能力(ちから)とは
「私から行きますがいいですか」
しばらくライアンの構えを見守っていたスラックがそう言った。
「はい。お願いします」
静かに頷くと、スラックは少し跳ねるようにして無造作に近づいてきた。
と、ふいにスピードを上げて一気に距離を詰めたスラックが真正面から突き出してきた手刀を、ライアンが咄嗟に顔を振って避ける。
同時に避けた顔をめがけてスラックの足が蹴りあがってくる。
体を捻ってなんとかそれも避けたライアンだったが、がら空きになった腹にスラックの掌底突きを喰らい、ライアンは三歩後ろに飛び退った。
「あの体勢から、よく手を出してガードしましたね」
スラックの掌底突きになんとか手を合わせ、直撃を免れることができたのは、先生の身体の周りを流れる光の砂粒が見えたからだ。砂粒の流れを見極めて先生の動きを読めれば、逆に攻めることができるかもしれない、とライアンは思った。
「いいですね。練度の高い修行をしていたことが分かります」
スラックは、ふーっ、と息を吐いた。
「では、私もひとつ、段階をあげましょう」
両手を上げたスラックの雰囲気が変わった。先生を取り巻く光る砂粒がみるみる消えていく。
なんだろう、これは。
ライアンが目を瞬いているうちに、ほいほいとスラックが近づいてきて、さっきと同じように途中から加速して目の前に迫ってきた。
スラックの右手の手刀が、さっきと同じように突きだされる。
と同時に、スラックの肘のあたりから青白い光が高速で回転しながら腕を伝って指先に伸びていく。
ライアンはスラックの手刀突きを顔を振ってなんとか避けるが、避けたはずのライアンの右頬に、ぶわん、という音とともに拳で殴られたような衝撃が走った。
体勢を崩し、何が起きたのかを理解しようとするライアンの足元で、スラックが足を蹴り上げる。と、スラックの膝からつま先に向かって青白い光の渦がぐるぐると脛を這っていく。
蹴りが来る、と思って反射的に上半身を仰け反らせ、なんとか躱すライアン。
が、今度も蹴りを躱したはずなのに、ぶわん、という音がして、右の脇腹を下から拳で突き上げられたような衝撃が来た。
息が止まるような苦痛を耐えながら、ライアンの頭に、『ああ、これがそうか』と妙に納得する思いが走った。
次の瞬間、ライアンの腹めがけてスラックの掌底突きが繰りだされる。両手を突き出してなんとかガードするが、ぶわん、という音がして遅れてやってきた見えない拳がライアンの胸を強打し、数歩後ろまで飛ばされて床に転がっていってしまった。
床に倒れて荒い息で天井を見上げていると、スラック先生の得意とする術の名前を思い出した。
『連渦拳』
スラックの強烈な突きや蹴りなどの打撃が空気の渦を生み、少し遅れて小さな竜巻のようなその渦が、軌道を変えながら相手に襲いかかる。手と足の形や向きを変えれば竜巻の大きさや形状も変わり、さらに連続して突きや蹴りが繰りだされると、時間差で襲ってくる予測不能の竜巻との波状攻撃となる。
これが、接近戦で敵無しと言われるスラック先生の『連渦拳』だった。
聞いたことはあったが、実際にこの目で見て受けるのは初めてだ。しかも先生は、敢えて初めの攻めと同じ攻撃を繰り返してくれた。来ると分かっていても対処するのは難しい、恐ろしい技である。
「大丈夫ですか」
手を出してライアンを起こしながらスラックが微笑んだ。
「完敗です」
「申し訳ない。今のライアンなら、避けられるような気がして、久しぶりに連渦拳を使ってしまいました」
「先生の連渦拳、初めて見ました。でも、半分も力を出していないでしょ。それでも避けきれなかった」
「それが分かるだけでもたいしたものです。ライアンだって手と足に重りを付けている。それであれだけの動きができているんです。パラレの修行がライアンの能力を格段に向上させていることは間違いありませんね」
つと顔を上げ、視線の合わないスラックの目をライアンは見つめた。
「パラレの修行をしているうちに、相対している人の周りに、きらきらと光って流れる砂粒のようなものが見えてきたんです。その光の揺れる動きが相手の次の行動に繋がっていることが分かってきて、攻撃の予測ができるようになってきたんです」
スラックは、「ほう」と短く言って笑った。
「それはおそらく、「気」というものです」
「気…」
「はい。人は誰しも、その「気」が身体の周りに滲み出ているんです。筋力や気力、胆力にその時の健康状態や精神状態で、質や量も、人によって様々なものがあります。ライアンには光る砂粒に観えたものと多分同じものが、私には色の付いた煙のように感じています」
「先生にもそれが見えました。でも、二回目の手合わせのとき、先生の身体からはそれがほとんど見えなくなっていったんです」
「それは、私が意識的にコントロールしたからです。観え方や感じ方は人それぞれですが、ある程度修行を積んだ者や感覚の鋭い者は、人の「気」を観ることができる。自分の気の流れを相手に観られているということは、相手に次の手が読まれてしまうということです。逆に、自分の「気」の流れを制御することができれば、こちらの攻撃は相手に読まれにくくなる」
「どうすれば制御することができますか」
「自分の「気」を常に意識して修行することです。その意味では、このパラレの修行は良い効果があるように思いますね」
「何か似たようなことをアイザックさんにも言われたような気がするなぁ」
「ナルッサでスダジイに触れた時、ライアンは何が観えましたか」
「赤みがかった青というか、緑というか、そんな光が滲み出てくるのが見えました」
「そう。大半の人は、青や緑、瑠璃色の光が観えた、と表現します。目の見えない私にも、スダジイから漏れ出たザレの息吹が赤紫色の煙となって感じました。私はそれが、人が纏う「気」と非常に似通っているように思えるのです」
確かに、ナルッサでスダジイから滲み出たザレの光は、暖かさとともに、何か強い思いを抱えている、そんなふうに感じたことを覚えている。
「すべてを包み込むような暖かみと、相反するような強烈な孤独。ザレの「気」は、そんな人の感情のようなものを持っているのではないか、私はそんな気がしています」
「感情、をザレが持っている…」
「ザレの結晶が取り込まれているというライアンのその左手からも、やはり似たようなものを感じます」
ザレの結晶の力を使ったとき、青緑色の光が溢れ出た。今は何も見えないけど、スラック先生には何かが見えているらしい。
「ロクトではザレとの一体感を重視してきました。我々エグサは、ザレを感じるように、ザレと繋がるように、と教わり、修行してきましたね」
「はい」
「ザレと共鳴することで、もちろんすべてのエグサではありませんが、その共鳴する力が強いほど、様々な能力を得て使うことができると」
「そう、教わりました」
「私の連渦拳も、長い修行を経て、ザレの力を修得したのだと思っていました」
「思っていた…、スラック先生はザレの力ではないと思っているんですか」
「今、ザレとそれを守っていたスダジイは消えてしまいました。しかし、いま見たように、私は連渦拳をまだ使えている。それはなぜでしょうか。もしかしたら、修行によってザレの力が蓄積され、ザレが無くなっても使えているのかもしれない。だがそうではないかもしれない、と私は思いはじめています」
ライアンはスラックの言葉の先を待った。
「不思議なことに、ライアン自身の身体の奥からも、ザレと似たようなもの、ザレと同じような揺らめきを私は感じるんです」
「ザレと同じ、揺らめき、ですか」
「ええ。以前、私が話したことを覚えていますか。君の身体の奥に、熱量を持った何かが眠っている、と」
「はい、覚えてます」
「こうしてライアンと相対してみて、やはり君の体の中に何かが眠っているのだと、私は確信しました」
少しの間目を伏せたライアンが顔を上げた。
「先生。ザレの力って、いったい何なのでしょう」
「はっきりしたことはまだ分かりませんが、人は誰しもザレと同じような力を潜在的に持っているのではないかと思います。ザレはその能力を引きだすきっかけを作っているに過ぎない。ナルッサでエグサに選ばれた者は、その結びつきが強い者、なのではないかと」
ザレは人がもともと持っている力を引きだすもの…。あのときスダジイがくれたザレの結晶で体が軽くなったのは、自分の能力だったのだろうか。いや、そんなはずはない。あれはザレの力だった気がする。混乱して、訳が分からなくなってきた。
「ライアンはザレの力を使いたいと思っているのですか」
唐突にスラックが尋ねた言葉に、「はい」とすぐに言えずに、ライアンは言葉に詰まった。
「ミロイを救うため、頭ではザレの力を使いたいと思っているのでしょう。だけど、その思いに反して身体はそれを拒んでいる。それは、ザレの力が強いことを本能的に感じているからではないでしょうか。同時に、ザレの力を使えば、ライアンの中に眠っている大いなる力も目を覚ますことになるでしょう。そうすれば身体が壊れてしまう、若しくは得体の知れない何かに身体が乗っ取られてしまうかもしれない。そう身体が感じ取っているからこそ、力を使うことへのブレーキがかかっている。それを外すのは、ライアンの覚悟次第かもしれませんね」
あれ、それも誰かに似たようなことを言われた気がする。
「ただ、私はそれでいいのだと思います。身体が感じている恐怖は、おそらく正しい。眠っている能力を起こせば、君の身体が傷ついてしまうかもしれない。やはり、私は君が覚醒することがいいことなのか、悪いことなのか、未だに判断がつかないのです」
「でも先生…」
ライアンの言葉を、スラックは手で制した。
「パラレの修行を通して、君は確実に強くなっている。我々と力を合わせれば、ザレの力がなくてもミロイを取り戻すことはできる、と私はそう思います」
スラック先生の推理は正しいようにも思えるけど、だとしたら俺は能力を使うことを怖がり続けているということになる。
ザレの力を使ってミロイを救い、コバックの敵をとる。
と、あれほど心に誓っておきながら、いまだにその覚悟ができていないのだとしたら、俺は何と不甲斐ない人間だろう。
そう自問自答しながら、ライアンはスラックの前にしばらく立ちつくしていた。




