第9話 リーリャ、孤児院に行く
陛下達への挨拶は午後からということだったので、朝食後はフィリーに用意してもらった白いワンピースと麦わら帽子を着て孤児院に向かうことにした。そこはリーリャが5歳まで育った孤児院で、王宮から馬車で20分ほど行ったところにある。
歩いて行くつもりだったのだが、フィリーの使用人達が馬車を用意してくれたため、それに乗っていくことになった。その際に手土産なしではいけませんと、私の代わりに用意してくれていたじゃがいもや古着といった孤児達の生活に必要な物資を詰め込んでくれた。
フィリーとリーリャの共同名義で孤児院の口座には後日お金を振り込むとのことだったので、金銭を渡すことはない。リーリャは何も用意していないことに申し訳なさを感じた。
「そんなに申し訳なく思うことはありません。リーリャ様が顔を出すだけで皆様喜ばれますよ。それに、リーリャ様がいたからこそ、王女殿下はこうして孤児院へと支援をなさっているのです。あなたは孤児院にとって生きているだけでいいのです」
と、侍女の一人が優しく微笑む。彼女の名前はトレイシー。聖女見習いのとき、初めて離宮に来たときにはすでにフィリーに使えていた彼女のお気に入りの侍女で、リーリャのお世話もしてくれた第三の母のような存在である。もちろん今回の旅にも同行してくれるため、きっとさらにお世話になるのだろう。
フィリーはフィリーで今日は仕事や勉強があるため、朝食後はすぐに別行動。きっと執務室に入って書類を片付けているものだろう。リーリャは5歳で修道院に入ってから先日聖女をやめるまで、基本的にずっと勉強をしていた。修道院では毎日教室に行き、聖女見習い期間中は勉強の日が決められていて、そこで集団で授業を受けて、聖女になってからは空いた時間で1対1の教育を受けていた。
これらの授業は基本的には座学なのだが、時折魔法などの実技がある。それ以外にもリーリャは休日に抜け出して近衛兵の練習に参加してみたり、王都から出て近隣の草原で狩りをしてみたり、好き勝手やっていた。ということもあり戦闘レベルは高い。
「ではお願いしますニャ」
聖女の資格を失った彼女は本来ただの平民であるはずなのに、こうして荷物輸送用の馬車とリーリャを乗せる用の馬車2台が出ているということは、それだけ彼女がフィリーから愛され、フィリーの側近から認められているということの表れだった。
今でこそこうして多くの人から愛されるリーリャであるが、聖女見習いになりたての頃は獣人が聖女になるということを快く思わない者は多く、初めて離宮に来たときの使用人からの視線は冷たかった。第一王女が獣人を愛人にする。過去にこのようなことはなかったからだ。ただ、彼女の自分のみを省みず他者を手助けする優しい心と、膨大な魔力量に加えて本人の努力からなる圧倒的な実力は、そうした考えを変化させるには十分なものであった。
彼女がいれば第一王女領は安泰。第一王女領が発展すれば、王女に仕える人々の待遇や社会的地位は向上する。彼女を蔑む理由はないのだ。聖女ではなくなるということ、それはただ聖女の肩書きを失っただけである。高齢になって聖女を引退した後に貴族家に仕えるというのはよくある話で、引退したからといって聖魔法が制限されるということもない。第一王女は聖女を一人抱えた。専属の聖女を持つ領地が栄えないわけがないのだ。
レミスト教はカルシュタイン王国のみで信仰されているわけではない。ただでさえ少ない聖女見習いのトップ、聖女は世界で10人しかいないのだ。あくまで本拠地がフェイストにあるだけで、聖女は世界に散っている。飢饉が発生して聖女の派遣を求めても、大抵来るのは見習い数人。いかに聖女が貴重かがわかるだろう。
その聖女を出した孤児院がそのことでどれだけ恩恵を受けているかも。
カタカタと揺られる馬車。第一王女の紋様の付いた馬車の進行を妨げるものはなく、順調に孤児院へと向かっている。昨日は曇り空であったが、フェイストは夏の雨は少ない。夏が乾期で冬が雨期だ。そのため今日はいつも通りの快晴で、太陽は帽子がなければ目が焼けてしまうほどに照っている。
中心部から少し行って、住宅街の一区画にその孤児院はあった。教会の隣に建つその孤児院は、数年前に改修され、隙間風の入る黄ばんだぼろ壁は、今ではきれいな白い壁になり、生け垣で囲まれた敷地の庭には色彩豊かな花が咲いている。
門から見て庭の右手側には鶏小屋があり、コッココッコと彼女らの鳴き声が聞こえてくる。孤児達の貴重なタンパク源だ。もちろん捌いて食べるのではなく、卵を食べるのだ。
「ありがとうニャ」
御者に礼を言うと、鉄格子でできた門をゆっくりくぐり、庭を歩いて行く。今は勉強の時間ということもあり庭は静まりかえっているが、耳を澄ませば孤児院の2階から子供達の声が聞こえてくる。
トントンと玄関の扉を叩くが、すぐにシスターが出てくる訳ではないので、扉の前からぐるりと庭を見渡す。5歳まで過ごしたこの孤児院を、彼女はよく覚えていない。ただ、こうして庭を見渡すとかすかな記憶がよみがえる。詳細ではないが、確かに自身はここで生活していたのだろうと思う。
しばらく経って、今開けますね、という声とともに玄関の両開きの扉の左手側がゆっくりと開いた。
「シスターキャサリン、お久しぶりだニャ」
「リーリャちゃん、よく来たわ。さぁ、入って」
シスターキャサリンと呼ばれるその老婦人は、リーリャがこの孤児院にいたときからいるベテランのシスターだ。開かれた扉をゆっくり閉めながら孤児院の中に入る。聖女になってからも足繁く通っていたこの孤児院は、白い壁と茶色い柱のいつも通りの光景だ。
そのまま応接室に案内されると、向かい合うように配置された長いソファーにそれぞれ腰を掛ける。
「聞きましたよ。聖女を辞めさせられたと。書類上は自ら辞職したということになっていますが」
「え……?」
「あなたは嫌われて教会から追い出されたわけではありません。上層部の保身の贄にされたのですよ。ですから安心して第一王女について行くといいです。教会はあなたに手を出すことはできない」
「どこまで知っているのニャ……?」
右手で口元をかくしておしとやかに笑うこのシスターには勝てない。リーリャは孤児院に来るといつもそう思う。
「私はいつまでもあなたの味方ですから」
「ありがとうニャ、シスター」




