9、ドクダミ摘み
数日続いた雨が上がった日の午前、瑞雪は尚食局の裏にある薬草畑へと向かった。
汚れてもいい古い沓を履き、手には籠と鎌を持つ。鋭い葉で指を切らぬよう、革の手覆いもはめておく。準備万端だ。
(雨の後なら、草も抜きやすいものね)
雑草を抜くのは大変だが、中には薬効が高い草も混じっている。ほんの数日手入れしなかっただけで、青々とした草が生い茂っていた。
「まぁ、ドクダミがこんなに沢山」
ドクダミは臭い。鼻が曲がりそうなほど臭い。魚が腐ったにおいに、カメムシを混ぜたような個性的な悪臭だ。それゆえに「魚腥草」という。
「刈るのさえ我慢すれば、あとは大丈夫なんだけど」
ドクダミのにおいは揮発性で、刈ってからしばらく干しておくとにおいは抜ける。抜いても根から取れるわけではなく、プチプチと千切れるだけだ。ドクダミを根絶したい場合は、茎を切って葉をなくせばいいと瑞雪は父から教わった。
とはいえ薬命司としては、ドクダミは雑草ではなく勝手に生えて増えてくれるありがたい薬草だ。
「うう、くさーい」
ドクダミを刈っている間は呼吸を我慢していたが、息を止めても臭いものは臭い。
花が咲いている間のドクダミは、特に薬効が高い。根にも効果があるので、茎が切れてしまわないように土を掘り返して陰干しをする。
干したドクダミを煮詰めて飲めば、利尿に便通、むくみにも効く。さらには血液の解毒にも有効であるし、生の葉は腫れものや湿疹、かぶれにも効く。
「毒を矯める」からドクダミ。「矯める」は正しく治すことだ。
しばらく作業をしていると、用意した竹ざるにこんもりとドクダミが摘み上がった。その他の薬草も必要な分だけ採取する。
ちょうど風がやんでいるせいで、畑には湿った土とドクダミの悪臭と、草の青いにおいがこもっていた。通りがかった司薬司が、鼻を押さえながらそそくさと逃げていく。
(まぁいいけどね。司薬司は、乾燥したドクダミしか使わないんだから)
ひたいに浮かぶ汗を拭おうとして、瑞雪は自分の手覆いが汚れていることに気付いた。
「そろそろ紅梅さまの昼食を作ろうかな」
足音が聞こえて、また司薬司が戻ってきたのかもしれないと瑞雪は顔を上げた。
だが、薬草畑の端にいたのは厳星宇であった。
やはりドクダミのにおいを嫌ってか、かなり離れた場所に立っている。
「何か御用ですか?」
「璠瑞雪、ここにいたか」
「夏瑞雪ですよ?」
瑞雪は顔の前で手を横に振った。そのせいで生臭いにおいが鼻につく。
瑞雪が「璠」であることは、周囲に知られてはいけない。尚食の斉一桐は、瑞雪が母方の祖母の姓である「夏」を名乗る意味を理解してくれているが。星宇にも徹底してもらわないと、自分が前の薬命司である璠欣然の身内であるとばれてしまう。
「では、夏瑞雪。陛下からの書状を預かってきた」
星宇は丸めた紙を差し出した。
「南家の葉青さまを訪問する日程が決まったそうだ」
とうとう、だ。やっと叔母さまの汚名を返上できる、瑞雪の目に光が宿った。勇んで立ち上がり、腰の辺りまで繁る薬草畑を横切った。
「ここで確認してもいいですか?」と尋ねても、星宇は無言だ。ただ頷くだけ。
「まずは問診ですね。南家の場所はわたしでも分かるかしら。実家は伊河のはずれなので、城市は詳しくないんです。あ、地図があるんですね。助かります」
やはり星宇は頷くだけ。
「あの、もしかして……臭いですよね。すみません」
通りがかった司薬司の女官ですら逃げて行ったのだ。薬に慣れている者ですら、生のドクダミはきつい。
「いや、そういうわけでは……」
今にも消え入りそうな声を、星宇は発した。
「では」という挨拶すらもせずに、ただ片手を上げただけで星宇は去っていく。小さくなる星宇の後姿を瑞雪は見送った。
「あ、傘を差してくれたお礼を言うのを忘れてた」
頭の中が薬膳のこと、叔母のことでいっぱいになって、どうにもいけない。
昨日は紅梅にも『瑞雪さんは、もう少し女性しい楽しみを持った方がいいわね』と言われてしまった。
『女性らしい楽しみというと、何でしょうか』
奥の宮まで運んだ土鍋の温もりが保たれていることにほっとしながら、瑞雪は蓋を開けた。
『刺繡をしたり琴を弾いたり、お茶会もあるわね。お化粧をして着飾って、皆でお茶とお菓子を楽しむのよ』
それは上流階級のお嬢さまの生活ではなかろうか。
『恋愛もいいものよ。二度も送ってきてくれた侍衛親軍の武官はどう? その後、進展はあった?』
突然の話題転換に、瑞雪は粥を入れた碗を落としそうになってしまった。そしてまじまじと紅梅の顔を見つめた。
『あの武官とは二度会っただけですよ?』
『あら、わたくしなんて初対面の陛下に恋しましたよ。病弱でいらしたけれど、愛情は深い方でした』
しれっとした表情で、紅梅は碗を受け取った。
そうだった。この人は先帝の寵愛を受けていたからこそ、今も白苑後宮に残っているんだった。
(南家のお嬢さんは皇后候補だから。紅梅さま以上に、庶民とは感覚が違うかもしれない)
ようやく風が吹き、さわさわと畑に生えた薬草やドクダミが揺れている。
「うーん、大丈夫かなぁ」
まだ生臭いにおいの残る指で頰に触れてしまい、瑞雪は慌てて手を離した。




