SECT.6 いじわるの裏返し
「おお!」
クラウドさんは歓声を上げて立ち上がった。
自分の部屋の何倍もある空間の向こうに明るい日差しの差し込むテラスがあって、アレイさんとクラウドさんが席についていた。
「美しい! 本当にこのまま娘にしてしまいたいくらいだ。」
なれないヒールのたどたどしい足取りでテラスのほうへ向かう。
でも、外に出る段差のところで躓いてしまった。
転ぶ、と思ったがふわりと誰かの腕で支えられた。
そのまま手をとってテラスの側へエスコートされた。
こういう時アレイさんはやっぱり貴族で、リードするのも上手だなと思う。きっと小さい頃からそんな風に教育されて、普段の生活でそうしてきたのだろう。
でもアレイさんはまるで目を逸らすように紫の瞳を庭の方向に向けてしまっている。
「ありがとう」
特に返事はなかった。でも、いつもより少しだけ紫の瞳までの距離が近い気がする――ああ、そうか。靴の踵が高いぶん少し近いんだね。ダイアナさんの言ったとおりだ。
重ねた右手を見て、少し近づいた紫の瞳を見上げて、にこりと微笑んだ。
「少しだけ近づいたね」
「……気のせいだ」
相変わらず無表情で何を思っているのかは分からないが、どうやら特別嫌がっているわけではないらしいということは今までの経験から知っていた。
「さあ、お茶にしましょう。美味しいハーブティがあるのよ」
アレイさんが椅子を引いてくれて、すんなり座ることができた。
本当にすごいなあ。貴族の男のヒトってみんなこうなんだろうか?
と、思ってクラウドさんを見ると、やっぱりダイアナさんが座る椅子をちゃんと引いていた。やっぱりそうなんだ。
貴族のヒトって優しいんだなあ。
「クッキーは好きかしら?」
「大好き!」
ダイアナさんの言葉に即答する。
「それじゃ、ケーキは?」
「甘いものは全部好きだよ。とくにフルーツケーキが好き。クリームたっぷりのやつ!」
「そう、それじゃ明日は作っておくわ」
「ほんと?」
「明日からはここに通うといい。マルコシアスとアレイのようにはいかないかもしれないが、いくらか剣術と馬術の指南をしよう」
クラウドさんはにこりと微笑んだ。
「ありがとう!」
「ねえさんには俺から話しておく。とりあえず一週間待っていろ」
「うん、いいよ。帰ってきたら遊びに行こう」
「あらアレイ、どこかへ行くの?」
「……すぐ戻る」
アレイさんは不機嫌そうに呟いた。
いったいどこへ行くかは知らないけれど、一週間したら戻ってくるってアレイさんが言うんだから絶対戻ってくるはずだ。
きっと帰ってきたら話してくれるに違いない。
「うちの王子は姫に余計な心配をかけたくないそうだよ、ダイアナ」
「あらそう。意地っ張りも変わらないわねえ」
ダイアナさんはくすくすと笑った。
その様子は花が綻ぶようで思わず自分もつられて微笑んだ。
ダイアナさんは本当にきれいで優しいヒトだ。自分の母親はどんなヒトか知らないけれど、こんなヒトが母さんだったらすごく嬉しい。
「ダイアナさんが母さんだったらよかったのに」
正直にそう言うと、アレイさんは盛大に頭を抑えてため息をつき、クラウドさんは楽しそうに笑った。
当のダイアナさんは少し驚いた顔をしていた。
「もしかして嫌だった……?」
心配になってダイアナさんを見たが、すぐに微笑み返してくれた。
「いいえ、嬉しいわ。私もあなたのような娘が欲しいわ」
「よかった!」
にこりと笑うと、ダイアナさんはさらに続けた。
「でも、どちらかというと娘より妹がいいわね。それならきっと今からでも遅くないはずよ」
「そうなの?」
首を傾げると、隣に座っているアレイさんが絞り出すような声を出した。
「姉上……そろそろお暇します」
「あら、もう帰ってしまうの? 寂しいわ」
「明日からこのくそガキをよろしくお願いします」
そう言ってさっと席を立った。
突然すぎるよ!
「待ってよ! おれも一緒に帰るよ!」
慌てて後を追おうとしたが、慣れない靴では追いつけない。
よろよろと歩いていると、目の前に手が差し出された。
「似合わない靴を履くからだ」
見上げると紫の瞳がいつもより少しだけ近くにあった。
なぜだかそれがとても嬉しくて、心から微笑んだ。
ダイアナさんがその服はあげるわ、と言ったのでそのまま着て帰ることにした。
馬には少し乗りにくかったが、アレイさんが手を貸してくれたからあんまり苦労することはなかった。
「お茶ご馳走様でした」
「いいえ。明日もいらっしゃい。ケーキを焼いて待っているわ」
「わあい」
「ケーキじゃなくて稽古だろう。義兄上、よろしくお願いします」
「分かっているよ」
「では、失礼します」
アレイさんは手綱を取った。
邪魔をしないように少し縮こまって、クラウドさんとダイアナさんに小さくお辞儀をした。
「アレイ!」
走り出す直前クラウドさんの声が追いかけてきた。
「マルコシアスのご加護を!」
アレイさんは軽く礼をすると馬を走らせた。
大きなお屋敷が遠ざかっていく。
「ねえさんの屋敷まで送ってやる。ついでにねえさんに話もあるからな」
「ありがとう」
アレイさんがいつもこんな風に優しかったらいいのに。なんでイジワルだったり冷たかったり思い出したように優しかったりするんだろう。
もう何だかアレイさんがよく分からないよ。
紫の瞳を見上げていると、アレイさんが気づいて少し見下ろした。
「……どうかしたか?」
「あのさ、何でアレイさんは優しかったりイジワルだったりするの?」
「……」
そう聞くとアレイさんはもうそれ以上口を聞いてくれなくなってしまった。
どうやら本当に怒らせてしまったらしい。




