第76話 人族の治療
病院に着いてから少しの間は暇だったが、突然一日数百人もの患者さんが運び込まれるようになった。
たぶん、戦闘が始まってしまったのだと思う。
だが、運び込まれてくる患者さんのほとんどが中治癒の奇跡で済む程度の怪我なのはありがたい。
大治癒の奇跡が必要ない患者さんであれば、一日に百人くらいの治療はできる。
そうして治療をし続けて三日ほど経ったとき、ついに人族の負傷者が運び込まれてきたのだそうだ。
その日は魔族の負傷者もかなり多かったので人族の患者さんを診ることはなかったが、その翌日に私は初めて人族の捕虜用の病棟に足を踏み入れることとなった。
私の周りを十人以上の兵士とニール兄さんが警護してくれ、鉄格子で厳重に隔離された病室の一室に入る。
そこには、初めて見る私と同じ人族の患者さんがベッドに横たえられていた。
金髪の患者さん、茶髪の患者さん、赤髪の患者さんと魔族では考えられないカラフルな髪色の患者さんが苦しそうにしている。
意識もないようなので、昨日私が治療した患者さんたちよりも明らかに重症だ。
「早く治療を!」
私はすぐさま患者さんに近寄り、中治癒の奇跡をかける。
薬師として、より早く治療しなければいけない患者さんを先に治療できなかったことに憤りを感じる。
もちろん、戦争をしている相手なのだから自分の仲間を先に治療するべきだということは理解できる。
だが薬師として、何よりおじいちゃんの孫娘としてはやはり一つでも多くの命を助けたいと思ってしまうのだ。
もちろん、それは我がままだということはわかるのだけれど……。
そうして人族の患者さんの治療をしつつ、奥の部屋へとやってきた。
そこはいくつもの鉄格子の扉を抜けた先にあり、見張りの兵士もたくさんいる。
きっとこの奥にいる患者さんは重要人物なのだろう。だが、薬師である私にとっては関係のない話だ。
「失礼します」
いつもどおりに病室の中に入る。どうやらここは個室のようで、ベッドの上には黒髪の患者さんが苦しそうな表情で横になっていた。
「え? 魔族?」
いや、違う。耳の形が人族のものと同じだ。
もしかすると人族の中には黒髪の人もいるのかもしれない。
「お怪我の状態を確認しますね」
「う……」
私がベッドサイドまで近寄って声をかけると、その人は苦しそうな呻き声で返事をした。だが目は開いており、黒、いやこげ茶の瞳がしっかりと私のことを見ている。
意識はあるようだ。
私はブランケットを剥がしてこの不思議な患者さんの容体を確認する。
どうやら左の腹部を切られたようだが、カルテによると幸いなことに傷は内臓に達していなかったらしい。
それに応急手当がしっかりされていたおかげもあり、今のところ命に別条はなさそうだ。だが傷の深さを考えると中治癒の奇跡では足りないかもしれない。
「治療しますね」
私は念のため、この患者さんに大治癒の奇跡をかけた。みるみるうちに傷が治っていく。
ああ、この感じなら中治癒の奇跡でも十分だったかもしれない。
「はい、治りましたよ」
「……」
私は笑顔でそう声をかけたが、患者さんはなぜかボーっとした様子で私のことを見ている。
「どうしましたか?」
「あ、いえ……その、ありがとうございました」
患者さんはなぜか顔を真っ赤にしてお礼を言ってくる。
「それが私の仕事ですから」
「え? あ……」
「それでは、失礼します」
「あのっ!」
「はい?」
私は次の患者さんの治療をしようと病室から出ようとしたのだが、患者さんから強い調子で呼び止められた。
「まだどこか具合が悪いのですか?」
「そ、そうじゃなくて、その……お名前を……」
「??? ホリーですが……」
なぜ私は名前を聞かれたのだろうか?
「あの! ホリーさん! ありがとうございました!」
名前でお礼を言いたかったということだろうか?
「お気になさらず。それでは失礼しますね」
私は事務的にそう答えると、そのまま病室を後にした。
次の病室に向かって歩いていると、ニール兄さんが険しい表情で話し始めた。
「ホリー、どうして名前を教えたんだ?」
「え? ダメだったの?」
するとニール兄さんは呆れたような表情になる。
「あのな。ホリーはこの病院で一番大事な治療スタッフになってるんだ。敵に名前まで教えたら暗殺しに来るかも知れないだろ?」
「え? 暗殺?」
そんなこと、考えたこともなかった。
「大体、どうしてホリーにこんなにたくさんの警備がついているのかも考えろよ」
「あ……うん。そうだね。ごめん」
「もちろん俺たちが守るけどさ」
「……うん。ありがとう。気を付けるよ」
「頼むよ」
「うん。ごめん」
不用意に名前を教えたことを反省しつつも、私は先ほどの患者さんのことを思い返す。
まるで魔族のような黒髪が特徴的な人族の兵士だ。あれだけ深い傷を負っていたのに意識がしっかりしていたのはすごいと思う。
それにあそこまで厳重に閉じ込めているところを見るに、きっと魔力が高いのだと思う。
「今度、あの患者さんのところに行って口止めをお願いして来ようかな」
「え?」
「だって、名前、教えちゃったから」
「ホリー、お前なぁ」
ニール兄さんは呆れたような表情になる。
「だって、お願いすれば秘密にしてくれるかもしれないでしょ?」
「まったく。ホリーは人を信用しすぎなんだよ。そりゃあ、うちの町の人たちはみんないい人ばっかりだけどさ。それでもおかしな奴はいるんだし、相手は人族だぞ?」
「でも、人族だって分かってくれるかもしれないじゃない」
「まあ、そうだけどさ……」
「でしょ? だから、今度お願いに行ってみるよ」
「分かったよ。でも、その時は俺も一緒に行くからな」
「うん」
そんな話をしているうちに、次の病室の前に到着した。
「失礼します」
そう声をかけると、患者さんを治療すべく病室に入るのだった。




