もうひとつの楽園
−まずは−
この文章はフィクションです。ということになります。
固有名詞のある人物、団体については、実在する人物、団体とは別で、一切関係ありません。ということですね。
この文章には、自らの経験、記憶からの描写がありますが、内容についての間違いは全て当方の記憶違いからのもので、全ての責任は当方に起因します。
続き
女嫌いの彼には、高校時代の友人、親友が他にも数人居て、
まあその中にあいつ、元パートナーの元カレも居ましたが、当時は元ではなかったはずです(笑)
それ以外に、女嫌いの親友にはクリエーターの道に進んだ親友が一人いて、その方が中澤一登氏でした。
中澤氏は少し気難しい印象の人でした。
だからなのか、自分は親友の彼のアパートで、たまに顔を合わせることがありましたが、
中澤氏とは、面識があるくらいから内に近づくことはなかったように思います。
中澤氏からは直接、あるいは親友の口を通して、業界の話をいくらか聞いたりできました。
もうほとんど忘れてしまいましたね。
まだ少し覚えているのは、彼が直接関わった作品。あるアニメ原作者であるマンガ家の批判くらいです(苦笑)
自分も読んでいたマンガ家の話だったからインパクトがあったんでしょうね。
ああ、もうひとつありました。
カレー蕎麦(笑)
たまたま入った蕎麦屋のお品書きに、カレーうどんとカレー蕎麦があって、気になって頼んでみたと言っていました。
親友は蕎麦好きで、かなり通な事を言っていましたので、たぶん中澤氏も、ご同類だったのかもしれません。
味の感想は忘れてしまいました。
ただ、
「ひっぱたいてやろうかと思った」と言った彼、中澤氏のセリフは、今もはっきりと耳に残ってます(笑)
女嫌いの親友にとって、中澤氏は有名になった自慢の親友だったのでしょう。
劇場版「アルスラーン戦記」の動物作画監督はあいつだとか、ウィークリービデオの「銀河英雄伝説」で、あのシーンは中澤氏がやっているとか、いろいろ聞きました。大半はもう忘れましたけれど。
親友がアニメ製作会社にいた中澤氏のところに遊びに行き、セル画塗りの手伝いをした話も聞いた気がします。
それで親友が、アニメ番組のエンディングテロップに名前が載るための規定枚数に、彼が手伝った枚数では足らないから、名前が出ないんだって言っていたのかな?そんなこと言っていましたが、その辺りがはっきりしません。
すみません、うろ覚えの情報ですね(笑)
中澤氏は文庫版の有名海外ファンタジーTRPG(今はクラシックと呼ばれているものの文庫版)のイラストも担当されていて、
親友からか本人からか、ゲーム会社とイラスト担当のコラボ企画でTRPGセッションをしたという話も聞いたと思うのですが、残念ながらよく覚えていません。
親友のつてで、自分の同人誌にイラストを書いて頂いたこともありました(笑)
女嫌いの親友のつてですね(苦笑)。彼から話が出たからこそ起きたイベントです。
話のついでに、他の少しだけ面識のあったクリエイターの方と、そのサークルの話もしておきましょう。
あそこのコミュニティーも、非常に居心地の良い場所でした。
角川系パソコン雑誌のTRPG掲示板、そちらのオフ会。
公民館などの会議室を借りて実施されるTRPGのコンベンション。
いろんな経歴の方。社会人だったり、学生だったり、主催者側はゲーム業界に関係しているプロだったりセミプロだったりの方がいたのかな?
自分は遊びに行っていただけでしたので、その辺りがはっきりしないのですが(苦笑)
まあ相手には、自分は遊びに現れたモブの一人だったと思いますので、
たぶん、こちらのことを覚えてはいないでしょう(笑)
定期的に開催される、居心地の良い遊び場ではありましたが。自分としては、深くはなっていかなかった繋がりでした。
とても良い方たちでしたので、もう少し深い付き合いをしてもよかったかもしれません。
ネットを含めた交流をしていたセッション仲間の友人や親友は、もう少し深い交流をしていたのではないかと、当時を思い返しつつ、そんな風に思ったりもしています。
そちらに遊びに出かけるようになった経緯は、やはり親友のつながりからでした。
女嫌いの親友、彼をTRPGに嵌めたのは自分でした(笑)
その後、彼は自らの交流相手のPCゲーム仲間から、TRPGに興味のある、あるいはTRPGの経験者を誘い、
自らがGMとなり、ファンタジーTRPGの既成シナリオを使ったキャンペーンセッションを始めたりしていました。
自分もプレイヤーとして参加させてもらい、ずいぶんと楽しい思いをしましたね(笑)
それで、一緒にゲームをしていたセッション仲間、以前から、先のネット(たしかニフティ)TRPG掲示板に出入りし、オフ会のセッションに参加していた人がおりまして、
彼のつてで、当時パソコンも無く、もちろんネットへのアクセスもしたことのない自分が、そちらへ顔を出し始めたというわけです(笑)
主催者側の方は、自分が出入りしていたころ、国産のファンタジー小説、「フォーチュン・クエスト」のTRPG版のゲーム製作を行っていたチームメンバーだったようで、
著者の深沢美潮さんとテストプレイのセッションをしたという話を漏れ聞いたこともあります。こちらのオフ会にも来られていたのかな?少しはっきりしません。
たまに、TRPGが好きな小説家さんも来られていたようで、
一度、自分も業界の方、ファンタジー小説、「極道くん」の著者、中村うさぎさんと同じTRPGの卓でセッションをさせていただいたこともありました。
オフ会の主催者側の代表は、はせがわみやびさん。現在はライトノベル作家の方かな?当時はゲームデザイナーの方だったように思います。
穏やかな方で、何よりあの人がGMをするTRPGセッションは面白く、
あの人のゲーム卓に参加したい人の競争率は、本当に激しかったですね(苦笑)
自分も何回か、みやびさんのTRPGセッションに参加させていただきましたが、たいへんに楽しかった♪
特に思い出深いのは、はせがわみやびさんの卓で、上で話した中村うさぎさんとご一緒したセッション。
TRPGのセッションシナリオは、みやびさん自身の作品。
某ゲーム会社での、そちらで製作した有名国産ファンタジーTRPG(俗に言う1.0)、そちらのシナリオコンテストに応募されたシナリオ、「闇に消えるウェディングロード」。
シナリオ作者のデザイナー本人によるGMのマスタリングを、小説家の方とご一緒して体験させていただく。
あんな贅沢な経験は、後にも先にもあの時だけです。
本当に忘れられない思い出でした。
主催者側のメンバーの中には、今ほど有名になる前のライトノベル作家、「GJ部」や「英雄教室」などを書かれた、新木伸さんもいました。
新木さんはちょっとユーモアのある感じの方で、彼の書くラノベ作品のキャラたちを思わせるプレイをする。今思えば、そういった印象もあった方だった気がします。
親友などは、そういったオフ会のTRPGコンベンションに自分が作ったTRPGのシナリオ(自分たちで作った同人誌に掲載したもの)を持ち込んで、GMとしてセッションをしたり、カードゲームやボードゲームの卓を立てて相手を募り、活動的に遊んでいました。
自分はまあ、だいたいTRPGばかりでしたがプレイヤーだけです(笑)
自らが卓を立てることもしませんでした。
自分のGMとしてのマスタリング、特にアドリブセンスは本当にどうしようもなく、だからオフ会のセッションではGMをやったことはありません。
(親しいゲーム仲間とのセッション、あるいは自ら同人誌掲載用に作ったTRPGシナリオのテストプレイくらいです)
創作にしても、模倣がせいぜいで、独自性のあるものを作り出していたわけではなかった。
当時、自分の周りとを比べて、やはり及ばないという考えは持っていたと感じます。
一度(いや、二度かな?)、自分が同人誌で掲載するつもりだったTRPGのシナリオを、はせがわみやびさんに見ていただいた事がありまして、
その時は、「面白かった」という感想をいただいたのが、大変励みになったのでしたが、
あの方から、「あのシナリオ、GMでセッションやってみない?」と言われた時は、どうしても受けられませんでしたね。自信が無さすぎて(笑)
あそこも、なろうの空気と同じで優しい雰囲気の場所でしたので、
少しもったいなかったなと、これを書きながら思っています。
女嫌いの親友は、自分よりも後発でTRPGには触れたわけですが、
本当にね、あっという間にいろいろを吸収し、そういった舞台で遊びまわり、
持ち前の絵の腕前を生かして、他人に請われて周りのゲーム仲間のキャラクターに絵を付けたり、いろんな方面で交流を深めていったように思えます。
でも、その彼をしても「プロを目指さない」、そう言っていたのをなんとなく覚えています。
自分は元来、ものごとを手早くこなして行けるタイプではないのですね。
そちらの業界への興味がなかったわけではないのですが、
ちっぽけでも、自らの能力という杖へすがりつき、死に物狂いで努力するということもしませんでしたし、
身近で見た方たちの努力と資質に対し、踏み出す勇気を出せなかったのか、
まあ、自分は業界という方向は目指さなかった。
自分がTRPGセッションをして遊んでいる横には、そういった世界が広がっていたので、
ちょっとつまづいて一歩めを踏み出せれば、そちらの底辺あたりで仕事をしていた可能性はあります。
自分の性格から、ずっと今でも、その仕事をしているという自信はありませんけれどね。
友人たちのいくらかは、そちらの、いろんな業界へと進み。
中学時代の親友、学生の時に知り合ったゲーム仲間の親友は、マイナーな位置ながら、アーケードゲームの開発会社(脱衣麻雀を作っていたところ)に席を見つけたりしましたね。
上で語った方たちと別の、自分よりも年下のゲーム仲間にも、そういう方面へ行った人がいました。
上のオフ会とは別のTRPGコンベンションで知り合った、セッション仲間の友人たち、
彼らは当時、とある大学の工学部で、SF研究会のメンバーだった人物たちです。
一度、女嫌いの親友らと連れ立って、あちらの学祭にお邪魔したことがありまたしたが、
あそこでやったTRPGセッションもなかなか楽しかったですね(笑)
あそこで遊んだマイナーな国産ファンタジーTRPG。
あの時にGMをしてくれた年下のセッション仲間のひとりは、あのTRPGシステム製作に少し関わっていたと聞いた覚えがあります。
自分もそのシステムを買っていましたが、製作スタッフリストに彼の名があったのを覚えています。
有名海外ファンタジーTRPG(今でいう2版、当時はAあるいはアドバンスドの頭文字がついていた)、そのコンベンションで知り合った二人。
彼らは自分と共通の趣味もあったけれど、
大学のサークルで揉まれているからか、もともとか、視点や考え方が斬新でした。
彼らとのTRPGセッションは面白かったし、自分の作った同人誌用のTRPGシナリオのテストプレイにもたくさんお付き合いいただきましたね。
形にはならなかったけれど、一緒にオリジナルのファンタジーTRPGのシステムを作ったこともある。
ああいった交流は、本当におもしろかったです(笑)
彼らは卒業後にアーケードで人気のあった格闘系のゲーム会社や、パソコンソフトとして少し有名な戦国の戦略シミュレーションゲームの会社に入ったりました。
彼らや親友らは、クリエイティブな方面へと進み、
自分は別の選択をしたのですね(笑)
彼らたちからの業界のこぼれ話を聞いたりしながら、
TRPGのセッションを仲間たちと続けてゆく。
自分はあそこで、そんな感じの毎日を過ごして居ました。
自分が少しずつ広げていった世界と、女嫌いな親友が持ってきた、自分よりも鮮やかな世界の間を行き来しながら。
続く
個人名が出てますが、そのクリエイターの方に合った適切な仮名も思い浮かばず、
さりとて、伏せ字はあまりに失礼な気がして、そのまま記載させていただきました。
不都合ございます場合、改稿や削除等の対応をいたします。