処刑
ポト、いや、ここではジランといった方がいいだろう。
ジランの記憶の穴を埋める昔話を語り終えたラウスは、優しいまなざしをジランに向けている。テーブルの一点を見つめたまま話を聞いていたジランは、ラウスの語りが終わった後も身じろぎもせずに押し黙ったままだった。
「父さんと、母さん。…姉さんは、どんなふうに殺されたの」
視線はテーブルに向けたまま、呟くように問いかけたジランの横顔を見たラウスは、同じようにテーブルに目を落とした。
「今日は、その話はやめておこう。もうすでに、お前には精神的にかなりな負荷がかかっているはずだ」
二人のやり取りをずっと聞いていたエルシェが、小瓶をジランの前に置いた。
「このへんにしておくのがいい。心の傷が深く開くと、せっかく思い出した記憶も、また閉ざされてしまうかもしれない。家に帰って気分が悪くなったら、これを一口飲むと良い」
じっとしたまま動かないジランを見て、ラウスが口を開いた。
「捕えられた三人は、王宮の東にある海岸に連れて行かれた。そこで、海に立てられた柱に、それぞれ縛りつけられたんだ」
「ラウス」
「エルシェ。ジランなら、大丈夫だ」
エルシェはため息をつき、勝手にしろ、といった顔をして、部屋から出ていった。
「ルナデア島のマツイ族の主だった村の長たちは、バハリさん一家の処刑の現場を見ることを王に命じられた。見せしめのためだからね。長たちが見守るなか、バハリさんたちは岩場の先の海に立つ柱に縛りつけられた。潮が満ちてくると、ちょうど首まで浸かる高さにだ。それだと、満潮になったときの波がかかれば、顔が海に沈んでしまう。苦しくて、口を開ければ海水が入ってくる。だけど、ぎりぎりで溺れることはない。それが丸一日つづき、次の日の朝、柱から降ろされた三人は両足に縄を括り付けられ、小高い丘の上まで引きずられて行った。三人を引っ張っていくのは、集められた村の長たちだ。石だらけの道を引きずられて服が破れ、背中から血を流しながら、呻き声も上げずに三人は引きずられて行った。半日かけて丘の上まで引きずられて行った三人は、そこに立てられた柱に、また縛りつけられた。柱の下には、大量の薪が置かれていた。クロエ王の親衛隊コルクトゥの隊長、殲のひとりが、長たちに向かって叫んだ。『この者らは、恐れ多くも、クロエ王への反逆を試みた。王へ牙をむいた者がどうなるか、お主たちはその眼でしかと見届け、村の者に伝えるがよい』殲の合図で、薪に火がかけられると、油を浸みこませた薪に火が点き、爆発したように一気に燃え上がった」
テーブルに置かれたラウスの拳が震えていた。ラウスは大きく息を吸い込むと、また話しはじめた。
「ジランの母上とエノンは、おそらく丘の上の柱に括られたときには、もう意識が無かったんだと思う。だけど、バハリさんは、両眼をしっかりと開き、まっすぐ前を向いていた。炎があがり、その身を包むほどの火柱が上がっても、ずっと前を向いていた。少し離れた木の陰に隠れて見ていた俺の目にも、バハリさんの真っ直ぐ先を見つめるその眼差しがはっきりと見えていたよ」
ラウスはジランの方を見て、「でもね」と言った。
「バハリさん一家に対する、残虐な処刑は、かえってマツイ族の心に火を点けた。クロエ王はバハリさんの話をすることを禁じたから、表立っては言えないけど、バハリさんたちをマツイ族の英雄、誇りとして皆は称えている。いままで何百年もの間、ベントス人に対する小さな反抗はいくつもあった。だけど、バハリさんの反乱のように、組織的に、そして、およそ一年もの間、ベントス人を苦しめたのはマツイ族にとって初めてのことだったんだ。俺たちはバハリさんを忘れない。そう、多くのマツイの人々は胸に刻んでいるはずだ」
ジランは息を吐きながら、両手で顔を拭くような仕草をして、ラウスを見た。
「ありがとう。話してくれて」
そう言ったジランの瞳は黒く乾き、胸の奥に去来しているであろうものが何なのか、ラウスは測りかねた。
「ジラン。ツィラビルのクレス様のもと、俺たちは今、自由を勝ち取るための戦いをしている」
「ツィラビル…」
「ああ。導家のツィラビル家、マツイ族の中で巫女を出す家系の家だ。アビの御言葉を我らに伝える御役目をされる巫女、クレス様は、数百年に一度現れるという神秘の力を生まれながらにして持っている。そのクレス様が、マツイ族を解放するための戦いを始められたんだ。俺は、ジランにもその戦いに加わってほしいと思っている」
目を逸らしたジランは、エルシェがテーブルの上に置いていった小瓶を手に取った。
「少し、頭を整理させてくれ」
「…そうだな、しばらく休んだ方がいい」
ラウスは立ち上がると、「送って行こう」と言って、ジランの背中に手を回した。
シャルロが酒場でひとり、酒を呑んでいる。周りの男たちが大声で語り合い、口を大きく開けて笑ったりしているのに、その喧騒は不思議なことに聞こえてこない。不思議な静寂の中で、シャルロの周りだけが舞台の上のように明るい。
干した小魚をかじり、酔いのまわったシャルロの視線の先には、長い黒髪を垂らし、豊満な胸と尻のラインが際立つ服を着た女がいる。隣のテーブルで談笑する男たちもその女が気になるのか、盃を片手にちらちらと女を舐めるように見ている。
女がシャルロの視線に気づき、視線を合わせたまま立ち上がると、弄るようにシャルロの前を通り過ぎて店の外に出ていった。シャルロは吸い寄せられるように立ち上がり、女の後を追いかけた。
店を出ると、シャルロの顔は、ポトに変わっていた。一瞬でシャルロがポトに変わったことに、特に疑問を持つことはなく、ああ、ポトだったのか、と思っただけだった。
ポトの目の前には、目だけを残して黒い布で顔を覆った、華奢な女がいた。
女は視線で行き先を指図すると、ポトが頷く。女が歩きだすと、ポトは少し俯きながら、女の後について行った。
がくり、と首が落ち、そこでグラックスは目が覚めた。
午前中は腰を痛めたというオズマンを診察するために往診に行き、午後になって診療所に帰ってきてから入院患者の様子を見ているところに、屋根を修理していて誤って下に落ちたという老人の急患が入った。その処置が終わって慌ただしく夕食をとった後、椅子に座ったまま眠ってしまったらしい。
大きな欠伸をしながら伸びをしたグラックスは、ついさっき見た夢の中身を思い出し、椅子に深く座り直してお腹のところで手を組んだ。
シャルロとポトが出てきた夢。
ライアンが王宮に行ってしまった後、シャルロは夜な夜な町で酒を呑んでいるようで、ひどいときは一日じゅう部屋に籠っていることもある。シャルロがジン王女に恋心を抱いており、ジン王女が診療所に来なくなってしまったことにひどく落胆していることは、グラックスも薄々気がついている。少し時間が必要なのかもしれない、と思い、グラックスはシャルロの行動に特に口をはさんでいない。それで結局、診療に関わる諸々の業務を、グラックスが一人で切り盛りしなければならなくなってしまっていたこともあり、風邪をひいたというジン王女の往診にはシャルロに行ってもらった。久しぶりに王女を見れば、シャルロの気持ちも少しは晴れるのではないかと思ったのだ。
もう一人。ポトについては、今日オズマンを診に行ったときに、
「ポトの姿が見えないね。どこかに行っているのかい」
診療所に来るのはいつもポトだったのに、昨日診療所にオズマンが腰を痛めたと言ってきたのはオズマンの家で食事や洗濯をしている女性だったから、世間話のつもりでグラックスはオズマンにそう尋ねた。
「お、そうだったかね。デニスの代わりに仕事を任せているからそっちの方が忙しいんだろう」
そう言うオズマンは腰が痛くてベッドの上で固まったまま、「早く何とかしてくれ」と急かした。高いところにある本を取ろうとしたら腰が痛くなったのだという。触診したグラックスは、オズマンの腰に塗り薬を塗り、痛み止めの薬を渡してオズマンの家を後にした。それきりポトのことは忘れていた。
さっき見た夢が未来の出来事を垣間見せるものであれば、目が覚めたときに左眼がうずいている感覚が残っているはずだが、いまはそれがない。なにか悪い予感もするが、本人たちに直接聞いて確かめるわけにもいかない。
シャルロは多感な時期だ。ジン王女以外にも女性に興味が出てもいい年頃である。ポトはまだ独身だ。恋仲になっている女の一人や二人はいるだろう。
自分の心のどこかに、なんとなく二人の恋の相手を心配する気持ちがあって、あんな夢を見てしまったのかもしれない。
「先生、ちょっと来てください」
血相を変えて部屋に飛び込んできたメイベルさんの声で、グラックスの思考は断ち切られた。
グラックスは、「今度は何が起こったのかな」と言いながら、ゆっくりと立ち上がった。




