第五十二話、出国の日、中編
◎ 第五十二話
基地に着くと大勢の自衛隊の制服を着た人たちが隊列を組んで出迎えてくれていた。鈴木さんと田中さんが言った。
「ほら、そこにうちの坂手大臣と大山次官がいます。そのとなりにいるのが城勝防衛大臣です」
「皆整列して待っている」
坂手さんも大山さんもモーニングでいる。私のために正装をして見送ってくれるのだ。申し訳ないような感覚だった。後ろの方には小さいけれど見たことのない飛行機があった。飛行機の後ろにはメイデイドゥイフの青と赤の国旗がついている。私はあれに乗ってメイデイドゥイフに行くのだ。もうそこまできている。
でも私にはまだお嫁に行くのだという自覚がなかった。お父さんもきっとそうだ。信じられない。だけどこうして外務省の偉い人たちや自衛隊の人たちが見送ってくれるのだ。信じられないけれど本当のことなのだ。
「おはようございます、お嬢さん。昨日はよく眠れましたか」
坂手大臣が一番最初に声をかけてくれた。大山さんも笑顔で私に会釈してくれた。みんな私の顔を見ている。私は黙って皆に会釈をしながら歩いていく。みんなの視線が私に向いている。
私はお父さんと連れ立って専用機の前に出た。するとタラップからメイデイドゥイフ側からの使節レイレイが出てきた。レイレイは操縦士と軍服のあいのこのような格好をしている。勲章などはついていず、実用一点張りの動きやすい服だ。長い髪も後ろに一つにくくられている。レイレイはいつも見かける笑顔ではなく私を見るなり真剣な顔をして額前に挙手をしたのでびっくりした。なんとなくこわもてのグレイグフ皇太子の顔を思い出した。あの皇太子もこういう怖い顔をしていたっけな、と。
レイレイは挙手を終えると私に話しかけた。
「爆雪めぐみ様、おはようございます」
「レイレイ、おはようございます」
「どうぞタラップをあがってください、あがっていただけたらすぐに離陸いたします」
こんなふうにしてあっさりと搭乗して離陸、つまり私は出国するのだ。
家を出た時のにぎやかさはまた違う。ウラをかいてマスコミに事前に知らせた空港とは違うところから離陸するのだ、用意されているはずのブラスバンドの演奏や花束贈呈はない。でも私は偉い人でも皇族でもないのでこんなものだろうと思っている。私がタラップを一段上がると「おいっ、ちょっと待て、待て」という叫び声が聞こえた。
叫び声がだんだん近づいてくる。一人の男性が自衛隊の隊列を乱すように真ん中を掻き分けて出てきた。見ると自衛隊の棚下という男の人だった。棚下さんは私を見つけるともっと大声で叫んだ。広い基地に棚下さんの声が響く。
「爆雪さん、めぐみさん、メイデイドゥイフの陰謀に気をつけてください。日本の外務省には国交と貿易とお金をばら撒いて日本人の少女を供出せしめんとしているのですぞ、日本が舐められている事態なのですぞ」
大山さんが怒鳴った。
「またお前か。このめでたい席でバカなことをいうな」
棚下さんは大山さんに構わず私の前に出てきた。
「今朝も国籍不明な潜水艦が日本の海域すれすれに巡回していたというのに、国民にも知らせないバカ外務省めが。それなのに成田から急遽この海近い基地に出国させるというバカ自衛隊。どういうことだよ、わしの目の黒いうちは不正なことをさせないぞ」
「不正だと? バカ野郎、我々外務省はちゃんと仕事しているぞ、勝手なことを言うな」
大山さんが怒って棚下さんを押し戻した。他の自衛官の人も困った顔をして棚下さんを押えた。棚下さんは抑えられてからも声を出した。
「めぐみさん、あなたは絶対にメイデイドゥイフに行ってはなりません。あれは何を考えているかわからぬ国ですぞ、きな臭い国です。めぐみさん、あっ、何をする無礼だぞ」
棚下さんはとうとう六人がかりで押さえつけられた。強制的に私と反対方向の建物の中に連れていかれる。連行されている間も棚下さんは叫んでいた。
「め、ぐ、みさん。気をつけてください。何かあればこの棚下に相談してください、き、っ、と、お力になるでしょうっ!」
お父さんが私の肩を抱いた。大山さんはまだ怒っている。防衛大臣だという城勝さんは困った顔で棚下さんがわめいている方向へ首をかしげている。坂手大臣がつぶやいた。
「ジャマが入った。棚下は有能な人物なのだが好戦的すぎる。困った人だ。そうやって世論を物騒な方向に向けていくのだ。本当に困った人だ」
レイレイはこのことを完全に無視していた。前のように銃を向けたりすることもなかった。何事もなかったように飛行機に搭乗するようにすすめた。
「さあ、爆雪めぐみ様、乗ってください。お父さんもどうぞ」
広本さんには声をかけなかったが、広本さんも私たちの後をついでタラップを昇る。搭乗する直前私は後ろを振り返った。坂手大臣、大山事務次官、田中さん鈴木さん、そして防衛大臣や自衛隊の人、みんな笑顔で私に向かって手を振っている。
普通の女子高校生の私に向かって幸せになるようにと手を振ってくれている。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
実は私はこの時飛行機に乗るのが初めてだった。お父さんは何回か乗ったことがある。日本側からは私とお父さん、筆子さん、SPの広本さんが乗っていくはずだった。そうだデース・池津さんもだった。筆子さんは袋小路先生の葬式に、池津さんは連絡がつかないという理由で搭乗しないことになっている。
飛行機の機体は真っ白で尾翼には赤と青の国旗が彩られている。飛行機と言えばジャンボジェット機を連想したがとても小さいものだった。小さくても入ってすぐに階段があり二階構造になっているのがわかった。
搭乗して二人のフライトアテンダントの人が出迎えてくれた。メイデイドゥイフのカラーである赤と青のデザインがついた制服だ。真ん中に蝶結びにしたスカーフがアクセントになってかわいいと思った。アテンダントはとても緊張した様子で私を出迎えてくれた。二人とも長身で金髪で青い目をしていた。
後ろを振り向くとお父さんも緊張していた。お父さんは私にひそっと声をかけた。
「驚いたな、あのスチュワーデスは美人だが男みたいだ」
「えっそうなの?」
お父さんったら美人の女性に見惚れていると思っていたらそんなことをいう。日本語で言ったのでわからなかったようだが私はひやっとした。確かにこの美女二人は筋肉の盛り上がりがすごい。髪は美しく結い上げられて口紅も真っ赤に彩られている。失礼だよっと私はお父さんのひじをつつく。
やがてレイレイが声をかけてくれた。やっぱりレイレイが日本語が堪能なので案内役をしてくれるのだ。
「搭乗完了しましたが出発まで準備がありますので十分ほどお待ちいただきますがご了承ください。さてここからメイデイドゥイフの空港まで約八時間かかります。めぐみ様は二階の貴賓室でお休みください。お父さんは一階の席でゆっくり休んでください。特別機仕様なので座席は百八十度水平に倒せますのでゆっくり休んでください。もちろんプライべートは守られますし、食事は好きな時にいつでもお申し付けください。
「あの、レイレイ。貴賓室なんていいの。私もお父さんと一緒に一階の座席で過ごします」
レイレイはにっこりといった。
「そうですか、それでもいいですよ。でも皇太子から機内でめぐみ様が退屈しないようにといくつかプレゼントを預かっていますしお着替えもあるのでちょっと上がって見られてはいかがですか。きっと驚かれると思います」
「はあ、では少しだけ」
私は搭乗口すぐの小さな階段を上っていく。お父さんは美人のおかまみたいなフライトアテンダントから座席を案内されて座っている。広本さんはその後ろに座った。その姿をしり目に私は階段を上る。レイレイがすぐ後ろについていった。
上がりきると小さな扉がついていた。メイデイドゥイフの国旗と日本の国旗が並べて飾られている。
レイレイが開けてくれた。
貴賓室とは名ばかりで小さな部屋だったが小型の飛行機ならこんなものかもしれない。レイレイが言った。
「めぐみ様、しばらくご不便をかけますがどうか我慢してください」
「いえ、それはいいですけど」
「その制服を脱いでこれに着替えてもらえますか、リラックスしてメイデイドゥイフに来ていただくようにとの太后や皇太子から言われています」
レイレイに渡された服は上下に分かれたスポーツウェアだった。色も無地の黒だ。動きやすいことは動きやすいが、この時点でちょっとヘンだと思うべきだった。が、私にはわからない。筆子さんがいない今、頼るのはレイレイだけなのだ。私が着替え終わるのを見計らったようにレイレイはさっとカーテンを開けた。
「やだ、レイレイったら」
レイレイはにっこり微笑むと私が脱いだばかりの大盛女学園の制服を取った。
「それまだ畳んでない、ちょっと勝手に触らないで……」
レイレイから制服を取り戻そうとするとレイレイはさっと私の手が届かないように天井高くあげた。いつのまにか上がってきたのか、さきほどのいかついフライトアテンダントがレイレイの手から私の制服をつかんで去っていった。
「ちょっとやだ、レイレイ、何を考えているの」
レイレイは私にささやいた。
「めぐみ様、お父さんには今眠ってもらったよ」
私は混乱した。
「え、お父さんに眠ってもらった? どうして?」
そこへ「離して離して」という女性の声がした。とてもせっぱつまった感じだ。私はレイレイの背中越しに向うを見ようとした。レイレイが私を部屋に押し戻そうとしたが私はレイレイの手を跳ね除けた。そこにいるのはなんと搭乗していないはずのデース・池津さんだった。
しかも池津さんは私の制服を無理やり着せられている。池津さんは制服を脱ごうとしているがフライトアテンダントさんが二人がかりでそうはさせまいとしている。池津さんの眼鏡が跳ね飛び髪が乱れてざんばらになっている。
階段を誰かが上がってきた。機長の制服を着ている人だ。ぼうっとした目をしている。その人がぼんやりとした手つきでレイレイに何か合図した。レイレイは了解というふうに手を振った。
何かが始まろうとしている。
お父さんは眠らせたとレイレイは言っていた。
何かが起きようとしている。
私はレイレイをはねのけて階段を下りようとした。
池津さんが私に気付いて声をかけた。
「めぐみさんっ、助けて」
私は冷淡に言った。
「それは私の制服よ、早く脱いできちんとたたんで返してよ」
今から思えば私がなぜそんなふうに池津さんに言ってしまったかはわからない。レイレイが私の後ろで口笛を吹いたような気がしたがきのせいだろう、多分。
「めぐみ様、階段を下りる前にこちらをご覧ください」
落ち着き払った声でレイレイが私に言った。私はその声に何か聞き捨てならないものを感じて足を止めた。デース・池津さんが私の制服、大盛女学園の制服を着てもがいている。それを二人の美人でマッチョなフライトアテンダントががっちり押えている。
「めぐみ様はこの池津がお嫌いだとおっしゃいました。なので私は池津に罰を与えねばなりません。ちょうどいいので池津はめぐみ様の身代りになっていただきましょう」
私はレイレイの言ったことが理解できない。頭の中がクエスチョンマークだらけだった。早く階下のお父さんの所に戻らなきゃと思いつつ足が動かない。レイレイは言葉を続けた。
「我がメイデイドゥイフは王朝の人間は絶対的な権力を持ちます。この日本ではめぐみ様あなたが唯一のメイデイドゥイフ王朝の人間です。私はあなたを権力者として認めていますので不快感の種を抹殺することで私の誠意をご理解いただき今後とも目をかけていただきたく思います」
レイレイは私に向かって恭しく一礼した。そう、最初の面会の時と同じようにクラシックバレエの王子様のような優雅な一礼だ。変わってない。だけど池津さんは私がつい五分前まで来ていた制服を着てもがいている。助けて助けてと小さな声で言っている。私のすぐそばには目がうつろな機長さんがレイレイに向かって最敬礼した。
レイレイが行け、という合図をすると機長がくるりと踵を返して階下を下りていく。私はレイレイに向かって行った。
「レイレイ、私はメイデイドゥイフにはやっぱり行かないわ。だって異常だもの、最初からヘンだったもの」
言うなり私は階段を下りようとしたらレイレイが私の腕をつかんだ。やさしく、だけど絶対に振りほどけないように。私は初めてレイレイの顔をまじかに見た。レイレイの茶色の目がやさしく微笑んでいる。ぞっとするものを感じて目をそらし私は振りほどこうとしたらレイレイが言った。
「私の忠誠の証をご覧ください、めぐみ様」
二人のアテンダントが身動きされない池津さんの顔に何かを塗りたくっている。濃い灰色の泥水みたいなものだ。ペンキみたいだ。目も鼻も灰色に覆われている。
「な、何をしているの。池津さんが苦しがっている。そりゃ私は池津さんが嫌いだけどこんなことを」
私は言葉を止めた。池津さんの顔から炎が出てきたからだ。まさにその瞬間池津さんは顔を全部口にして「ぎぇえあああああっ」 と叫んだ。
同時に二人のフライトアテンダントが今度は私につかみかかってきた。同時に飛行機の後ろの方で爆発音がした。
レイレイが何か叫んだ。
叫んだ内容はわからない。
メイデイドゥイフ語だからだ。
そして私はそれきり意識を失った。




