第五十一話、出国の日、前編
◎ 第五十一話
翌日。もう出国の日だ。
目覚めると朝の六時。 お父さんが部屋をノックしてくれたので起きた。お父さんはモーニングの服を着ている。私はお父さんが部屋に入るなり泣いてしまった。不安だし私の人生が終わったような気がした。お父さんは黙って私の背をなでてくれた。カッパハゲのお腹が出た私のお父さん、やさしい私のお父さん……。
午前にはメイデイドゥイフから迎えの専用機が来るという。いよいよ出国なのだ。
今日から私は日本人でなくなるのだ。メイデイドゥイフ人だ。
私は起きて大盛女学園の制服を着た。迷った挙句これにしたのだ。私はまだ学生だし何もロングドレスや振袖を着ることはないのだ。
着ていたパジャマは洗濯機に放り込んだ。それから洗濯した。自分の部屋で干したがこれを着ることはもうないのだろうか、私は自分の部屋を見回した。
壁に貼ったままのNAITOのポスターをじっと見つめた。歌手のNAITOは大好きだったけど私が超有名になってしまったせいでなんとNAITO本人から写真集とサインとおめでとうの直筆の手紙までもらっちゃった。普通ならうれしかったのだが今となってはわずわらしい。私はNAITOのポスターをはずして綺麗に折りたたんでゴミ箱に捨てた。
私は自分の部屋に戻ってバッグの中身を確認する。大したものは持ってない。あとは身一つでいくのだ。パスポートとかはどうなっているのかはわからない。そういうのは全部お父さんや外務省任せだ。
初めての海外旅行がメイデイドゥイフになるとは、しかも皇太子妃。
私はあのグレイグフ皇太子と仲良く暮らせる自信が全くない。メイデイドゥイフ語もろくに覚えられなかった。坂手大臣がメモをくれたけど何も覚えてない。こんな状態なのだ。お父さんが私の肩を軽くたたいた。
「めぐみ、泣くな。意外とグレイグフ皇太子がお前を元の日本に送り返してくれるかもしれないさ」
お父さんに泣くなと言われて初めて自分が泣いているのに気付いた。お父さんはハンカチで私の顔を拭いてくれた。
「もう田中さんと鈴木さんが迎えに来てくれている。外には見送りの人でいっぱいだよ。街中の人が早起きしてお前の出立を見送るつもりだ。しっかり背筋を伸ばして……」
「……わかった」
私はもう一度洗面室に入って顔を洗った。冷たい水で丁寧に顔を洗いブラシで髪をとく。ほんの一か月前は私は目立たない普通の女の子だったのに、今は日本中で注目されている女の子だ。信じられない気持ちだがこれは本当なのだ。
私は鏡の中の自分に向かって微笑んだ。
グレイグフ皇太子は私の笑顔を気に入ってくれるのだろうか、と思った。
思いきり深呼吸してから玄関を出たらいきなり歓声がとんだ。
「おめでとうございます」
「おめでとうっ」
「その制服、よく似合うわ」
「日本の誇り、爆雪めぐみさん、おめでとう」
「おめでとうございます」
何百人もの人たちの声が木霊した。昨日の夜は暗い中、提灯がたくさんあったが、今度は明るい中で昨日以上の人の顔が鈴なりになっていた。みんな私の方を向いて笑顔でいる。
田中さんと鈴木さんがモーニング姿で迎えにきている。家の前には普段の外務省の公用車よりももっと一回り大きな車が止められていた。その前後には白バイが六台ずつ止まって待機している。先導車まであった。
私はバッグを持つと広本さんが持とうとした。
「広本さん……」
広本さんは私に一礼すると「私もあなたのお父さんと一緒にメイデイドゥイフまで行くことになったのです」 と言った。
広本さんなら納得だ。私は大嫌いなデース・池津さんの顔が見えないことにほっとして聞いた。
「池津さんは?」
「さあ、連絡はしてないのですが空港で待機しているのでは? 今すぐに彼女と連絡取りたいですか?」
私はあわてて首を振った。よく考えたら日本国内にいるうちは池津さんの出番はないのだ。だから私の家まで迎えに来ることはないだろう。
私は見送りの人たちに手を振った。クラスメートやスーパーの顔見知りの人、コンビニの店員さん、近くの保育園の子供たち、それとお妃教育で一緒だった世界史の逆田先生や日本史の丸田先生も。宇留鷲旅館の融故女将やその娘さん、料理人さんやお給仕さんまでいる。みんな私を見送りにきてくれたのだ。私には友達は少ないと思っていたがこんなに来てくれた。理玖の顔がないのは残念だが理玖はもうロンドンのバレエスクールにいるはずだから仕方がない。
私は車に乗り込んだ。
お父さんが先に乗り、次に私。先導車には広本さんが乗った。田中さんが言った。
「めぐみさん、よかったら窓を開けて手を振ってやってあげてください。沿道の人々が喜びますよ」
「昨日もそれをしたけど……そんな厚かましいことをしてもいいのかしら」
「グレイグフ皇太子と一緒に来日したときの予行演習と思ったらいいのではないでしょうか」
「皇太子と一緒に来日」
また想像もつかないことを言いだされる。私は困ったがお父さんは早く手を振ってあげなさい、とかいうので手を振った。
「もうちょっと笑ってあげて。手の振り方の角度にも気をつけて」
鈴木さんまでもが手の振り方を指導してくる。
仕方なく微笑んで手を振ったが手振り機械になったような感じだった。こういうことも春美野筆子さんにしっかり聞くべきだった。筆子さんならもっとタメになるアドバイスをくれただろうに。だが今日は筆子さんは祖父の袋小路先生の葬式だ。あとからメイデイドゥイフに来てくれる約束だが本当に筆子さんがいれば百人力で何があっても怖くないのにと思った。
高速にのると沿道の人たちはいなくなった。私はやっと一息つけた。お父さんが鈴木さんに聞いた。
「どこの空港まで行くのですか、羽田ですか?」
「いや、神奈川の自衛隊基地です。変更になったのです」
「え、じゃあ一番最初に連れていかれたあそこですか」
「そうですね、直前に変更になったのです。マスコミとテロ対策だとは思いますが」
「えっ、テロ? まさか」
「ご心配なく、念のためということだそうです。羽田で搭乗されるのを一目みようと大勢の人々が押しかけてすごいことになっています。ブラスバンドやプラカード、垂れ幕やバルーンまで出ていて大変賑やかなのですが、やはり万一のことがあってはいけないので急きょ変更です。メイデイドゥイフ側の飛行機も基地で待っているはずです」
「羽田で待っている皆さんには悪いですね」
「仕方ないです。何かあってからでは遅いですからね。皆さんはわかってくれますよ。めぐみさんの幸せのためだもの」
じゃあレイレイがあそこで待っているんだ。ガソリンの匂いのする自衛隊基地で。
意外だったがそれもありなのだろう。また棚下とかいう怖そうな自衛隊の偉い人がいるのだろうかと思った。




