二
「エリアーヌがリュシアンを選んでくれて嬉しいわ。我が息子ながら、結構優秀だから頼りになると思うし、期待していいと思うの。まあ、それに反比例するように、貴女に関しては、かなり、へたれ、だけれども。呆れてもいいから、見捨てずよろしくね」
ふふ、と微笑んで言う王妃は、その言葉の内容に反し、まるで少女のように可愛らしい。
え?
王妃陛下ってこんな方だったっけ?
リュシアンとエリアーヌが正式に婚約して数日。
今日は、ふたり揃って王妃の茶会に招かれての席。
緊張の面持ちで参加したエリアーヌは、見たことも無い王妃のそのいきなりの破天荒ぶりに、厚く装甲した令嬢の外装を剝ぎ取られるほどの衝撃を覚えた。
へ、へたれ、って。
リュシーは、へたれ、ってことないと思うんだけど。
「見捨てるなど、とんでもないことでございます。わたくしこそは、リュシアン殿下に相応しくありたいと思っております」
まさかリュシアンをへたれと言うとは思わなかったエリアーヌが、それでも王妃に反発するような言葉を避け、慎ましやかにそう言えば。
「今は未だ無理でも、そのうち、へたれ、って言えるようになってね」
と、何故か本心から願われるよう、手を握られた。
え?
ええ!?
王太子ゴーチェの婚約者であった時も王妃とお茶をしたことはあるが、そのいつの時もテーブル向こうで悠然と微笑んでいた、のと大きく違い、今日はリュシアンと王妃が両端に座る、という異例の事態に戸惑っていたエリアーヌは、更に混乱する状況となって、思わず縋るようにリュシアンを見てしまう。
「王妃陛下。まずは、挨拶をさせていただきたく」
エリアーヌを挟んでリュシアンが毅然と言えば、王妃の頬が、ぷくっ、と膨れた。
か、可愛い!
この国の王妃であり、やがて義理の母になるひとに向ける言葉ではないかもしれないが、エリアーヌは心底からそう思って見惚れてしまう。
「今日は私的な集まりよ、リュシアン。貴方がそんな他人行儀では、エリアーヌが遠慮してしまうではないの」
そうして詰るように言う言葉さえ、拗ねた様子がまた可愛い。
王妃陛下!
それってつまり、リュシーに『母上』と呼んでほしい、って仰っていますよね!
今まで、これほど砕けた様子の王妃を見た事の無かったエリアーヌは、リュシアンと王妃の気安い遣り取りに、知らず気持ちがほっこりと和んで行くのを感じた。
「母上。ですが挨さ」
「もう、貴方ってば本当に。ねえ、エリアーヌ。リュシアンは、へたれ、なうえに、朴念仁、なのだけれど、貴女を想う気持ちは本物だから大切にしてくれると思うの。でも、へたれ、や、朴念仁、が過ぎて、困惑迷惑、することがあれば、遠慮なくわたくしに言ってね」
エリアーヌの手を、ぎゅ、と握って言う王妃の瞳は、冗談のような言葉と裏腹に真剣そのもので、エリアーヌは少々大仰では、と微笑んでしまう。
「お心遣い痛み入ります、王妃陛下」
「違うわ」
もしそのような事があればお願いします、と続けようとしていたエリアーヌは、不機嫌そうな王妃に言葉を遮られ、口を噤む。
い、今!
何か、粗相をしてしまったってこと!?
もしかして、微笑んでしまったから!?
私的とはいえ、王妃との茶会で何か問題となることをしてしまったかと焦るエリアーヌに、王妃は、ずい、と身体を寄せた。
「お義母様、よ。エリアーヌ」
「え?」
「わたくしね。エリアーヌに、お義母さま、って呼ばれるのがずうっと楽しみだったの。それなのに、ゴーチェが馬鹿なことをして。でも、リュシアンが瀬戸際で頑張って、エリアーヌがそれに頷いてくれたおかげで、予定通りお義母様って呼んでもらえることになって。それがね、わたくし本当に嬉しいのよ。だから、ね?」
わくわく、と、気持ちを隠すことなく瞳を輝かせる王妃を見、エリアーヌが指示を仰ぐようにリュシアンを見れば、彼もまた嬉しそうな笑みでエリアーヌに頷いた。
「母上。女性の社交の世界では、エリアーヌにとって母上は最大の味方となりましょう。どうぞ、よろしくお願いします」
「不束者ではございますが、精一杯リュシアン殿下を支え、公務に全力で取り組む所存でございます。至らない点は、なにとぞご指導くださいませ」
リュシアンに続き、エリアーヌが頭を下げれば、王妃は鷹揚に頷く。
「もちろんよ。でもね、エリアーヌ。ひとつ条件があるの」
「はい」
そうよね。
このままじゃ、王太子殿下の婚約者だった時の距離と随分違うもの。
条件。
何だろう。
リュシーを絶対に幸せにすること、裏切らないこと、とかかな。
王太子という明確に玉座に向かう王子と違い、第二王子であるリュシアンの立場は微妙だといってもいい。
だからこそ、リュシアンは私的に公務以外の仕事を持っていいことになっているのと同時、臣籍降下することが決まっているのだけれど、とエリアーヌが思案していると。
「お茶会や夜会、その他どんな公的な場所でも、わたくしのことはお義母様と呼ぶこと」
王妃は、真剣この上ない表情でそう言い切った。
「え?」
思わず、ぽかん、と口を半ば開いてしまったエリアーヌの横で、リュシアンが、くつくつと笑い出す。
「母上。いくらなんでも、それは無理なのではありませんか?外交の場など、どうするのです?」
「どうしても、絶対に、という時以外は、お義母様、よ。他国の王族との会談の時だって、ちょっと席を薦めるとか、場を譲るとか、そういうちょっとした瞬間に、お義母様、って言えるでしょう?」
わたくしだけに聞こえる時には、絶対に、何があっても、どんな場でも、と、言い募る王妃はとても楽しそうで、エリアーヌは否やと言えなくなる。
「はい。是非、そうさせてくださいませ。お義母様」
「ええ!エリアーヌ、仲良くしましょうね!」
そう言って、ぱあっ、と顔を輝かせ、満面の笑みを浮かべる王妃は本当に楽しそうで、傍に立つ王妃付きの侍女も嬉しそうに王妃を見つめている。
侍女長が、あんなに表情を出すなんて。
それも知らなかった、と、エリアーヌは王太子の婚約者だった時との違いを実感する。
王太子と第二王子。
同じ王妃の子でありながら、それは大きな違いだったのだと改めて感じ、エリアーヌはカップを口に運んだ。
きっと、王太子妃となるから、ってことで敬意を表されていたんでしょうけれど、今の方がずっといいわ。
堅苦しいばかりだった王太子の婚約者時代は本当に終わったのだ、と、エリアーヌが幸せを嚙みしめていると、王妃が侍女長に何かを指示し、それに対し小さく頷いた彼女が、やがて細長い箱を持って戻って来た。
「それでね、エリアーヌ。これを受け取ってほしいの。そして、次の夜会で使ってくれると嬉しいわ」
そう言った王妃が手ずから差し出した箱を押し頂いたエリアーヌは、そこに収められていたものに歓喜の声をあげた。
「素敵です・・・!こんなに素晴らしい扇をありがとうございます、王妃へ・・・お義母様。大切に使わせていただきます」
感極まって扇を抱き締めるエリアーヌは、途中王妃陛下と言いそうになるも、瞬間眉を寄せた王妃により何とかそれを回避した。
そして、そんなエリアーヌを王妃も満足そうに頷き見つめる。
「ふふ。気に入ってくれたみたいで良かったわ。実はね、わたくしとお揃いなのよ。あ、リュシアンが今回用意しているドレスや装飾とも合うように作らせたから安心して」
当然のように言った王妃の言葉に、リュシアンが飲んでいた紅茶を吹きかけて何とか堪える。
「は・・母上、俺がリアに用意しているドレスや装飾に合わせた、とは一体。どうして・・・というか、どうやって?」
咽せながらも、どうしてあの秘密の贈り物を母が知っているのか、とリュシアンは訝しい目を王妃に向けずにいられない。
「あら、そんなに不思議がることないでしょう。貴方が今回の夜会に向けて、エリアーヌの為にドレスや装飾を用意をするだろうな、ということは容易に想像できたもの。もちろん、正式に婚約が決まる前からね」
「正式に決まる前から、ですか?」
そう言って首を傾げたエリアーヌは、しかし、そうしなければ今回の夜会には間に合わなかっただろうと納得もする。
事実、だからこそ、今回リュシアンからドレスを贈られることはないだろうと思っていたのだけれど。
「ええ、そう。正式に決まる前から。だって、漸く貴女と婚約出来てドレスを贈ることが出来る立場となるのですもの。婚約事態がぎりぎりになったとしても、見送るなんて真似する訳ないでしょう?」
「母上。確かにその通りなのですが」
「なによ。わたくしだってエリアーヌに扇を贈りたいのだから、貴方がどんなものを用意しているのか、確かめるのは当たり前じゃない。え?方法?そんなもの幾らだってあるでしょ。知らない振りしないの・・・って何よ、その不服そうな顔。ああ、貴方より先にエリアーヌに贈ってしまったから、ってこと?そんなの、愚図な自分を恨むのね」
ふふん、と得意げに笑う王妃に、リュシアンはため息を吐いた。
「よく、次の夜会を目標にしている、と判りましたね」
「判るに決まっているでしょ。ゴーチェが側妃だなんて馬鹿なことを言い出して、オードラン公爵家は爆発寸前だったけど、陛下とわたくしだって爆発寸前だったの。でも、貴方が漸く重い腰をあげてくれて、王家と公爵家に新たな結びつきが生まれた。それを発表するに、今回の夜会、あの娘の誕生パーティほど最適な場は無いもの・・いいこと、リュシアン。エリアーヌが誰の正妃となって、誰が幸せにするのか、今度の夜会でちゃんと知らしめるのよ?」
聖女をあの娘と呼び、王妃は涼しい顔でカップを口に運んだ。
王城で行われる聖女の誕生パーティ。
国中から貴族が集うその場ほど、自分達ふたりの婚約の周知に相応しい場は無いだろう、という己の考えを読まれていたことに、リュシアンは苦笑しかない。
「そこは、お任せください。ですが酷いですよ、母上。ドレスの件、未だリアには内緒にしていたのに」
恨みがましい視線を息子に向けられ、王妃は信じられないというようにその瞳を見返した。
「まあ、今ここに至って?未だ渡していないどころか言ってもいないの?・・・なるほど、それで焦っているのね。ドレスや装飾を用意したことをエリアーヌ本人に自分で言う前に、わたくしがばらしてしまったから。それにしても、貴方ってエリアーヌのことになると、ほんとにぽんこつで鈍くさいのね。こんな愚鈍な男だったなんて、って、エリアーヌに愛想尽かされないよう、頑張るのよ」
如何にも感慨深そうにしみじみと言い、ひとの悪い笑みを見せる王妃に、リュシアンは苦笑するしかない。
「リア・・・その、そういう訳でドレスや宝飾は贈る用意があるから、その。遅くなって悪かったけれど、それを身に着けてくれると、その」
エリアーヌに、ドレスや装飾品を贈るという長年の夢。
それが叶うという時になって、妙に緊張してしまったリュシアンが言葉に詰まれば、気合を入れ直すように、王妃がその背を叩いた。
それはもう、ばしっ、と音がするほど強く。
そのためにわざわざ立ち上がるという、念の入れ方で容赦無く。
「リュシアン!しっかりしなさい!聞いていれば『その』ばっかりじゃないの、まったくもう。誰を前にしても顔色ひとつ変えないくせに、恋って凄いわねえ・・・ねえ、エリアーヌ。夜会まで日も無い今になって、ほんっとうに、迷惑だ、と、心底、思うのだけれど。この鈍くさい息子の願い、聞いてやってくれる?ドレスも装飾品も、貴女に絶対に似合うと思える素敵な品であることはわたくしが保証するわ」
わざと、一言一言力を込めて言う王妃に、リュシアンは視線を泳がせながらエリアーヌの様子を見、エリアーヌは嬉しそうに瞳を輝かせる。
「もちろんです。おう義母様」
何となく怪しくも、そう言って王妃を見たエリアーヌが、その輝く瞳のままにリュシアンを見つめる。
「リア。ドレスなど選ぶのは初めてで、気に入るか判らないが、受け取ってくれ」
そして、照れ臭そうに言うリュシアンにエリアーヌは満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいです、リュシアン殿下。ありがとうございます」
初めてリュシアンから贈られるドレス。
エリアーヌは、それを着て夜会に参加できる幸せに心からの笑みを浮かべ、リュシアンはそのエリアーヌの笑みに至福を覚えた。
ブクマ、評価。
ありがとうございます(^^♪