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ユメウタ  作者: 大希
1/5

季節:夏〜海〜

   夏


「先生、今日どこ行くの?」

「江ノ島行っちゃう?」

「行く行くー!」

「海でサッカー!」

「花火大会は?」

「海ですればいいじゃん。」

「まだ売ってないんじゃない?」

「いーから、江ノ島決定!」

「車へゴー!」

「乗り込め詰め込め!」


いつも皆で遊んでいた。

多勢で遊んでいる中の一人。

今年で三年目の夏が来る。


「到着―!」

「海だぁ〜!」

「寒っっ!」

「誰もいなーい!」


六月の海。江ノ島。

最近江ノ島で一人暮らしを始めたリッキー。

リッキーと海で遊ぶことが増え始めた。


「先生ー、ラーメン食べたい!」

「俺も〜」

「私も〜!」

「よし、じゃあ限定5名だけな。」

「はいはーい!」

「行きます〜」

「食べます〜」

「では今手を挙げた5名のみ、ラーメン屋へ移動開始!残り2名は海で待つこと!」

「はーいっ!」


突然ラーメンを食べに行ってしまった5名。

海で食べようとお菓子や飲み物も買っていたのに。

変なの・・・

そう思ったけれど別にラーメンが好きではないからまあいいか。

皆で買ったおつまみに手を伸ばしながらビールを片手に海を見てた。


するともう一人残った加藤くんに話しかけられた。

「佐岐さんって彼氏いるんですか?」

「は?」

「す、すみません。突然・・・。」

「いや、いないけど。」

「そ、そうなんですか。」


「彼氏」はいない。

嘘をついたわけではないが胸が痛む言葉。

彼氏・・・か。

彼氏にはなってくれないけれど交際しているお相手ならいる。

そう言った方が良かったかな。

つまり、不倫愛人関係ね。

いや、言えないだろう。

言えるわけがない。

言えるわけがない。

だって加藤くん、君の元上司なのだから。



「佐岐さんは、年上と年下どちらが好みですか?」

「・・・年下かな。」

「年下ですか。なるほど。」


年上と答えるところだったが、逆の年下と答えておいた。

年上って言っても六つ違いだけどね。

年下の加藤くんとは一つ違いか。

六つも違うとけっこうな時代差が出るもの。

当たり前だけど小学校入学の時点で相手は中学校入学だもの。

相手が働いた年に私はまだ中学三年だもの。

私が入社した時には既に八年目。

三年経った今では役職にもついている。


“♪♪ー♯♪ー〜”

携帯が鳴る。

海の音に似合わない着信音。

「あ、電話どうぞ。」

「ううん、いいや。メールにしておく。」

「俺のことは気にしないでどうぞ。」

「うん、大丈夫〜。」


せっかく気を遣ってくれた加藤くんには悪いが、電話に出られる状況ではない。

電話に出られるはずがない。

だってその電話は加藤くんの元上司で不倫愛人関係にある相手。

まさにその人からだったのだから。


メールの作成画面を開くと同時に先にメールが届いた。

新着メール一件 啓志。


『電話まずいの?今どこ?』

『今皆で海。帰ったら電話するね。』



「佐岐さんメール返すの早い方ですか?」

「え?どうだろう〜・・・その時によるかな?」

「そうですか・・・。」


加藤くんと話している間にも既に次のメールが届いていた。


『皆って誰?』

『同期二人と加藤くんと小林さんと新人二人だよ。』


加藤くんには悪いが話を聞きながらメールを打つ。

「人と話している時は携帯を見るな」それが啓志の口癖だ。

それなのにメールを返す自分って・・・


『ふーん、穂澄酒飲んでる?』

『飲んでないよ。お菓子食べてる。』


啓志の質問攻めメールは続く。

もう慣れたが、啓志からは疑問系で終わるメールが多い。

それを無視する返信をしようものなら後で何倍も攻められる。

そうならないためにも面倒くさくても素直に一つずつ答えていくことが大事だ。

面倒くさいだんて言おうものなら後が恐ろしい。

これ、啓志との付き合いで学んだこと。


『帰り遅くなるの?』

『終電までには帰るよ。』


時計を見ると八時半。

終電までには帰る。これも啓志と決めたこと。

一人暮らしの私は遅くなると連絡を入れる必要もなければ、終電までに帰る必要もない。

だが、啓志と決めたことだから。

啓志との決め事は他にもある。


一.帰ったら必ず電話をする

二.メールの返事はすぐにする

三.お互いの予定を伝える



「佐岐さんはどんなタイプの人が好きですか?」

「う〜ん・・・相手を尊重してくれる人、穏やかな人かな。」

「では、苦手なタイプはありますか?」

「自己主張が強くて嫉妬深い人。」

「なるほど・・・」



加藤くんに聞かれたこと、つい本気で答えてしまった。

確かに啓志は自己主張が強いから私の言うことはあまり聞いてくれない。

独占欲強いし嫉妬深いから男友達と遊ぶのはあまり良く思ってくれない。

決して穏やかではない、見た目も性格も強くてキツイ印象だ。

それでも・・・

好きになってしまったのだな。

啓志と付き合って一年半。

今では居なくてはならない存在だ。


“ブー、ブー、ブーー”

着信音からバイブに変えた携帯が鳴る。


『今日花火大会は行かなかったの?』

『行かなかったよ。海になった。』


すぐに返す返信メールに本音を書くのはやめた。

本当は今日の花火大会、啓志と行きたかったんだよ。

 

夏の始まりを一番に伝えてくれる花火大会は毎年六月に行われる。

前々から知ってたんだ。今日あるのは。

でも、啓志から聞いた予定では今日は会える日ではなかったから。


不倫愛人関係。

啓志は結婚している。

子供はいないが奥さんはいる。

共働きで夜勤の仕事が多い奥さんとは生活形態が違うらしいが。

それでも夫婦は夫婦だ。

今日は奥さんが休みの日だったから。

夜、会うことは叶わなかった。


不倫愛人のルール。

良くある話だが、自分達にはあまり関係ないと思っていた。


その1.仕事が終わり、家庭に帰ったら電話もメールもしない。

これが当てはまらないのが啓志。

家に帰っても奥さんはいないのだから電話もメールもし放題だ。


その2.お泊りは難しい。

これも見事にこなしている。

啓志は一人暮らしの私の家に泊まるし、啓志の家にも数回入れてもらったことがある。

夜勤の奥様は夜もいないから。

だから、あまり寂しい思いをしたことがない。

夜になると一人というわけではなく、望めば啓志は一緒にいてくれるのだから。

恋人のように・・・


その3.相手と自分の状況を理解すること。

相手が結婚している時点で恋人ではなく愛人。

奥さんにやきもち焼いたり、後々恨み言を言うくらいであれば最初から付き合うのはやめたほうが良いと思っているくらい。

自分でその人を選んだのなら文句は言わない。

文句言うくらいなら最初から不倫はしていない。



啓志を好きになってしまったこと、後悔したことはない。

世間からしたら不倫や愛人関係は許されることではないと十分にわかっている。

でも、誰に迷惑かけた?

私は啓志と結婚したいと思っているわけではない。

奥さんから奪おうなんて勇気はこれっぽっちもない。

ただ、啓志の存在が必要なだけ。

あの時から、啓志の存在に救われただけ。

あの日から、啓志を好きになってしまっただけ。



「俺、佐岐さんの事が好きです。」

「え?」

「その・・なんというか、この間食事した時の佐岐さんが可愛く見えたというか・・・」


突然、加藤くんは何を言い出したのか理解が追いつかなかった。

食事・・・

そういえば半月程前、加藤くんと二人で食事をしたことを思い出す。

ああ、あれだ。

その日は啓志とうまくいかなくて、一人で帰ろうと思ったところ加藤くんに誘われたのだった。

啓志は男友達と二人で食事だなんて許してくれるはずはなく、今まで断ってきたのだけれど、その日啓志と揉めて半ばヤケになっていた私は勢いに任せてオッケーを出したのだ。

加藤くんは会社同僚しかも後輩だから後々バレたとしても安敗だろうという卑怯な考えの下。



「か、可愛い?私が?まさか。」

「いえ、佐岐さんは可愛いです。正直仕事している佐岐さんは恐い・・・ですが、二人で会った時の佐岐さんはこう、意外というか・・・あ、良い意味で、女性らしく女の子らしく見えました・・・」


下を向き顔を赤く染めている加藤。

やはり二人で行ったのはまずかったか・・・

あの日いつものように皆も誘おうと思ったのだが、誰も都合がつかなかったのだった。

加藤と二人で食事をするのは初めてだった。

もちろん、啓志と付き合ってからは他の男の人と二人で食事をするのは避けていたが。


あの日、前日に啓志と揉め事をした。

些細なことだったのだか、意見の食い違いがあった。

いつもは折れる私も譲らなかった。

どうしてかな。

この頃啓志との関係が崩れ始めていたのは確か。


毎日のように会っていた頃もあった。

仕事が終わり、食事をして送ってもらう。

週末休みには必ず啓志が泊まりに来ていた。

それは始めの半年位で、徐々にお泊りの回数も減り、食事を一緒にとることも減った。

決定的だったのは部署移動があったこと。

四月。別々の配属先となった。

互いに新しい環境になり、忙しくもなった。

私にも後輩ができたし、教える立場に立った。

勤務形態も変わったから二人の休日が揃わなくなった。

それでも私は啓志に合わせていたつもりだった。

啓志との決め事、お互いの予定を伝える。

そんな中で喰い違いが生じるようになったんだ。



「それで、皆さんと遊ぶ中でも佐岐さんと会うのが楽しみになって。仕事ではなく、プライベートの佐岐さんが好きになりました。」

「俺と付き合ってもらえませんか?」


仕事とは違う加藤くんの真剣な表情。

緊張しているせいか少し涙目になっている。


皆で遊ぶようになったのも今年から。

四月に部署移動があって、入社以来別々だった同期生と三人で同じ部署になれた。

後輩も配属され、新入社員も入ってきた。

年の近い仲間が集まっていたから、すぐに飲み会をして仲良くなった。

同期生三人を中心に休日も遊ぶようになった。

ちょうど啓志と予定が会わなくなった頃。

啓志と会えない日は、皆で遊ぶのであっという間に埋まっていった。

その中の一人、加藤くん。

まさか告白されるとは・・・



「あの・・・ね、えっと・・・」

「付き合ってもらえませんか?」


再び想いをぶつけてくれた加藤くんの直向さ、一生懸命さが痛いほど伝わってくる。

だからこそ、きちんと応えなければ。


「ごめんなさい。今は誰ともつきあえない。」

「・・・・はい・・・」

「加藤くんの事、嫌いじゃないし、食事した時も楽しかったよ。」

「・・・そうですか・・・」

「加藤くんは素敵な後輩だから。」

「・・・はい・・・」



告白と呼ばれるもの。

ちゃんと受けたのは二回目である。

しかも二回とも答えは決まっていたから・・・

断るのは初めてだった。

大丈夫かな、後先考えずに答えてしまったことを少し後悔している。

だって会社で顔を合わせるのだから。

この先もずっと仕事仲間なのだから・・・



啓志とも同じだった。

会社の先輩、後輩。

入社してまもなく啓志と一緒に仕事をした。

始めから恐い先輩だった。

先輩方の中でも好きではない方だった。


三ヶ月して配属先が変わった。

啓志とは離れしばらく別の先輩方と仕事をした。

啓志とは忘年会やら新年会やら歓送迎会といった定例飲み会での席が隣になることが多かった。

仕事以外で話すのは別に恐くはなかった。

オンとオフを切り替えるのがうまい人で、飲み会で話す啓志はおもしろかったから。

啓志の話は聞いていて退屈しなかった。

年上だから。色々な経験もしている。

女性と話すのも上手い。

お酒も強くついこちらも飲まされてしまう。

お酒が入ると楽しくなるものだ。


ある一つの行事が終わった打ち上げでの飲み会のこと。

珍しく啓志が上司に意見をぶつけていた。

日頃上司とも折り合いをうまく合わせるタイプの人間だったが、この日の啓志は違った。

隣の席の私もこの日は相手にされなかった。

だんだん話はエスカレートしていき、上司の意見はお説教へと変わっていた。

それでも尚、意見を張る啓志。

隣で聞いている私が苦しくなった。

仕事上でなく、啓志という人間そのものを批判し始めた上司。

聞くに耐えない言葉が飛び交う。

もうやめて!こんなの啓志じゃない。

これ以上啓志が傷つけられるのに耐えられなかった私は思いがけない行動に出た。


啓志の左小指をぎゅっと握った。


ビールのグラスを持つ右手。

空いた左手は膝の上に置かれていた。

あまり広くなかったベンチシート。

すぐ右横に、啓志の左手があった。

誰にも気づかれないように、テーブルの下で啓志の小指と自分の小指を絡めた。


すぐに啓志は気づいた。

顔は見れなかったけれど、わかった。

向かいの人と話しながらも、わかった。

誰にも気づかれなかったけれど、わかった。


啓志が握り返してくれたから・・・


私達は少しの間小指をつないでいた。

右利きな私が右手を出すのは時間の問題だったのだが。


少しの時間で十分だった。

互いの気持ちを知るのには十分なきっかけだったのだから・・・


それから半月も経たないうちに啓志に休みの日の予定を聞かれた。



「わかりました。佐岐さん。突然すみませんでした・・・」

「・・・ううん。」


“ブー、ブー、ブーー”

メール着信を知らせる振動がポケットの中から伝わる。

今は見ることはできない。


「佐岐さん、実は今日、先生に頼んでここへ連れてきてもらいました。」

「えっ?」

「すみません、佐岐さんを好きな事、皆さん知っているんです。」

「ええっっ?!」

「それで皆さん協力してくれて、ラーメンを食べに行ったのです。」

「・・・・・・」


言葉にならなかった。

今日のこの時間は、この江ノ島は、加藤くんの告白のために用意されていただなんて。

知らなかったのは私だけ・・・


「俺は、皆さんに協力してもらわないと勇気が出ませんでした。すみません。でも、佐岐さんと話す時間をもらえて良かったです。」

「・・・うん・・・」

「今、先生に電話しますね。」



加藤が電話をかける間にポケットから携帯を取り出した。

新着メール一件 啓志


『皆と何の話してるの?』


やばいっ、受信から5分以上経っている。

返信を・・・


できるわけがない。


皆が戻ってくる足音と話し声が聞こえてきた。

編集中のメールを閉じ、携帯をしまう。


「おーいっ。」

「よっ、お二人さん。」

「カトちゃんだめだったんだって〜?」

「あれ?カトちゃん泣いてないの〜?」

「加藤くん俺の胸を貸してやる!泣け〜」


二人が気まずくないように皆が盛り上げてくれているのがわかる。

加藤くんが皆に協力してもらったって言った時、正直皆に知られているだなんて嫌だった。

何で皆にバラすかな。そう思った。

でも・・・

今になってわかる。

皆に話していたからこそ、私は救われた。

会社で顔を合わせるのだから。

この先もずっと仕事仲間なのだから・・・


皆に話すのだってきっと勇気がいるだろう。

告白するのなんてもっと勇気がいるだろう。

加藤くんの配慮は嬉しかった。



「よしっ、では涙で海が荒れる前に帰るか〜」

「そだな。」

「車まで競争〜」

「最後の奴全員のジュースおごり!」

「位置についてー、用意――」

「きゃあ〜先生、待って!」

「私サンダルだよ〜」

「ドンっ!!」


一斉に走り出す七人の足音。

一人足らずとも皆真剣な表情。

砂浜に足をとられてうまく走れないけれど・・・

後悔はしていない。


あの日、啓志と指をつないだこと。


あの日、啓志とデートをしたこと。


あの日、啓志と手をつないだこと。


あの日、啓志と腕を組んだこと。


あの日、啓志とキスをしたこと。


あの日、啓志と一つになったこと・・・



ほんとはね、どこかで気づいていたんだ。

こうやって、皆で遊ぶ時間が楽しいことに。

友達と遊んだり、家族と過ごしたり、恋人とデートしたり・・・・


そんな当たり前なふつうの生活を送りたいと思っていることに。



ねえ、啓志。

今日、花火大会一緒に行きたかったね。

付き合い始めた頃行った時みたいに浴衣着て、手をつないで、カキ氷食べたかったね。


デートはいつも市外を選んだ。

食事のお店も仕事場から離れた所。

手をつなぐのも人目を気にして。


啓志と初めて行った北海道旅行、楽しかったね。

飛行機から二人の時間が始まって、三日間ずっと手をつないでいたね。

遠くに行くと、啓志とふつうの恋人になれるのが嬉しかったよ。


啓志の隣を歩く時は決まって右側。

つなぐのは右手。

右側が私のポジション。

私の居場所。

温かいところ。

心地良いところ。

甘えられるところ。

でもね、決して左側には近づけないの。

左側には・・・左手には・・・


それでも啓志はクリスマスプレゼントに選んでくれた。

お揃いの指輪。

色違いのペアリング。

私は左手に、啓志は右手中指に。

いつもつなぐ手に感じる中指のリング。


つないだ手は温かいのに・・・

リングはいつまでの冷たいままだね・・・



「ゴォォールー!!」

「一着〜♪」

「二着―!」

「はあ、はぁ、さ、三着・・・・」

「ひーーっ、疲れた〜・・・」

「やばっ、体力無いし。」

「ふーーっ。全力疾走はきついね〜。」


皆それぞれの走りに限界を感じていた。

でも、走ったお陰で雰囲気が変わっていた。


「よしっ、皆乗り込め!一着のリッキーは特賞として助手席だ!」

「先生〜!ジュースは?」

「近くに自販機ないからコンビニまで車だ。」

「はぁ〜、もうダメ。早くコンビニ。」

「じゃあ俺後ろ席〜。」


皆ヘトヘトになって先生の車に乗り込んだ。

先生の車は八人乗り三列シートのオデッセイ。

三列目に新人二人が座った。

二列目に、両側から私と加藤くんが乗り込み、真ん中に小林さんを挟んだ。

皆で乗り込み出発!・・・と思ったのに・・・


「先生、俺江ノ電マニアなんで乗って帰ります!チャオ!」

「カトちゃん?!」


小林さんのかけた声も届かず、加藤くんはあっという間に鞄を持って降りてしまった。


「じゃあ、俺も歩いて帰るわ。」

「おお、リッキーまたな〜。」


続いてリッキーも降りた。

先生はアクセルを踏んで車を進めた。


車内は静かになった。

誰もしゃべる者はいなかった・・・

さっきまでの賑やかな雰囲気は海が見えなくなると同時に消えていた。



「よしっ、誰んちから行こうか?」

「はい、先生!うちが一番近いです。」

「ラジャー!有能なナビくんに任せて皆はこれを観ていなさい。」


気を利かせてくれたようで、先生は車内にDVDを再生してくれた。

これなら誰もしゃべらなくて済むから・・・


結局、皆が加藤くんの気持ちを知っていたからと言っても、その本人がいないのではどうしようもない。

何をしゃべっていいかもわからないのだろう。

しばらくDVDを観ることにした。



時計は十時をまわっていた。

江ノ島から近かった新人二人が降りたオデッセイには、先生と小林さんと三人が残された。

先生と小林さんは少し会話を始めていた。


今日の状況に、一番ついていけなかったのは新人二人だろう。

入社してまだ三ヶ月。

仲良くなったとはいえ、先輩達とこんな風な時間を過ごすことになるとは大変困らせてしまった。


複雑な立場にいるのが小林さんだろう。

小林さんは加藤くんと同期入社。

今日は先輩、後輩の間に挟まれた上に、同期生が先輩への告白。

そして結果につながらない・・・

同じ女性としても何と声をかけたらいいのか困らせてしまっただろう。


どうしてこんなことになってしまったのか・・・

考え始めてしまった。

後悔はしていない。

でも・・・・


今日、ここに来なければ良かったのか。

皆と遊ばなければ良かったのか・・・

私が加藤くんと食事に行かなければ・・・

加藤くんが私を好きにならなければ・・・


ううん、違うよね。

そんなの自分勝手。

自己中心的な考えはしたくない。


人を好きになる気持ちは誰にだってある。

誰を好きになるかも、いつ好きになるかも人それぞれ。

恋愛は自由なのだから。

そしてその想いは大切なものだから。

想いを伝えようとも、伝えなくても・・・

その想いが叶おうとも、叶わなくても・・・



啓志とのデートは好きだった。

年上と付き合うのが初めてだった私にとっては大変満足のいくものだった。

大人のデート。

啓志は地元生まれ、地元育ちだから色々なところを知っていた。

もちろん過去に何人かの女性とデートを重ねているのだから女性の喜ぶところは押さえてある。

それを隠さずに、出さずに連れて行ってくれる。


田舎育ちで一人暮らしな私にとって、車に乗せてもらえるのも嬉しかった。

車は二人だけの空間を作ってくれる。

手をつないで、おしゃべりをして、キスをする・・・


夜景を見に行って、遊園地に行って、映画館に行って、旅行に行って・・・

道中、車で寄るところは一つ。

車を置いて、二人で愛し合った。


帰り際、いつもキスをしてくれた。

啓志のキスは心のこもったキス。

初めてキスをした時の事は今でも覚えている。

こんなにも気持ちのこもったキスがあるのだと初めて知った。

何度してもドキドキする。

何度しても温かい。

何度しても慣れない。


そんなキスだった。


結婚していること、奥さんがいること、そういうのを思い出させないくらい、啓志に愛されていたのだと思う。



“ブーブー、ブーブー、ブーブー”

リズムの違う振動でハッとした。

メールの着信を知らせるものではなく、電話の着信を知らせる合図だった。

不在着信一件 啓志


や、やばいっ!

これはまずいぞっ!


そう思っている間もなく次の振動が来る。

まぎれもなく啓志だろう。

背中に冷たい汗をかいているのを感じた。

新着メール一件 啓志


『電話まずいの?今どこ?』

『ごめん、メール今二件来た!帰っている途中だよ☆』


慌ててメールを打つ。

返信を忘れていたなんて言えない。

絶対に言えない。

だから嘘をつく。

電波が悪かったから今、前のメールも合わせて届いたのだと。

こうすることがトラブルを招かない利口な答えなのだとある時学んだ。

不倫のルールがあるように、恋愛のルールだってある。

時には相手に知られたくないこと、知らない方が良いことだってある。

それが相手の為になるのなら。

それが自分の為になるのなら。

それがお互いの為になるのなら・・・


送信。


顔を上げると小林さんが先生に道を説明しているところだった。


『穂澄、今どこ?』


すぐにメールは返ってきた。

しかも、利口な考え方をやってのけた私は一つのミスをしたことに気づく。

啓志からは疑問系で終わるメールが多い。

それを無視する返信をしようものなら後で何倍も・・・攻められる。

来た・・・


『江ノ島を出て、皆で横浜駅で降ろしてもらうよ。』


何処を入れていなかったのだ・・・


再び着信メール。


『車で?横浜からは電車?』


啓志の質問メールを無視した場合、次に来るのはより詳細を求めるメール。

だからより面倒くさくしたくなければ、一回目で素直に答えておく方が数十倍楽・・・なのである。

これも学んだこと。


『そうだよ。横浜から電車で帰るよ。』


そしてこのように復唱文のメール送ることが一番の安心・・・いや、納得につながっているのだ。


『わかった。気をつけて。帰ったら電話して下さい。』


ほらね。

そして、メールの文面から啓志のご機嫌までもがわかってしまう私って・・・

絵文字、顔文字が多い時はご機嫌。

もちろん無い時は不機嫌。

敬語、丁寧語の時はもっと不機嫌。


あらあら。

これで不機嫌なのはわかったけれど、とりあえずメールのやりとりからは開放される。

帰ってちゃんと電話をすればご機嫌は直るし大丈夫。


啓志の事、ここまでわかっていてなぜ言わないの?

そう友達から言われたこともある。

まさか不倫愛人関係をしているとは言えないから、啓志は普通の年上の彼氏ということになっているのだが・・・。


友達は啓志の事、束縛とか独占欲が強すぎるとか言うことがある。

確かに、彼氏にここまで気を遣ってメールをしたり電話をしたりするのは珍しいのかもしれない。


でも、はじめに啓志と決めた事だから。

デートの時、啓志は必ず家まで送ってくれる。

啓志の家の方が近くても、回り道することになっても送ってくれる。

理由を聞いた。

二つあると啓志は言った。


一つは、安心のため。

別れた後で何かあったら嫌だから。家に帰るのを見届けることで安心するからだと。


二つ目は、一緒にいられるから。

送っていくことで、その時間、一緒にいられる時間が増えるからだと。


これを、一緒にいなかった日も、これから帰る連絡ではなく、家に帰った時に連絡が欲しいのだと言った。

安心のために。


だから啓志は一度家に帰った後、出かけるのを嫌う。

ちょっとコンビニに・・・と思って携帯を家に置いたまま出かけたことがあった。

たまたま用事を言い忘れた啓志から着信があって。

出ない私。

心配になって車のエンジンをかけたとか・・・


啓志も同じ。

一度帰ったら家から出るのを嫌う。

前に一度、会社の同期生と飲み過ぎてしまい助けを求めたことがあった。

既に啓志は帰宅していて、電話には出てくれたが迎えに行く事には首を縦に振ってはくれなかった。

結局、電話で話している間に酔いを醒まし、終電に乗って帰った。

最寄り駅で電車を降りてから家に着くまでは耳が痛くなるほど受話器から説教を聞かされることとなった・・・



それでも啓志のことが好き。

友達からは理解できないと賛否両論。


でも、私には啓志の存在が必要。

決めた事に忠実なのも、融通が利かないところも・・・

自分を持っている人だから。

強い志を持っている人だから。

人から言われたくらいで曲げたりしない、強い信のある、大人の人だから・・・

わがままを聞いてくれないのも、私を甘やかさないため。

間違っていることに対して指摘してくれる人だから。

ダメな事はダメと言ってくれる人だから。

人にも厳しいけれど、自分にも厳しい人だから。

そして・・・

なにより、出来たことを誉めてくれる人だから。

良い事は良いととびっきりの笑顔で、頭を撫でてくれる。

良く頑張ったねと言ってくれる。

優しい態度や、優しい言葉をかけてくれるのが優しさだけじゃない。

頑張った分だけ、認めてくれる、そんな優しさを持った人だから・・・


啓志を好きになったの・・・



「先生、ここでーす。着きました〜。」

「おうっ。じゃあ、また来週〜。」

「はい!ありがとうございました〜。」


小林さんちに着いたようだ。

時計を見ると11時になるところだった。

終電、乗らないとね。

この後、近い駅で降ろしてもらおう。


「佐岐さん、助手席に乗り換えてください。」

「え?」

「先生、ずっと運転だから。」


そう言うと小林さんは後部席から降りた。


「そだな、話し相手いないと眠くなりそうだな。」


運転席から先生に言われた。

そうか。皆降りて私が最後だものね。

後部席を降り、助手席へと乗り換えた。

外はひんやりしている。

六月といえどまだ夜は冷えるのだな。


助手席から窓を開けて小林さんに手を振る。

すると、再び窓に近づいてきた。


「佐岐さん。」

「うん?」

「今日の加藤くん、かっこ良かったですね。」


衝撃を受けた。

年下の子に、そんな風に言われるだなんて。

年下の子に、そんな風に言わせてしまっただなんて・・・


「お疲れ様でした。」


そう言うと小さく頭を下げ、小林さんは帰っていった。

オデッセイが進む。


かっこ良かったですね・・・か。

涙でそう。


小林さんがどんな気持ちで言ったのか。

加藤くんがどんな気持ちで言ったのか。

いつも私は自分のことばかり。

自分のことしか考えていない。


車を降りた加藤くんを思い出す。

「江ノ電マニアなんで乗って帰ります」そう言ってドアを開けた。

一度は乗った車。

どんな想いで乗ったの?


皆でまた帰れると思っていた。

全員で来た道を帰るのだと思っていた。

一人で電車で帰る・・・

どんな想いで降りたの?

どんな想いでドアを開けたの?

荷物を持って・・・


いつ、車を降りようと決めたの?

最初から一人で帰ると決めていたの?

どんな想いでドアを閉めたの・・・


さっき起こった光景なのに・・・

目に焼きついて離れない。

車を降りた加藤くんの姿が・・・

車から見えた加藤くんの横顔が・・・


一つの考えが頭に浮かぶ。


“降りるべき者は私だったのではないか”


告白を知っていた皆。

振られた加藤くん。

振ったのは私。


そう、車に残るべきだったのは皆と加藤くん。

その為に皆知っていた。

加藤くんを励ますために。

車に残るのは加藤くん。


気を利かせられないどころか、何も気づいていない私。

配慮のかけらもなく、皆の雰囲気を壊した私。

状況をわかっていない私。

自分勝手な私。


降りるべきだったのは私。

電車で帰るべきだったのは私。

私一人が・・・


限界だった。

そこまで考えると涙が溢れてもう我慢はできなかった。


突然、隣ですすり声を上げて泣き出したことに気づいた先生は、


「ほいっ、泣きグッツ。」


そう言うと、頭に帽子を深くかぶせてティッシュボックスを一箱投げてくれた。


十分だった。

一人で泣くのには。

しばらくは溢れ出す涙を止めることができなかった。



ここで泣いていたのは加藤くんかもしれない。

ここで泣いて良かったのは加藤くんだった。

本当は、加藤くんがここで泣きたかったのかもしれない・・・


先生の横で、泣いていいの加藤くんだったの。



夜の車窓を映し出す窓。

暗過ぎて、反対に自分の顔が映っている。

酷い顔。

先生に貸してもらった帽子の鍔の下から泣きはらした醜い目が見える。



「落ち着いた?」

「・・・うん・・」

「いっぱい泣きーや。」

「うん・・・」


先生に、こう声をかけてもらえたのは本当なら加藤くんだった。

先生に声をかけてもらえるべきは加藤くん。


そう思うと再び涙が込み上げてくる。

泣きそうになる。

でもこらえる。

泣かない。

もう、泣かない。

泣いていいのは加藤くん。

泣くべきなのは加藤くんなのだから。



「先生、一番近い駅で降ろして。」


これ以上先生と話すのが耐えられないので一回で希望を喋った。


「ん?この辺はもう終電危ういと思うぞ。」

「そっか・・・」

「家まで送るよ。」

「ん・・・悪いから・・・横浜で降ろしてもらえる?」

「おうっ。いいぞ。」

「・・・ごめんね。」

「なぜ謝る?」

「いや・・だって、今日・・・」


そこまで言って、再び自分を振り返る。

皆に迷惑かけたな。

こうして先生にも送ってもらって。

借りていた帽子を外す。

涙と鼻水で散らかしたティシュを一つにまとめる。


先生と話す気になれなかったので窓の外を見ていた。

それでもやっぱり思い出すは・・・

加藤くんの横顔。


先生の車の時計を見ると11時30分だった。

加藤くん、無事に家に着いたかな。

江ノ島から加藤くんの家、電車乗り継いだのかな。

いつもより長い乗車時間、一人で・・・

辛かったよね。

ごめんね。

一人にさせて。

一人になるべきは私だったのに。


私には先生がいる。

加藤くんといるはずだった先生が。

本当に申し訳なく思う。



“ブーブー、ブーブー、”

バイブの音が聴こえる。

私じゃない。


先生が携帯を見てこう言った。


「カトちゃん家着いたって。」


その一言で十分だった。


再び涙に襲われた。

隣に先生がいることも忘れて・・・

思いっきり泣いた。

今度はすすり泣きではなく、声をあげて泣いた。


「ごめんね、先生。ごめんね・・・」

「私・・・ごめんね・・・ごめ・・・」


先生に謝りたかったのか、加藤くんに謝りたかったのか、それとも・・・

無我夢中で泣いてしまった。


「ほいっ、泣きグッツ。」


そう言うと、再び頭に帽子を深くかぶせてくれた。

一人で泣きモードに入る。

でも、今度は違っていた。


「カトちゃんはさ、結果はどうあれ気持ちを伝えたかったんだよ。」


先生が話し始めた。


「おれらに相談してきた時はもう言いたくて限界みたいだったし。」


「まあ、それを止めずにじゃあ言っちゃいなよ〜ってセッティングしちゃったおれらが悪かったよな、ごめんな。」


“ごめんな”

先生のその言葉が痛いほど胸にささって・・・


「違うの!・・・謝るのは私・・・」


「だって・・・私・・私は・・・」


「今ここにいるべきだったのは加藤くんだよ。加藤くんがいたら先生は私なんかに謝ることもなかった。ここにいていいのは加藤くんなんだよ。私が降りて電車で帰るべきだったのだよ!」


一気に喋ってしまった。

涙と鼻水の入り混じった声、しかも早口で何を言っているのか伝わらなかったかもしれない。

でも、車内でずっと溜め込んでいた事をはじめて口にした。



「そんは風に思っていたの。」


意外にも先生の声は落ち着いていた。


「佐岐さん、自分が降りれば良かったって思っていたのか。」

「だって・・・そうでしょ?」


はじめて先生の顔を見た。

運転しているから正面を見ているけれど、先生の表情は少しだけ笑っているように見えた。


「さっきのメール、リッキーから。」

「え?リッキー?」

「カトちゃんが降りた後、リッキーも降りたじゃん。」

「うん・・・」

「あん時に、リッキーがカトちゃん、おれが佐岐さんって決まったの。」

「え?」

「あうんの呼吸ってやつ?」


よくわからないけれど涙は止まっていた。


「別にどっちかが降りるべきだったなんて思ってないよ。カトちゃんが降りたのは自分の意思。佐岐さんにそうして欲しかったなんて思ってないよ。」

「だって・・・皆は知っていたから・・」

「確かに告白するのは知ってたけど、その後どうするかなんて全く考えてなかった。だから、勢いだけでやっちゃったおれらにも非はあるってわけ。」


「でも・・・」


そうだったんだ・・・

別に決まってなかったのか。

でも、結果によってはカトちゃん励ます会とかであの後飲みに行くことだって出来たよね。

私がいなければ・・・

私が降りていれば・・・



「まだ気にしてんの?降りなかったこと。」

「うん・・・だってやっぱり私が・・・」


「佐岐さんて意外と溜め込むタイプなんだね。今日知った。」

「えっ?」

「そんだけカトちゃんの事想って、考えて、悩んで、泣いて・・・それで十分だと思うよ。」


うれしかった。

先生の言葉。

ずっと考えていた加藤くんに対する申し訳ないという気持ちが止まった気がした。


「後はさ、次の事を考えてあげればいいんじゃないかな。」

「次?」

「来週会った時にさ、普通にさ。それがカトちゃんが一番気にしていると思うよ。普通に話せるかをさ。それは佐岐さんから頑張ってあげたら。」



告白を断った。

それでも会社で顔を合わせるのだから。

この先もずっと仕事仲間なのだから・・・

加藤くんの配慮が嬉しかった。

先生の言葉がうれしかった。

次は私の番。


「そうだよね。普通に・・できるかなぁ・・」


語尾は不安になってしまった。


「できるよ。佐岐さんなら。そこまで泣いて想ってるんだから。」

「うん・・・」


「正直驚いたけど。」

「え?」

「佐岐さん泣くとは思ってなかった。」


「一つの告白で、そんなにも泣くとはすごいよ。しかも断ってだよ。」

「そ、そうかな・・・」

「断られたならわかるけど、断った方がそこまで泣くなんてさ・・・」

「ご、ごめん。そうだよね・・・」


ハッとした。

今になってもう遅いが、かれこれ一時間は泣くのに付き合ってもらった。

隣で一時間も泣かれたら嫌だよね。

自分が泣かせたわけでもないのにそんな長く泣かれたら嫌だよね。普通。

恋人でもなんでもないただの会社同僚なのに。



先生こと綾瀬 竜斗。

あだ名が先生ね。

二年半前の新人研修で出会った。

その時はまだ同期が二人で、お互い違う部署で研修を受けていたから話すことはなかった。

四月になって同期は四人に増えたけれど、皆それぞれ違う部署に配属されたので顔を合わせるのは飲み会くらいだった。

一度だけ同期飲みをやったかな。


二年目の配属では先生とリッキーは同じ部署になった。

三年目の今年、三人とも同じ部署になった。

飲み会や遊ぶ回数も増えていった。

先生はお酒を飲まないのでいつも車を出し、皆を駅まで送ってくれた。

先輩からも可愛がられ、後輩からも慕われる人気の同期をもったものだ。



「ごめんね、私泣き過ぎた・・・」


車内での自分を振り返って、恥ずかしさと空気を読めない申し訳なさと情けなさでいっぱいになった。


「いや、そういう意味じゃないよ。ただ意外だっただけ。佐岐さんが恋愛であんなに崩れるなんて。」


そう言うと先生はニコっと笑って見せた。


そういえば。

飲んでいると恋愛の話しはもちろん来る。

まさか啓志の事は話せないから、いつも適当にごまかしていたっけ。

最近は後輩の恋愛相談が多かったから自分の事は話す機会もなく忘れていたけれど。


あれ。

先生にも彼女がいたはず。

といっても一年目の記憶だから今はどうかはわからない。

でも、これだけ皆と遊んでいたら・・・

いないか?



「佐岐さんってさ、自分の話はしないけど人のこととなると真剣になるよね。」

「そ、そうかな?」

「後輩の恋愛話好きじゃん。」

「いや、あれは・・・」

「偉いなって思ってたよ。あれだけ人の話を真剣に聞いてやるのはさ。」

「はぁ・・・」


そんな風に思われていただなんて。


「でも、実は自分の話となると苦手なんだね。」

「えっ?」


一瞬、先生と目が合った。


先生と呼ばれているのは知っていた。

誰が呼び始めて、どうしてそんなあだ名がついたのかは知らない。

呼びやすいし、私も同じにそろえることにした。


ただ、今の言葉、表情。

いつもの明るくリーダーシップを発揮してムードメーカーな“先生”とは違った顔のように見えた。


確信に触れられたくなかった。

自分のこと。

自分の話。

啓志の事・・・



「まぁ、もう泣き顔も見た仲だし?これからは何かあったら言いなよ。あんまし溜め込まないでさ。」

「・・・うん。ありがとう。」


「しっかしこんな量ティッシュ使う人はじめて見た。」

「う、うるさいっ。」

「しかもそれけっこー前から車にあるのね。」

「え?」

「ホコリっぽくなかった?」

「ひどーいっ。」

「ハハハー。」



先生が話しを切り替えてくれたので助かった。

涙はすっかり止まって笑顔が戻った。



啓志は私が泣くのも好きじゃない。

「自分のことで泣かれるなら必死でどうにかするけど別のことで泣かれてもどうにもできないよ」

啓志らしい意見である。


啓志と揉め事や喧嘩をする事もある。

たいがい、いや、そのほとんどは私が謝ることになるのだが。


決めた事に忠実で間違った事を嫌う啓志。

自分を持っている人だから。

強い志を持っている人だから。

言葉で啓志に勝てることはなかった。


けれど、自分の非は認める。

人にも厳しいけれど、自分にも厳しい人だから。

だから悪かった時は丁寧に謝ってくる。

抱きしめて、キスをして、二人を戻そうとしてくれる。

泣いていたら、泣かせてしまったらとっても大事にしてくれる。

ゆっくり頭を撫でて、ゆっくり愛してくれる。

泣いてしまった分、泣かせてしまった分の時間を取り戻すかのように愛してくれる。

それが啓志。


でも、反対に啓志の前では泣かなくなった自分もいる。


仕事でミスをした時、友達や家族とうまくいかなかった時、悩んでいる時・・・

泣きたかった。

泣いてしまいたい時もあった。


それでも・・・

我慢した。

啓志といる時は楽しくいたい。

笑っていたい。

愛し合っていたい。

啓志がそれを望んでいるなら・・・


だから涙は忘れていた。



先生の前であんなに泣くなんて。

自分でも驚いている。

いったい何年分の涙だろう。

そう考えるとなんだか可笑しくなってしまう。


先生には感謝。

いきなり泣き出した私を慰めるわけでもなく、問い正すわけでもなく、

帽子をかぶせてティッシュをくれた。

泣き顔気にしなくてもいいように帽子を。

たくさん泣いてもいいようにティッシュを。

一人で泣かせてくれた。

ありがとね。先生。



「佐岐さん、ここから道案内して。」

「えっ?」

「おれ佐岐さん家知らなかった・・・」


そう笑って言った先生。

笑えなかったのは自分。


「案内ってえっ?ええっ?」

「ここ右?左?」

「み、右!」


交差点に差し掛かっていたので慌てて答えたが。

よく見ると見慣れた交差点ではないか。

あれれ?家が近い・・・


「先生?!横浜駅は?」

「過ぎたよ。」

「あ、あれ??いつの間に?」


泣いたり話したり反省したりしている間に・・・


「先生ごめんね。」

「何が?」

「泣いて迷惑かけた上に送ってもらうだなんて更にこれ以上のご迷惑を・・・」

「なんで?」

「だって先生んち家から遠いでしょ?横浜で降ろしてくれた方が早く帰れたんじゃ・・・」


「佐岐さんいつも終電で帰るから知らないと思うけど、おれいつも皆送ってから帰るから平気だよ。」

「そうなの?」

「うん。最近皆終電気にしないようになったからさ〜、遊んだ日はいつも朝帰り。だから今日は早い方。」

「そうなんだ・・・あ、そこ左でお願い。」



いつも啓志に車で送ってもらうと降ろしてもらうのは近くのコンビニの前。

家の前がUターン禁止ということもあるのだけれど。

コンビニの駐車場に停めて、少し話してから帰る。

車の中は二人の世界。

人目を気にせず手をつないでいられる最後の時間。

キスをして、別れる。


車は見送らない。

ドアを閉めたら私はまっすぐ家に向かって歩く。

啓志の車が帰る所は決まっているから・・・



「先生、ここでいいよ。この先入るとUターンできないから。」

「いいよー、遠回りして帰るから。」


そう言うとオデッセイは家の前の道に入って行く。


「ここ。」

「すっげー、マンションじゃん。」

「古いし狭いけどね。」

「オートロック付き?」

「一応ね。」

「じゃあ安心だねー。」


そう言うと先生はあくびを一つした。


「今日はありがとう。ごめんね。送ってくれてありがとう。」

「おおっ!」

「気をつけてね。」

「おうっ、じゃあまたな〜!」



オデッセイは来た道をUターンすることなく真っ直ぐ進んでいった。

見送っている自分がいた。

突き当りの道を右に曲がると遠回りして元の道に戻れる。

遠く、オデッセイのウインカーが右に光っていることを確認した。



慌てて携帯を取り出した。

いつもの待ち受け画面。

着信も、メールも来てない。

ホッとするのも束の間、時計表示を見る。


0時30分。

間に合った・・・・


ツーコールもしないでつながった。

「もしもし・・・」

「もしもし啓志、今着いたよ〜。」

「ん・・・終電乗れたの?」

「うん。乗ったよ。駅から歩いてきて今鍵開けるところ。」


車で送ってもらったことは言わない。

同期とはいえ、男の人に車で送ってもらったなんて言ったら啓志はひっかかるから。

トラブルを招かない利口な答えを私は選ぶ。


「タクシー乗らなかったの?」

「うん、今日は金曜日だからね。すっごい並んでいたから歩いたよ。」


終電の時間、歩いて帰って来た時間、タクシーで着く時間・・・全て把握している。

それに合わせることで啓志が安心するなら。

決められた事を守ることで啓志が安心するから。

その為になら嘘をつく。

嘘をついてでも啓志の安心を守り抜く。


「じゃあこれから風呂?」

「うん。啓志はもう入った?」

「入ったよ。もう布団の中。テレビ見てる。」

「何見てるの〜?」

「10チャン。」


玄関で靴を脱ぎ、まずテレビのスイッチを入れる。

そしてリモコンで10チャンを選ぶ。


「ゴールシーン特集だね。」

「そう。これ見たら寝る。」

「じゃあ早めにお風呂入ってくるね。」

「ああ。寝る時メールちょうだい。」

「うん。お風呂行ってくるね〜。」



携帯をテーブルの上に置く。

付けたテレビを好きなチャンネルに変える。


10チャン。

さり気無く、何気無くだけれどこれは試されていると知っている。

ちゃんと家に帰ったか。

何を見ているかは言わない。

私が自分で答えを見つける。

その答えが正解ならもう電話は終わり。

安心の為の電話だから。



お風呂を済ませ、メールを送信。


『お風呂でたよ。啓志明日仕事頑張ってね!』

『穂澄は明日は家でのんびり?』

『うん。のんびり。夕方からお姉ちゃんのところ行って夕食一緒するよ。』

『わかった。おやすみ。』

『おやすみなさい。』



これでおしまい。

いつもの流れ。いつものやり取り。

啓志は次の日仕事でも、私が帰るまで起きている。

おやすみメールが来るまで起きている。


以前、私は啓志の帰りを待てずに眠ってしまったことがあった。


起きていてもらいたい。

電話やメールで繋がることが安心。

一日のはじまりと終わりに穂澄と繋がっていられる手段だから。・・・そう啓志は言った。


完璧主義で、自分に厳しく他人にも厳しい。

自己主張の強いところはあるけれど、自分を持っている人、強い志を持っている人。

啓志。

だから私は啓志を好きになったの・・・



時計を見ると1時を過ぎていた。


「おやすみなさい」から「おはよう」までの自分の時間がはじまる。


夏はまだまだ続きます。夏の始まり、夏の思い出、涼しい夏・・・

もし良かったら続きも読んでみて下さい。

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