9.猛獣のおねだり
とある昼下がり。
シャラーン♪
着信音がして、スマホの画面をいつものように確認し、予想外の内容に思わず固まる。
届いたメッセージは将彦さんの救難信号でもなく、雪子さんの依頼でもなく、
『デートはいつにする?』
という、至極シンプルな文面と可愛い桃のスタンプだけだった。
船越一香は一般生徒の為、Gクラスの面子しかほぼ立ち入らない新校舎は普通は近寄りがたい。
が、気配りのできるご令嬢、雪子さんが先生に掛け合って、管理棟からの連絡路の通行許可をとってくれている。
その人目の付きにくい連絡通路を、許される範囲で出せる最大のスピードでGクラスへ急ぐ。
「桃太くん!」
ノックと同時に扉を開け放ち、優雅な空間へと飛び込む。
窓際の席で、櫻野先輩とお茶を嗜んでいる桃太くんのところへずかずかと尽き進む。
「うわーい。いっちゃんがこのクラスに顔出して、真っ先に僕のとこに来てくれるなんて新鮮」
桃太くんは、手にしていたカップをソーサーに置き、私の方へとびきりの笑顔を向けてくれる。
窓から差し込んでくる柔らかな日差しを受け、桃太くんの髪にはエンジェルリングが浮かぶ。
いつもなら、ほわんと癒されるけども、今日は勝手が違うのだ。
「スマホに変なメッセージが届いたんだけど」
自分のスマホの画面を桃太くんに突きつける。
「うん。今週末とか天気もいいし、どうかなって思って」
「いやいやいや、唐突過ぎるよね?」
確かに以前、服を一緒に見に行こうという話で盛り上がったりしましたよ?
ん? と桃太くんは小首をかしげつつ、不思議そうな顔でこちらを見返してくる。
「いっちゃんは、僕に貸しがあるでしょ」
貸しとは、先日大介の追求から助け出してくれた時のことか。
確かに、あれは助かったけども、
「た、助けてとか、頼んだ覚えなんてないし」
ぷいっと、顔をそむける。
あれは桃太くんが勝手にやったことだもの。それを貸しとか言われても困る。
助けがなくともなんとかなった、かもしれないし。
「……ふーん。そんな可愛くない事言うんだ」
あれ、今の聞き覚えのない低い声は、誰が発したのかな??
桃太くんのいる方向から、なぜか冷気が漂ってる気がするんだけど。
「いっちゃん」
「は、はい」
低く名前を呼ばれて、背けていた顔を元に戻す。
そこにはいつものキラキラの笑顔を浮かべる同級生ではなく、頬に指を添えて艶やかに哂う美少年がいた。
――え、誰、この色気むんむんな美少年。何その流し目。
赤い唇は緩やかに弧を描き、なぜか視線を外そうにも目が離せない。お茶飲んでたせいなのか唇はしっとりと濡れてて、なんともいえない気持ちになるんですが。
ゆるりと伸ばされた掌に、自身の手を絡めとられる。
「僕のお願い、きいてくれるよね?」
明らかに色を含んだ声色で、視覚と合わせて聴覚にも多大なる攻撃を仕掛けられる。
普段の雰囲気との落差に驚き、よく分からないまま雰囲気に呑まれうなずきそうになった時、
――――べしっ
と、桃太くんの後頭部で景気のいい音がした。
「ちょっ、森ノ宮先輩、何するんですか!?」
「……教育的指導だな」
将彦さんの手には、櫻野と名前の書かれた金色のハリセンが握られていた。
どうしよう、どこにツッコむべきだろう。
悩んでいると、肩に手をおかれる。
「櫻野先輩?」
「ある程度のエサを与えとかないと、小動物は獰猛な肉食獣へと変貌しちゃいますよ」
「…………は?」
「猛獣の方がお好みなら、止めませんけどね」
「いえ、私、いつものキュートでキラッキラな桃太くんのが大好きです!!」
あんな匂いたつ色気を醸し出すような美少年はいりません。
どこかに需要はあると思ってます。でも、私にはまだ早いです。
正統派な美少年が、自分はいいと思うのです。
「だそうですよ。一香さんは、可愛いままの方お好みみたいですよ」
「はーい」
「少しずつ小出しにして、慣れさせるのが常套手段でしょうに。急ぎ過ぎじゃないですか」
「……止めなかったくせに」
「わざとですよ」
きこえてます。めっちゃきこえてますよ、お二方。
それすらもわざとですよねって分かってはいるが、気づいたらダメだ。
私、まだ、Gクラスの方々に夢を見ていたんですって、そんな会話は私のいない所でしてください。
「さ、櫻野先輩」
「どうされましたか」
「私、すんごく優しい先輩が大好きですからね?」
キュートな桃太くん。
優しい櫻野さん。
そこをくずされてなるものかと、櫻野さんへも可愛くおねだりをしておく。
「……そうですね。私の贈った眼鏡を馬鹿正直に付けてる可愛い子には優しくしてあげましょうか」
ん?
あれ、いま、なんか毒っぽいお言葉が混ざってませんでしたかね?
ふふっと微笑む櫻野先輩に、にへらっと私も笑い返す。
うん、やっぱり気づいていない方向でいこう。
だって気づきたくないからね!? ここに猛獣と意地悪眼鏡がいるとかね!
「大丈夫か?」
いつの間にか金色のハリセンを片付けた将彦さんが、狼狽えている私に優しく声をかけてくれる。
どうしよう。
いつもは、女子に囲まれて一人で撃退できないヘタレとか思ってるのに、今日だけは口の悪い素の正彦さんが癒しの存在に見える。
思わずがしっとその手を取って、心のままに本音をぶちまける。
「先輩はいつもの口の悪いヘタレでいてくださいね」
「……おい、待て」
なんちゃって王子様な皮をかぶっている、ちょっとガラの悪いヘタレ。
予想外のちびっこ肉食色気魔人や、優しいフリしてた腹黒ドS眼鏡に比べればなんてマシなんだろう。
役柄とはいえ、恋人役を演じなくてはならない人が、許容できる範囲内での人間でよかった。
「私、恋人役が先輩でよかったです」
「…………素直に喜べないんだが。その前後に何か言えない心の声があるよな?」
じとりと睨んでくる将彦さんを嘘くさい笑顔でやり過ごす。
いえいえ、それなりに苦労もあるけども、貴方の恋人役って本当に素敵なことと思ってますよ。
なんでそうなっているのかが自分でも測りかねてる。
だから、春先から微妙に変わっているバイトに対しての気持ちを、わざと嘘くさい声音と表情で伝えておく。誰にも気取られないように。
「本当ですって。恋人役するのが森ノ宮先輩でよかったです」