116.彼女の成長
灯台の頂上は、潮風がよく感じられる場所であった。
時折、強めに吹く風は心地よい潮の香りを運んでくれる。……だが、今はそれを楽しむような状況にはない。
僕は《碧甲剣》を抜き去り、対面するリグルスも腰に下げた刀を抜き去る。
青白い刀身が、太陽に照らし出される。
地面と水平になるように構えると、リグルスはピタリと動きを止めた。
僕も、剣の柄を強く握り締め、構える。
波の音が、耳に届く。ザァ、ザァと何度か波打ったところで――リグルスが動いた。
一歩大きく前に踏み出し、刃を滑らせるように振るう。
僕も、それに応えるように刃を振るった。
一撃目。刃と刃はぶつかり合い、お互いの一撃を相殺する。
二撃目。僕の方がわずかに早く一振りを繰り出し、リグルスがそれをギリギリで防ぐ。
リグルスはさらに刃を傾けて滑らせ、弾いた。
わずかに僕の態勢が崩れると、そこから隙を突くように連撃。
リグルスの放つ刃はいずれも速く、そして確実に僕の命を狙おうとするものだ。
僕は後方に下がりながら、それを受けきる。
リグルスの刀を完全に抑え込み、お互いに動きを止めた。
「魔法は使わないのか?」
「ルイノと同じだよ、私は。魔力を使うことはあるけれど、そういうのは得意じゃないんだ。純粋な剣技――私が手に入れたものはそれだけだよ。君こそ、剣技だけでなく魔法を使えばいい」
「いや、僕も本来の性分は剣士なものでね。あなたが小手先の技を使わないと言うのなら、僕もそうしよう」
存在するのは、ただ剣を振るい、磨き続けてきた技のみ。
そこに魔法など介入する余地もなく、互いの信念をかけた戦いを、リグルスは望んでいる。
それならば、僕も答えなければならない。
かつて《剣聖》と呼ばれた男が、望んだことと同じように。
《剣戦領域》――《銀霊剣》を使わずして、己の肉体と剣技のみで戦う場所が、そこに完成する。
「ふっ」
リグルスが息を吐き、僕の剣を弾く。
そうして、距離を取った。
今度は僕から動く。距離を詰め、剣を振り下ろす。
リグルスがそれを受けた瞬間――僕の攻勢が始まった。
「……ッ」
放ったのは、単純に速い剣撃。
一撃一撃の威力は低いが、それでも掠めるだけで肉を斬り、深く入れば骨まで断つ。
ギリギリのところで、リグルスがそれを受けていた。
――彼が、復讐で得た力というのは、僕の剣技を受けることができるレベルの実力。
……ただ、それだけだ。
「ハッ!」
リグルスが強く剣を弾き、後方へと下がる。
そこは頂上から落下する寸前の場所。
「……なるほどねぇ。これが、アディル君達を葬り去った剣技、か。ゼナス君は私なら勝てるんじゃないかって言ってくれてたけれど……いやはや、そういう次元にはないのかもしれないね」
「それがあなたの選んだ道だ」
僕はもう、『今からでも降伏するか』などと聞くつもりはない。
彼がその道を選ぶはずのないことは、分かりきっているからだ。
ふぅ、と大きく息を吐き、リグルスは刀を構える。
それは、先ほどまでの構えとは違う。身を低く屈め――まるで先ほどのルイノのように、獣じみた構えを取る。
そして、その構えを戦場で見たことはあった。
《刀獣》――ソウキ・トムラ。かつて僕を友と呼んだ男の、息子と孫娘は……同じ構えを取る。
(ソウキ……君の技は、確かに受け継がれているようだ。だが、その心は――彼には引き継がれなかったようだね)
僕もまた剣を強く握り、構え直す。柄を両手で持ち、左足を前に出した。刃は斜めに地面に向けて、腕は脱力させる。
「このまま戦っても、万に一つ……私に勝ち目はないようだ。だから、私も一刀に全てを懸けることにしよう。この一撃が――君を殺す」
「ああ、来い」
リグルスが足に力を込める。両足をバネにして、横に跳躍した。
僕の方向に一瞬で距離を詰めて、刃を水平に走らせる。
僕は一歩前に出て、剣を振り上げる。
キィン――周囲に鳴り響いたのは、剣の折れた音。
ただ一刀。リグルスは勢いのままに僕の後方へと動く。
ルイノであれば、さらに魔力の壁を作り出し、追撃を加えてくるのかもしれない。
だが、たとえ同じ技を使ったとしても――もう、その時が来ることはない。
「……」
僕は《碧甲剣》の刀身に目をやる。
中心から刃先にかけてヒビが入り、先端は折れて欠けていた。
「ふ、ははははっ! いやぁ、これが……私の集大成というわけか」
リグルスが高笑する。
僕は振り返り、視線を向けた。
リグルスはまだ、僕の方を向いていない。
震える手で――『へし折れた刀』の柄を握り締めていた。
流れ出る鮮血は止めどなく、リグルスという男が死に向かっていることは容易に理解できる。
僕の一撃が、彼の一撃を凌駕したからだ。
だが、この状況でもリグルスは本当に楽しそうに話す。
「剣を、折ることができた。これは、とても素晴らしいことだねぇ。私が……この私が! アディル君を含めた猛者を打ち倒した男の! 剣を、折ることができたんだ……ッ」
「確かに、あなたは僕の剣を折った」
それで満足か――そんな問いを、するつもりはない。
復讐の心によって手に入れた力の果て……その気持ちが分かるのは、きっとリグルスだけだ。
ただ、僕が死にゆく彼に聞きたいことは一つ。
「ルイノに――あなたの娘に、何か言っておきたいことはあるか?」
「ルイノ、に? ルイノに……か。そうだねぇ……」
リグルスが想いに更けるように空を見上げる。
それからしばしの沈黙のあと、
「最後の一撃。あれはとても、綺麗、だ――」
ズシャリと、その場に倒れ伏す。
戦いは静かに、終わりを告げた。
リグルスは死に、この場に残ったのは僕一人だ。
「すまないね。ソウキ……君の家族の一人は、僕が殺した。けれど、もう一人は――」
「先生っ!」
「! イリスさん?」
声の方向を向くと、イリスが梯子を昇ってやってきたのが視界に入る。
イリスは僕の姿を見るなり、安堵した表情を見せて、
「無事で、よかったです……」
「っ!?」
梯子から手を離し、ぐらりとイリスがバランスを崩す。
僕はすぐに、イリスの下へと駆け出した。
落下する寸前、滑り込むような形で彼女の手を掴む。
……本当にギリギリのところだった。
「……ごめんなさい。安心したら、力が抜けてしまって……。先生の剣の、折れた刀身が見えた、ので」
どうやら、折られた碧甲剣の剣先を目にしてやってきたようだ。
先ほどのイリスの戦いを、僕は最後まで見守っていた。それこそ、ここまでやってくる体力すらも、彼女には残っていなかったはずだ。
「……心配なのは分かりますけどね。僕としては、今日一番に焦りましたよ」
「……ほ、本当にごめんなさい」
「一先ず、引き上げますよ!」
僕は力を込めて、イリスを灯台の頂上まで引き上げる。イリスはすぐにへたり込むような形になる。
ここに来るまでに、本当に力を使いきってしまったようだ。
「ありがとう、ございます……」
「全く……下で待っていてくださいよ。すぐに行きますから」
「先生が負けるとは、思っていませんでした。でも、気付いたらここまで来てて……」
「君らしいと言えば君らしいですね。けれど君が言う通り、僕が負けることはありません。約束ですからね」
『王国最強』を名乗ると、僕はイリスに約束をした。
僕が騎士である限り、敗北することはその約束を反故にすることになる。
――イリスが最強になるまでは、僕は最強で居続ける。
「君の戦いは、ここから見させてもらいました。随分と無茶をしたようですね?」
「……私にできる精一杯のこと、でした。それと、勝手に動いてごめんなさい」
「君は、先ほどから謝ってばかりですね」
「あ、その――っ!」
俯いたイリスの頭に、そっと手を置く。
彼女は今日、よく頑張った。それは、僕も理解していることだ。
「謝る必要なんてないですよ。君はよく頑張ってくれましたから」
「あ、あの……? 子供扱いはあまり……」
「苦手ですか? 僕としては、褒める時は分かりやすくを基本にしたかったのですが」
頭を撫でられて喜ぶほど、イリスは幼くはないか。
すぐに手を離そうとすると、イリスが僕の手を握り、再び自分の頭の上に置く。
「えっと、少しだけ……してほしいです」
やや伏し目がちに、イリスが言う。
僕は微笑むようにして頷いた。
「はい。君は、本当によくやってくれましたからね。おかげで、今回は随分と楽をさせてもらいました」
「守りたい気持ちは本当なんですけど……先生、私の護衛ですよね?」
「あはは、そうなんですけどね。今回は、剣の師匠としての立場を優先しました」
「言い方がずるいですっ。でも、おかげで少し、夢に近付けた気がします」
イリスが笑顔を浮かべて言う。
一先ず、戦いはこれで終わり――というわけにもいかない。
『トムラ』の件もまだルイノという問題も残っているし、剣客衆も二人残っているはずだ。
それでも今は――イリスの成長を、純粋に喜ぶことにした。






