〜啓志〜 act1
友達
「穂澄、好きだよ。」
「私も・・・啓志が好き。」
愛し合う時、必ず啓志は言葉でも愛してくれる。
そんな毎回言われたら信憑性に欠けるとか、たまに言われるからこそ愛を感じるとか、友達からの意見はさまざま。
人の数だけ恋愛もある。
それでいいじゃないか。
今が幸せならそれで・・・
頂点に達した後、啓志はおでこにそっとキスをするとベットから出て行く。
これもいつものこと。
薄明かりに灯るもう一つの灯火。
愛し合った後、啓志は必ず煙草を吸う。
煙草に火が灯ると次にベットから感じるのは香り。
メンソールしか吸わない啓志の煙草の香り。
ソファーに座り、リモコンを持つ啓志。
チャンネルを選択している時の雑音が部屋中に響き渡る。
ほんとはね、ずっと一緒にいたい。
離れていたくない。
そのままベットに残っていつまでも抱き合っていたい。
腕枕をされたまま眠りにつきたい。
穏やかな眠りに・・・
「穂澄、来週はいつ会う?」
そう言って脱いだ衣類に手をかけている啓志。
「うん・・・休みは土日だよ。」
「そっか、俺土日は仕事だ。」
服を着て煙草をくわえたまま洗面所へ向かう。
ドライヤーの音が聞こえてくる。
帰る準備。
そうわかるのに時間はかからなかった。
啓志は身のこなしもきちんとしている。
洋服もいつもしわ一つないきれいなもの。
着こなしも落ち着いている。
ホテルの洗面所で着衣を整えているところをみると、今夜は奥さんがいるのだろう。
「じゃあ平日、俺木曜休みだから会うか?」
「うん。木曜日ね。仕事早く終わらせるね。」
私から、啓志の休みを聞くことはしなかった。
奥さんの休みを聞くことも。
啓志は必ず次会う日を決めてくれていたから。
「仕事なら迎えはいつもの公園でいい?」
「うん、公園まで歩いてくよ。」
啓志の自宅は私の仕事場から近い。
四月から部署移動で仕事場が別れたので出勤は別々なのだが。
とりあえず、誰がどこで見ているかわからないので私達は会社から離れて会っていた。
啓志の家も、私の家もあるのだけれど啓志は外で愛し合うのを好んだ。
車で入るこのホテルも何度も来ている。
「6時?7時?」
「う〜ん・・・7時で。」
6時か7時かと選択肢を出されたら、当然遅い方の7時。
理由は二つ。
一つは、仕事が伸びた場合を考えてあらかじめ遅い時間に設定しておく方が安配。
二つ目は、待たせるよりも待つべし。
早く終わって余裕を持って啓志を待つことが好ましい。
啓志は待ち時間を嫌うからね。
「じゃあ木曜な。送ってくよ。」
「うん・・・」
慌てて服を着て用意をする。
時計を見るとまだ5時だった。
何時に帰ろうが、送っていくので啓志はあまり気にしていないみたい。
もう少し、一緒にいたかったな。
車が家の近くのコンビニに停まった。
「穂澄、夕食は?買ってくの?」
「ううん、今日はいいや。」
「ちゃんと食えよ〜。」
そう言うと啓志に頭をくしゃっとされた。
啓志の大きな手が髪に触れている。
啓志に頭を撫でられるのが好き。
啓志に髪を触られるのが好き。
啓志に触れられるのが好き。
啓志に抱きしめられるのが好き。
啓志にキスしてもらえるのが好き。
いつものように帰り際、車の中でキスをした。
「あ、そうだ。話すことあったんだ。」
「何?」
車から降りようとドアノブに手をかけた時だった。
「あ、大した事ないから後で電話する。」
別れ間際に思い出すなんて、帰るのを引き止めていると思われたくなかったのだ。
「駄目。今ここで話せ。」
腕を掴まれ助手席に引き戻された。
こうなってはもう後にも先にも引けない。
話さなければ変に思われてこの後余計面倒くさなるだろう。
後先考えず発言してしまった自分が悔やまれる。
「あのね、お姉ちゃん同棲していた彼氏と別れて、家出たらしいのね。それで家見つかるまで私の家に住みたいって。」
「いんじゃない。いつ言われたの?」
「先週の土曜。ご飯食べた時に。」
「そう。」
「だからね、啓志・・・しばらくうちにお泊りに来れなくなると思うんだ。ごめんね。」
二人の会社から離れていた私の家は、時々啓志が泊まりに来ていた。
まだ同じ仕事場だった頃、同じシフト休みだった頃。
1Kだから決して広いわけではないが。
啓志がうちに泊まりに来るのは嬉しかった。
一緒にテレビを見て、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝る・・・。
朝起きて隣に啓志の寝顔を見れた時、
朝ご飯を一緒に食べている時、
そのままデートに出かける時、
一日の始まりを啓志と過ごせることが嬉しかった。
「そう。わかった。」
返ってきた返事は意外とあっさりしていた。
啓志と付き合ってから、他の男を部屋に入れるなと言われた。
男友達も。遊ぶなら外で・・・もすぐに遊ばなくなったのだが。
「今、帰ったら姉さんいるかもなんだ。」
「うん・・・そうだね。」
「じゃあ、着いたらメールにするよ。」
「わかった。じゃあまたね。」
車を降りた。
見送りはせずまっすぐ家に向かって歩いた。
やっぱり今夜は奥さんが帰ってくるのだな。
そんなことを感じても、別になんとも思わない私も冷めているのかもしれないが。
啓志も・・・
お泊りの回数が減った。
仕事場が別々になったから?
休みが別々になったから?
なんだろう・・・この気持ち。
胸が重い。
苦しいとか痛いとかじゃなくて・・・
重い。こんな気持ちは初めて。
どよんと重たいよ。
一時間ほどして啓志から着いたと簡単なメールが届いた。
いつものような疑問系は無し。
私も簡単に返事を返す。
今夜はきっとあと一通のやり取りで終わりだろう。
おやすみメールだけで。
自分の時間が始まる。
その時だった。
“♪♪♯〜、♪♪♯〜”
メール着信音。
あれ?と思い携帯を覗いた。
新着メール一件 里己谷 斐
リッキーからだった。
珍しい。
『おっす、海女。江ノ島は今日も穏やかだ。さて、先生から話は聞いた。悪かったな。カトちゃんの事。佐岐さんをそこまで悩ませるとは思わなくて。その後、カトちゃんとはどう?』
アドレスを交換して以来ではないかというくらい久々のメールは長文だった。
『どうって・・・話してないんだ。朝、挨拶しようとしてもいないんだよね。時間ずらされてるかな、避けられてるッぽいよ(><)』
送信。
先週の金曜日、加藤くんから告白というものを受けた。
一人で帰って行った加藤くん。
申し訳なさでいっぱいだった。
翌月曜日、出勤したらまず挨拶を私からしようと決めていた。
これからも会社で顔を合わせるのだから。
この先もずっと仕事仲間なのだから・・・
告白を頑張った加藤くん。
今度は私が頑張る番。
そう思っていたのだが、朝、会うことはなかった。
同じ仕事場とはいえ、早番・遅番と勤務形態もバラバラな上、出入りも多い仕事。
一日が始まるとなかなか顔を合わせることはない。
姿は見るものの、話しかける時間がなく。
火曜、水曜、木曜・・・
とあっという間に一週間が経ってしまい、加藤くんと話すことはなかった。
そのうち一つの考えが浮かんだ。
避けられているのではないか・・・と。
告白してすぐに話すのは気まずいもしくは話したくない、顔も見たくない状況なのではないかと。
それではいくら私が頑張ろうにも・・・避けられているにはどうしようもない。
避けられるほど嫌われてしまったのではないかと不安でもあるが。
“♪♪♯〜、♪♪♯〜”
再びメール音が鳴る。
『そっか。カトちゃんにも時間が必要なのかもな。佐岐さんは平気?落ち込んだり悩んだりしてる?』
落ち込んだり悩んだり・・・
リッキーから未だかつてこんな風に言われたことはなかった。
リッキーこと里己谷 斐とも先生と同じ同期生。
先生とは対照的に物静かで知的な雰囲気の人。
ムードメーカーとは違うけれどその場で一番存在感のある人。
四月から同じ部署になり、遊ぶようになった。
先生からいったい何を聞いたのだろうか・・・
泣いたこと?
だよね、話したのか。先生が。
だから心配してくれるのかな。
『私は元気だよ〜!』
『泣いてすっきりしたとは思うけれど、これからは何かあったら相談しなよ、せっかくの同期なんだし。』
やっぱり泣いたこと聞いたのか。
先生のやつ、他の人にも喋ってるのかな。
でも、不思議と腹は立たなかった。
こうして、リッキーがメールをくれたことが、何よりの証だろう。
仕事メールもしたことのない私達が交わすメールは初めてにしては心強いものだった。
『また江ノ島から出直そうかな!』
送信。
『おっ、いいね!江ノ島来ちゃいなよ!いつ来る?あ、そうだ!山Pからも遊ぼうって!』
『山P?!久しぶりだ〜、会いたい!』
山Pこと山下 梓もかつて同期の一人だった。
先生、リッキー、山P、私の四人が同期入社。
でも、山Pは四ヶ月で転職の道へ。
リッキー連絡とってたんだ。懐かしい。
『今月の俺ら研修の日、終わったら暇?』
鞄から手帳を出してきて開く。
六月最後の週の木曜日研修の予定が入っていた。
同期三人だけの研修だ。
『うん!ヒマだよ〜』
『じゃあ、そこ山Pと飲みで。』
『わかった。楽しみにしてる!』
心から、そう思っていた。
山Pに会えるまであと二週間少し・・・
手帳に新しく予定を書き込む。楽しみだな。
再び携帯を開き、リッキーからのメールにチェックを入れる。
“六件削除しますか?”
YESのボタンを押す。
同じく送信メールにもチェックを入れ削除。
啓志は携帯チェックをするから・・・。
最初は何気ない会話の延長上からだった。
ベットの上で鳴った携帯。
愛し合った後で良かった。
マナーモードにしておかなかったことを焦っていた。
「誰から?」そんな風に啓志に聞かれた。
「友達だよ〜」そんな風に答えてメールの返信をしようとしたら、隣で寝ていた啓志が突然覆いかぶさってきて。
キスされた。
何度も何度もキスされて。
携帯を持つ手から力が抜けるくらいキスをたくさんされて。
やがて携帯は手から落ちていた。
もう一度二人は一つに重なっていた。
「さっきの見ていい?」
ベットにそのまま置いてあった携帯を啓志が手に取った。
「うん?メール?」
私の返事を聞く前に、既に開かれていたが。
「ふーん、ほんとに友達からか。」
「なんで?嘘ついたと思ったの?」
「うん。」
「えー、啓志私の事信用してないの?」
「携帯見ても動じない穂澄は信用する。」
「なにそれ〜」
そんな会話から啓志は時々私の携帯を見るようになった。
私も別に嫌ではなかった。
特にやましいこともなかったし。
男友達もいなかったし。
メールといえば友達か仕事か家族だったから・・・
啓志が安心するならそれで良かった。
私は恐くて見れない。
啓志の携帯を見たと思ったことがない。
だって・・・
奥さんとのメールなんて見てしまったらそれは別れを意味することだと思うから。
啓志か結婚していること、奥さんがいることが気にならないくらい愛してくれている啓志。そんな啓志との恋愛をしている限り大丈夫。
矛盾・・
してるかもしれないけれど。
啓志が見るかもしれないから、
啓志が不快に思うかもしれないから、
啓志が不安になるかもしれないから、
リッキーとのメールは削除した。