12月22日
不知火は、呆然とした様子で俺を見た。
呼吸を整えながら、喝を入れるように怒鳴る。
「こないだゲーセンでやったのを思い出せ!一体ずつ落ち着いて!正確に狙うんだ!」
「…み…づき………?」
大きく見開かれた目に、涙が溜まっていく。
だけど…泣いてる暇は、今はない。
「俺はいいから早く銃を構えろ!来るぞ!!!」
はっとした顔で、前方のシルフィードの集団に視線を移す。
その目には次第に…光が戻ってきた。
「いっ…たい………ずつ!」
何かの呪文のように、そう繰り返しながら…
不知火は目の前のシルフィード達を倒していく。
外しても、動じることなく…落ち着いて、一体ずつ。
いいぞ、その調子!と叫びながら…
シルフィードの攻撃をかわしながら、俺は彼女の傍に駆け寄る。
一体ずつ、一体ずつ…と小さくつぶやきながら、懸命に応戦する不知火は…
腕から血を流し、服もぼろぼろだった。
大分…やられたな。
睦月も強かったけど…シルフィードも相当なものらしい。
「すず!!!」
遠くから駆け寄ってきたのは、黒髪に浅黒い肌の男。
この前携帯のカメラで見た…炎の精霊だ。
俺達の前に立ちはだかり、サラマンドラは不知火に向かって呼びかけた。
「良く頑張った!後は…」
任せろ、と目で合図し、両手を肩の高さでぐっと広げる。
呪文のようなものを低い声で唱え。
瞳を赤く光らせながら…叫んだ。
「怒れる炎よ…全てを焼き尽くせ!!!」
鼓膜を破るような地響きと共に、無数の火柱が上がる。
灼熱の世界の中で…次々に姿を消していく、シルフィード達。
目を閉じて、何か唱え続けているサラマンドラの赤いターバンは、熱風にはためいている。
まるで…ガス爆発か何かが、幾つも連続して起こっているみたいな熱さと爆風。
「サラマンドラの力って…すごいんだな」
言葉無く、こくりと頷く不知火。
と、その時。
背後に妙な気配を感じた。
「不知火!」
不知火を突き飛ばした瞬間。
俺の体は激しい風に煽られ、遠くへ吹き飛ばされる。
咄嗟に受身を取るが…
アスファルトに叩きつけられ、衝撃で身動きが取れない。
「水月!?」
駆け寄ってきた不知火を背中に庇うと、シルフィードは楽しそうに笑った。
「あら…騎士道精神ですか?それとも、美しき友情と言ったところかしら」
彼女が空中に手をかざすと。
俺達の周囲を嵐が取り巻く。
「くっ………」
サラマンドラに危険を知らせなくては…
でも…口を開くと強い風が吹き込んできて、息が出来なくなってしまう。
………声が出せない。
「背中がガラ空きですよ?サラマンドラ」
サラマンドラに向かい、風の刃が襲い掛かる。
まずい………
その時だ。
突如出現した水の壁に…風の刃は弾き飛ばされ、消し飛んでしまった。
驚いた様子で目を見開くシルフィード。
はっとして…振り返ると。
「ウンディーネ!!!」
ウンディーネは両手を前に突き出し、何か呪文を唱えていた。
水の壁から立ち上る水しぶきに、残っていたサラマンドラの炎も、徐々に静まっていく。
攻めのサラマンドラに、守りのウンディーネ。
『同盟』というアイディアは、単なる思いつきだったのだが。
………かなり有効かもしれない。
「そこまでです!シルフィード!!!」
ウンディーネの声にシルフィードは、仕方がない…という様子で目を伏せた。
嵐が止む。
それを見届けたウンディーネが両手を下ろすと同時に、水の壁も姿を消し。
サラマンドラの炎も完全に消えていて。
無数いたシルフィードの分身達も、全ていなくなっていた。
重苦しい沈黙が、辺りを包み込む。
街のネオンも消え…真っ暗な闇の中に俺達はいた。
この緊迫した事態の中、シルフィードは静かに微笑んでいる。
そして。
不意に、誰かが手を叩く音が、大通りに響き渡った。
振り返ると…
「いやぁ傑作…面白いものを見せてもらったよ」
睦月が楽しそうに笑い、こちらへ近づいてきていた。
彼は警戒する俺達に…余裕の表情で笑いかける。
「でもずるいなぁ。組んでるなら組んでるって、先に教えてくれればよかったのに」
こんな惨状を目の当たりにして…
こいつはまだ、ゲームを楽しんでるつもりなのだろうか。
いつもの調子に戻った不知火が、睦月に食ってかかる。
「………ずるいのはあんたの方でしょ!?あんなチートな技使って…」
「…そうかなぁ?」
彼は首を傾げるようにして不知火に笑いかけ、次に俺の方を見た。
「でも、今日の所は…サラマンドラ・ウンディーネペアが優勢ってところかな」
「負けを認めるのか?」
睦月はくすくす笑って…何も答えない。
「負けを認めるなら………『賢者の石』を渡してもらおう」
右手を差し出す俺に、彼は呆れたように笑ってため息をついた。
「おいおい、これで勝ったつもり?まだお互い、全力で戦っちゃいないと思うんだけど」
笑いを含んだその声にかっとなるが…苛立ちを抑えて、ぐっと低い声で言う。
「なら…見せてみろよ、お前の全力ってやつを」
ふふふ…と、睦月はまた、静かに笑った。
「全力ってわけじゃないけど………俺の方にはまだ…もう一枚、カードが残ってる」
アスファルトを突き破り、突然俺達の前に現れたもの。
それは…土で出来た、人型のようなものだった。
無数のその物体はゆらゆら揺れながら、ゆっくり俺達に近づいてくる。
「…これは」
不安そうな顔で、不知火が俺の袖を引っ張る。
「こないだも出たの…あいつら」
土………?
土の…精霊?
…何故だ。
あいつのパートナーは、風の精霊だったはずじゃ…?
「………どういうことだ!?これは…」
「ノーム?」
睦月は背後の闇を振り返り…土の精霊の名を呼ぶ。
低い声で返事をして、俺達の前に現れたのは…
高齢の小人のような姿をした精霊だった。
髪も髭も長く、顔の大部分は隠れてしまっている。
前髪の中から覗く、にやにやと笑う口元が印象的。
ファンタジー映画に出てくる小人とよく似た衣装は全てダークブラウンで、夜の闇に半分溶け込んでいた。
よたよたと歩いてくるノームを一瞥し、サラマンドラが睦月に怒鳴る。
「てめえ………二つの精霊と組んでるのか!?」
「…うっそぉ!そんなことって出来んの!?」
不意に緊張感のない声が響き渡り…
俺とサラマンドラの冷ややかな視線を受けて、不知火はごめん…と赤くなって俯いた。
睦月は…というと。
「さあね…どうなんだろう?」
そう言って、愉快そうに首を傾げる。
「ジャッジはゲームマスターに委ねられるところなんだろうけど…俺が今、二つの精霊を味方につけてるってことは、紛うことなき事実だろうね」
ゲームマスター。
『ゲームマスターが判断すれば…』
ウンディーネもさっき、そんなこと…言ってたな。
「睦月…無駄口はもう、よかろう」
低い声で言うノームに、わかったよ…と笑って、睦月は俺達に背を向けた。
「次は二対二の真剣勝負か…楽しみにしてるよ。剣道もちょっとは練習してきてくれると、余計楽しくなるんだけど…ね、仁くん?」
はっとして…怒鳴る。
「待て!!!」
追おうとする俺達の前に、さっきの土の化け物が立ちはだかり。
「しもべ達よ…お相手してやるがよい」
ノームの言葉と同時に…
一斉に襲い掛かってきた。
「きゃあ!!!」
両手を耳の辺りの当てて叫ぶ不知火の前に、ウンディーネの水柱が上がる。
「ウンディーネ…」
彼女は厳しい表情で俺の顔を見て、頷いた。
俺も大きく頷いて…叫ぶ。
「応戦するぞ!不知火!サラマンドラ!」
急に名前を呼ばれたことが気に障ったらしく、サラマンドラが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「てっめえこのガキ!勝手に命令すんじゃねえ!」
「つべこべ言わずに行きますよ!サラマンドラ!!!」
ウンディーネがぴしゃりと言い放ち。
はいはい…としぶしぶ頷くサラマンドラ。
「早くあいつらを倒して、睦月を追わなきゃ」
つぶやくと、昨夜のように、水の塊が手の中に現れた。
ごくり、と唾を飲み込んで、不知火も再び銃を構える。
「行くぞ!!!」
しかし…土の化け物は予想以上に手ごわく、数も多かった。
倒しても倒してもきりがない。
やっと全てを倒したときには、もう…
睦月達の姿は、どこにもなかった。
静かな朝が訪れ、学校の授業も平穏に終わった。
昨日校舎の裏のこの場所で、不知火にサラマンドラのことを追及したのが、遠い昔のことみたいに思える。
俺と不知火、ウンディーネとサラマンドラの4人は、額を付き合わせて昨夜のことを話し合っていた。
「で………」
首を左右に振り、コキコキいわせながら不知火が言う。
「何なの?その『賢者の石』ってのは…」
サラマンドラが、空を見上げながら答える。
「俺達が召喚主に託された石だよ…ゲームが始まったら、これを守れってな」
どうやら、不知火は石のことを知らなかったらしい。
不機嫌な顔をした彼女の質問に、サラマンドラが面倒そうな顔をして答えている。
「で…その石はどこにあんの?」
サラマンドラが彼女に手渡したのは、ウンディーネとは違う…赤い石。
ウンディーネの青い石を右手に、赤い石を左手に持って、綺麗ねーとかつぶやきながら、不知火は太陽に透かすように、石を空にかざした。
そして、おもむろに、二つの石を近づけていく。
その様子に…
ぎょっとした表情のサラマンドラが怒鳴った。
「こらぁすず!!!くっつけんじゃねえ!くっつけんじゃ!!!」
びくっと体を硬直させ、不知火は不思議そうに目を丸くする。
「…くっつけたら…どうなんの?」
「だぁから!どうなるかわかんねーから、くっつけんなっつってんだよ馬鹿!!!」
「サラマンドラ…声が大きいですよ」
ウンディーネが諭すように言うと…
二人はふい、とそっぽを向いてしまった。
思わずため息をつく。
………子供の喧嘩かよ。
「で…サラマンドラ。聞かせてくれないか?君がゲームについて…どういう意見を持ってるのか」
深夜出会った時、無遠慮に声を掛けて怒らせてしまった反省を活かして…
今度は少し、丁寧に問いかけてみる。
「俺は…そうだな」
困った顔で頭を掻く。
「別に…叶えて欲しい願いなんてないし、元の世界に帰りたいわけでもないし…割とこの世界も面白いしな。刻一刻と変わっていくあの街の風景をずっと眺めて、どんくせーガキ共がうろうろしてんの見てるのも楽しいし」
石を奪われて消滅しさえしなければそれでいいと、彼は淡々とした口調で話す。
『敵を攻めてもいいけど、最低限守り切れればいい』と、不知火は言われていたらしい。
なるほど…そういう意味か。
それに、一連の彼の発言は、ウンディーネの『傍観者』という表現とも一致する。
「ゲームマスターっていうのは…一体どこにいるんだろう?」
俺のつぶやきに、わからないという様子で首を振る。
「睦月達は…居場所掴んでるんだろうか?」
「さあなぁ…あの様子だと………んーーーわかんねえ」
あっけらかんと言い放つ彼に…がくっとうなだれるウンディーネ。
サラマンドラのノー天気さは…どことなく不知火と似ている気がする。
「とにかく俺は消えさえしなきゃいいんだ。ウンディーネが帰りたいっつーんだったら、勝ちはお前らに譲ってやってもいいぞ」
二つの石を並べて眺めていた不知火が、彼の言葉に顔色を変えた。
「ちょっと!あんた何馬鹿言ってんのよ!?」
サラマンドラの襟をぐいっと掴む。
「ゲームってのは勝ってなんぼなの!私のことこんな風に巻き込んどいて、譲ってもいいなんていい加減なこと許さないからね!!!」
「だけどお前…願い事なんてあるのかよ?」
不知火は、サラマンドラの問いかけにぎくっと硬直する。
「こないだもこういう話したけど…別にねえんだろ?叶えて欲しい願い事なんて」
「………だ…だけどっ…ゲームは、やるからには勝たなきゃ駄目!」
…やっぱり。
そう言うと思ったよ。
「では…勝者は二組と、ゲームマスターに判断してもらえばよいのではないですか?」
ウンディーネの提案に、彼女は渋い顔をしてみせる。
「あのねぇ…四組しかいないのに、なんで半分が勝者なんてことになるのよ!?だいたい、水月だってどうせ、願い事なんてないんでしょ?」
「まあ…なぁ」
たしかに。
強いて言えば、ウンディーネを元の世界に帰してあげたいって…それくらいか。
「いい!?これはゲームなのよ!?それなのに、ゲームそっちのけで元の世界に帰りたい帰りたいってさぁ…あんた、意味わかんないわよ」
早口でまくし立てて、不知火はじろりとウンディーネを睨んだ。
ウンディーネも負けじと、背筋をピンと伸ばして反論する。
「では…自分の意見を述べることの、どこが間違っているというのですか?」
「別に、帰りたいのはあんたの勝手だからいいわよ。けど…虫が良いにも程があるって言ってんの!帰りたいから負けてくださいなんて…あんた馬鹿なの!?死ぬの!?」
ひくっと顔をひきつらせて…ウンディーネが硬直する。
しんと周囲が静まり返り…
思わず…額に手を当てる。
「お前のほうこそ………口が悪いにも程があるぞ?」
「えっ?…と……………ごめんなさい」
小さく舌を出して、不知火は気まずそうにつぶやく。
「けど………とりあえずさぁ、睦月が言ってたじゃん?『真っ向勝負』って」
「『真剣勝負』…じゃなかったか?」
そうそうそれ!と俺を指差し、不知火は小さく手を挙げる。
「意見あります!」
「…何だよ?」
いちいち疲れる奴だなぁと思いながら訊いてみたが…
それは、意外といい意見だった。
「今までって私達、攻め込まれるばっかだったじゃない?だからさぁ…4人であいつの拠点攻めてみようよ。不意打ちだったらあいつも、あんなに余裕ぶっこいてもらんないと思うし………とりあえず今夜、様子見だけでも行ってみない?」
ぽん、と手を打ってサラマンドラが明るい声を出す。
「そうだな!風の石の在り処はだいたいわかりそうだし」
「しかし…私達がむやみに近づいては、気づかれてしまいますよ?」
ウンディーネが顔をしかめる。
「気づかれない方法…か」
「いいじゃない、気づかれたって。あいつだってこの2回とも様子見って言ってたんだし、あんたのとこも見に来てあげたわよって言えば?」
何の難しいことがあろうか?という顔をして不知火が言う。
………大胆な奴。
「だいたい、あいつ自体が遊んでるみたいな感覚なんだし、こっちも乗っかってやればいいのよ!『今日は遊びに来たの、ちょっとお話しましょ。あんたの知ってる情報ちゃんと全部教えなさい、じゃないと正々堂々真剣勝負なんて出来ないじゃない?』って」
遊んでる…か。
危険も大きいが………一理あるかもしれない。
冬のどんより曇った空を見上げ、不知火はぽつりとつぶやく。
「『言わないと、大好きなお姉ちゃんに、あんたが精霊使いの変態兄ちゃんだってバラすわよ』って…」
「………お姉ちゃん?」
『あいつ、うちのお姉ちゃんにちょっかい出しててさ…』
不知火の言葉が頭を離れない。
主に携帯のメールや電話といった手段らしく、直接の接触はないらしいのだが…
『そんな怪しい奴の相手なんてすることないのに…お姉ちゃんお人よしだからさぁ』
そう言って、憂鬱そうにため息をついた不知火。
どういうことなんだろう?
やっぱり…不知火や俺と先輩との関係を知ってのことなのか。
それとも………
先輩も、ゲームに何か関わりがあるんだろうか。
そんなことを考えていたら…背後から声がした。
「仁くん?」
どきりとして、振り返る。
「今日は野球の練習じゃないの?」
不思議そうに首を傾げる不知火先輩は、まだ熱が下がらないらしい。
風呂でのぼせたように、赤い顔をしている。
「あ………えっと」
俺は剣道部の友達に頼んで、道場の隅っこで素振りをさせてもらっていた。
作戦会議のために学校に連れてきたウンディーネは、まだ癒えきらない傷を回復させるために、元の泉に戻っている。
『剣道もちょっとは練習してきてくれると、余計楽しくなるんだけど…』
楽しそうに笑いながら、睦月はそう言っていた。
不知火先輩にも危険が及ぶかもしれない…と聞いたとき。
その言葉がふと、脳裏に蘇ってきたのだった。
一朝一夕でどうにかなるとは到底思えないけど…最善を尽くさなくては。
でも………そんなこと、先輩には話せないわけで。
「ちょっと…気分転換というか、精神統一というか…今はオフシーズンで時間もあるんだし、野球以外のこともトレーニングに加えたらどうかって、先輩に言われたんです」
先輩…ダシに使ってすいません。
不知火先輩は俺の苦しい言い訳を全く疑うことなく、そうなの…と目を細めた。
「先輩は…もう、授業終わったんですか?」
頷いて、にっこり笑う。
「ちょっとだけ…見ててもいい?」
その言葉に…ちょっとだけ動揺する。
「見てても…多分、面白くないですよ?俺、剣道はほぼ素人だし…」
「いいの。何となく…見ていたくて」
道場の壁にもたれて座り込んだ先輩の視線を感じながら…素振りを再開する。
バットの素振りとは違うけど…
『違う!仁、そうじゃないってば!』
姉ちゃんは…俺がバットを振っていると、いつもそんな風に注文をつけた。
『体の使い方がおかしい』だの、『ヘッドが下がる』だの…
うるさいなぁわかってるよ、と…俺はいつも言い返していた。
でも…
『素振り見せてよ』
あれは、姉ちゃんが死ぬ…一週間くらい前だっただろうか。
姉ちゃんは感染症を防ぐための閉ざされた病室にいたので、俺は病室から見える病院の廊下で、バットを振って見せた。
真剣な眼差しで見ていた姉ちゃんは、最後ににっこり笑って言った。
『上手になったね…仁』
「………なんだか、懐かしいな」
不知火先輩がぽつりとつぶやいたその一言で、急に回想の世界から引き戻される。
「こんな風に………素振りする背中を…いつも眺めてた」
遠い目をした先輩に………問いかける。
「誰のこと…ですか?」
「………え?」
「いや…その………俺、不知火先輩にそんな人がいたなんて…知らなくて」
そりゃ、先輩も高校3年生なんだし…俺が知らない恋の一つくらいしてたって、おかしくはないんだけど。
何だか…すごく意外だった。
ところが。
先輩は、きょとんとした目で…俺に聞き返す。
「………そんな人って…何?」
「…えっ!?いや………だから…先輩が今、素振りがどうとかって言ったから…」
穏やかな表情が…不意に強張る。
「私………そんな事…言った?」
「……………」
冷たい風が、俺達の間を吹き抜けた。
ぶるっと体を震わせる、不知火先輩。
気のせい………か?
いや…確かに………
でも、不安そうな彼女の様子を見ていたら…何だか気の毒になってきた。
まあいいか…追及しても仕方ないし。
ただ………これだけは、言っておかなければ。
「先輩。不知火から聞いたんですけど…ストーカーに遭ってるとかって」
俺の問いに…驚いたように目を見開く。
「………そう」
先輩は、更に暗い表情になって…俯いた。
「………すず、そんなこと言ってたの」
「警察に…相談したほうがいいんじゃないですか?そういうのって…」
「でもね!」
俺の言葉を遮るように、必死な声で先輩は言う。
「睦月さんって…すずには分かってもらえないかもしれないけど…悪い人じゃないと思うの。風邪引いた私のこと、気遣ってくれたり…怖い夢見て不安だったときに、すごく心配してくれたり…」
…あの睦月が。
何だか…想像がつかないけど。
これも全て、あいつの計算通りだとすれば…
「先輩………こんなこと言うの…あれですけど」
「騙されてるって…思う?」
申し訳ないけど…頷く。
可哀想な気もするけど、これは不知火先輩の為だ。
寂しそうに笑って…先輩は天を仰いだ。
「…そうかなぁ」
ぼんやりとまた…遠いまなざしになる。
しばらくそのまま黙り込んで…
また俺の顔を見て…にっこり笑った。
「やっぱり、そうだよね………ありがとう、仁くん」
その夜。
ウンディーネと合流して待ち合わせ場所に行くと、不知火は不思議な格好をしていた。
髪はハーフアップにしていて、おもちゃみたいな眼鏡をかけている。
紺色のダッフルコートは…彼女には少しぶかぶかで。
「それ…先輩のやつか?」
「そ!ちょっと変装してみたんだけど…どう?」
楽しそうに言って、くるりとターンしてみせる。
確かに………
ミニチュアの不知火先輩みたいに…見えなくもない。
「で…どうすんだよ?」
サラマンドラが呆れた様子で尋ねる。
「これで、私が囮になってあげる!あんた達は離れた所で見てなさいって」
『賢者の石』の放つ魔力を辿って行き…
俺達は、シルフィードの結界の外側に立っていた。
ここは湾岸の埋立地へ続くモノレールの出発点で、冷たい浜風が吹き荒れている。
「何か…その、変装以外にって意味だけど…策、あんのかよ?」
俺の問いかけに、彼女は曖昧な笑みを浮かべて…答える。
「…まあね」
いつも同様…ゲームのフィールドに、俺達は迷い込んだようだ。
人気がなく、一層強まった浜風が肌を刺す。
建物の影から、不知火の様子をうかがう。
彼女は、高層ビルの谷間の広場に一人で立っていた。
街灯に照らされて、スポットライトを浴びているみたいに見える。
ウンディーネとサラマンドラは、近づくと勘付かれる可能性が高いので、結界の外で待機。
不知火の身に危険が迫ったら、俺が合図して呼ぶ手筈になっている。
睦月が現れる気配はなく…
彼女は小さく足踏みをしながら、両腕で体を抱えるようにして、寒さをしのいでいる。
気づかれていないのだろうか?
睦月が魔術を使えるのは、シルフィードと長い間パートナーを組んだ結果なのだと、ウンディーネが前に言っていた。
俺達はまだ精霊とパートナーを組んで日が浅いから、精霊がいなければ何も出来ない。
結界のセンサーに反応するものが精霊の魔力か何かなのだとしたら、気づかれなくて当然なのかもしれない。
腕時計を見ると、最初にあの場所に不知火が立ってから、30分以上が経過していた。
ふう、と小さくため息をつく。
…当てが外れたな。
『これ以上待つと風邪引くから帰ろうぜ』
不知火の携帯に、そんなメールをしようとしていたら…
ふいに、彼女の携帯が鳴った。
俺、まだ送信してないはずだけど…
不知火はポケットから携帯電話を取り出し…
硬直した。
そして………
「…やっぱりすずちゃんだ」
建物の影から現れたのは…睦月。
紺色のウィンドブレーカーに、黒の細身のズボン姿。
相変わらず、フードの中の素顔は窺えない。
「あんた…何で私の携帯番号知ってんのよ?」
楽しそうに笑いながら、睦月は携帯を掲げてみせる。
「だってすずちゃん、前に俺に電話くれたろ?」
「……………」
「この寒い中外出て公衆電話で…とまでは言わないけど、せめて非通知設定で掛けてくるべきだったね…お姉ちゃんにガード甘いとか何とか言う割には、案外ツメが甘いんだな」
「………うるさいっ!!!」
「でも…ちょっとびっくりしたよ。やっぱ文ちゃんとすずちゃんは姉妹だね…良く似てる」
中々のアイディアだと、彼は愉快そうに言う。
「で…精霊達は?仁くんも近くにいるんだろ?」
「…そ…それより!」
不知火は気を取り直したように、びしっと睦月を指差す。
「もう一個あんのよ、あんたのこと黙らせる方法!」
「ふうん…なあに?」
「私ね…」
不知火は………とんでもないことを言い出した。
「わかっちゃったの!あんたの正体!!!」
思わず…額に手をやりため息をつく。
「突然何言い出すんだよ…お前は」
睦月には…当然というか何というか…顔色を変える気配はない。
ひゅう、と小さく口笛を吹く。
「へえ…俺の正体?」
「そ…そうよ!大人しくこっちの要求飲まないと、あんたの正体お姉ちゃんに言うから!」
これが不知火のハッタリではない…として。
…先輩に知られてまずいような相手なのかよ。
睦月は後頭部に手をやって、困ったなぁとつぶやくが…その様子はいかにも楽しげだ。
「すずちゃん…俺のこと、知ってるんだ?」
「あ…当たり前でしょ!?知ってるわよ、そのくらい…」
依然強気に、不知火は怒鳴り続けている。
「で、私の話聞くの聞かないの!?どっちなのよ!?」
「…すずちゃんの話って…何?」
「…あんたの知ってること、全部教えなさい!ゲームマスターはどこにいるのか、とか…あんたの目的とか…」
「…それは、難しいなぁ」
睦月はにやりと笑って…つぶやく。
「言えないわけ!?…てことはあんた、ゲームマスターの居場所知ってるのね!?」
彼は笑ったまま…答えない。
…てことは、やっぱ…向こうがかなり優勢ってことか。
のらりくらりとかわす睦月に激昂した様子の不知火が、また怒鳴る。
「言いなさい!」
「言えない」
「だったら、やっぱりお姉ちゃんに…」
「それは…困るな」
睦月の周囲に、一陣の風が巻き起こった。
はっとして…叫ぶ。
「不知火!!!」
睦月が突き出した右手の先から放たれた風の刃が…不知火に迫る。
駆け寄ろうとするが………間に合わない。
不知火はぎゅっと目をつぶり、両腕で顔を覆うような姿勢になり………
突然。
眩い光が辺りを包んだ。
その中心に目を凝らすと…
白い光は不知火の体を包み込み。
風の刃は…かき消されていた。
光が消え…街灯の明かりだけの、元の暗闇に戻る。
呆然としている不知火の肩を、遠くから駆け寄ってきたサラマンドラが揺さぶる。
「おい!大丈夫か、すず!?」
「………う…うん」
「仁、今の光は………?」
ウンディーネも近くに来ており、俺にそう尋ねてくるが…
わからない、と首を振るほかない。
一体…何だったんだ?
ふっ…と微笑んで、睦月はまた、フードを被った頭に手をやる。
「参ったな。ちょっとした脅しのつもりだったんだけど…皆さんお揃いとはね」
「う………うっさいわねぇ!何が脅しよ!?やっつける気まんまんだったじゃない!?」
気を取り直した様子で…不知火が怒鳴る。
「…すずちゃん?」
「な…によ…っていうか、気安く『ちゃん付け』で呼ばないでくんない!?」
「さっきの…ハッタリだろ」
「ち………」
明らかに動揺した様子で…不知火は首を振る。
「違うわよ!本当に…私は本当に、あんたの正体わかったんだから!睦月はこんな風に可愛い妹をいじめるひどい奴だって、お姉ちゃんに言いつけてやるからね!!!」
「…言いつけるのは構わないけど」
首を傾げるようにして…にやりと笑う。
「その前に…可愛い妹の秘密も、ちゃあんとお姉ちゃんに教えてあげておかないとね」
カシャリ、というシャッター音。
睦月は俺達の方に携帯を向けて…どうやら写真を撮ったらしい。
「それ………まさか」
携帯を操作しながら、さも愉快そうに睦月が言う。
「だって…俺のことだけばらすんじゃ、フェアじゃないだろ?文ちゃんには公正に判断してもらわなくちゃ」
「ち…ちょっと、駄目!絶対駄目だったら!!!お願い!!!」
不知火が必死の形相で、睦月に取りすがり…
腕を掴んだまま目を見開いて…呆然としゃがみこんだ。
彼女の手をすり抜けると、睦月は風に乗って、ふわりと空中に浮かぶ。
「今日は遊びに来てくれて嬉しかったよ…また明日の夜」
「ま…待て!!!」
走り寄ろうとする俺の前を、突如巻き起こった竜巻が塞ぎ。
「またこの場所で…明日は約束通り、石をかけて戦おうじゃない」
「待ちやがれ!この野郎」
サラマンドラが炎の塊を放つが…
強い風に弾かれ、夜の闇に消えた。
「無粋ですよ?今日は人間同士の話し合いの場だったというのに」
シルフィードが現れ…にっこり微笑む。
バイバイと手を振った睦月と、それに寄り添うように空に浮かんだシルフィードは…ビルの向こうに消えた。
帰り道…不知火はずっと無言だった。
付き添って、家の前まで行くと…
不知火よりももっと暗い顔で…先輩がぽつんと立っていた。
「お…ねえ………ちゃん」
戸惑うように…つぶやく不知火に。
彼女は冷たく…問いかける。
「どういうことなの?」
その手には…携帯電話が握られており。
「…一体どういうことなの?あなた達と一緒にいたの…あれ、精霊でしょ?ねえ………精霊って…ゲームって…一体何なの?あなた達は一体、何をしようとしているの!?」
「先輩…」
伸ばした手は…ぴしゃりと振り払われた。
「このことがあったから…あなた達は私に、『睦月さんに近づくな』って言ったの?」
混乱した様子で、ぶんぶんと大きく首を振る。
「…わからない」
「………お姉ちゃん」
「わからないわよ!すずの考えてること…全然わかんないわ!」
両手で頭を抱えるようにして…彼女は地面にぺたりと座り込んだ。
白い頬を涙が伝い…
俯いたまま、先輩は感極まった声で…叫んだ。
「もう私のことは放っといて!すずも仁くんも…大っ嫌い!!!」