115.辿り着く答え
灯台の頂上からでも、決着がついたことは分かった。
倒れ伏すルイノを背にして、イリスがこちらに剣を向けている。
勝利した――そして、あとは任せるという意思が、伝わってくる。
僕も彼女に応えて、腰に下げた《碧甲剣》を抜き去り、イリスに向かって刃先を向ける。
確かに受け取った、と。
「……やれやれ。ルイノは負けてしまったかぁ」
ふぅ、とリグルスが大きくため息を吐き、空を見上げた。
そして、再び酒をあおる。
どうやら、ルイノが勝つと本気で信じていたようだ。
静かに酒の入った瓢箪を置く。
「途中までは、間違いなくルイノの方が優勢だった。けれど、功を焦ったのかな。あそこで早々に、決着を付けようとする必要はなかったかな。君はどう思う?」
「確かに、判断は早かったかもしれない。けれど、あのまま戦えば――どのみち勝つのはイリスさんだった」
イリスは戦いの中で常に成長できる子だ。
今の戦いでも、リグルスの言う通り、初めはルイノの方が優勢であった。
だが、わずか数撃の間にルイノの一撃に追い付き、超える一振りを放ったのはイリスだ。
そして、最後の一刀――二人とも全力を吐ききり、なおも立っていたのはイリスだった。
「僕とあなたがどう話したところで、結果は変わらないよ。イリスさんはルイノを倒した――それが事実であり、真実だよ。イリスさんは自分の目指すものと向かい合って、それを手に入れたんだ」
「目指すもの、ねえ……。確かに、イリスとルイノの戦いは、ルイノの負けだね」
『イリスとルイノの戦いは』――その言葉が意味するのは、次の戦い。
……僕と、リグルスの戦いのことだろう。
「よっと。さて、私と君の決着を付けるときだけどね。正直、私では君に勝てないだろうね」
リグルスは腰に下げた刀の柄を撫でながら、そんなことを言い放つ。
戦う前から諦めたような言葉を口にするのは、《剣客衆》ではきっと彼ぐらいのものだろう。
「その前に、真実を話してもらおうかな」
「……真実?」
「あなたが、今のルイノになるように仕向けた……その話だよ」
「ああ! その話か!」
思い出したように、リグルスが手を合わせる。
僕にはその話を聞く必要があった。
「別に、特別な話はないんだけどねぇ。何から話したらいいものか……」
「なら、簡潔に聞こう。あなた以外の、ルイノの家族はどうした?」
ルイノの祖父――ソウキが亡くなっていることは、ルイノの口から聞いている。息子であるはずのリグルスは生きていて、剣客衆という組織に属し、その娘のルイノは修羅の道を生きている。
あの男の家族が、どうしてそのような道を進むことになるのか。
「私以外、ねえ。そうだな……簡潔に言うのなら、私の妻――ルイノの母は、死んでいるよ。私の父親の……命を狙った連中の一人に殺された」
「! あなたの父の……」
ソウキは僕の前世――ラウル・イザルフとも戦場を多く共にした。
そういう意味では、確かに命を狙われるような恨みを買うこともあっただろう。
僕も似たような人生を送り、前に立った人間は悉く打ち倒してきたのだから。
だが、ソウキは家族との生活を選び、身を隠したはずであった。
「父を探していた男は、父が仕事で協力した戦争の……敗戦国の騎士だった。復讐心というのはすごいものだねぇ。遥か遠くの国だというのに、私達の元までたどり着いたんだから。そして――彼は私の妻の命を奪った」
そこまでの過程がどうであったかは、リグルスは語らない。それだけでも、リグルスの妻が亡くなったという事実は十分に伝わるからだ。
だが、それだけではまだ足りない。
「あなたの……父もその時、殺されたのか?」
「いや、父を殺したのは――私だ」
「――!」
僕は驚きに目を見開く。
ソウキを殺したのは、息子であるリグルスだというのだ。……どうして、そのようなことになるのか。
「別に、驚くようなことではないよ。私は見ての通り、剣術に優れた男ではなくてねぇ。当時なんか、そこらの国の兵士よりも弱かっただろうね。でも……それなりには強くなったんだ」
リグルスが笑顔を浮かべて、言葉を続ける。
「驚いたよ。復讐心――私の妻を殺した男を殺したい一心でね。私は刀を握り、強くなったんだ。ああ、人はこんな簡単なことで……『気持ち一つ』で強くなれるんだと実感したことはなかったよ。私の妻を殺した男はね、あえて逃げ出したんだよ。父が同じように復讐の心を持って戦いにくることを期待したんだろうねぇ。けれど、父は行かなかった。それどころか、私に『復讐はやめろ』などとのたまわった。誰のせいでこうなったんだと……私は思ったねぇ」
ふぅ、と大きく息を吐き出し、リグルスが視線を逸らす。その方向は、イリスとルイノのいる方角だった。
「その時、思い付いたんだ。私ですら祖父と斬り合い、殺すほどの力を手に入れた。なら、まだ幼い娘ならどうなる? 母を失っただけでは足りなかったらしい……だから、祖父も失わせ、私の死を偽装した」
「娘のルイノから、全てを奪ったのか」
「違うね。与えたのさ……父として、ルイノに復讐心という絶対の力を与えた。はっきり言えば、結果は成功だったよ。わずか数年で、ルイノは私の妻を殺した男など、歯牙にもかけずに葬り去った。それも、私が仕向けたことだけれどねぇ。けれど、まだルイノは強くなれると、思ったんだ」
「……なるほど。だから――剣客衆を作ったのか」
僕は、アディル・グラッツが剣客衆を作ったのだと思っていた。死闘を好む戦闘狂集団――だが、今の話を聞いて理解する。剣客衆は、リグルスが作り出したものなのだと。
「実際に作ったのはアディル君だよ。私は、そうなるように唆しただけさ。彼は何より、戦いを好む性格であったからねぇ。自然と同じ人間が集まってきた。……だというのに、アディル君も含めて君にやられてしまうとは」
「ルイノに、剣客衆の全員を斬らせるつもりだったのか?」
「! そう、その通りさ。ルイノが強くなる機会はね……私が作らなければならないからね。何せ、私と違ってあの子には才能がある。無駄にはできないよ。まあ、それも当てが外れてしまったかな。イリス――《剣聖姫》に負けるなんてね。奇しくも、父がよく話していた《剣聖》の名を借りた女の子に負けるなんて、とんだ皮肉もあったものだよ」
「あなたは、どうして娘にそんな道を選ばせた。一緒に生きる道もあったはずだ」
ソウキは……その道を選んだからこそ、復讐の道は選ばなかったのだろう。いずれは、自らで決着を付けるつもりだったのかもしれない。
だが、彼は家族想いの男であった。
故に、修羅に堕ちようとする息子のことを放っておけなかったのだろう。
僕の言葉に、リグルスは小さく嘆息する。
「そんな道なんてないさ。誰よりも強くなること――それが、ルイノが幸せに生きることができる唯一の道なんだよ。それこそ剣聖だって、誰にも負けないから生きていられたんだ。何も間違った道じゃない。それに、今更こんな話をしたってなんになるんだい? 子供の身でありながらそこまでの力を手に入れた君は……復讐を否定するのかな?」
「僕は復讐を否定しない。それもまた、強くなるための道だからだ」
「だろう?」
「復讐でも強くはなれる。剣聖は何も持たなかった故に強くなれた――どれも、一つの事実だ。けれどね、『誰かを守りたい』……そんな気持ちだけで、あそこまで強くなれる子もいるんだ。あなたの言葉を借りるなら、見事に『気持ち一つ』でね」
イリス・ラインフェル――大貴族の娘であり、一度は復讐という道で強くなろうともした。
けれど、彼女はその道を選ばずにここまできた。
彼女の存在こそが、僕にとって『復讐』以外にも強くなれるという証明だ。
「……それを言ったところでどうなる? まさか、私に今からでも、ルイノを守れ、と?」
「あなたがその道を選ぶというのなら、僕は騎士としてその道を支援することを約束しよう」
僕ははっきりとそう答える。それが、僕をかつて友と呼んだ男にしてやれることだからだ。
しばしの静寂のあと、リグルスは呟くように話し始める。
「今更……そういう選択肢もあるわけかい? そんなこと、考えもしなかったねぇ」
「なら――」
「だが、そうはならないよ。君がどうして、私達に肩入れしようとするのかは分からない。けれど、最初に言った通りさ……私は剣客衆で、君は騎士なんだよ。それもまた変わらない事実であり、私はもう――決めているんだ」
「勝てないと分かっていて、その道を選ぶのか」
「それが剣客衆、なのさ。それにね……まだルイノは生きている。君を殺し、あそこにいるイリスも殺して……私が再びルイノの道を開こうじゃないか。そのためなら――勝てない戦いだろうと、私は勝つとも」
すでにこの世にいない男――アディルと同じ考えだ。それが剣客衆であり、たとえ勝てないとわかったとして、戦う道しか選べない者達。
刀を抜き去り、いよいよを以て臨戦態勢に入るリグルス。
「そうか。なら、もう問答の必要はないね。リグルス・トムラ――いや、リグルス・ハーヴェイ。僕はあなたを排除すべき敵とみなした。騎士として、あなたを葬ろう」
――すでにどこまでも道を踏み外してしまった男に対して、僕がしてやれる事は、それくらいしかなかった。






