王の末裔「冠を負う少女」①
Nanokeria (ナノケリア)の国土で悪逆の名を轟かせていた集団〈バジリスク〉の離散。先んじて疾風となり隣国を駆け抜けていた国王モルトローゼ死去の報せ。
立て続けに齎された悲劇を受けBnburio、WelzNeilの情勢は大きく変わる事となった。
バンブリオを統治せし国王メルギルウスは手始めに、歴史を辿るに何世代をも跨ぎ守られてきた隣国「ウェルズニール」との和平条約破棄を表明。
代々継がれてきた不干渉を破り、同日、ウェルズニール現国王のフロウウェンへ宣戦布告の文を当てた。
布告から僅か数日後。メルギルウスは電光石火の早業で軍備を整え、これをナノケリア領土へ進軍させる。
国王モルトローゼを失ったナノケリアは抵抗する意志も希薄であり、熾烈な抗戦劇を見せる事無く一カ月を待たず降服を宣言。
バンブリオはほぼ無傷でナノケリアを手中に収め領土の拡大に成功。ここに世界は二分されたのだった。
対するウェルズニールはバンブリオとの国境線上に聳える城壁都市「ゴゴ・チャッカ」付近に臨時の防柵を引き兵力を増強、また旧ナノケリアとの国境を成す山塊〈星屑の壁〉周りに布陣を敷いて、砦を築いていた。
明確な迎撃姿勢を見せるウェルズニールだが、着々と侵略の地盤を固めているバンブリオとは異なり、その実、内乱に悩まされていた。
ウェルズニール国王フロウウェン直属軍である〈黎明の騎士団〉と、元〈黎明の騎士団〉隊長だったスメラギ率いる〈円卓の騎士団〉とが、刃を交えて悪戯に戦火を広げている。
豊かな自然を残す国土とは相反し紛争の絶えないウェルズニールへ唐突に降り掛かった不運。
ネットゲームだった頃の〈New Age〉の面影は次々と消えており、時代は正に変革を迎えようとしていた。
物語は動乱の渦中、国王フロウウェンの血統をその身に通わせている一人の少女の元から始まっていく。
━━弔いの此岸〈ヲーニカ墓地〉
その日はアメル・ティ・フロウウェンの一周忌であり、少女が隊の長を背負う以前にその役割を担っていたグレイが位と幻想剣を剥奪された日でもあった。
ウェルズニール国王を指すフロウウェンの名は、個人に限る名称ではなく、王の血筋を意味する。
つまり世襲制だ。現在の国王ベティリア・ティ・フロウウェンは女性でありながら聡明、勇猛、武芸の面に置いても突出した人物として有名だ。
前代であり彼女の夫でもあったコース・ティ・フロウウェンは若いまま戦死を遂げ、その日以降、王位を継ぐベティリアがウェルズニールを治めてきた。
カリスマ性でのみ計るなら、コースを凌ぐ勢いを有するベティリアだが、その眩しさ故、彼女に不信感を抱く人物もまた少なくなかった。
既に沈静化されたかつての反乱軍〈クシャティケルの灯〉も、スメラギ率いる〈円卓の騎士団〉も、ベティリアによる歪みの陰影だと一部に囁かれ、拭い切れない不純物の如き噂がひたひたと領民の間へ侵食している。
そんなベティリアとコースの間に生まれた一人娘の名がキャメロット・ティ・フロウウェンである。
親しき間柄の者からはメルティの愛称で呼ばれる彼女もまた、母親同様、武芸に秀でていた。
成長の過程で戦に立つ母親を見て育ってきた為か、戦術眼、指揮力など。人々を率いる才も自ずと培われており、その証が〈黎明の騎士団〉第三部隊隊長の肩書であり、幻想剣〈肖像〉だった。
〈黎明の騎士団〉は三本の幻想剣に肖ってか、部隊を大きく三つに分けるのが仕来りの様なものとなっている。
騎士団団長であり第一部隊隊長を務めるブラム。
数ヶ月前、スメラギの後釜である当時の隊長を蹴って、半ば強引に成り代わった第二部隊隊長アーク。ただし、象徴となる幻想剣〈円卓〉はスメラギが保有したままだ。
そしてグレイ亡国の後、齢十六にして隊長に任命されたのがメルティだった。
金髪碧眼、純白の柔肌に麗しき瞳。決して長身ではなく表面的には華奢な肉体をしているが、衣服の裏では節々の筋肉が硬く張っている。
女性らしさとなる色っぽい曲線は浅いが、普段着を纏う少女の胸の膨らみは男性にとって好みの範疇だろう。
母親に似て鮮やかな金色の髪はさらりと首元まで伸びている。飾りや結いなど、まったく手を加えていない頭髪は、むしろ、それが完成された美となり、少女の可憐さを際立てていた。
従妹であるティアメルの一周忌にと、珍しく休日を取ったメルティは従者も連れず、一人でヲーニカ墓地を訪れていた。
ヲーニカ墓地は国の領土中心である緑祭の都ウェルズニールよりやや北東の離れた位置にひっそりと佇んでいる。
広大な深緑に理路整然と墓標が並んでおり、その規模は視界に収まらない程果てしない。
後方には繁栄を象徴する城が遠く霞んで見える。
バンブリオに支配された旧ナノケリア方面には〈星屑の壁〉と呼称される山塊が絶壁を晒している。
裂け目から伸びる星道は、かつては商人の交易路として盛んに活用されていた。
交戦状態へと急変した現在は、その光景を失い厳重に封鎖されている。
〈星屑の壁〉付近に急ごしらえで設けられた隙間だらけの砦は些か心許ない。
夕刻前、薄く広がる雲泥の奥からは日光が燦々と漏れており、肌は熱を帯びていた。
視界を白銀に染めていた残雪の光景も過ぎ去り、今は春風が草木を煽り、平原を吹き抜けている。
普段は宝星具である白銀の鎧を身に纏うメルティだが、稀少な休日を鎧で過ごす訳にもいかず、彼女は数少ない軽装から素朴な黒いワンピースを選び着ていた。
ヲーニカ墓地はその広大さも然る事ながら、驚くほど隅々まで管理の行き届いた状態保持にも筆舌の価値がある。
墓地には常に多くの虚人が徘徊しており、決められた行動を繰り返すという面において虚人は適任過ぎた。
無私の虚人こと彼等……虚人は自我を持たず、淡々と機械的な作動を反復する存在であり、その生誕の起源は誰にも知られていない。
絶命してもタイムラグを挟んで再び生誕し、活動中も生命機能保持の必要性が無い。
━━変革後。綿密には、虚人の定義、概念は変化しているのだが、その違和感は些細なものであり、半年経過した今でも気付いた人間はほとんど居ない。
メルティがティアメルの墓標へ足を運ぶのはこれで二度目になる。
死体を残さず消息を絶った従妹のアメル・ティ・フロウウェン。直接の加害者ではなくとも、ベティリアは無断でティアメルを城外へ連れ出したグレイの罪を重く咎めた。
当時、片目を負傷したグレイは多くを語らず、黙したままに罪を傍受し、国を去った。
ティアメルとグレイの関係をよく知るメルティにとって、母親であるベティリアの決断に不審を抱かなかったと言えば、それは嘘になる。
しかし、一国の主としての立場もおぼろげに理解できる故、メルティがその疑問を上げることは無かった。
また革命軍を名乗る〈円卓の騎士団〉を率い、内乱の中心となっている人物。
元〈黎明の騎士団〉第二部隊隊長スメラギについてもまた、メルティは多くの疑問を自身の内へ強引に飲み込んでいた。
誰よりも祖国の平穏を憂い、幻想剣〈円卓〉を掲げ身を捧げてきたスメラギの突然の謀反。
彼は幻想剣を片手に、数多くの賛同者を連れウェルズニールを去った。
メルティ自身も〈黎明の騎士団〉の象徴として、幾度となく〈円卓の騎士団〉と刃を交えていた。
しかし、未だ彼等の思惑ははっきりとせず、戦う意志もまばらに、どこか釈然としない気持ちが常に傍にあった。
移人を取り込むバンブリオとの交戦を間近に控えながら、背後に忍び寄る反逆の騎士団にも目を配らなければならない日々。
状況は劣勢、事態は刻一刻と深刻さを増していた。
その様な戦時下に置いて、唯一人休暇を過ごそうとするメルティに向けて、彼女の側近であるケヴェル・コッコは口煩く小言をもらしていた。
口煩いのは常日頃であり、メルティは彼の苦言を真っ向から無視。こうして護衛も従えずヲーニカ墓地へと従妹の弔いの為に足を運んでいるのだった。
一目にはとても見分けの付かない墓石の羅列。
メルティは吹き抜ける浅風に金色の長髪を預けながら、以前、訪ねた際の記憶を頼りにして墓地を歩いていた。
「えっと、たぶん、こっちだったと思うのですが」
その口振りからは、騎士団を束ねる姫騎士キャメロット・ティ・フロウウェンとしての毅然とした姿は窺えない。
年相応の困惑を表情に浮かべ、ふらふらと視線をあちこちに向けている。
そんな挙動不審とも見取れる動きが、ふと一人の人物に向いて止まる。
耳元を覆うぐらいまで伸びた蒼銀の髪はさらさらと女性的であり、一見して性別の区別が難しい。
爽やかな純白の長袖シャツの上に袖のない紺色を重ねている。下半身は灰色のモノグラム柄をした布地にほっそりと包まれていた。
黒い革靴には蛍光を含んだ蒼い紐が縫い付けられており、全体的に痩躯な印象だ。
周囲に他の人の姿は見当たらず、寂しげな静けさだけが周りに寄り添っていた。
はっとしてメルティはその墓標を見つめる。
おぼろげな記憶に重なり込んで映る景色。その人物が佇む墓石こそがアメル・ティ・フロウウェンことティアメルの生きた証だった。
儚げに目を伏せていた横顔が、メルティの気配を悟ってか振り返る。
薄く透き通った蒼い瞳と真っ直ぐに見つめ合った。
掛けるべき言葉が見つからず黙して立つメルティに向けて、蒼眼の人物が口を開く。
「君も彼女の知り合い?」
半端に高い声は、彼が男性である事と幼き少年である事を同時に告げていた。
「はい。貴方は?」
メルティが見覚えのない少年へ訊ねかける。
「うん、彼女の墓があるって聞いたから、一度でも見ておきたかったんだ」
少年の声色には悲哀が含まれていた。
「今日が一周忌なんです」
ゆっくりと歩み寄り、少年の隣に立って墓石を見下ろすメルティ。
彼女はそっと目蓋を降ろすと、しばらく黙祷に時を捧げた。
その様を静かに見守る少年。
やがて、メルティがぽつりと呟いた。
「ティアメルに貴方の様な知り合いが居たとは知りませんでした」
それは不審や敵意などの類ではなく、純粋で素朴な疑問だった。
人生の大半をウェルズニールの城に匿われ過ごしてきたティアメルには知人など数える程度しか居らず、大半がメルティと共通の知人でもあったからだ。
「大切な仲間だったんだ……とても」
見覚えのない少年の言葉には、確かに故人を慈しむ暖かさと寂しさが込められていた。
「そうでしたか。私にとっても彼女はすごく大切な人でした」
悠久の静寂が二人を包む。
時折、墓地を薙ぐ風が間を吹き抜けていた。
「私はメルティといいます。よければ貴方の名を教えていただけませんか?」
王の末裔である真名を隠し、メルティは少年へ問い掛けた。
「僕はメイジ。上界の移人だよ」
━━箱庭の小人である「キャメロット・ティ・フロウウェン」と意識混濁性消失障害である「メイジ」。
二人の出会いは、再び〈New Age〉の世界を。その在り方を問う。
「水瓶座の時代」を巡る物語の始りを告げようとしていた。