届きますように「偶像の鳥かご」③
━━円錐階層都市バンブリオ第四層。
偶然だった。
意図せず、ただ目的地へ向かう道中。
感傷など抱く筈もなく。
元々〈無私の虚人〉としてこの世界に息衝いた彼には無縁な……理解不能な邂逅だった。
「助けて……」
彼女は両の瞳より止め処なく涙を零していた。
「烏っ!!竜太が……竜太が死んじゃう!!」
両腕に抱くは、彼自身が息の根を止めた亡骸。
上半身だけの残る、表情は既に土色で、開けっ放しの瞳孔は酷く濁っている。
何度も治癒術を試したのだろう。
傍らには彼女が愛用する詩術師専用の細杖が転がっている。
彼女……メープル・セピアラインは烏を疑わず、涙声で訴えていた。
「メープル。……竜太はもう死んでるよ」
冷たい。
無感情で残酷な響き。
縦に切れた猫目を薄闇の中に光らせながら、烏は告げる。
「俺が……殺したから」
ようやく烏が握っている長太刀〈酒呑童子〉へ目がいくメープル。
「嘘。どうして……!?」
「……邪魔だったから」
正義の味方を名乗り、行く手を阻んだ竜太は邪魔だったから。
邪魔だったから殺したよ。
烏はそうやって偽ることもせず、ありのままを吐露していく。
「そんな……。なんで、それで平気そうな表情してるわけ!?ねぇ烏。あたし達さ、ちょっとだけだったけど仲間だったじゃん。そうでしょ!?」
「仲間とか……家族とか。そういうの。俺にはよくわかんない」
━━ずっと独りぼっちだった。
何も考える事無く。何を感じる事も無く。何かを求める事も無く。
ただ与えられた命令を機械的に、規則的にこなしてきた。
疑問なんて抱かない。
それが〈無私の虚人〉としての当たり前だった。
家族なんて初めから存在しない。
もし、家族に近い何かがあるとしたら、それは……。
自我を持つ存在として生まれ変わった彼が、初めて見た光景は、真っ白に埋め尽くされた四角い部屋の内部と、その中でぽつりと色彩を滲ませし小柄な青年だった。
「こんちわ。僕の言葉、わかります?えとな、こんちわってのはな、挨拶やな。ほら、ゆうてみ?」
「……こんにちわ」
「お、標準語いけてるやん。期待できるなー」
彼は自らが何者であるのか、それを思い出そうとする。
けれど、頭の奥に鋭い痛みが走り、過去の認識が無我の深層によって拒まれる。
「あぁ、ええよ。無理に思い出そうとしたらあかん。そやなぁ、君は烏にしとこか。髪真っ黒やしな。ほんでな、僕は紫苑。君の親代わりみたいなもんや」
紫苑と名乗る青年は血の巡りの悪そうな、青白い顔色をしていた。
鈍い紫色の頭髪は毛が細く、紫苑が首を傾げると、さらりと斜めに流れた。
「君な、元々は虚人だったん。でな、僕が拉致って突然変異型宝星具を併せたんよ。蘇生以外は専門外やったんけどな。どうや?思考……できとる?」
かろうじて頷けた。
「前世は第四層でな、皿洗いやっとったんよ。エラーなのか知らんが、〈変革〉後もただ毎日、ある厨房でな、皿を洗うだけの日々や。切ないやろ?」
だから僕が拉致ったんやで。と誇らしげに語る紫苑。
他にも幾度となく虚人を誘拐し人体実験を繰り返したとまでは語らず、紫苑は都合的な部分だけを口に締め括った。
「僕が君に新しい人生を与えたんよ。これからは烏として、思いのまま、自由に生きられるんやで。清々しいもんやろ?」
清々しい。とはどういった感情なのだろうか。
その表現が上手く理解できず、烏はぼんやりと呟いた。
「……お腹すいた」
呆気にとられたのか、紫苑は僅かな合間、硬直していた。
それも束の間、乾いた笑い声が真っ白い室内に響き渡る。
「たははー、ええやん。そやろ?お腹すくやろ?それが人間や。ならバルドやカラメルも誘ってご飯食べにいこかー。僕、一押しの菜食屋あるんや」
と、菜食主義の紫苑が贔屓にしているお店には、その後、嫌という程連れて行かれた。もう野菜が嫌いになるぐらいに。
紫苑を。或いは〈ゾディアーク教団〉を家族なのかと問われれば、烏は返答に困るだろう。
思いのまま、自由に生きる。
紫苑が生まれたての烏へ語ったその言葉が、なによりも烏にはしっくりと馴染んでいた。
感謝の意はある。
でも、それは家族愛の類とは根本的に異なる、もっと単純で簡素で……薄っぺらな感情だった。
「……ごめんね」
その言葉自体にそれほどの感情は込められていない。
烏は形式上、涙に没すメープルへ謝った。
「謝れば許されるような問題じゃないでしょ。ねぇ烏。あんたはさ、あたし達の事、どう思ってたの?」
「……別に。なんとも」
強引に大会でのPTを組まされた時は迷惑だと思ったし、でも、連れて行ってくれたお店のご飯は美味しかったし、竜太とメープルは弱くないから、大会も楽だったし。
色々と思い出せる。
でも、どれも……次の段階へ進んだ烏にとっては、既に過ぎ去った出来事だ。
そのような過去に捉われる程、烏は人生に固執していなかった。
「意味分かんないって。あんた、それでも人間なの?」
その問い掛けにだけは、はっきりと答えられた。
「うん、俺は人間だよ」
もう与えられた命令を淡々とこなすだけの虚人なんかじゃない。
まるで自らへ言い聞かせるかの如く烏は繰り返した。
「……人間なんだ」
竜太を抱き寄せ、射抜く様にこちらを睨むメープル。
烏はゆっくりと彼女の横を通り過ぎていく。
「あたしは殺さないの?」
背後から呼び掛けられた。
しかし、烏は振り返らず、口を開く事もせず、ただ路地の奥へ突き進んでいく……。
━━円錐階層都市バンブリオ第三層。
竹中半兵衛は纏わりつく蒼焔を振り払えず、ふらふらと覚束ない足取りで路地の隅へ逃げ込んでいた。
「……っ」
メイド服は既に脱ぎ捨てていた。
その時点で蒼焔はかなり落とせていたが、それでも下着姿になった半兵衛の肌を蒼焔は蝕み、焦がしていく。
半兵衛が拳闘士として豊富に習得している補助スキルは、どれも無効化されているのか、あまり功を成していない。
火傷の程度はまだ浅いが、それも時間の問題だ。
道の隅に、袋詰めされた廃棄物の小山を見つけ、彼女は蒼焔を擦りつける様に倒れ込んだ。
生ゴミ特有の腐敗臭が鼻孔の奥を突く。
大粒な蝿が耳障りな羽音を立てつつ眼前を横切った。
惨めな姿だ。誰にも見つかりたくないと視線を彷徨わせる半兵衛。
「仔百さんには、後で礼を述べなければいけませんね」
誰に話しかけるでもなく、ひっそりと呟いた。
雨頃仔百の〈製菓〉を服用していなければ、あそこまでの善戦は厳しかっただろう。
いや、確実に殺されていた。はっきりと自覚できる。
実力差は歴然だった。
家族を守る為とはいえ、実力以上の力を発揮できる程、現実は都合的ではない。
元親の隣に立つ女性を見つめた時、忘れていた筈の息苦しさが胸を絞めつけた。
半兵衛は既に割り切っている。
今の半兵衛が元親に対して向ける感情というのは恋愛ではなく、家族愛なのだ。
長政や道雪、なおえに向けるものと等しく、分け隔てなく。彼女は家族を愛している。
たとえこの世界が仮初だとしても、この世界で得てきた温もりはこの先、決して忘れないだろう。
そう強く思えた。
痛みが遠のき、意識も霞みだす。
半兵衛はゆっくりと両目を瞑った。
「おい、しっかりしろ!!」
堕ちかけた意識が呼び戻される。
「あっ……」
かすれた声が喉から漏れた。
「ベリル。これ、どうにかできる?」
「無論じゃ!!」
視界にぼんやりと映り込むベリル、エル、言理の姿。
ベリルの周囲に蒼い粒子が漂い、半兵衛を包む。
強制書換が上書きされ、蒼い焔が消えていく。
肌に残る火傷の痣が浮き彫りになる。
「ったく、無茶しやがって」
言理はスーツの上着を脱いで、半兵衛へ被せた。
「ありがとうございます」
「半兵衛、いったい何があったの?」
エルは屈み込んで、半兵衛の傷の具合を確かめながら訊ねた。
どう説明すべきか、戸惑いが口を閉ざす。
エル達は〈移人狩〉を追っている筈だ。
一方で元親は〈移人狩〉と思わしき女性を庇っていた。
直視を拒んでいただけで、既に察している。
あれは━━真田幸村だ。
どうしてそうなっているのか、半兵衛には見当もつかない。
だが、元親の決死さだけで充分過ぎるほど確信できた。
今、〈戦国華憐家〉にとって〈移人狩〉は復讐の対象ではなく、守るべき家族へと変わってしまったのだ。
一刻も早く、元親達と合流したい。
けれど、このままエル達を連れていく訳にもいかない。
救ってくれた仲間達を順々に見回しながら、半兵衛は葛藤していた。




