エピローグ
『恩知らずな小人達が巣立ってゆく。残された神々は、伽藍堂のような箱庭に何を望むのか』
安藤誠一 〈うつろむ〉
二人で手を繋いで歩く未来は、なによりも大切で、色褪せた筈の夢が、今はとても鮮やかな色彩に満ちていた。
がたんがたん。と繰り返し揺れる箱の中に俺と彼女は座っていた。
当初、こちら側で流通している通貨には戸惑ったものだ。
もし、あの女性が俺達の保護を名乗り出てくれなかったらと想像すると、微かな悪寒が背筋を走った。
「どうしたの?」
俺の肩へ寄り添って、水晶玉の様な瞳でこちらを見上げている彼女。
「いえ、なんでもありません」
潰れた筈の喉は声に震え、奪われた筈の片目は実在する野鳥を映し、失われた筈の握力が、今は優しく彼女の手を握っていた。
制服。と呼ばれる黒い身形をした若者たちが好奇心に塗れた視線をこちらへ向けている。
どうやら、こちら側では俺や彼女の様な髪や瞳の色合いは珍しいらしく、無遠慮に集まる視線も慣れたものだった。
まもなく~××駅。××駅へ到着いたします。
と、不意に箱の中へ響き渡る男性の声。
しかし、声の主らしき人物は周囲に見つけられず、窓の外へ視線を移せば、凄まじい速度で景色が次々と横へ流れていた。
これが〈失われた技術 (ロスト・テクノロジー)〉なのだとしたら、銃などまるで驚くに値しない。
やがて箱は一息つくかの如く動きを止め、代わりに扉が人の手を借りずして、自ら左右へ逸れた。
「さぁ降りましょう」
彼女の手を引いて、開け放たれた扉を抜ける。
間には僅かな高低差が生まれており、箱の下腹を覗けば、敷き詰められた砂利の中に鉄の格子が浮かんで見えた。
━━電車。と呼ばれる魔術を超えた技術の結晶には、目を奪われるばかりだ。
「これを渡せばいいのよね?」
と、小さな紙切れを指に挟めて彼女は不安そうに呟く。
「えぇ。確か……駅員という見張りに渡せば、通行が認められる筈です」
周りの人波に沿って灰褐色の階段を上がると、先程の若者たちが淀みない動作で、柵らしき場所を通り抜けていた。
あの高さでは容易に飛び越えられるだろうに……と、心許ない柵に眉をしかめた。
「あの人かな?」
彼女の指さす方、柵の端へ視線を寄せれば、真っ白い壁を挟んだ奥に、角ばった帽子を被る人影を見つけた。
ぐいっと俺の腕を引いて、人影の元へ駆け寄る彼女。
「これでいいかしら?」
小生意気な呼び掛けと共に差し出された紙切れを、無言で受け取る帽子の男性。
「あの……海へは、どの方角へ歩けばいいですか?」
俺の疑問を受けて、やや興味が沸いたのか。壁の奥に立つ男性はこちら側へ僅かに身を乗り出した。
「あぁ、観光かい?ここから近い海って言やあ、出戸浜の事かな?それなら、東口……えっと、あっちの階段を降りて、そのまま坂を下っていけば、10分もしないで見えてくるよ」
「ありがとうございます」
「海外から来たのかい?」
「はい、そんな所です」
「おじさん、感謝するわ!!さっ、行きましょ」
「あんまり見所のない田舎だけど、ゆっくりしていきなー」
温かく見送られ、俺達は駅と呼ばれる関所を後にした。
「私達の出会い、覚えてる?」
突然、彼女はそんなことを確かめ掛けてきた。
「はい、当然です。あの時の貴女の危なっかしい行動には、とても驚かされましたから」
「そうだったかしら?でもね、危なっかしいと思ったのは、私も同じだったのよ。あの時の貴方は、死んでも構わないって、仄暗い横顔がそう告げていたもの」
海は、俺の想像を遥かに超える雄大さを秘めていた。
波立つ水面は太陽をいっぱいに浴びて、宝石を散りばめたかの如く煌めいている。
白砂の浅瀬を泡立って満ち引きする波。
水が引けば、砂は黒く湿り、天上から降り注ぐ日の光が、再び白く照らしていく。
俺と彼女は、熱のこもる砂地に足の裏を沈め、繋いだ手も離さずに、ただじっと海を眺めていた。
「言い過ぎですよ」
幾拍かの沈黙を挟んで、俺はぼそりと返した。
「そんなことないわ。だから、私はそんな貴方の隣に立ちたくて、真似をしただけだったの」
「どうして、そんな……」
遠く、どこからともなく狼が満月に轟かせる遠吠えに似た音色が鳴り響いていた。
「あら、言ってなかった?私ね、最初から好きだったの。幼さ故の一目惚れだったのかしらね。でも、今は貴方を好きになって、本当によかったと思ってる」
彼女は……俺が彼女の隣に立ちたいと思うよりもずっと先に、俺の隣に立ちたいと思ってくれていたのだ。
「グレイ。約束を守ってくれてありがとう」
彼女は俺の名を呼んで、可愛らしく微笑んだ。
「ティアメル。俺は……もう二度と、貴女を離しません」
「ねぇグレイ。危なっかしい橋を渡るなら、二人で手を繋いで行きましょ。そうすれば、もう指先だって寒くないわ」
「そうですね。ティアメル。どうか、俺をいつまでも貴女の傍においてください」
「グレイは私の使用人なんだから、当然よ!!」
やがて地平線に日は沈み、水面が茜色に染まっていく。
海へ行きたいと、いつしか話してくれた。
二人で叶わぬ夢を見ていた。
━━不意に、グレイの懐が小刻みに震え出した。
上界へ辿りついて、銃の代わりに持ち運ぶようになった携帯電話。
遠く離れた人間との会話を可能にするそれが、振動による着信を告げていた。
取り出してみると、液晶部には〈岬朝日〉の名が映り込んでいた。
グレイとティアメルを保護してくれた、言わば恩人である女性からの連絡。
まだ通話と撮影ぐらいしか機能を使いこなせていないグレイは、不器用な手つきで、その着信へ応じるのだった。




