第1話 奪われた王宮画廊と婚約
壁から一枚でも絵が消えれば、その家にいた誰かの記憶まで消える。
王宮画廊の婚礼展示室で、私は朝から持参絵画目録を読み上げていた。金箔の額縁、乾いたニスの匂い、磨かれた床に揺れる冬の光。華やかな場所ではあるけれど、私の仕事は目立たない。どの家からどの絵が嫁入り道具として持ち込まれ、いつ返還されるべきかを記録する。それでも私は、この仕事が好きだった。
「姉さまは絵を見ているだけでいいから、楽でずるいわ」
背後から甘い声が落ちてきた。義妹イリス。二十六歳。真珠色の髪を指先で遊ばせながら、いつだって欲しいものを先に自分の手へ引き寄せる女だ。その隣には婚約者レオンハルト・クローナーが立っていた。三十四歳の王宮画廊局次席。五年かけて私へ結婚を申し込み、母の嫁入り肖像も二人で守ろうと言った男だった。
「来月の婚礼展示会はイリスが主任を務める」
局長バルテルが書類を閉じて言う。
「それに合わせて、婚約も見直された。エルマ、君は北辺収蔵庫へ異動だ」
私は息を呑み、卓上の目録へ視線を落とした。母クララの持参絵画一覧。その中ほど、番号三一八の行だけが白く抜けている。本来あるべき画題も、寸法も、返還欄も消されていた。
「欠番があります」
私は紙を持ち上げた。
「母の嫁入り肖像を含む箱の記録です。ここだけ消されています」
「管理不備だな」
レオンハルトは私を見ずに言った。
「展示主任を続けさせるわけにはいかない」
管理不備。その言葉が、まるであらかじめ用意されていた飾り札みたいに軽く落ちた。
「北辺へ行って、古い収蔵品でも数えていればいいでしょう?」
イリスが笑う。
「花嫁席は、もっと人目を引く顔の方が似合うもの」
その瞬間、私はようやく理解した。奪われたのは婚約と仕事だけではない。母が遺した絵まで、誰かが私の壁から剥がして持っていこうとしている。




