだけだ。
この湖はかなり深いらしく、釣り糸は大体百メートルくらいの長さがある。
「いつもの夏だねぇ」
「うん」
心地よい日差しが私たちを照らし、爽やかな風が駆け抜けていく。
例年と変わらない、いつもどおりのホワイトホルンの夏だ。
「去年あんなことがあって、さらに戦争まであったなんて信じられないよね」
「うん」
アネットの言葉に私は相槌を打つ。
だが去年のゾンビ襲撃事件でホワイトホルンは酷い目に遭ったし、ニール兄さんは左腕を失った。
それに何より、おじいちゃんがもういない。
いつもの夏と同じ景色なのに、どこか違う。
そのことに気付き、私は小さくため息をついた。
「ホリー、どうしたの? あっ! かかった!」
アネットの竿が大きくたわんだ。アネットは落とさないように竿をしっかり持つと、手元のリールに魔力を込めた。
するとすぐにたわんでいた竿が元に戻り、アネットはリールを回す。
やがてしばらくすると魚が湖面に浮かび上がってきた。お目当てのクロマスだ。
をニール兄さんはそれをさっと網で回収すると器用に針を外し、ボートに取り付けてある網籠に放り込んだ。
しばらく湖面に浮かんでいたクロマスだが、やがて元気を取り戻したのか網籠の中を泳ぎ始めた。
「アネット、一匹目だな」
「うん」
アネットは再び餌をつけると、再び釣り針を垂らした。
「あっ!」
「お、ホリー。来たな」
「うん。お願い」
私は竿を落とさないようにしっかり持ち、リールの部分をニール兄さんに差し出した。
すると横からニール兄さんがリールに魔力を込めてくれ、竿をあれほど引っ張っていた魚の抵抗を感じなくなる。
「ありがとう」
「ああ」
私はリールをくるくると回して魚を引き揚げていく。
ちなみにリールと糸と釣り針は魔道具だ。リールに魔力を込めると釣り糸を通して釣り針に魔力が伝わり、釣り針から電気が放出される。そうすると掛かった魚は気絶するため、力のない人でも簡単に魚を釣り上げることができるというわけだ。
「ホリーも一匹目、おめでとう」
「うん。ありがとう」
とはいったものの、クロマスは初心者でも釣りやすいということで有名な魚だ。小さいころは一匹釣れるたびに喜んでいたけれど、今はそれほどでもない。
今はどちらかというと、こうして湖面でのんびりしている時間のほうが好きだったりする。
「あっ! また!」
再びアネットの竿にあたりが来た。アネットは冷静に二匹目のクロマスを釣り上げていく。
「アネット、やったね。これで三人分釣れたね」
「うん。でももっと釣らなきゃ」
「うん」
こうして私たちはゆっくりと湖での釣りを楽しんだのだった。




