159.剣士の名
僕はエーナと向かい合い、模擬剣を構えた。
エーナもまた、手に握るのは模擬剣――彼女自身は真剣での勝負を望んだが、生憎と僕は剣を持っていない。
彼女は僕に合わせて模擬剣を握った形だ。だが、それでも目の前に立つエーナから感じられる気迫は相当なものだ。
まだ構えてすらいないというのに、すでに戦いが始まっているかのように錯覚する。
実際に、エーナと向き合って戦ったことはない。
だが、彼女の強さは、少なくともイリスに匹敵することは間違いないだろう。
「本来ならば、このような『玩具』ではなく『本物』で斬り合いたいところなのだが……まあいい。これでも、私の確かめたいことは分かる」
そう言うと、エーナは模擬剣を構えた。
作り出した模擬剣は、彼女が腰に下げるレイピアと同じだ。剣先が細いため、『斬る』よりも『突く』ことに向いている。
腰をわずかに落とし、後方へと下げた右足に力を込めている――地面を蹴って、すぐにでも距離を詰めるつもりだろう。
僕はそれに対し、剣を構えたまま動かない。エーナが近づいてくるのを待つ形だ。
「いつでもいいですよ」
「さすがに余裕だな。お前からは斬りかかってこないか」
「僕は割と慎重なもので。それでも、『本気で』という言葉には応えるつもりです。だから、『いつでもいいですよ』」
「なるほど――ならば、いくぞ」
言葉と共に、エーナは床を蹴る。
僕との距離を瞬時に詰めると、迷いなく『突き』を繰り出した。
僕はそれを、模擬剣で逸らすようにして受ける。エーナもまた、すぐに反応してわずかに後方へと下がった。
だが、すぐに一歩を踏み出して連撃を繰り出してくる。
レイピアは特に刺突に優れた剣であるが斬ることもできる。突きの合間に斬撃を挟みながら、素早い動きで僕の防御を崩そうとしているのが分かった。
――剣速だけで言えば、イリスよりもエーナの方が上をいくだろう。
一撃が重いイリスに対し、彼女は一撃の威力は高くないが、素早い動きで確実にダメージを与えようとするアリアと同じタイプだ。
だが、戦いにおいては――刺突も斬撃も、受ければ致命傷になることだってある。
僕はエーナの攻撃を受けることはなく、全て捌いて見せた。
すると、エーナは先ほどよりも大きく後方へと下がり、小さく息を吐き出す。
「……ふぅ。確実に『当てる』つもりだったが、まさか掠めもしないとは、な。防御に徹したお前に攻撃を当てるのは難しい……そういうことか」
「何度か受けそうにはなりましたよ。さすが、エーナさんは――」
「世辞はいい。言ったはずだ、『本気で』とな。次はお前が来い」
エーナがそう言って、構えを変えた。今度は僕の攻撃を受け切るつもりらしい。
本当の戦いであれば、当然のように命の奪い合いになる。
このように、お互いに攻めて受けるということはしないのだろう。
実際、エーナが望んでいるのもそういった戦いのように思えた。
確かに、僕は彼女の『本気』に応えるつもりだった。
様子見をしようとしてしまうのは、少なからず僕が『講師』の気分でここに立っているからかもしれない。
だが、エーナから感じられるのは『剣士』としての気迫だ。――ならば、その気持ちには応えなければならないだろう。
「分かりました。では今度は僕から――『本気』でいきますよ」
言葉と同時に、床を蹴って動き出す。
今度は僕の方から、連撃を繰り出した。
エーナは完全に受け切るつもりで、体勢を低くすることで防御を固める。
けれど、それで受け切れるほど――僕の剣は甘くはない。
五撃目までは確実に受けていたが、六撃目に彼女のレイピアを弾き飛ばす。
エーナの表情がわずかに曇る。もっと受け切れるつもりだったのかもしれないが、僕は彼女の喉元に剣先を当たるようにして、静かに言い放つ。
「これが僕の本気です。これでよかったですか?」
「……ああ。改めて向き合って、お前の強さはよく分かった。私より『強い』と思える人間は、少なくともお前くらいだと、私も思っていたからな」
「……? 僕以外にも、エーナさんより強い相手に会った、ということですか?」
僕は模擬剣を懐に納めて、問いかける。
エーナは僕の問いかけに頷くと、真剣な面持ちで答えた。
「そうだ。そして、私からもお前に聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「お前は……何者だ? お前と全く同じ剣術を使う『剣士』に会った。その男の名前は――ラウル・イザルフだ」
「――」
エーナの口から出てきたのは、僕の予想もしない男の名前だった。
なにせ、それは『僕本人』のことなのだから――






