156.ラウル・イザルフという男
《剣聖》――ラウル・イザルフが確認されている記録において、初戦とされるのはまだ彼が《剣聖》と呼ばれる前のことだ。
とある国家間の水上戦において、ラウル・イザルフという傭兵の参加が記録に残されている。
当時、水軍に力を入れている国家は少なかったが、その国は違っていた。
船団を作り上げ、河川を利用し、確実に勢力を拡大しつつあったのだ。水の国と言われる程に水辺に恵まれていたからこそ、できる戦術であったとも言える。
いくつもの船が並び攻める姿はまさに圧巻であり、相対する国々はその姿を見るだけでも戦意を喪失するほどだと言われていた。
「……おかしい」
そんな船団を率い、周辺各国にもその名を知られた剣士――エルヴァイル・フェンダーは船上でポツリと呟いた。
エルヴァイルの言葉を聞き、隣に立つ部下が問い返す。
「おかしい、とは?」
「我々の船団はすでに領内に侵入している。予想では、この辺りで開戦となってもおかしくないはずだ。だが、見てみろ――一向に、敵の姿が見えない」
「……確かに、その通りですね。伏兵を用意するにしても、引き付けるための囮がいなければ意味がない……すでに、この水路は諦めたのでは?」
「いや、それはない。この水路はこのまま進めば都付近にまで繋がっている。そんな場所を守らずに放っておくなど、負けを認めたと同義だ」
「……敵側はまだ降伏を示していませんね」
「その通りだ。これが敵の作戦だとすれば……ここからは細心の注意を払って進もう」
「はっ」
水上戦において圧倒的な力を持っているにもかかわらず、エルヴァイルという男は冷静だった。力を持っていたとしても、無理に攻め入ることはしない――だが、攻める時は確実に攻める。
それが、エルヴァイルが恐れられる理由でもあった。剣士としてだけでなく、将として優れていたからだ。……そんな男でも、予想のできない存在がいる。
「て、敵襲、敵襲ーっ!」
「っ! 敵襲、だと?」
船内から突如響いた声に、エルヴァイルは驚きに目を見開いた。
周囲を見渡しても、敵の姿はまるで存在しない。
それなのに、部下からそんな報せが届けば驚くことも無理はないだろう。
エルヴァイルは声のした方向を確認する。
すると、確かにそこには『敵』がいた。――一本の剣を握った、一人の青年が。
「な……まさか、一人で乗り込んできたというのか……!?」
青年は軽装に身を包み、一本の剣だけを持って船上に立った。
すでに、何人か斬り伏せた後であることがエルヴァイルにも分かる。
『敵襲』の報せを受けてから、まだ数える程しか経過していないというのに。
青年に対して向かっていく部下達が、次々となす術もなく斬られていくという事実も、エルヴァイルの視界には確かに映っていた。
「――っ! 他の船にも知らせろ! 敵は潜水をして侵入してくる可能性があるとな!」
「しょ、承知しました!」
エルヴァイルは部下に命令すると、すぐに剣を抜き去り、青年の元へと駆けて向かう。
そこはすでに青年の独壇場――剣だろうと槍だろうと関係ない。弓を持つ者ですら、青年の『剣術』によって全て斬り伏せられていた。
たった一人の敵によって、すでにエルヴァイルの船は大きな損失を受けたことが分かる。
エルヴァイルが青年の前に立つと、青年はピタリと動きを止める。
(……惜しいな)
エルヴァイルはそう、心の中で呟いた。向かい合った瞬間、青年の強さをエルヴァイルはすぐに見抜く。
圧倒的な強さを持っているが故に、単独でこの船へと攻め込んできたのだろう。故に、あまりに勿体ない。
この実力者を、使い捨ての駒のように使ったという事実が、だ。
だが、すでにここは戦場。エルヴァイル個人の感情は捨て去り、一人の敵に向かって言い放つ。
「私の名はエルヴァイル・フェンダー」
「! エルヴァイル……まさか、いきなり英雄と出くわすとはな」
「私のことは知っているか。たった一人で乗り込んでくるのは見上げた度胸だが……若いな。いくら腕があっても、それではどのみち長生きはできないだろう。だが、見逃すことはできん――運がなかったと諦めるんだな」
「……運がなかった? ははっ、それは逆だな」
青年は剣を振るい、鮮血を落とす。そうして、剣先をエルヴァイルに向けてにやりと笑みを浮かべて言い放つ。
「俺はツイてる。何せ、あんたと戦いに来たんだからな」
「……私と戦いに来た、だと?」
「そうさ。実のところ、『戦争』に参加するのは初めてなんだが……どうせ戦うなら名のある剣士と戦いたい。そう思っていたからな――あんたは、俺にとってはうってつけの相手ってわけだ」
「――」
青年の言葉を受けて、エルヴァイルは絶句する。見上げる程の馬鹿なのか――そう決めつけることは簡単だ。
だが、そんな理由でこの船団に乗り込んでくることができる者が、一体どれほどこの世界にいるだろう。
少なくとも、エルヴァイルには絶対にできない芸当だ。
だからこそ、エルヴァイルは危惧した。
この青年を生かしておくのはまずい――国のためだけではなく、この青年は生き延びれば、間違いなくあらゆる国の脅威となる、と。
エルヴァイルは剣を構え、床を蹴って踏み出した。
先ほど、青年の剣術はこの目で確認している。
部下達では歯が立たなかったが、エルヴァイルの実力であれば倒すことは可能だ――そう思って踏み込んだはずなのに、エルヴァイルよりも早く青年が踏み込んできていた。
(速――)
そのまま、エルヴァイルは倒れ伏した部下と同じように、青年の剣によって斬られる。
「遅いな。どうやら、俺が思っていた程の剣士じゃないらしい」
それが最後にエルヴァイルの聞いた言葉であり、一人の英雄の最期でもあった。
この戦いにおいて、たった一人の剣士によって船団が壊滅に追い込まれ、やがてその船団を恐れる者はいなくなっていく。
そんな凋落とは反対に名を挙げた青年は、後に各地の戦場へと姿を現して、名を知られるようになる。
最強の《剣聖》――ラウル・イザルフとして。
お待たせしました。
五章を始めていきたいと思います!






