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【完結】白苑後宮の薬膳女官  作者: 絹乃
三章

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7、主は二人

 尚食の斉一桐の事件からしばらく経ち、薬命司の部屋を訪れる人が増えてきた。


「あのー、水太りに効く薬膳ってないかしら」


 薬湯を飲むほどではない女官が、ためらいがちに瑞雪に尋ねてくる。


「水太りですか?」

「あなた、食べすぎなのよ。食堂でも毎食、お代わりをしているでしょ」


 なぜか薬命司の部屋に居座っている孫時宜が、瑞雪の代わりに厳しく指摘する。尚食の部屋を与えられた時宜だが、まだ主席女官の座に慣れずに居心地が悪いらしい。


 太っているのと水太りは似て非なるものだ。

 瑞雪は立ち上がり「失礼します」と告げて、女官の足首を指で押さえた。確かに指の痕がしばらく残る。余計な水分が体内に溜まっている証拠だ。


「もしかして濃い味がお好きですか」と瑞雪は尋ねた。


「え、なんで分かるの?」

「野菜はお好きではないとか」

「もしかして占いだったりする?」


「違いますよ」と言いながら、瑞雪は女官の裾を直す。


 水太りは過剰な塩分が正しく排出されていない状態だ。汗をかいたり、野菜をよく摂れば尿として塩分がでていくのだが。ぽっちゃりとした体型では走ることも、早歩きすらもしないだろう。


「そうですね、夏のこの時季でしたら冬瓜を摂るといいですよ」


 冬瓜は「体が痩せて、軽く健やかになりたい者は冬瓜を長期にわたり食すべし。太る必要のある者はこれを食してはならない」と本草書に書かれるほど肥満対策に理想的な食材だ。


スープがいいでしょうか。それとも煮物。どちらにしても薄味になりますが」

「えっ、味が薄いの?」


 女官は声を上げた。

 まぁ、気持ちは分かる。働いている人は、基本的に濃い味つけを好むものだ。


「はい。まずは塩分を排出しないといけませんから。数日で薄味に慣れますよ」


「そうよ、薬命司の言う通りよ。痩せたいんでしょ、ちょっとくらい我慢しなさい」と時宜はやはり容赦がない。


「う、うう。じゃあスープで」


 薬膳料理はおいしいのが一番だが、やはり未病を改善するためには好きなものだけを食べるわけにもいかない。

 日々の食事こそが体と健康を作るのだから。


「じゃあ夕食に間に合うように仕上げます。後で取りに来てください」


 瑞雪が女官に注げると、時宜も「私もそろそろ戻ろうかしら」と部屋を出て行った。


 前掛けである圍裙と口覆いの布をつけ、瑞雪は籠から冬瓜を取り出した。熟すと皮が硬くなるので、夏に収穫したものが冬までもつから冬瓜。名前に反して夏野菜だ。


 ずっしりと重い冬瓜は、皮の緑が濃く白い粉を吹いている。

 手を洗った瑞雪は重い包丁を冬瓜に入れた。

 南瓜ほどではないが、冬瓜も表面の皮が硬いせいで割るのに力がいる。


「ぐ、ぐぐぐっ。もうちょっと」


 冬瓜が転がり落ちぬように左手で支え、包丁を持つ右手に体重をかける。

 すぱん、と小気味いい音を立てて冬瓜が二つに割れた。霜を集めたような瑞々しい白い果肉と、ワタに包まれた種が現れる。種子は冬瓜子とうがしという薬でもあるので、洗ってから干して中の仁を取り出す。


 岷国では冬瓜は煮たりスープにして食べるが、南の国ではそのまま生で齧って喉の渇きを癒すという。


「もしかすると、叔母さまも冬瓜を生で食べたりするのかしら」


 まるで西瓜のように冬瓜を齧る欣然を想像すると、自然に頰が緩んだ。

 どんなに離れていても、こうして薬膳料理で叔母とつながっているように思えたから。


 鍋に油を入れて熱し、干し海老を炒める。そこに皮を集めに剥いて切り分けた冬瓜を入れ、水を加える。

 材料は少ないが、ことこと煮込んでいくと冬瓜はとろりと崩れるほどになる。優しく滋味深いスープだ。


「さすがにずっと火を使っていると熱いわね」


 瑞雪が紙窓を開けると、乾いた夏風が部屋に入ってくる。薬草畑を渡る風は、微かに青い匂いがした。


「今日も来ないのかな……」


 ぽつりと呟いて、心待ちにしているのが天雷なのか星宇なのか分からないことに瑞雪は気づいた。

 飛仙であっても人であっても、どちらも彼という存在に変わりはない。


 ◇◇◇


 数日後。

 瑞雪は南邸に日参することを許可された。というよりも葉青が拗ねてしまったのだ。


『いやです。わたくしはルイシュエさんの料理じゃないと、ごはんを食べません』


 牛バラ肉を柱侯醤ヂュウホウジャンという大豆みそで煮込んだ、こってりとした料理に葉青は箸をつけなかった。


 料理人は当主が好む料理を、そのまま葉青に出したようだ。牛肉は力がつくから問題ないだろう、と。

 消化に体力を使う牛肉を、葉青は好まない。


 それでも以前の葉青なら、せめて少しは口に運んだだろうに。先日、父親が瑞雪を門前払いしたことで怒り心頭のようだ。


『わたくしはソンウーにりようされたの。ルイシュエさんは、それをとめてくれたのよ。なのにお父さまはルイシュエさんにひどいことをしたわ。もうしらないっ!』


 普段はおとなしく聞き分けのいい葉青が怒ったのだ。父親は困り果てた。

 何しろ父親も継母も、初めて葉青が口を尖らせたり、頰をぷうーっと膨らませるのを目にして呆然としたらしい。


 妖怪や鬼神を集めた書物に没入するのを止めても、そこまで反抗することはなかったのに、と父親は絶句した。


『存じませんでした、葉青は人でしたのね』


 継母に至っては、これまで葉青のことを人形と思っていたようだ。


『ルイシュエさんが作ってくださる山芋ときくらげをむしたのがいいのっ』


 布団を頭までかぶった葉青は、まるで繭に閉じこもった蚕のようであったと話を聞いた幼帝、文護は笑いながら瑞雪に教えてくれた。


 文護が葉青を皇后に迎えるのはまだまだ先のことだ。無論、後宮に皇后が一人というわけにはいかない。いずれはまだ年若い妃嬪たちも入宮してくる。

 常に皇后になる教育を受けてきた葉青にとって、それは承知の上こと。それに文護も、誰よりも葉青を大事にするだろう。


 けれど今は恋とも呼べない幼い二人の睦まじい様子を、瑞雪は和やかな気持ちで眺めている。

 文護が祖先神や自然神を祭るための勉強も、南邸で葉青が一緒に学んでいる。皇后として祭祀を取り仕切ることがあるからだ。

 今はまだ侘しい白苑後宮も、いずれ賑やかになる。


 夏の盛りになり、ようやく気候も暑くなった。

 やはり後宮から南邸までの道のりは遠い。通いなれた道ではあるが、後宮はおろか内廷、外廷にも涼める影はない。白い石が敷かれた道には、瑞雪の短く濃い影が落ちている。


 瑞雪は紅梅の薬膳料理も変わらず作っているが、今までのように奥の宮に運ぶ必要はなくなった。皇太后宮から侍女が料理を取りに来てくれるのだ。


「今日も暑いなぁ」


 手をひたいの前で庇にしながら、瑞雪は濠にかかる橋を進んだ。

 その時、ふいに影に包まれた。橋の上は木々も生えていないし建物すらないのに。

 顔を上げると、そこに黒に包まれた人が立っていた。


 胸がドキドキする。だって知っているから、これが誰なのか——


「星宇……さん」


 かすれる声で瑞雪は問いかける。

 ちょうど日の当たる東側に、やはり星宇が立っていた。いつ現れたのか気配もなかった。


「葉青さまに陛下からの届け物がある。付き合おう」


 今日も今日とて不愛想な星宇の片手には、布の包みがある。さすがに急に暑くなってきたからか、上衣は黒ではあるが薄いの布地に代わっている。

 羅は通気性に優れ、目は荒いが強度があるので夏に最適だ。


「よかったな」


 ぽつりと星宇が呟いた。

 橋を渡る官吏は誰もが暑さに負けて、肩を落としてとぼとぼ歩いている。その中で星宇だけがすっと背筋を伸ばして凛とした姿だ。天の果てまで見晴るかすことができそうな、爽快な青空に星宇の姿はよく映えている。


「うん。星宇さんの……天雷のおかげだよ」

「そう、俺はがんばった」


 珍しく星宇が自己主張をした。その表情は得意げで口の端を上げている。


「俺には主が二人いる。天雷の主は瑞雪で、星宇としての主は陛下だ。どちらも俺の命を守ってくれた。大事な主のためには体を張る、当然のことだ」


 二人の歩みは速いので、暑さに負けてのろのろと歩く官吏たちを追い抜いていく。まるで澱みの中を寄り添い泳ぐ魚のように。


「今だから言うが。瑞雪に再会したとき、俺は泣いたんだ」

「あっ」


 思い出した。そうだ、初めて星宇に出会った時、彼の目は充血していた。てっきり砂が入ったのだとばかり考えたから「目をこすらない方がいい」と伝えたのだ。


 瑞雪は初対面の不愛想な武官に、どう対応していいものかと悩んだのだが。まさか星宇はようやくの再会に感極まっていたとは。そんなの思いつくはずがない。


 でも、もしその時に正体を話してくれていたなら。きっと自分は星宇をぎゅっと抱きしめていただろう。人目もはばからずに。


「嬉しさと懐かしさ。自分が天雷であると、元気で生きているのを伝えたかったのにそれが言えず。いろんな思いがこみ上げてきて、涙が溢れそうになった」


 星宇は立ち止まった。

 瑞雪もまた足を止めて、星宇を見上げる。


 こんなに大きくなっても立派になっても、やはり天雷なのだ。この子は。

 やはり抱きしめてあげたいと思った。すごいね、がんばったね、と頭を撫でてあげたかった。


 けれど今はできない。だから瑞雪は手を伸ばし、星宇の空いた方の手を握り締めたのだ。大きくて温かくて、けれどてのひらには固い肉刺の感触があった。

 陛下の護衛として、主を護るために慣れぬ剣の練習をしたのだろう。


「おかえり、天雷」


 どんなに姿が違っても、名前が変わっても。人でも飛仙でも。あなたであることに変わりはない。

 瑞雪の言葉を聞いた星宇は空を仰いだ。唇を噛みしめて、ぎゅっと瞼を閉じている。


「悲しくなくても、嬉しくても人は泣くのだな。君に再会して初めて知った」


 そして星宇は微笑んだ。輝くような笑顔で。太陽をその身で遮ってくれているから、逆光が星宇の輪郭を縁取っている。


「……ひとつお願いしてもいい?」


 あまりの眩しさに瑞雪は目を細めた。

「なんだ?」と、星宇の柔らかな声が聞こえる。


「あのね。『にゃあ』って鳴いてって言ったら怒る? その、天雷じゃなくって星宇さんのままで」


 たぶん恥ずかしかったのだ。あまりにも星宇が煌めいているから。でなければそんなことを頼んだりしない。

 少しの間があった。


「人のいるところでは嫌だ」と、星宇がか細い声で答える。心なしか耳が赤く染まっているように思えた。


「え、それって。二人きりの時はいいってこと?」


 瑞雪のひたいを星宇が指でつついた。ちょっと痛い。


(了)


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