昇天の隣人「ヴァンパイア」④
胸元の心の臓を深く貫く緋色の刃。
口元から止め処なく零れる吐血。
脱力し前のめりに倒れ込む私を彼は優しく抱き締めていた。
━━あぁ、またこの夢か。
「許してくれ。僕にはこうすることでしか君を救う事ができない」
それでも、私は死なない━━死ねなかった。
静かに瞳を瞑り、永遠と続く痛みに身を委ねる。
両刃剣を右手に、私の躯を左手に抱き寄せる彼は優しく説き伏せた。
「これはとても救済とは呼べない。僕の身勝手な自己満足に過ぎない。けど、ヴァンプ。君には生きていて欲しいんだ」
私に刃を突き立て、彼は生きていてくれと懇願するのだ。
その間際に、私は初めて彼の肩に触れ、彼の温もりを感じた。
突然変異に分類される宝星具。
始祖たる吸血剣「宵闇の串刺公」
その刃に貫かれた私は……その日、不死なる吸血鬼へと変貌を遂げた。
「おい、スカーレット」
「ん、おはよう……グレイ」
昇天の隣人を求め未開領域に赴いて、既に数日が経過していた。
丹色なる岩盤の景観も過ぎ、今は鋭利な傾斜に挟まれた谷底を眼下に収めている。
幾重にも石を積み上げてアーチを描く水道橋が崖同士を結んでいた。
谷底には碧く透き通った渓流が日光を受けて煌いている。
木陰に身を潜め、束の間の休息に意識を任せる内、いつしか眠りへ誘われていたのだとヴァンプは自覚した。
「こんな大きな橋、一体誰が造るのでござろうなー」と崖際に立ち、雄大な石橋を眺めている長政。
「未開領域の景観や人工物は、上界を基盤にしてあるらしい。長政、移人であるお前に見覚えはないのか?」
「ほえーそうなのでござるか。うむーあるような、ないような。ようわからんでござる」
ローマ水道橋〈ポン・デュ・ガール〉を模倣せし景色。
しかし、その接点を幼き長政に問うのは些か酷に思われた。
「ヴァンプ。こいつに訊ねても絶対わからないぞ」
「ふむ、それもそうか」
「おのれっ!!白黒殿はまたそうやって拙者を小馬鹿にするでござるかっ!!」
「俺だけか……」
「この橋を渡るともう少しだけ森林が続き、抜けた先に黄土の小丘が待っている。私はそこで宝瓶の座と障害の座の境界に辿り着き、そして昇天の隣人を経験した」
「昔、お前が言ってた通り……思ったよりも近いんだな」
「宝瓶の座の縮小規模が未だ曖昧だから、先に言っておく。昇天の隣人は私達を幻に包む。決してその幻想に囚われるな。克服できなければ、果てに待つのは自我の喪失。存在過剰摂取二次発症者だ」
存在渇望症候群と呼ばれる症状がNew Ageに世界では小人、移人選ばず発症する。
エントの枯渇や過剰摂取など、不安定な状態を繰り返している内に中毒症状と似た欲求に襲われる。
その末期症状こそが自我の喪失、そして存在を求め人を喰うもの「ネクロファゴ」だ。
白黒は末期症状へ陥りかけた少年をよく知っていた。
もし「ハンプティ・ダンプティ」の付術師「雨頃仔百」が手袋型宝星具「パティシミトン」で生み出した鎮静剤を服用していなければ、少年もまた存在過剰摂取二次発症者から戻れなくなっていただろうと聞かされている。
宝瓶の座は「New Age」の世界にて生きる為に必要不可欠だが、決して忘れてならないのは、常に喪失とも隣り合わせである事なのだ。
石灰色の水道橋を渡る三人。
「なぁスカーレット」
「グレイ。どうした?」
「お前は、昇天の隣人を経験した時、どんな幻を見たんだ?」
━━その瞬間。
ヴァンプが「私は……」と口を開きかけた挟間。
「あれはなんでござるかっ!?」
雄叫びに近い長政の呼び掛け。少女が立ち止まる石橋の向こうに、それは顕現していた。
橋の向こう側より迫りくる蒼い粒子の津波。
「まさか、本当に遭遇してしまったというのか」
障害の座に反発したエントが三人目掛けて襲い掛かる。
「スカーレット!!あれが、昇天の隣人なのかっ!?俺達はどうすればいい?」
早口に捲くし立てる白黒へ、ヴァンプは意を決した面持ちで叫んだ。
「何もする必要はない。ただ黙って覚悟しておけ。グレイ、長政。いいか?幻に決して囚われるなよ!!」
凄まじき勢いで橋を飲み込んでいく蒼波。
橋の両端より溢れ出た蒼い粒子が霧散している。
橋上に立ちし三人は成す術もなく、昇天の隣人へ姿を眩ませていった。
━━色褪せ、灰塵と散った朔の幸せ。
「グレイ!!ねぇ、グレイったら!!」
そんな馬鹿な……。
瞳孔の輪郭線だけが黒く細い線として浮かぶ右目。その白き眼球に黒く再起こされる残滓。
「約束して。いつか必ず私を海へ連れて行って」
なぜティアメル様が?
「もぅ!!呼び捨てにしてってお願いしたじゃない!!」
甘く鮮やかな夢想が彼を深く虚像へ誘っていく。
「ひどいわ、どうして私を置いて他の人と旅をしているの?」
違います。俺はずっと……ずっと貴女を。
想いは実らず、声は届かない。
だけど確かに彼の眼前には、「アメル・ティ・フロウウェン」こと愛しきティアメルの姿があった。
「私との約束は忘れてしまったの?」
忘れる筈がない。
俺はずっと貴女を取り戻したくて。
ずっと一緒に旅をする日を夢見てきたのだから。
ティアメル。俺はただ……もう一度、貴女に会いたくて。その為だけに生きてきた。
「でも、本当に私を助けてくれるの?貴方はもう二度も私を見捨てたわ」
違う!!
「違わない。ウェルズニールでも、ナノケリアでも。貴方は私を守れなかった」
白黒とした光景が次々と辺りへ再現されていく。
幾ら手を伸ばしても決して届くことはなかった。
右目の視力を奪われ、右手の握力を奪われても、願ったものは何も得られない。
「内心、もう叶わないのだと諦めているのでしょ?」
二重線にぶれて映り込む二人の少女「ティアメル」と「アメリー」。
「大丈夫。安心して、私達の事はきっとメイジさんが助けてくれるわ」
〈水瓶座の時代 (エイジ・オブ・アクエリアス)〉が象る少女達が次々と白黒の精神を蝕んでいく。
「メイジさんは理想郷の先駆者。彼の強制書換なら私達を再びNew Ageへ呼び起こせるわ。貴方と違ってね」
俺は……。
「もういいじゃない。私達の事なんか忘れて、今大切にすべき人達と生きていけば、きっと幸せよ」
彼女達の両隣りに浮かび上がる「ヴァンプ・ブギア・スカーレット」と「浅井長政」の姿。
それでも俺は……。
「遠く叶わない願いに日々を費やすよりも、身近な幸福と寄り添う方が、よっぽど有意義だと思うわ」
ティアメル。貴女は何も分かっていない。
「えぇ、分らないわ。グレイ、貴方はどうしてそこまで私達に固執するの?」
「貴方を愛しているからです。それ以外に理由なんか要らない」
惑わされはしない。諦めはしない。忘れもしない。
俺はただひたすら約束を果たす為、愛しき人を取り戻す為にNew Ageへ抗ってきた。
「他の誰でもない。俺自身で貴女を救わなきゃ、俺が納得できない」
だから……。
「必ず貴方との約束は果たします」
「グレイ。貴方は変わらないのね」
「変わりましたよ。この世界に変わらないものなんてきっとありません。でも、その中で俺が貴女を愛する気持ちだけはいつまでも……変わりません」
「ふふっ、確かに変ったわね。昔の貴方ならそんな台詞、とても口からは出なかったわ」
「はい、だから待っていてください。俺が貴方の元へ駆けつけるその日まで」
「ありがと、グレイ。待っているわね……いつまでも、また貴方に会える日を楽しみに待っているわ」
白黒が約束の在り処を再認識していた頃、他の二人も同様にして昇天の隣人が起こす幻想と向き合っていた。
「元親、半兵衛……拙者はどうすれば」
いつも長政に留守番を任せ、移人狩の犯人を追っていた二人。
Lv的には大差ない筈なのに、未熟だからと置いていかれる不満。
「そりゃあ、お前が子供だからだよ。子供は家で大人しく親の帰りを待つもんだろ」
元親が煙草を咥えながら、ぶっきらぼうに言い放つ。
納得できず憤慨する長政を優しくなだめる半兵衛。
「半兵衛も、元親になにか申してはくれぬかっ!?」
「長政の気持ちも分かります。ですが、今だけは元親の言い分に従がって頂けませんか?」
「拙者だって心配でござる。いつも二人が帰ってこないんじゃないかと、不安になるでござるよっ!!」
「心配すんな、俺も半兵衛も生半可な相手にゃあ負けねぇからよ」
と不敵な面持ちで告げる元親の面影が霞んでいく。
景色が映り変わり、円錐階層都市「バンブリオ」の底層である第四層の路地裏に立ち尽くす長政。
瞳には、移人狩に遭遇し返り討ちにされたと思われる血だらけの二人が映り込んでいた。
家族の亡骸を前にして、言葉を失う長政。
━━昇天の隣人が見せる絶望に挫かれた少女。その眼球が蒼く染まっていく。




