その二十八(影と姫の帰国)
最終話になりませんでした(長すぎて)。
すみません。
最後から二番目のお話になります。
ヴィルの執務室で一悶着あった後すぐに、フィアナとシャアラの二人は部屋を後にした。
ラジェはルチエとヒイノに捕まっており、降って湧いたようなラジェの身請け話に今の主であるヴィルも関係がないわけがない。
天手古舞になっているその部屋に現れた侍女が、シャアラとそしてその侍女であるフィアナを呼んだのだ。
フィアナが受けた毒の検査の為にと呼ばれた医者が到着したという知らせと、シャアラは国王から直々の呼び出しがあったという話であった。
その為、不安げな顔をしながらもシャアラは一人で、国主であるヴィルの父君と母君に拝謁された。
フィアナの検査台にも、シャアラの拝謁にもついてはいけない男衆は、結果として部屋に置いてきぼりにされたといってもいいだろう。
シャアラが会ったというヴィルの父君は狩りが趣味だという一族に相応しくがっしりとした体格で、逆に母君はメガネの似合う線の細い人であったと言う。
一目見れば、ヴィルがどちらに似たのかはすぐわかるというものだ。
二人はヴィルの暴挙がここまでとは知らず、影武者といえど隣国の娘をこのような事態に巻き込んでしまったことを深く詫びられたと聞いた。
以前フィアナが屋敷の者に聞いたように、この二人はできるならヴィルに恋愛結婚をしてほしいと望んでいた。
しかし生憎自身らの息子は一族としては珍しくどうも運動も下手であるし、幼少の事件から人と関わることを極力避ける節がある上、もっと言えば引き籠りだった。
そんな引きこもりの王子が初めて望んだ女性と聞けば、王子の初めての望み―――――己と彼女が結ばれるまで手を出さないという確約にも素直に頷いたという話であった。
なんともな王家であるが、しかしこちらも婚約にまで至るかもしれない見合いに影武者を立てるという事態を引き起こしていたこともある。
今回の事件も、言ってしまえば影武者のフィアナがその勤めを無事果たしたとも取れるのだ。実際にシャアラが被害を被っていれば話は別だが、今回は運が良かったと言える。
フィアナならばどうなってもいいと取れるその言い方はシャアラは嫌だと常々思っていたが、外交ではそんなことは言っていられない。
「今回の事は、僥倖であった」と。そう言え、とシャアラに押したのはフィアナ自身でもあった。
今後の両国の関係を考えれば、お互い矛を収めるべき時だとフィアナは判断したのだ。
そして更にはヴィルとシャアラが丸くまとまってしまいそうな状況ということもあったのだろう。
嬉し恥ずかしな気持ちもあったが故に、言い募る夫妻にシャアラはそれ以上はと、とどめ置いたという。
しかしシャアラとフィアナはその日のうちに立つというのだから焦るお二方に、シャアラ姫は両国の親交は変わらないという確約を残された。
それに一先ずはほっとしたらしいお二方は、こってりヴィルを絞るというのだから、シャアラ姫はこんなお願いをしたという。
「でしたら、一月ほど毎日乗馬をさせてくださいまし」
嬉しそうに嫌がらせのつもりなのだと報告する姫に、本当に嫌がらせのつもりなのか、それとも将来共に遠乗りをされたいのか―――、フィアナは口を噤んでおいた。
部屋に帰ってきたシャアラを抱きしめ、言葉もなく全てを共有する。
それができるくらい、二人は長く共にいた。
ちなみにフィアナ達が屋敷についた直後に捜索隊が組まれ、東の森をくまなく探したがジノと思われる男の死体は見つからなかった。
獣に食われたか、それとも生き残っているのかは定かではないが、追わないと決めたのはラジェとフィアナだった。両方ともがそれぞれ口を揃えて、更なる捜索はいいと固辞したのだ。
それは二人の中に、ジノの生死がどうであれ彼が再び自分たちの前に現れることはないだろうという、確信があったからだった。
よって国への報告は、遺跡で特殊隊が捉えたゴロツキ達を差し出して終わった。
彼らはジノに雇われた身であったかもしれないが、国に関わる者に手を出したのだから、重い罪は免れない。
手薬煉を引いてその者達を待ち構える、ルチエの黒い笑顔の先にあるのが決して楽な道ではないことをフィアナも知っていたから、それ以上は深く聞かなかった。
その後は約束通り、ラジェを除く特殊隊の面々とルチエ、そして国の正式な騎士たちの仰々しいほどの団体に送られ、フィアナとシャアラは無事国に戻ることとなった。
白亜の屋敷が遠ざかる姿は、自分で思っていたよりも心が痛まず、フィアナは驚いた。
横にいるシャアラも何か決意を固めたようにまっすぐに建物を――――というかヴィルを見つめていたから、フィアナと同じように一度目の旅立ちのような苦しさはないのだろうと思う。
結局、フィアナはラジェとはっきりとした話をすることはできなかった。
見送る彼の寂しげな、でも決意を固めた深海の瞳を、フィアナは今でもしっかりと覚えている。
そしてシャアラとヴィル王子の婚姻も纏まらないまま、二人は祖国への帰路についたのだった。
*****
そして今、フィアナは今までで最も長い時を過ごした部屋から、景色を眺めていた。
この国独特のガラスが嵌められた窓を指でそっとたどる。
磨き上げられたそのガラスの先に、フィアナの国が広がっている。
かちりと窓の鍵を開ければ、涼しげな風がフィアナの前髪をかきあげた。
ヴィルとラジェのいる国と違って、工業ばかりが発達したこの国は自然よりも聳え立つ建物の方が多い。
特に都心であるここ王都では、背の高いこの塔のような城を囲む庭というには広すぎる庭以外、森のように木や花が咲き乱れる場所はこの窓からは見えない。
それでも感じることのできる季節の移り変わりに、フィアナの頬は緩み、すうっと肺一杯に息を吸い込んだ。
少しだけ煙の混じるこの香りが、フィアナが生きてきた国の香りなのだ。
そう思えば、もうぼんやりとしか思い出せないあの花々の香りが遠く感じる。
―――そう、あの昼と夜で顔を変えるあの庭が、とても懐かしい。
あの国で過ごした日々を思い出し、フィアナはそっと笑んだ。
あれから季節は巡り、一年が経とうとしていた。
シャアラは今でもお転婆で、今もアパネと遠乗りに行くとはしゃいででかけていった。
一つ年をとった彼女は、以前よりも理知的な顔もするようになって魅力が倍に増していた。
彼女の馬を駆ける健康的で溌剌な姿に見惚れ、そして国の事を思うときの真摯な表情に感嘆する男性は後を絶たなくなっている。
それでも彼女は花束を差し出す男性に頷くことはない。
それは、シャアラという女性の中にすでに想う男性がいることを周りにしっかりと示していた。
その証拠に、嫁入りの為の必修とされ、今まで散々逃げていた刺繍や作法の勉強にもシャアラは真面目に取り組むようになっていた。
…しかし集中力がすぐ切れてしまって、すぐにディディを引っ張り出してはラリアットをかましている。
部屋の隅にいるディディはこの一年でまたもあちこちがカラフルに変化していた。
いつそのディディがヴィルにとって代わるか分からないのだから、姫の暴力癖をなんとかせねばならない。
そしてシャアラのサンドバック候補になりつつあるヴィルはというと、聞いた話によれば向こうの国で既に王の後を継げるのではと言えるほどの執務をこなしているらしい。
憑りつかれたかのように仕事に臨み、翌朝疲れた顔にかかる金茶の髪を気だるげに掻き上げる姿に、侍女たちがストイックなところもいいと溜息を零しているとルチエがにやにやしながらシャアラに報告したとき、ディディの傷が増えたのは言うまでもない。
会いに行くまではしないが、時折何通も手紙を書きなおしては結局無難な一枚をシャアラがそっと送っているのをフィアナは知っている。
その内容は体を大事にしろとか、乗馬が楽しいとかそういった他愛のないことばかりだが、シャアラがその一枚一枚にこめた想いは並々ならないものがあるはずだ。
早く素直になればいいのにとフィアナは思うのだが、彼女は「絶対に自分からは会いにいかない、まだ会いに行けない」の一点張りだ。
そしてシャアラが一生懸命に乗馬を我慢して刺繍に臨む姿は、なんともいじらしかった。
そしてフィアナの元にも便りが届くことがある。
真っ白な封筒に、青のラインが美しいシンプルな封筒だが、その色合いは彼を彷彿させるに十分なものだった。
時折、嬉しそうな顔でルチエ自身がその手紙を届けにやってくる。
彼はこの遠い距離を苦にも思わず手紙片手にやってくるのだから、見上げた忠誠心だと思う。
そのルチエが語るに、フィアナ達が帰国してまもなく、ラジェはヒイノの養子になり、目下辺境伯になる為の特訓中だという。
名前は養子になったことで、ラジェ・リンドウ・ヤマブキへと変わった。
リンドウの名を残したのは、彼の希望だと聞いたから、これから土地を治め、学生を育てる彼なりの何か決心があってのことだと勝手にフィアナは思っている。
それと、彼が去った後の屋敷では、特殊隊の面々がルチエの指示の元、相も変わらず活躍しているという。
…少し活躍というには暴れすぎかもしれないけれど。
ラジェが辺境伯への猛勉強の為に屋敷から席を外している今、彼らの扱いは微妙だと言う。
王子が行使するには少々彼らの我が強すぎる事もあって、今までの特殊隊の立場が如何にラジェに支えられたものであったかがよくわかるとルチエはぼやいていた。
このままラジェは屋敷に彼らを務めさせる気でいることをルチエが一番よくわかっているから、彼の今一番の悩みは今後の特殊隊の形であるはずだ。
ルチエ自身がどんなにラジェについていきたくとも、賢い彼はラジェの願いを無下にできずに途方に暮れているようだった。
しかしラジェが一人前になれば、特殊隊をそのまま預けるとヴィルが決めていることをこっそりと帰り際に王子自身からフィアナは聞いていた。
そんなことをして大丈夫かと言えば、元々騎士の順列にない困り者たち、屋敷から離すことは可能だろうと王子は笑っていた。
「ラジェがいなくなった屋敷で彼らが統率できるとも思えませんしね」とからりと笑う彼は、やはり運動より机仕事が向いているのだろう。
その事は秘密にしておいてほしい、とヴィルが薄く笑ったことにフィアナは驚いた。
いつもむっつりとしていたヴィルが笑うなんて、と。
そしてフィアナも、新たな岐路に立っていた。
フィアナは今回の件で、影武者として正式にその任の期限が決まった。
それは今後令嬢としての立場があるフィアナにとってあまりに今回の事が大きすぎる事件であった事、そしてシャアラが影武者の任を解くことを強く両陛下に求めたためだ。
青天の霹靂であったフィアナは最初断固反対したが、国の決定事項だと言われれば引き下がるしかない。
最初はむっつりとしていたフィアナだったが、シャアラが今までフィアナに押し付けていた分大人になろうと頑張る姿を見る度、自分の役目は終わったのだと、すとん、と思った。
今まで苦手な事はフィアナ任せ、都合が悪くなればフィアナに縋っていたシャアラが、今は自分の意思で姫としてあろうとしている。
その姿に、薄らと滲んだ涙を拭った。
確かに年齢的に婚約間近であろうシャアラの傍に、フィアナはいられない。
余りにその身に纏った色が似すぎているからだ。
シャアラが子を産むとき、自らが近くにいては政治の野蛮な火種になってはいけない。
少なくとも前からシャアラが婚約した暁には一度離れることは決まっていたが、それが永久に、となれば驚いてしまう。
シャアラが婚約し、旅立つと同時にフィアナも任を解かれると知らされたとき、最初はどうしたものかと思った。
なぜなら今更フィアナ・カルラの名前で一度も夜会にでたことのない自分が社交界で華々しく咲こうとも思わないし、侯爵家は他の兄弟が立派に後を継いでくれると知っている。
ならば自分がしなくてはならないこと、できることなどないのではないかと思った。
…しかし、違ったのだ。
そんな事務的な想いではない、新たな想いを、ラジェとの日々が与えてくれたのをフィアナは思い出した。
今はしたいことが見つかった。
今にも飛び立っていけそうな伸び伸びとした気持ちが、今のフィアナにはあった。
輝くような笑みを浮かべたフィアナは最後にめいっぱい伸びをすると、窓を閉めた。
さぁ、そろそろ姫様が帰ってくる前の最後の仕事をしよう。
部屋にいける季節の花を変えなくてはならない。
庭師の元へ行こうと、軽い足取りでフィアナが扉に近づいたときだった。
慌ただしく扉が開けられ、あわやフィアナはつんのめるところであった。
ノックもしないなんて不作法だとフィアナが苦言を零そうとすれば、その先にいたのは見知った人物だった。
息を乱し、乗馬服に身を包んだ麗しい薄紅色の髪の女性。
そう、先程遠乗りにいってくると意気揚々とでかけたシャアラであった。
「姫様、遠乗りに行ったのでは――」
「そっ、それどころじゃないの!直ぐに表に来て!」
顔色を変えたままのシャアラに腕を引っ張られ、エントランスから正面玄関へ。
扉を開けた先で、信じられない光景がフィアナの目に飛び込んできたのだった。
最終話は2014/3/27 0:00 に更新する予定です。




