第42話 着せ替え人形
あまりの出来事にしばらくフリーズしていたが、少しずつ状況が理解できるようになってきた。
どうやらここを自由に使っていいとのことだったが、そもそも私たちは宿をチェックアウトしていない。当然、荷物だって宿に置いたままだ。仮にこの部屋を使わせてもらうにしても、宿から荷物を取ってこなければ着替えすらない。
とにかく、まずはニール兄さんに相談しに行こう。
そう考え、部屋を出ようとしたところで私は鍵をもらっていないことに気が付いた。
こんな高価な物がたくさんある部屋の鍵を開けっ放しにするのはいくらなんでもまずい気がする。
どうしようかと迷っていると、ブリジットさんが置いていったベルが目の片隅に映る。
……ベルで、人を呼ぶの?
あまりに不慣れな状況にどうしようかとしばらく悩み、それから私はベルを手に取る。
チリーン。
澄んだ音が鳴り響いた。
するとすぐに扉の向こうから声が聞こえてくる。
「はい。ホリーさん、どうしましたか?」
「ひえっ!?」
「あらあら、そんなに驚いてどうしたんですか? 入りますよ?」
「は、はい」
ブリジットさんが部屋の中に入ってきた。
「何かご用ですか? お菓子を召し上がりますか? それともお出かけですか?」
「その、ニール兄さん……あ、一緒に来たゲストの男性とお話が……その、宿が」
ドキドキしているせいで上手く言葉がまとまってくれない。
「はい。ゲストのニールさんですね。わかりました。宿というのは、もしや宿泊しているホテルがあったのですか?」
私はこくんと頷いた。
「まあまあ、坊ちゃまったら相変わらずですねぇ。荷物はそこに?」
「はい」
「それじゃあホリーさんとニールさんのホテルのお部屋を引き払い、荷物を運ぶように手配しますね」
ブリジットさんはいつの間にか持っていたファイルから書類を取り出し、私に差し出してきた。
「こちらにホテルの名前と部屋番号、それからサインをお願いします」
「は、はい」
私はそのまま勢いに流され、ついサインをしてしまった。
「それでは、手配して参りますね」
そう言い残し、ブリジットさんはそのまま部屋を出て行ってしまった。
あ、どうしよう。本当はニール兄さんと相談したかったのに……。
◆◇◆
それから一時間もしないうちにブリジットさんが私の鞄を運んできた。
「こちらの鞄で全てですか?」
「はい。ありがとうございます」
私は中身を確認するが、特に何かを取られたような形跡はない。
「ところでホリーさん、夕食はどのドレスをお召しになりますか?」
「え? ドレス?」
「ええ! もちろんです! せっかく女子寮に住まれるのですから、ドレスを着てはいかがですか?」
「ええと?」
何を言っているのかさっぱり理解できない。
「こちらのクローゼットにあるものはご自由に持って行って大丈夫ですよ。デザインの古いものも多いですが、品質は保証します」
ブリジットさんがそう言って開いたクローゼットの中には様々なドレスがずらりと並んでいる。ただ、どれもサイズがバラバラだ。
「これは?」
「歴代の寮に住んでいた女性たちが置いていったものです」
「えっと? こんなに高そうなものなのに?」
「お金持ちの家のお嬢さんが多かったですからね。さあさあ、それよりも早く支度をしましょう。そろそろもう一人のメイドもやって参りますからね!」
「え? え?」
「その長くて綺麗な髪はお手入れのし甲斐がありますね。さあさあ!」
私はまたしてもブリジットさんの勢いに押し負けてしまうのだった。
◆◇◆
「はい。綺麗にできましたよ」
ブリジットさんは満足そうにそう言った。
というのも、クローゼットの中に入っていたドレスのうち淡い水色のドレスを着せてもらった。上半身は体にピッタリとフィットしたスタイルで胸元が大きく開いていて、下半身は大きく膨らんでいる素敵なドレスだ。
ちょっと古いデザインで申し訳ないとしきりに謝られたが、そもそも私は薬のことならわかるもののファッションのことはさっぱり分からない。
私は素敵だと思うし、こんな素敵なドレスを着られただけでも嬉しい。
「はい。髪もしっかり編み込みましたよ」
すると私の後ろからもう一人の手伝ってくれたメイドさんの声が聞こえてきた。彼女の名前はマーサさんで、私が入浴している間に手伝いにやってきてくれた。
なんとマーサさんは御年六百十七歳だ。もともとは今の魔王様のお父さんに仕えていたメイドさんで、それ以来ずっと魔王様の家に仕えていたそうだ。だがこの研究所に寮を併設するのと同時にマーサさんは責任者としてやってきて、それ以来ずっとこの寮を管理しているらしい。
一方のブリジットさんはというと、エルドレッド様のお母さんのメイドさんだったそうだ。そしてエルドレッド様がこの研究所で研究を始めたときに一緒にやってきたのだという。
なんでもブリジットさんはエルドレッド様のおしめを替えたこともあるらしい。
あの紳士なエルドレッド様にも赤ちゃんの時代があったのかというのがとても不思議な気分だ。
そんな二人に身支度をしてもらって鏡で自分の姿を確認すると、そこにはまるで知らない女性がこちらを見て驚いていた。
私の長い髪を時間をかけて丁寧に編み込んでくれたおかげでもあるが、普段はしていないお化粧もしてもらったおかげで本当に大変身だ。
「さあさあ、坊ちゃまを驚かせてあげましょうね!」
エルドレッド様は美人を見慣れているのだろうから驚くことはないだろうが、せっかく着飾ったのでちょっと褒めてもらいたいという気持ちはある。
「さあ、ホリーさん。立ち上がれますか? こういったドレスは初めてでしょう? 気をつけるのですよ」
「あ、ありがとうございます。マーサさん」
こうして私は押しに負けて流された結果、まるでお姫様のように着飾って夕食を食べることとなったのだった。
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